群像 2016年1月号

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なぜ読みはじめたのか理由を考えてみても、もちろんはっ を取り出したりする手続きを経て、自分の記憶が間違ってい きりした答えはない。 たことに気づくと同時に、、 しつも、まだ読んではいなかった たまたまとか偶然と言えば言えもするのだが、その一方無数のページの中から、何かを、新鮮というわけではないに で、機運が熟する、とか高まるといった慣用句もあるわけ しても、はじめて知る何かを読みはじめて、こちらの別の本 で、その両方と考えておけばいいのかもしれない。 についての記憶が目ざめる。奇妙に錯誤する「読むーという きめ むろん、本を読むということは、一冊のある「本」を読み時間の肌理の凹凸にはまり込んでしまうような気持になる。 はじめ読みおえることではなく、次々とこちらの興味や、あ る本の一部からゆり動かされる記憶を元に、次々と別の本の 藤枝静男著作集一巻目に収録されている「志賀直哉・天 ページをめくったり、本のページをめくる前に、埃が薄く 皇・中野重治ー ( 初出は昭和五十年七月号『文藝』 ) を長いこと 溜った本棚からその目的の本を探し出し、本の本体を保護し 読まなかったのに、なぜ今年 ( 二〇一五年 ) の春読むことに ている紙箱から、きっすぎてなかなか外せなかったり、反対なったのか、まだ六カ月もたっていないのに、はっきりした にゆるすぎて隙間があったりする製本によって違いのある本理由が思いあたらない。読まなかった理由は ( もちろん、私 特別寄稿 小さな女の子のいつばいに金井美恵子 なった膀胱について

が藤枝静男の熱心な良き読者であるわけがない ) 、この作品 巻目の後がきで藤枝が書いている自筆の「署名」と自刻の のタイトルには、二つの作家名の間に、「天皇ーという、こ 「印ーを捺した過程について引用したのは、純文学の文芸作 れは人の名ではなく「制度」の名称がはさまれているのだ 品の、ある種の「本」が持っていた手触り・ーー本は紙だけで が、そのどれに対しても、当時 ( 著作集が出た頃 ) まった はなく、表紙に張られた布地によっても作られていた く、と言ってよい程興味がなかったからである。 ついても触れたかったからである。 全六巻の著作集 ( 波形のしばのある和紙風の紙を張った手 さて、箱入り布装の著作集の外見には、幾分かは一種、 折りの箱入りで、麻布装で丸背で、全巻ほば四百五十ペー うっとうしくもある、いわゆるステロタイプの私小説性かあ ジ、装幀は辻村益朗、ロ絵写真と差し込みになった薄い透き るうえに、読者として署名をいただくことをお願いしたわけ とおった和紙に著者の「自刻の陶印を捺し」た署名があり でもないし、著者から署名入りで恵贈されたわけでもないの 「殊に最終の第六巻は、「藤」と「地厚」に焼朱、「静」と に独特な色彩の美しい青味の混った黒い岩絵具で書かれた 「天高」に赤朱を用い、「枝」と「男」はそれそれ緑と青の岩署名があり、薄く透ける和紙越しに、「月報」の書き手の多 絵具で書いた。だから一枚につき六回手を下だし、二千七百 くが「男性的」や「雄々しい」という一一 = ロ葉で語る、文体と作 枚分で合計一万六千一一百回用紙を繰った」という手作業がほ 品と肉体の持ち主であったらしい著者の、思いの外に肉厚でつ どこされている書物である。二千五百円という定価が奥付け 肉感的な唇へ白髪のロ髭がたくわえられているが、太目の黒胱 ではなく箱に記されているのは、この頃にはじまった習慣 い縁の眼鏡の印象のせいもあって、若々しく見えはするけれ っ で、オイル・ショックのせいで紙やインク代が値上りし、書ども、著者六十八歳の精悍とさえ言えそうな男性の写真を見 籍の定価が変わっても奥付けを印刷し直す必要がないように ることになって、つい、十日程前六十八歳になった私は、説 っ という知恵なのだ、と編集者に説明されたことがあるのを思 明のつかない狼狽とも違和感ともっかない気持になるのだっ い出した ) を買ったのがいつだったのかも思い出せないのだ たが、それはそれとして、私が書いておきたかったのは、 の が、著作集の奥付けを見ると、三巻は昭和五十一年十一月十「志賀直哉・天皇・中野重治」の半ばに登場する『白樺』創の そのいけきんゆき 女 二日第一刷、四巻五十二年一月十六日第一刷の二冊のみ、五刊同人の園池公致のことである。 十二年四月十八日に二刷が発行されているのも、なんとなく 名前を見るのもはじめてで、「きんゆき」と読むのも『新 不思議な気がするものの、ここではそうしたことについては潮日本文学小辞典』を調べて知ったくらいだが、十二行とい 触れるつもりはないが、著作集の床しく渋い好みの装幀と六 うささやかな紅野敏郎の文章を引用すると明治十九年生れで 169

「公卿出身の家柄。明治二九年より明治三四年まで、侍従職という短いエッセイの中で、夢についての鮮冽な描写に驚き 出仕として明治天皇に侍す」というのだから、いわば宮廷の 「この描写力だけとったって古今に冠絶してい」てそれは お小姓である。「病弱のため、創作活動はとだえがちであっ 「昔から今に一貫して減衰しない」といった古風な漢語と たが、繊細な感覚の持ち主で、作風は清澄温雅、好ましい短「とったって」という子供つばい話し言葉ーー自慢気という かすお ずもう 編が多い。とくに、広津和郎が激賞した『一人角カ』 ( 大正 か誇し気な によっても見てとれる信頼と親愛の情である。 八 ) は、おだやかに語った自己小説で、その代表作である」 昭和三年、名古屋の八高生だった平野謙と本多秋五と藤枝 藤枝はある雑誌に載った園池の随筆に敬服し、昭和四十の三人 ( 敗戦後の二十年に彼等は『近代文学』によって再び 二、三年頃から四十七年末 ( 翌年、園池は八十八歳で死ぬ ) 会うことになる ) が、十一月の奈良公園でテントを張って一 までの間、何度か家を訪ねて回顧談を聞く機会を持ち、「今晩を過す、もちろん少々間の抜けた冒険 ( 愉快なという言葉 はそのケもない」としか思えない園池が、「天皇、天皇家と をふと思い浮かべてしまうような ) を、志賀は興味深そうに 実にほとんど密着したところに育ったのだということをこと見ていて、自分もいっか家族を連れてこういう原始生活を 新しく痛感した」のだったと書いている。 やってみようと思っている、と藤枝同様の一種の子供つばさ 私が興味を持ったというか、あるいは書いておきたいと を示して語るエピソードにはじまり、志賀の亡くなって三年 思ったのは、広津和郎が激賞した「繊細な感覚の持ち主」で 後の昭和四十九年に書かれた「志賀直哉紀行」では、晩年の あったという園池公致の、「特権意識」とはどういうことな 『白い線』を書きあげた直後、渋谷の志賀邸を訪ねた時に目 のかを示すエピソードである。二年程前、笙野頼子の『幽界撃した小説家の激しい気迫に「気圧されて金縛りにあったよ 森娘異聞』 ( 講談社文芸文庫 ) の解説を書いた時、「志賀直 うに固く」なったことが著作集二十四頁を占める「紀行」の 哉・天皇・中野重治」を読んでいたら、むろん、このエピソ末尾に書かれることになる。「紀行」の最終行は「この時の ードを引用したはずである。 志賀氏は、一一十二年前の奈良上高畑の家で「万暦赤絵」を書 それについて触れる前に、著作集一巻目の〈随筆—〉と いて出て来たときとまったく同じような気迫に満ちていたの して集められた志賀直哉について書かれたおよそ百三十六頁であった」と結ばれる。 ( 四十四字 x 二十行組み。そのうち最後の四十三頁を「志賀 そこから三行分を開けて、この著作集の随筆の組みの飾ら 直哉・天皇・中野重治」が占めている ) の、一種はればれと ない簡素さで ( あるいは、唐突さで ) 「志賀直哉・天皇・中 した調子について書いておこう。たとえば「志賀直哉と夢」野重治」が始まるのだが、単行本末収録のこの文章が発表当 170