思想 2016年 07月号

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よって英国の輸出品の市場を創出するだけでなく、周辺地域じている行 ) 。しかしながら、どちらの立場もシティーの国 から輸出される食料品や資源などをポンドで取引することで際的地位の維持に貢献したのはドル、特にユーロダラーであ 貴重な米ドルを節約し、さらに、帝国外に輸出することによ ったとみなしている ( じ。 るドルの獲得が目指された。この目的の為に植民地政府の改以上のように、経済的衰退が直接的に英帝国解体をもたら 革が行われ、周辺地域の人々の社会的・経済的生活に大きなしたわけではないこと、および帝国解体にもかかわらずシテ 影響を与えることになった。 ィーの地位が保たれたことがわかる。 また、英国の経済的弱体化は、むしろ貿易と金融における 『英帝国の終焉』の第四章「国際政治と帝国の終焉」では、 コモンウエルス諸国との結びつけを強めた。コモンウエルス第二次世界大戦後の国際政治の変化と帝国の解体に関する 構成国は、スターリング圏外との貿易に関する制限や、英国様々な説が紹介されている。ダーウインが重視するのは米ソ に預けたドルの使用に関する英国政府の規制を受け人れるな冷戦と、国際政治における正統的な理念としての反植民地主 どして、経済的主権は事実上制限されることになった。 義ナショナリズムである。 英国政府は帝国維持の一環として、ポンドの国際的地位や 米ソ超大国の台頭は帝国解体といかなる関係があったであ シティーの国際的役割を維持することに関心を持った。シテろうか。軍事費負担による国力の消耗、特に経済力の消耗が ィーの利益と役割を重視した英帝国論であるジ = ントルマン帝国解体をもたらすという前述の理論がまず紹介される。第 資本主義論は、『英帝国の終焉』では十分に検討されていな 一次世界大戦後と異なり、冷戦の下で英国は、本国や大陸ョ 後の論文「脱植民地化と帝国の終焉」信 ) で言及されてい 、英帝国をソ連・共産主義から守るための軍事力維 るため、少し補足的に論じてみたい。 持のため、軍事費の削減ができなかったのである。 シティーはポンドの国際的地位の低下にもかかわらず、国 米ソ両大国が民族解放を掲げ、帝国支配に対して非寛容で 際金融における立場を失わなかった。ジェントルマン資本主あることは帝国の維持にとってマイナスであ「た。ソ連が誕 義論では、国際通貨としてのポンドの地位を維持することと生した直後から、民族自決が米ソから提唱されていた朝。 シティーの地位を維持することの間に関係があると見なされ英政府にとって、第二次世界大戦中からすでに、米国による ているを。他方で、第二次世界大戦後のポンドの国際的地英帝国支配批判にどのように対応しながら英帝国を維持する 位の低下を考察したシェンクは、ポンドの国際的地位を維持かが重要な課題になっていた元 ) 。第二次世界大戦後の再建 しようとした政府の政策はシティーの利益に反していたと論に米国の支援が必要であった英国には、米国の意向を無視す

英支配の象徴となっていたアングロ・イラニアン石油会社を ることは難しいと予想された。 一九五一年にイラン首相モサッデクが国有化したことに対し しかしダーウインは、冷戦の開始が、英帝国維持を米国が 容認することにつながったと指摘する ( 幻 ) 。ソ連・共産主義て、英政府はモサッデク政権打倒を目指したが、米国の批判 をグロ ーバルなレベルで封じ込めるのに、英帝国の維持は不で実行できなかった。しかし、トウーデ党の影響力がイラン 可欠であると判断されたのである。英国は、米国のジ、ニ国内で強まると両国はモサッデク政権の打倒で一致し、英米 ートナーとして帝国を維持することで大国としての地に支援されたイラン軍部のクーデターによりモサッデクは政 位を確保することを目指した。中東は英国に委ねられた。な権を失った。その後、イランは米国の影響下に人ることにな かでもエジプトをコントロール下におくことは重要であった。 核兵器の運搬手段がまだ戦略爆撃機であ。た時代、スエズ基帝国維持の重視は第三世界のナショナリズムに対する軽視 をもたらし、逆に帝国終焉を促すことになる。これは、第二 地は英国の基地と沖縄基地と並んで核戦略上不可欠であった 次中東戦争に至る過程に表れている。一九五四年以降、英米 からである。 第二次世界大戦後の世界は、植民地支配が国際政治の世界両国はエジプトとの協調でアラ。フ・イスラエル紛争の解決を で正統性を失った時代であった。たとえ米国が帝国の維持を目指すアルファ作戦を遂行しており、一九五五年以降ナセル 容認したとしても、英国が第三世界のナショナリズムを無打倒を目指すォメガ作戦を採用する。イランのクーデターや 視・軽視してソ連や現地の共産主義勢力の拡大をもたらして中米における 0*< の活動による政権転覆のようなナセル政 いると判断された場合には、英国は米国の圧力にさらされる権打倒が目指された。ここでは軍事力に訴えることによって ことになる。ここで、中東の事例を取り上げることでダーウ生じる中東の混乱は、ソ連の中東進出を招くものとして否定 インの議論を補足する。エジプトでは、スエズ基地に反対すされていた。しかし、米国の意向を無視して英国はフラ 国るナショナリズムの高揚の中で、一九五二年にナセルが権力ンス、イスラエルとのナセル打倒の共同軍事作戦を展開した。 とを掌握した。ナセルによりスエズ基地からの撤退を迫られて米国から強く批判されただけでなく、国連を舞台にアジア・ 中 いた英国は、一九五四年に締結された協定で、撤退を容認すアフリカ諸国からも批判されてしまう。 ダーウインによれば、スエズ戦争が脱植民地化を一気に促 現るが、これには米国の圧力が働いていた 2 。 イランでは、英国のナショナリズムへの対応は、結果的にしたとは言えないが、英国の大国としての威信に回復し難 英国に代わり米国がイランを支配下に置くことにつながった。傷をつけることになった。また、米国の意向に反した外交を

することは避ける。へきという考えが広がることになる。ダー 高まって いくことになる。第二次世界大戦中の資源の動員な ウインが重視するのは、スエズ戦争は、国連が反植民地主義どによる経済的困難の増大は植民地政府への不満を強めた。 の声を代表する組織となることを促し、その結果、米ソ両陣さらに、前述した「第二の植民地占領」に代表されるような、 営とも新興独立諸国や独立を目指す勢力に一層の配慮を迫ら 開発を目指す植民地政府による社会・経済への浸透・介人が れるようになったことであった。英国は米国だけでなく反植 もたらす社会と経済の変化は、結果的に植民地政府への反発 民地主義に配慮する必要に迫られ、帝国維持のための行動のを生み出した。近代化志向のナショナリストが植民地政府に 自由が失われてしまったということが強調されている。 代わって人々の要求に対応できる存在とみなされれば、ナシ 『英帝国の終焉』の第五章「植民地ナショナリズムの襲来」ョナリズム運動は力を持っことになるという図式が新たに唱 では、英帝国の周辺地域におけるナショナリズムと英帝国終えられるようになる。 焉の関係に関する様々な説が検討されている。ダーウインに このようなダーウインの議論から明らかなように、帝国支 よれば、地域研究者など特定地域の研究者は、自治の進展や配からの撤退は、英国と周辺地域における集団との間の政治 独立達成における周辺地域の政治家・政治組織の役割を強調的協力関係の条件の変化、すなわち周辺地域おける抵抗と協 する傾向がある。まず紹介されるのは、近代化志向の現地工力の政治力学から考察される必要がある。ロビンソンは、脱 リートにナショナリズムの理念が広がり、さらに大衆にまで植民地化を「協力メカニズム」自体の解体ではなく、近代化 広がると、現地の植民地政府はナショナリズム運動を無視でエリ ートと伝統エリ トの協力を軸とする「協力メカニズ きなくなって、最終的に独立を認めることになるという図式ム」への再編と解釈するを。このような周辺帝国主義的な である。 見方に立っと、植民地ナショナリズムが台頭して新たな協力 しかしダーウインは、このような図式は単純すぎるもので者を見つけられないまま反乱に直面することは、それを抑え あ「て、帝国周辺地域には民族的、宗教的、文化的、階級的る軍事的コストを考えると、避けねばならないことであ に様々な集団が存在しているので、ナショナリストは理念だ りを、むしろ帝国支配から撤退の方が望ましいということ になる。 けでは人々をネイションの一員としてまとめることは難しか ったことを強調する説に重きを置く。経済的利益の維持など ダーウインは、協力者の喪失で脱植民地化を説明する周辺 様々な理由により植民地政府に協力する集団が存在したので帝国主義論には大きな間題点があると考えている。協力者が ある。それでも、次第に多くの人々の間で英帝国への不満が いなくなる、あるいは見つけるのが難しいから協力メカニズ