ドストエーフスキイ全集別巻 ドストエーフスキイ研究

キーフレーズ

ドストエーフスキイ ロシャ 自分 プーシキン ツルゲーネフ トルストイ ペテルプルグ 人間 ドストエフスキー 罪と罰 カラマーゾフの兄弟 わたしたち キリスト ゴーゴリ ラスコーリニコフ イヴァン 文学 人々 ミハイル アンナ 手紙 生活 主人公 スタヴローギン 思想 作品 言葉 感じ 世界 マリヤ 書い アンドレイ トストエーフスキイ 作家 ドストエフスキイ 一つ ループリ カラマーゾフ ストエーフスキイ 意味 テーマ 一九 死の家の記録 しかし プロハルチン 未成年 ナスターシャ 一人 最後 小説 持っ 二人 現代人 全集 フスキイ 問題 日記 ヴレーミャ 与え 空想 フヨードル 彼自身 ドスト 完全 悪霊 ヴェルシーロフ ドストエーフスキ 社会主義 仕事 スキイ 考え 長編 精神的 作者 ベトラシェーフスキイ モスグワ 芸術的 ミハイロヴィチ ノート 自分自身 一月 自身 文学者 すべて 第一 最初 米川正夫 ゴリャードキン 雑誌 当時 モスクワ

目次ページ

近い監獄に入った。家へ帰って、彼はとてもうまく時を過ごます : : : とはいうものの、闘争はいいものです。真の闘争 すことができたと、上機嫌で妻に報告した。同室の不幸な労は、未来の世界のために材料となります : : : どうかすると、 襾していた 『グラジダニン』なそに手を出したのは、小生として大変な 働者たちは寝てばかりいたので、彼が最も高く評イ ューゴーの『レ・ミゼラブル』を読み返すことができたのでばかげた真似だった、という気がしてなりません」 一八七三年の夏は、『グラジダニン』の仕事のため、妻子 ある。「禁固刑にあったのは、わたしにとって仕合わせだっ た。これがなかったら、あの傑作を、あんなに強い興味をものいるスターラヤ・ルッサへたびたび行くことができなかっ トストエーアスキイはペテルプルグから妻へ宛て って読み返すことはできなかっただろう」と彼はいった。 そればかりでなく、ドストエーフスキイは『グラジダニて、幾通かの手紙を書いているが、その中に次のような一 ン』の仕事が、いろいろな点で身心を消耗させるたえがたい節を発見する。「土曜から日曜へかけての夜、いろいろいや 「苦行」であることが、次第にわかってきた。編集会議はとな夢を見たうちで、フェージャが窓仕切りへ上って、四階か もかくとして、掲載原稿にいちいち目を通す労苦 ( それをしら墜ちた夢を見た。あの子がもんどり打ちながら、下へ墜ち ないでは、ドストエーフスキイの良心が許さなかった ) 、校て行く瞬間、わたしは両手で目を隠して、絶望のあまり、 「さよなら、フェージャ ! 』と叫んだ拍子に目をさました。 正の煩瑣、多方面の人々との絶えざる文通、ーーーしかも、か てて加えて、メシチェールスキイ公爵の凡俗な論文に加筆す一刻も早くフェージャのことを知らせておくれ。土曜から日 る仕事。はじめの間、彼は発行者である執筆者の自尊心に手曜にかけて、あの子の身に何か起こりはしなかったかね。わ たしは第二視覚というものを信じているのだからね : : : よる 加減して、お世辞をいいながら、文章を書き換えるのであっ た。着想はいいけれど表現が烈しすぎる、といったようなふ寝ても、一時間か一時間たらずすると、すぐ目がさめる。そ うである。ドストエーフスキイは、次第に自分のとった決意れが十回もくり返されて、しかも汗をかいていることが多 い。今日、日曜から月曜へかけての夜中に、こんな夢を見 に疑いをいだくようになった。彼は一八七三年二月二十六日 付のボゴージン宛ての手紙に、「頭の中に中編や長編のプラ リ←ポ ) が身なし児になって、だれかしらひど 涯ンがむらがり、心の中でそれがまとまっていくのです。考えい女の手に渡り、その女のために、大きな、兵隊に使うよう つくと、それを書き留めては、ノートしたプランに毎日あたな杖でなぐられるのだ。わたしが見た時には、あの子はもう 生らしい輪郭をつけ加えていくのですが、それと同時に、自分虫の息で、のべっ『お母ちゃん、お母ちゃん ! 』といってい 部の時間は雑誌のために占領されていて、もう書くことなんかるのだ。その夢のために、きようわたしはなんだか気が狂い 第できないということがわかる。そこで小生は後悔し、絶望しそうだ」 ( 七月二十七日付 ) 。このような小児の苦痛と死に関す

る想念は、たえずドストエーフスキイを追及していた。これす。小生は自己を滅ばそうなどという気はありません。のみた は単なる盲目的な父性愛というようなものでなく、もっとも ならず、貴下の思想は根本的に小生の信念に反し、小生の心 を興奮させます」。なるはど、ドストエーフスキイは保守派 っと深い根源から発しているのではあるまいか。「カラマー ゾフの兄弟』のイヴァンの恐るべき叛逆哲学が、幼児の苦痛ではあったけれども、同時にかってのベトラシェーフスキイ の上に建てられていることを考えても、思いなかばに過ぎる党でもあり、懲役囚でもあった。貴族地主たちが自分の物質 ものがあろう。それはともあれ、ドストエーフスキイの神経的利益や権利を守ろうとする反動主義は、彼にとってなん が、『グラジダニン』の仕事で、いかに疲弊しつくしたかは、 の共通点もないばかりか、むしろ忌むべきエゴイズムであっ これによっても想像できると思う。 て、席を同じゅうするにも堪えられぬほどであった。偉大な メシチェ ルスキイ公爵との関係は次第に険悪になってい る精神的革命家とメシテエールスキイとの提携は、一時的な ちょうこうぜっ った。ドストエーフスキイは、公爵の愚にもっかぬ長広舌を悲喜劇に終わった。翌一八七四年から、ドストエーフスキイ 雑誌に掲載することを控えるようになり、そのために社主のは自分の名を署した文章を「グ . ラジダニン』に載せぬように 怒りを買うことがしばしばであった。七月二十日、彼は妻に なり、ついに三月十七日、健康すぐれずという理由で辞表を 宛ててこう書いている。「今朝は公爵からいちどきに電報と出した。 二通の手紙がついた。自分の論文を掲載することなのだ。わ これでドストエーフスキイは、一年に約五千ループリの収 たしにはその手紙がこのうえもなく無躾けなものに思われた入をみずから放棄したわけであるが、にもかかわらず、彼の ・ : 今日にもさっそく、手きびしい手紙を書いてやるから、生活は物質的面から見て、次第に安定していった。第一の基 これからさき二度とお説教をしようなどという気を起こさな礎を築いたのは、アンナの発案によるドストエーフスキイ著 いだろう」。決定的な決裂は、その年の十一月に起こった。 作集の自家版刊行であった。一八七三年一月、まず第一着手 メシチェールスキイはある論文の中で、大学生を監視するた として、『悪霊』を三千五百部印刷したところ、三千部はその めに、大学生の共同宿舎を建設することを政府に建言した。 年の末までに売れつくして、残りの五百部も二、三年のうち ストエーフスキイ それは盃を浴れさす水の一滴であった。ド に売り切れた。 , 」うして、「「悪霊』一巻だけでも、四千ルー はこれについて、メシチェールスキイ宛ての手紙に、こう書プリ以上の純益をもたらしたのである。それから引きつづし いている。「政府の監視、もしくは貴兄の表現をかりると、 て、翌一八七四年の一月には「白痴』、七五年十二月には「死 監視の労に関する七行は、だんぜん削除いたしました。小生の家の記録』、七六年の十二月には「罪と罰』を、それそれ には文学者としての名声がありますし、そのうえ子供がいま二千部ずつ出版し、七九年の十一月には『虐げられし人々」

第一部生狂 を二千四百部、七九年の終わりには『カラマーゾフの兄弟』 を四千部出した。ドストエーフスキイの手帖の一つに、この 」こしるされている。それをここに 出版業から得た純益が克川・し 再録してみよう。 一八七七年 『罪と罰』売上 『作家の日記』 ( 一六年度 ) 合本 「悪霊』『白痴言「死の家の記録』 一八七六年残高 一八七八年 『悪霊』『白痴』『死の家の記録』 罪と罰』 合本 ( 『作家の日記し天耄年度 合本 (r 作家の日記し一全六年度 合計 一八七九年 「悪霊』气白痴』「死の家の記録』 「罪と罰』 「日記』合本、一八七七年度 「日記』合本、一八七六年度 「虐げられし人々』 合計 一八八〇年 「悪霊』『白痴』「死の家の記録』 「罪と罰』 1 三い 合計 + 「虐げられし人々』 + 「日記』一八八〇年度 「カラマーゾフの兄弟』 四翁ループリ一一一コペイカ 四ループリ〈 0 コペイカ 事これは自家出版でなく、掲載雑誌の稿料である。 奕一ループリ六三コペイカ 十一一空ループリ四 0 コペイカ ついでに、ドストエーフスキイの経済状態をはっきりさせ 一犬四一ループリ空コペイカ ておくと、彼が前借を申し込んだのは、一八七八年「ロシャ 昔金というものは少 報知』にたいしてであって、それ以後はイ 一、一究ループリ五 0 コペイカ しもなくなり、少額ながら徐々に財産が蓄積されていった。 五哭ループリ大コペイカ 三四六ループリ吾コペイカ 『グラジダニン』を去ったドストエーフスキイは、その翌月 夭一ループリ穴コペイカ ( 一八七四年四月 ) 、新しい長編掲載の相談にモスグワへおもむ 一一、三実ループリ六六コペイカき、「ロシャ報知』のカトコフに、印刷一台分二百五十ル プリの槁料を請求した ( それまで長いこと百五十ル、ープリ 一、毛一ループリ究コペイカ しかもらっていなかったのである。彼はしじゅう、財産をも 莞七ループリ一六コペイカ って安定した生活をしているトルストイや、ツルゲーネフな 一一 = ループリ一一コペイカ いしゴンチャロフが、四百ループリ、五百ループリの稿料を 犬ループリ六一コペイカ 取っているのに比して、常に自分の不遇を嘆いていた。彼に 一一毛ループリ = 四コペイカ いわせれば、自分はいつも金に困っているために、契約は必 = 、五一六ループリ = コペイカ ず持込みという形になり、したがって約東の期限を遅らせな いために、作品の推敲に十分の時日を確保することができ 一、天セループリ一一 0 コペイカ 九一三ループリ九九コペイカず、冗長とか悪文とかいう非難を受けつづけたと、なかば訴 气日記』一八七七年度 「日記』一八七六年度 一一一九ループリ一四コペイカ 一一岩ループリ六コペイカ 一一、六ループリ三九コペイカ 工哭ループリ丑コペイカ へ九三ループリ〈七コペイカ 四、一元ループリ七コペイカ 三、穴一ループリ吾コペイカ 七犬二ループリ毛コペイカ