UP 2016年07月号

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たり、また「民本主義」吉野作造と同じような立場に立ってい 機 たかというと、どうもそれは違うようである。山川自身はこの 転 後に、平沼騏一郎が率いる右翼団体「国本社」の顧問にも就任 大 するという、国家主義者である一面をもつ。この「国本社」と の 大 いうネーミング自体が吉野の「民本主義」に対抗軸を形成する 帝 京 ための、右翼保守派の旗じるしなのだ。 AJ 立花隆は『天皇と東大ーー大日本帝国の生と死』 ( 上巻 ) ( 文 件 事 藝春秋社、二〇〇五年 ) で次のように述べている。 戸 年 〇 それにしても、なぜ山川健次郎は国本社の副会長になっ たのかと思われるかもしれないか、山川はもともと熱心な さて、山川健次郎の思想についてはいったん措くとして、当 国家主義者なのである。先に、山川と森戸の間で、「君は 天壌無窮〔天皇の地位は永遠であることが神様から保障さ時の東京帝国大学が直面していた諸問題について、『東京大学 謎 の れていること〕を信ずるか、「いや、ちょっと信じられま百年史』などから書き出してみよう。一九一八年 ( 大正七年 ) 金 資 せん」「そうか、自分はそう信ずるけれども、君がそう思から一九二〇年 ( 大正九年 ) までを見ても、次のようなことが 刊 創 わないようなら仕方かない」というやりとりがあったとい挙げられる。 う話を書いたが、山川は本当に天壌無窮を信じるような天 究 ①さきに述べた〔連載第三回〕「単科大学」から「学部制」 皇主義者、忠君愛国主義者、国家主義者だったのである。 研 の : 一九一九年 への移行 : だから国本社の副会長という役目も、名目上のものとして 聞 新 ②総長公選制度の、初の実施 : : : 一九一八年七月 引き受けたのではなく、その目的に本当に賛同し、その活 大 ③大学の新年度の開始を従来の「九月」から「四月」に変啼 動にも本気で参画したのである。 ( 立花隆『天皇と東大』 ( 上 期 ・一九二〇年 更する、「新学年暦」の施行・ 巻 ) より「血盟団事件に参加した帝大生」 ) 初 ④経済学部の独立 ( 一九一九年 ) 、附置研究所の設置 ( 一九 河村俊太郎 東京帝国大学図書館 図書館システムと蔵書・部局・教員 < 5 判・三二〇頁・六四〇〇円 一ノ瀬正樹・正木春彦編 東大ハチ公物語 上野博士とハチ、そして人と犬のつながり 四六判・二三六頁・一八〇〇円 東京大学出版会 ( 表示は本体価格 )

一六年 ) と、特に「航空研究所」で起きた問題への対応部省側に押し切られたかたちで、この新しい学年歴を受けいれ たのだ。東京帝大の評議会でも、この実施についての議論が一 : 一九一八年から二〇年にかけて 九一九年から二〇年にかけて行われている。 いずれも現在の東京大学やまた一般の大学制度にも大きな影④附置研究所が東京帝大に初めて置かれたのが、一九一六年の ( 大正五年 ) の「伝染病研究所」であり、一九一八年 ( 大正七帝 響を与えた決定や事案であり、詳しく述べればそれぞれについ 京 て分厚い本が必要な大学教育史上の一大トピックだが、ここで年 ) には二番目の研究所「航空研究所」が置かれることとなっ た。しかし、この「航空研究所」の所長人事で問題が発生す件 はかいつまんで説明しよう。 戸 ②「総長公選制、は、京都帝国大学での内紛「沢柳事件」のる。その問題の収拾として、第二代の所長に、東京帝大総長の 余波で、山川健次郎が一時期暫定で、京都帝大総長を兼任して山川本人が、陸海軍と文部省の懇請を受けて就任することにな いた一九一五年 ( 大正四年 ) に話は遡る。この年に、新しい京る。このあたりについては、『山川健次郎日記』に詳しく書か 都帝大総長に、京都帝大教授らへの意向確認を経て、山川が推れている 薦した荒木寅三郎が就任した。東京帝国大学でもこれを受け 学内世論と帝大総長、そして政府文部省 て、一九一八年 ( 大正七年 ) 六月二十九日に帝国大学制度調査 会が実質的な「総長公選制、を承認して、翌七月に全教授の選このような重要問題が山積した状況の中で、帝大経営の舵を金 握っていた山川。帝大の事務当局としての書記官や、最高決議刑 挙により、現職の山川が総長に選ばれている。 ③「新学年暦」は、昨今の東京大学の一大テーマ「秋入学・機関である東京帝大の評議会が新聞の発行に反対する中で、 新学事歴」と絡むアップデートな問題である。当時、欧米の大「新聞の発行に俺は賛成である」と山川健次郎総長が言った究 学と同様に九月入学だった東京帝国大学は、義務教育や高等学 ( 永井了吉「東大新聞の創刊をめぐって」、『學士會会報』昭和四十六 校の制度改革にあわせて、四月入学へと大きく舵を切ることに年号 ) 意味は大きい なった。 大学の自治や研究の自由が問題になった「森戸事件」そし大 東京大学の歴史を扱った本『プロムナード東京大学史』 ( 東て、「新学年暦」や「総長公選」など、政府文部省と東京帝大 京大学出版会、一九九一一年 ) の著者・寺﨑昌男によれば、帝大側の立場が明らかに対立する事案が相次ぐなかで、帝大総長が学 は「いやいやながら、というのが目に浮かぶ」っまり、政府文内世論に拠って、政府文部省と対峙し交渉することを当然山川

は何度も経験していたことだろう。総長を二回にわたり、合計 十一年弱も務めた山川が、今後の東京帝大の行く末を考えた時 に、この後も起こり続ける諸問題をも当然予想しただろう。 大学における新聞、学生新聞が、大学内のコミュニケーショ ンなり、学内世論の形成に寄与し、そしてそれを背景とした 「対外交渉力」が帝大総長には求められる、ということも、冷 徹な帝大の管理者・経営者としての山川には理解できたのでは ないか 山川本人は、菊池大麓、浜尾新、一木徳太郎ら、帝大総長や 当時の文部大臣等を歴任したり、また輩出した「文教族」の学 者や官僚グループと親しい関係で、いわば「政治力」がある人 間であったようだ。『山川健次郎日記』の編著者・小宮京と中 澤俊輔は「教育行政のインナーサークル」の一員としての山川 とも捉えている。しかし、後任の帝大総長・古在由直や、その 後の総長についてもそのような関係が保証されているわけでは いずれにしろ、一九二〇年 ( 大正九年 ) というのは、東京帝 国大学にとっても大きな転換点の年だったのである。そして、 その後の戦中戦後から現代に至る、近代的な東京大学の基盤 が、この時期に築かれていることに感慨を覚える。 筆者は公益財団法人東京大学出版社の役員ですが、内容は個人の見解で あって法人を代表するものではありません。 ( しみず・あっし公益財団法人東京大学新聞社 ) 現役東大生がつくる東大受験本 東大 201 フ とんがる東大 東京大学新聞社編 7 月末刊行予定 ノ - ヘル物理学震 梶田隆章 ファッションデザイナー 雪浦聖子 畑正憲 役東大生がつくる この 1 冊で東大がわかる ! 現役東大生による、 受験必勝法から合格体験記、入学後の生活のアド バイス、本郷への進学、そして卒業後の進路に至 るまで、徹底的に解説した決定版。東大受験を考物、 えている高校生や中学生には必読のガイドブッ ク。ノーベル賞受賞者の梶田隆章先生へのインタ ピュー、東大発べンチャー企業特集など、読み物な 己事も充実。 ISBN 978-4-13-001300-0 A5 判 / 304 頁 / 本体 1 ,500 円十税 011 物画入試 合格者の素願 ま大生の 哭丸わがり 、現役生 & からの 勉強法 ーアトバイス 寺集 一三ロ [ 初期『帝大新聞」の研究ーー「創刊資金の謎」 ] 4 一九二〇年森戸事件と東京帝大の大きな転機 54