[ 特集員へイトスヒチ / ヘイトクライムⅡー - 理論と政策の架橋 019 遍的である必然性はないのである。日本国憲法が民 主的正統性に高い価値を認めているとしても、厳格 に限定された規制であれば正統性の問題をクリアで きるだろう。 [ 2 ] 国家による言論価値の判定 消極説をとる多くの論者は、国家が言論価値を判 定してはならないというか ヾ ll) この議論もやはり射 程の限定を要する。アメリカの主要な研究者は国家 が言論価値を考慮することをはっきりと認めてい る。たとえばシャウアーは、言論の自由を保障する 憲法第 1 修正は辞書的意味の「言論」をすべて包摂 しておらず、言論の自由を保障するそもそもの理由 と関係のない多くの形態のコミュニケーションはそ こから排除されると考えている 12 。グリーナウォル トは、「すべてのコミュニケーションが言論の自由 原理によってカバーされるという想定は馬鹿げてい る」とすらいっている 13 。また、アメリカ最高裁が 打ち出してきた言論の自由保障の是非を判定するた めの様々なテストにおいても、明らかに価値の考慮 がみられる 14 ) 日本でも、国家による言論価値の判定は暗黙裏に 広く認められていると思われる。たとえば特定個人 に対する脅迫と、公共の場での違法行為の煽動を比 較すると、後者のほうがはるかに大きな害悪を生じ うるが、表現の自由の観点から議論の対象となるの は圧倒的に後者である。これは前者の言論の価値が 類型的に低いからではないだろうか。また、恐喝や 偽証等、内容に基づく規制でありながら表現規制と して問題にされることがほとんどないものが無数に 存在する。それらの言論が生む「害悪」だけでこの ことを説明するのは困難であろう。 また、価値の判定を事件ごとに個別に行うのでは なく、事前に類型的に行うのであれば言論の自由へ の脅威が比較的少ない。また、言論の価値のみを理 由に特定の言論類型を規制することはたしかに原則 として妥当でないが、その有害性と併せて考慮する のであれば問題は少ない。ヘイトスピーチ規制法を 設ける際には、むしろ価値の考慮は不可欠ではない 言論価値の問題と密接に関連するが次元を異にす [ 3 ] ヘイトスピーチと礼節 だろうか 15 ) るものとして、「礼節 (civility) 」の問題がある。駒 村圭吾は、ヘイトスピーチは、①特定個人に対する 侵害的行為である場合、②治安・秩序を侵害する場 合に限って規制可能であり、③構造的差別の助長等 を問題として真正面からなされる表現内容規制は憲 法上許されないと論じる 16 。そして、③のケースは あくまでも「品格」の問題であり、思想市場におけ る健全な言論の応酬による淘汰に委ねるべきだとい う 17 。明確な害悪が生じない場面で言論に法的規制 を課すことは、「礼節」を強制することに等しい。 アメリカは公共討論における礼節の法的強制を嫌う 国として比較法的にみて際立っており、ヘイトスピ ーチでもその姿勢が貫かれている 18 ) 。駒村の議論も このアメリカの立場を支持するものと位置づけられ る。 これに対しては、このようなアメリカの立場を日 本にあてはめる理由があるのかが問題とされる。公 的言説における礼節の要求の度合いはその国の文脈 に即して検討する必要があるからである 19 ) 。また、 近時アメリカでも新たな理論展開がみられる。たと えばウォルドロンは、ヘイトスピーチはマイノリテ ィの「市民としての地位を脅かすものであり、 各人はすべての市民がその地位に相応しい環境を維 持するためにヘイトスピーチを差し控える義務を負 うと論じる 21 。同様にヘイマンも、ヘイトスピーチ は他者を人間および市民として承認する義務に反 し、公的言説への参加そのものを妨げるものであり、 何人もそれを行わない義務を負うと主張する 22 ) これらの議論は、公的言説に最低限のルールを課 すものと理解できる。ウォルドロン等は不特定人に 向けたヘイトスピーチについて、実体的な害悪を生 むに至らない場合でも、それを「品格」の問題とし て片付けないのである。一方で、これと好対照をな す議論を展開してきたポストは、「民主政」と「共 同体」の領域を区別し、後者で広く用いられる礼節 の規範は、前者の領域の公的言説には妥当しないと 説く 23 ) 。しかし、ポストも礼節の規範の自発的生成 に期待できないような限界的状況では、それを法的 に強制することが求められると述べている 24 。現在 の日本の状況はまさにこのような状況にあたると判 断する余地もあるだろう。 たしかに自己の主張の切実な訴えがしばしば過激 になることは認められべきであるし気言論が明確
018 ヘイトスヒーチ規制消極説の 再検討 特集 ヘイトスヒーチ ヘイトクライムⅡ 理論と政策の架橋 西南学院大学教授 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 奈須祐治 れるというのである この議論のさらなる特徴は、 はじめに 過度に脅迫的な言論等についても例外を設けること 憲法学ではヘイトスピーチ規制消極説が依然とし は許されないとし、ほほ絶対的な保障の必要性を説 て多数である。どの論者も現行法の規制を違憲とは く点、および自身の議論が国境を超えて普遍的に妥 みなさないだろうから、主たる問題は公共の場で不 当すると考える点である 6 特定人に向けたヘイトスピーチの規制ということに この議論にはたしかに一定の説得力があるが、そ なるだろう。筆者も基本的にこのような規制に消極 の射程を限定する必要がある。まず前提として、憲 的だが、不特定人に向けたものでも、公共の場でマ 法上民主的正統性は他の価値を常に凌駕する絶対的 イノリティが見聞きしうる範囲でなされる、著しく 価値ではないことを確認する必要がある 7 。そのう 脅迫的または侮辱的な言論や、特定の人種や民族の えで、①正統性が奪われるという場合、どの程度奪 殺害を煽動する行為等の規制は、必ずしも憲法の枠 われるのか、②規制立法の範囲を厳格に限定して、 を出るものではないと考える 1 ) 。本稿では、消極説 著しく悪質なもののみを規制した場合でも、正統性 の主要な議論を整理し、その問題点を確認するとと は奪われることになるのか、③この議論は果たして もに、このような規制が合憲と考えられる理由を述 普遍的に妥当するのかが問題となる。 ①・②について、ウォルドロンは、ヘイト・スピ のくたし、 2 ーチ規制法を持つ国において、レイシストが人種平 等に関する法に従うことを拒否できるというのは明 規制消極説の問題点 らかに不当であるし、悪質なもののみを規制する法 [ 1 ] ヘイトスピーチと民主的正統性 律であれば、正統性の問題もそれほど深刻ではない 齊藤愛は、自分の思想・価値観を表現し、外的環 という。また、現にドウォーキン自身も民主的正統 境に働きかける機会を保障することを表現の自由の 性の損傷が程度問題であることを認めていると指摘 核心原理と位置づけ、ヘイトスピーチは価値がない する 8 。③について、ヘイトスピーチ規制と民主的 ( または極めて低い ) という理由で規制を認めること 正統性の関係についてドウォーキンと類似の議論を 展開するポストは 9 ) 、ヘイトスピーチを規制する際 はできないと論じる この議論はドウォーキンの の民主的正統性とマイノリティの利益の衡量が各国 理論に依拠している 4 。ドウォーキンは、個々人が の文脈に依存することを端的に認めている 10 ) 自己の意見や態度等を表明することにより道徳的環 たしかに民主的正統性の問題は程度問題といわざ 境に寄与することを認められなければならず、特定 るをえないし、世界には人種、民族等の集団の統合 の個人や集団による思想や価値観の表明を制約した に関して問題を抱えた多くの国があり、普遍性を主 場合、当該思想、価値観と相矛盾する法令は民主的 張するドウォーキンの議論も明らかに極端である。 正統性を欠くことになるという。たとえばレイシス アメリカは民主的正統性を重視してヘイトスピーチ トによる特定民族を攻撃する言論を制約した場合、 の規制を原則として違憲とみなすが、この立場が普 人種、民族等の平等を推進する法令の正統性が奪わ
特集へイトスピーチ / ヘイトクライムⅡーー ヘイトスピーチ / ヘイトクライムをと、のように防止し、 被害の救済を図るかという問題は、日本国内の 問題としてしてはもちろん、世界各国で共通して 問題になってており、近年、その被害の深刻さ が増しています 日本では、それへの対処として、近年、新たな 法規制を行って対処することの是非が活発に議 論されています [ 特集 ] 理論と実務の架橋 017 ヘイトスピーチ / ヘイトクライムⅡ 理論と実務の架橋 法を学ふ者としては、この法規制の問題に関 心が及ふと思いますので、今回、法規制論に 関わる論考を集めた特集を企画しました。 もっとも、仮に新たな法規制を行うとしても、 その対象は限定的であり、法規制で一気に問 題が解決する見込みは立ちません。 法セミでは、法的議論の前提として、まず、 被害の過酷な実態の質を捉えることが重要だ と考え、昨年 7 月号で特集を行いました。本 特集と併せてぜひお読みください ( 021 頁に 目次 ) 。 被害の過酷な実態から、背景にある差別の問 題から、切迫する被害救済の必要性から目を 逸らさずに、法的な対応、司法や警察の対応、 国・地方自治体の行政としての対応、民間の 力の活用等、広く方法を追究し、被害の防止 と救済のための方策を議論していきたいと思 います。 - ーー編集部 INDEX ヘイトスヒーチ規制消極説の再検討 奈須祐治 現在の刑事司法とヘイトスヒーチ 櫻庭総 ヘイトスヒーチに対する民事救済と憲法 梶原健佑 ヘイトクライム規制の憲法上の争点 桧垣伸次 地方公共団体による ヘイトスヒーチへの取組みと課題 中村英樹 [ 座談会 ] 理論と政策の架橋に向けて 018 024 030 036 041 047