夏目漱石全集 6

キーフレーズ

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かくのごとく、全体から言って、中軸にある程度の養い一人で慰めているように言っている。聞いている 浦 . 絡を有している傍軸でも、それが大くなって、正面人はなんだかおかしい。それから天下を「人で切って から写されることになると、注意を二分して全体をぶまわすようなことを真面目に言っている。またそう真 ちこわすものである。「三四郎」の傍軸ーー与次郎の面目に信じているらしい。それを聴くと、なんたかお 教授運動は、かなりな太さで、また正面から写し出さかしくなる。広田先生を大学教授にしようということ も、動機は正しくても、要するに与次郎のイリュージ れている。それで全体の統一を破っているかというに ョンである。読者は与次郎のイリュージョンであるこ 破っていない。 この点がまだ注意すべき点である。 とを感するがゆえに、与次郎がその上で東奔西走して まるで中に関係がない傍軸で、しかもその傍軸が、 いても、ちっとも厳粛な気持を起こさない。霞を隔て ある程度の大きさで正面から写されているにもかか らす、全体の邪魔にならないのは不思議である。自分て物を観る気でその動き方を観察している。新聞に悪 口が出た段になって、この事件が厳粛になりかけてき はこれをある程度まで説明することができると思う。 た。もしこの記事を読んだ広田先生が、普通の人間で 与次郎の性格はきわめて陽気にできている。そうし て、いつも漫刺として躍っているかの観がある。与次あって、普通な考え方をしていたら、大いに怒るはず 郎は万事を丸呑みにしたような気で、何事にも当ってである。そうして与次郎をつかまえて大いにやかまし く言うはずである。あるいは三四郎にぶんぶん当り散 いる。そうしてふわふわしている、たから当人はきわ めて真面目に行動しているにもかかわらず、傍で見てらすはずである。しかるに広田先生は脱俗の人であっ た。与次郎は気が移りやすい、だからこの場合には、 いる人は滑稽に感する。その真面目がいよいよ真面目 であるにしたがって、いよいよ滑稽に感ずるのである。滑稽の感は起らぬが、厳粛の度が高まらないで、済ん 与次郎自身の言うところによると、広田先生を一人ででいる。 358

の関係の半ばは絶えたことになる。しかし女が男の頭 だからして、この傍軸は、問題それ自身は重要な問 題であるにもかかわらす、またその問題を提出した者を支配している間は、なお関係が続いているのである。 の動機はきわめて真面目であるにもかかわらす、その男が女に金を返したら、もう物質的な関係はなくなっ た。そうして女はお嫁に行く。しかし三四郎の頭の中 問題を取扱う人の性格と、その問題から生じた波瀾を 解決する人の性格とによって、中軸を害するほどの太にはなお女が謎として残っている。女が自分に惚れて いたんだか、あるいは自分を愚弄していたんだか、そ さにならす、全体の統一を破らすに済んでいる。そう の辺のところはちっともわからないで苦しんでいる。 して前に述べたような役目をしているのである。 この苦しみの除れた時が、女との関係の絶えた時であ る。苦しみの除れるのは、女を余所から見得た時であ ひとあし 「三四郎」はその中軸とな 0 ている、三四郎と美禰子る。「一歩傍へ退くこと」 ( 三三二〔九 本囀」己 ) をあえて との関係の始まるに始まって、絶えるに至って終ってし得た時である。余所から見得ない間は、依然として ' いる。女をはじめて、大学の池の端で見るに始まって、美禰子に苦しんでいるのである。囚らわれているので その女を描いた絵を丹青会で見るに終っている。男とある。関係が結末に達したのではない。 女との関係は、女がお嫁に行ったにおいて終るもので丹青会展覧会で、「森の女」の絵の前に立って、三四 はない。器械的な最後であるかもしれぬが、死が必す郎が「ストレイ・シー。フーを繰返すところで、三四郎 ひとあし しも終結でないと同じく、精神的に、あるいは芸術的が美禰子を「一歩傍へ退」いて見得たという事実が現 れているのたが、この事実の現れ方について、自分は 人に終結を告げているとは、決して言うことはできない のである。女がお嫁に行けば、男はもう女に会う機会なおすこしく物足りないような気がする。その理由は こうである。 かないかもしれぬ。会う機会がなければ今までどおり 」旧

本書一七 三四郎は内気な性質として描き出されている。女親 ( 三三一一 」 ) のは、自分ひとりで考えて、自分 の意志で決行したことなのだから、よほどの決心 ( 三 の手に育ったことになっている。頭が複雑に進んでい 、。、ツシーブな四郎にとっては ) が必要だったろうと思う。原口さん る割合に、すべてに対して小供らしく , 人間になっている。そうして女に対してある恐れを有のうちに行ったのは自由意志でやったにはやったが、 して望まなければならん因果を有している。三四郎のただ与次郎から、美子が毎日絵にかかれに行くと聞 いて、丁度いい機会だからと思って、別に決心の臍を 頭の中は、名古屋の宿屋で受けた、女は恐ろしいとい 、、。その次 う強い印象に、常に支配されている。生れつき女らし固めるほどのこともなく行ったとしてもしし に、原口さんのうちで一時間程待って一緒に帰る時、 、。ハッシーブな性質と、女から得た強い第一印象は、 本書一八 常に彼の行動を、ある程度に東縛して、ある点まで進「あなたに会いに行 0 たんです」 ( 三五一〔九 か、「たゞ、あなたに会いたいから行ったのです」 ( 三 んたっきり、一歩外に出ることを許さない。行くと 本書一八 ころまで行「てみることのできぬ人間である。そんな五二〔九 〕 ) とか切「て出たのは、三四郎にと「て は、思い切った飛躍である。在来の三四郎が、ここま 人間が、必要に迫られたからたといって、美禰子を、 訪ね里見〈行く ( 二六八ー〔本書一四 〕 ) のは、よくせきで突き進んだのは、丁度、ほかの男が ( 三四郎のよう のことである。東京に出てきて、いろいろな人と交際な性質でなく、三四郎のような「種の因果を持ってい ない男 ) 女の手を握って、地に跪すき、天を仰いで、 して、よっぽど自由な人間になっているとよ、 切実なる恋を打ち明けるくらいな猛烈さがあると思う。・ ら、それたけ、美子に対して、強いアットラクショ ンを感していなければできないことである。美禰子の三四郎のこの場合における言動は、外に現れている部 うちに訪ねて行ったのは、必要に迫られたからたとし分よりも、内に含まれて、ポテンシャル・エナージー ても、次いで、原口さんのうちに美子に会いに行く として存している内部の動揺の方が劇しいんだと思う。・