グラフィックアクション 第25号

キーフレーズ

ドイツ ロンメル ドイツ軍 イギリス軍 北アフリカ 戦車 イギリス イタリア アフリカ ドイツ空軍 戦闘機 イギリス空軍 攻撃 スピットファイア 部隊 地中海 戦車師団 88mm モントゴメリー 戦闘 メッサーシュミット 機甲師団 写真集 爆撃機 英軍 砂漠 アルニム 300 イタリア軍 偵察 () 北アフリカ戦線 PANZERKAMPFWAGEN 写真 連合軍 チュニジア アメリカ軍 作戦 330 軍団 Kfz ハルファヤ リビア ヒトラー 空軍 アフリ マルタ島 師団 戦い 進撃 陣地 撤退 アレキサンドリア グラディエーター マレト 機動部隊 ユンカース ジーグラー フィアット 戦線 偵察機 地雷原 タイガー 兵力 k. アメリカ フランス 活躍 補給 第二次大戦 1942 270 大戦 車両 指揮 開始 エンジン トラック 対戦車砲 マークⅡ メントン 機甲軍 牽引車 鉄条網 高射砲 輸送機 戦場 基地 地雷

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ヒ窰青報縦 川上しげる 誤りや見落としがあるから , フィルムに記録し ( 日本はそのための専用の機体を作ったことで て帰る方法はしごく当然のことである。 有名 ) , イギリス空軍は第二次大戦前から戦争 第二次大戦になると飛行機の速度も速くなり , 中を通し , カメラと写真フィルムを組織的に駆 まごまごしていると敵の飛行機に撃墜されるか 使して「情報戦争」を休みなく続けたことで , ら , いよいよ高い高度から偵察を行うことが必 他の諸国にぬきんでていたといえる。 要になってくる。と , ますます人間の眼では地 今回は , 北アフリカでの戦いのゆくえを左右 上を偵察することは不可能になって来た。また , した大きな要因のひとつ , イギリス空軍の偵察 せつかく危険を冒して敵地上空まで行っても , 活動に目を向けてみよう。 撮影して来た写真がピンポケだったり , 地上全 PR(Photo Reconnaissance¯訳して写真 体が写っていなかったりでは , 何の役にも立た 偵察 ) は , 航空機による偵察活動の主要なもの であった。手持ちの航空カメラを使って地上を こうして , 進んだ航空兵力をもった国の中で 撮影し , そのフィルムに写った事物を解読する も , ドイツやイギリス , それに日本などは , 偵 ことは , 第一次大戦中に始められた。人間の目 察に適した高速で高々度を飛行できる機体 , 航 で見た , あるいは目に見えた結果だけでは , 見 75

ーこ物を 北アフリカ戦線に配備されたドイツ空軍の , メッサーシュミット Bf 田 9E-4 熱帯型戦闘機。 ーい 第第驪囀引 空カメラやフィルムの開発に努力を払った マルタ島基地ーーー一地中海の偵察戦 北アフリカでイギリス軍とイタリア軍が戦端 を開くのに先立って , イギリス空軍は , イタリ ア軍の航空基地や航空兵力の配置 , 海軍の艦艇 の配備や軍港の状況などを , 早くからっかむこ とに努めていた 1939 年の初頭には , 写真偵察用に開発された 特別の機体がなく , ロッキードの高速旅客機 L ー 12A 双発機を , イギリス空軍は購入して使用し こ。このロッキードはプルー 1 色に塗られ , 国 籍標識を隠したりすることが多く , マルタ島の 基地を使って , 当時の北アフリカの主要な港湾 を写真撮影していた 第二次大戦が始まったとき , イギリス空軍が 、、戦闘機よりも速い爆撃機 ' ' としていたプリス トル・プレニム双発爆撃機は , その高速をあて にされて写真偵察に投入されたが , 高度 4,000m で 420km / h ていどの性能では , ドイツ空軍の Bf 109 や 88mm 高射砲の前にはとうてい歯が立たす , 未帰還機が続出した。 そこでイギリス空軍は , スピットファイア Mk. I 戦闘機の武装を全部おろし , 代わりに航空用 カメラを積んで高空を高速で飛び , ドイツ戦闘 機の追撃を振り切ってしまうことにした。 このような , イギリス空軍の高空からの隠密 偵察ーー単機での一一にくらべて , イタリア空 軍の偵察は , 偵察機を多数の戦闘機が護衛して 大編隊でやってくるので遠方から容易にわかり , 効果が少なかった。この写真偵察の差が北アフ リカでの戦いを , ドイツ , イタリア軍にとって苦 しいものにしたひとつの原因になったといえる。 1940 年 9 月 , イタリア軍が北アフリカで , イ ギリス軍に対して作戦を開始したとき , 北アフ リカのイタリア軍航空基地は , すべてイギリス 空軍の写真偵察でカバーされており , 多くのイ タリア機が , イギリス空軍機の地上攻撃で撃破 された。イタリア地上軍の戦闘能力の低さもあ って , 12 月にはイタリア軍は壊滅状態になった。 マルタのイギリス空軍は , 当時 , まだ新しい 写真偵察型のスピットファイアを受領していな 76

0 イギリス空軍のプリストル・ポーフォート双発爆撃機。・爆撃機の傑作の一つで , 地中海でも活躍した。 かったが , アメリカ製の援英機マーチン・メリ イタリアは 6 月から 9 月までの 4 か月間に ーランド双発爆撃機を偵察機に現地改装し , イ 実に 35 万トン余りの船舶を失い , イタリアの外 タリア空軍と海軍の動きを写真に撮りまくっオ 相チアノは , 9 月 25 日 , 「イタリア海軍は甚大な また , ホーカー・ハリケーン戦闘機から機銃を 損失は続けられない , いっそのこと , キレナイ すべてとり外し , カメラを搭 ( とう ) 載して短距 力とトリポリタニアからは撤退した方が良い」 離の写真偵察機に転用した。 と日記に書いたはどであった。 こうして , イタリア本土の港湾と地中海を航 もちろんドイツ空軍は , マルタ島とこの島を 行中のイタリア , ドイツの船舶の動きを「いっ 基地とするイキリス空軍に全力をあげて襲いか どの船が , 何を積み , 何を降ろしたか」克明に 1941 年 12 月から , 猛烈な戦いがマルタを 己録する活動を行ったのである。 めぐって行われるのである。 その結果 , 写真偵察によって敵の船舶が北ア スピットファイアの活躍 フリカに向かって出航するや , イギリス空軍は 即座にプリストル・プレニムやプリストル・ポ ヾトル・オプ・プリテン ( 英国の戦い ) で , イギリスをドイツ空軍から守ったスピットファ ーフォート , マーチン・メリーランドなどの双 発爆撃機群をマルタ島やその他の基地から飛び イア戦闘機は北アフリカでも活躍したが , マル タ島を中心に地中海 , 北アフリカの戦いを有利 立たせ , 輸送船団を沈めてしまう方法をとった にしたのも , また , スピットファイア写真偵察 のであった。 その年の 2 月 , 北アフリカに着いたロンメル 機だった。 イギリス本土を基地とする戦略偵察部隊には , と彼のドイツ・アフリカ軍団は , 1941 年の 9 月 全木製 , 高性能のデ・ハビランド・モスキート までに , 武器 , 弾薬などの装備や補給品の半分 を海上輸送中に失っている。 偵察機が配備され始めていたが , 1942 年春の地 一三ロ 77