坂の上の雲 8

キーフレーズ

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「左舷南方」 といわれる。 厳密には南西であろう。その沖合にこめる乳色濛気のなかに点々と黒いしみがにじみ はじめたかとおもうと、その濛気のキャンバスを破るがごとくして、意外に大きな艦影 がつぎつぎに出現した。視界がひろくなかったためこの発見の瞬間には、すでにそれほ ど近い距離で遭遇するはめになったのである。 三笠の艦橋では、 「来に」 つぶや とも呟いた者はいない。 あかがおこわ 艦長の伊地知彦次郎は、赭ら顔に剛いあごひげをはやし、ほんの最初に双眼鏡をのぞ いたきりで、目を遠目に細めて敵の艦影を見つめつづけている。 めのめ 羅針儀のそばにいる航海長の布目満造中佐は海図をのぞきこんで敵味方の位置をはか り、そのややうしろに砲術長の安保清種少佐は弾道の時間をはかるためのクロノグラフ ( 秒時計 ) をにぎって敵をみつめていた。 参謀長の加藤友三郎少将は望遠鏡を目にあてたままほとんど微動もしなかった。 海 の東郷平八郎はこれら幕僚たちよりも半歩ばかり前に出て立っていた。という意味では 運かれは連合艦隊のたれよりも敵にもっとも近い位置にあってその肉体を曝していたとい うことになるであろう。東郷はくびからつるしたその自慢の双眼鏡をほんのすこしかざ 、ら

% しただけで、あとは人並はずれて視力のいいその肉眼によって敵をとらえようとしてい た。かれは両脚を休メのかたちにしてわずかにひらき、左手に長剣のつかをにぎり、身 動きというものをまったくしなかった。かれの統率上の信条はどうやら、司令長官は全 軍の先頭のしかも吹きさらしの空中 ( 前部艦橋 ) にあって身動きをしないというところ まりしてん に基本を置いているようであり、その姿は、一種不動の摩利支天を見るようであったと , っ この艦橋にあってクロノグラフをにぎっていた安保清種は、後年、 せつな そうごん 「その刹那の三笠艦橋における光景は、なんというか、荘厳としか形容のしようのない ものでした」 と、繰りかえし語っている。 先任参謀の秋山真之はこれらの群像の左後方にやや離れて立ち、秋山家系の容貌の特 徴である隆い鼻を風になぶらせながら、ノートをもち、うつむいてそれへ敵状を書きこ んでいた。そのあたりにも、なにか変人のにおいがあった。この場にいたってノートを とることがどれほど必要性があるのか、他の連中にはよくわからなかった。 レンジファインダー これらの幕僚たちのうしろに、測距儀をのそきこんで敵との距離を測定している士 官がおり、ときどき大声をもって距離をどなった。 眼鏡で拡大してみると 、バルチック艦隊の艦体は、日本の軍艦が濃灰色であるのに対 し、真っ黒に塗られていて空の色と区別することが容易であり、それに煙突が黄色に塗 たか

られていることも日本側の識別をたすけた。この黄色は、見る者によって多少、色がち がってみえた。 たとえば三笠、敷島につづいて波を蹴立てている戦艦富士の後部砲塔の砲員だった西 田捨市三等兵曹の感じでは、 「どうも、白っぱい赤土色にみえました」 と、 敵は濛気の壁をやぶって。 という表現をつかっている印象記もある。たしかに濛気の壁を一艦また一艦打ちゃぶ って東郷の視界に入ってきたという形容は、印象として正確だったかもしれない。 そのバルチック艦隊のすべてが濛気のカーテンを背景にし、ややシッポはおばろなが らも主力の全容を東郷の視界にあらわしきったのは、午後一時四十五分ごろだったよう である。 ひが 彼我の距離は、ざっと一万二千メートルであった。 東郷はかねて、 海 の「戦闘は七千メートル以内に入らなければ砲火の効果はあがらない」 運と繰りかえし幕僚たちに言っていたし、そのことは幕僚たちの方針というより覚吾に なっていた。敵は九千メートル程度でもどんどん射ってくるであろう。東郷にすればそ