大英博物館の至宝

キーフレーズ

大英博物館 コレクション British Museum エジプト 高さ and The 発見 世紀 イギリス ローマ ヨーロッパ フランス ロンドン the ジョン 時代 PubIications 彫刻 クック ギリシア 発掘 ジョージ ニムルド 博物館 スローン 現在 マウソロス アッシリア 大英 理事会 ウィリアム チェルシー 古代 インド 部門 寄贈 一つ チャールズ 中国 作品 作ら イスラム デラニー 多く モザイク 装飾 収集 シェークスピア アイスペール 出土 陶器 レャード ゴッドマン Press プリテン フラン 最初 英国 イングランド 宝物 考え ロゼッタ・ストーン 含ま 思わ 長さ コイン ハリカルナッソス 年代 スペイン トーマス ウーリー メアリー 埋蔵物 マルコム アマラーヴァティー 人物 ポンド ポートランド ヨーロッパ人 部分 キリスト コレクター チャーチル ション 磁器

目次ページ

彼は対幺ョーロッパ車を指なし、ノ 0 回の戦役 に参加した。彼は四度の激戦をかいぐぐり、大 きな武勲をたてた。勝利しなかった戦役はなぐ、 落とせなかった要塞はなかったというのが、彼 の部隊の闘士達がいつも自していたことだっ ジョン・チャーチルがサラ・ジェニングズに出 会った時は、すでに将来有望な若き兵士であった。 サラは 17 才で、モデナのメアリー家で貴婦人見習い 中であった。モデナのメアリーはチャールズⅡ世の 弟で、その後継者と目されていたヨーク公ジェーム ズの 2 番目の妻であった。サラは彼女の姉ほど美貌 ではなかったが、当時かなり注目を集めた女性の一 人とされていた。「金色がかった亜麻色の髪、快活 そうに輝く青い眼、明るいはら色の頬、きりつと結 んだ魅力的な唇、やや上向き加減だが彫刻のような 鼻」という容姿と小悪魔めいた性格をそなえていた。 チャーチルはサラと 1677 ー 78 年の冬に、彼の家族の 同意を得ぬままに極秘結婚したのだが、結婚にこぎ つけるまでチャーチルは 2 年半の歳月を費やした。 ジョン・チャーチルは、チャールズⅡ世の時代に フランスと戦い、その後 1685 年、兄に次いで即位し たジェームズⅡ世に仕えた。 3 年後、敬虔なプロテ スタントであるチャーチル家の人々は、ウィリアム とメアリー ( ジェームズⅡ世の娘 ) が、王位に就く ため英国に来た時、彼らに忠誠を誓った。しかし、 彼らに運が向いてきたのは、次の王位継承者、メア リーの妹のアンの代になってからだった。サラより 5 才年下のアンは、サラのまばゆい個性に魅了され た。 1683 年、アンが人柄はよいが、気がきかず、退 屈なデンマークのジョージ王子と結婚した時、アン はサラを寝室付き侍女の一人に指名した。サラとの 親密さは、ますます深まっていった。ジョン・ チャーチルは、 1689 年にマールポロ伯爵の爵位を授 けられた。そして、 1694 年にメアリーが没し、 1702 年にウィリアムⅢ世が没すると、彼に運が向いてき た。彼は軍の総司令官に任命され、妻のサラは女王 の外出着の世話人、衣装係長、女王の財布の管理人、 サラ・チャーチル ( 旧姓ジェニン そして、ウインザー公園の御料林監督官にもなった。 ぬ」を繰り返し過ぎたため、女王をないがしろにす グス ) 初代マールボ、ロ公第夫ス フランスとの交戦は数年の間、断続的に行われてい る結果となってしまった。ついにサラは、彼女の従 ( ノ 660 ーノ 7 イイ年 ) 。ウインスン・ た。しかし、次の十年間、マールポロ率いる常勝軍 姉妹のアビゲイル・ヒル ( マーシャム夫人 ) に取っ チャーチルは、彼女の結につ は、ヨーロッパ中を縦横無尽に駆け回り、入り乱れ て代わられ、 1711 年には執務室の金の鍵を明け渡す いてこのことは、マールポロ公 第か直面した唯一の降伏であり、 た血なまぐさい戦闘を次から次へとおこなった。 こととなった。マールポロは同年の後半に免職と 初めて心を震わせた時であっ マールポロが海外で戦役を繰り返したのは、サラ なった。偉大な侯爵は 1722 年に亡くなり、その後、 た。丿と書いている。サラはこの の激しい気性によって巻き起こされた、国内におけ 彼の未亡人は 20 年以上長生きをした。 アイスペールを孫のジョン・スペ る政治的な軋轢を封じることが背景にあった。やが 彼らが活躍した間に、チャーチル家は莫大な財産 ンサーに道贈し、ノ 982 年に大英厚 て、彼女は「女王陛下、そうしなければなりませ 物館にスるまで同家にあった。 を蓄えたので、サラはヨーロッパ中で最も富裕な女 ノ 73

2 個のアイスペール純度は 22 金 である。両方合わせた重童は約 〃 . 3 なで、これらは現存する最古 の釜製のアイスペールとして知ら れている。個ス用アイスペールの 用は、ぐっろいた雰囲気で食事 をしたいという欲求から、フラン スで始まり流行した。床にワイン ・クーラーを置ぐよりも、草上に アイスペールを置いたのである。 / さ 26. 7cm, 26. 9c 乢 ノ 7 イ 性となった。サラは 1744 年 10 月 18 日、マールポロ屋 敷にて 8 5 才で亡くなった。彼女は人生に退屈し、 「私はまもなくあの世に旅立つので、今、荷作りを しています」と公言していた。プレナムや不動産 ( これは彼女のお気に入りの次女、アン・スペン サーの長男のチャールズに相続された ) の処分はし なかったが、彼女にはマールポロ屋敷をはじめウィ ンプルドンやウインザー、セント・オルバンスに あった屋敷に、大量のコレクションをふくむ可処分 財産があった。その殆どが、アン・スペンサーの神 経質な次男のジョン・スペンサーに相続された。サ 「私の大きな金製壺」は ラの遺言の指示の中に 「 1744 年 11 月 ジョン・スペンサーに譲るとあった。 14 日付け、マールポロ屋敷の食器」のリストがサラ の死後作成されたが、それにも「鉄製棚にある 2 個 の金製壺」が言及されている。そして、遺言の執行 時に作られた目録に、その重量の記載が「金製食 ・打ち出し細工の把手付きの大型壺 2 点、 5. 65kg と 5. 71kg 」とあるが、それは今、大英博物館 にあるアイスペールの重量と一致する。 ところで、我々はチャーチルの華々しい生涯のい つの時点で、この金製ペールが入手されたのかを知 らない。それは、当時の金製食器の常であったが、 金の純度や日付の刻印がされていないからである。 言い伝えによれば、これはアン女王からの下賜品で あるらしいが、アイスペールの様式からすれば、 チャーチルが女王のお気に入りであった時代よりい ささか古いため矛盾する。サラの遺言以前の 1712 年 にサラが署名した金銀食器のリストがあって、「大 きな金製容器 2 点」と記されているが、細部の説 明がないため、このアイスペールかどうかは不明で ある。 サラの遺言に、重量の記載があったことにより、 初めてこのアイスペールだと確認できたわけである。 もしこれが銀製であったなら、数百年の間磨かれる うちに重量が減ったことだろうが、無垢の金であっ たため重量も当時のままである。

アフ ー夫人の花のモザイク ( 造花 ) デラニー夫人は 70 才代に入ってから、彼女が「私 の手すさび」と称する花のモザイクを作り始めた。 寝室で腰掛けながら、ゼラニウムの花が明るい赤の 中国紙と同じ色であることに気付き、そのアイデア が浮かんだのだった。彼女は鋏で明るい赤の紙から 花弁を、さまざまな色合いの緑の紙からがく、茎、 葉を切り抜いた。彼女の友人のポートランド公爵夫 人が部屋に入ってきた時、既に彼女の造花は仕上っ ていたが、あまりにも正確に作られていたので、本 物の花と間違えたという話がある。 かくしてデラニー夫人の有名な「 hortussiccus 乾いた花園」が作られていった。それは枯れた花や 草ではなく、無数の紙片から作られており、その精 巧さは 18 世紀当時の人々を魅了し、今なお大英博物 館で 1000 点にも及ぶ実物大の花や草を収めた 10 巻本 を見る人をも皆魅了している。それらは眼を楽しま せ、眼を近づけて細部の拡大を見ても驚かされる。 たとえば、セイヨウトチノキの葉の縁に反射してい る光さえ、ごく細長い紙をカープさせて貼って表現 している。 Cactusgrandiflorus ウリアザミは 190 もの紙片からなり、茎から生えた 39 9 のトゲは、 10 種類の色合いの異なる紙で交互に作られていた。白 花アカシア Mimosa 4 リ。は 543 枚の葉が、 様々な色合いの緑の紙から、また花ひとつに 120 も の雄しべがある。離れて見ると、数百の紙片が合わ さって一体となり、 18 世紀の田舎に生えていた植物 が、王立キュー植物園に届いたばかりの花のよう に、また上流階級の温室にあった珍しい花のように 見える。ジョシュア・レイノルズ卿によれば、 flora c 。 ( デラニー夫人の花 ) は輪郭線の正確さと 切り紙の繊細さ、陰影の正確さ、立体感、調和と色 彩の鮮やかさにおいて、並ぶものがなかった。著名 な植物学者のジョゼフ・バンクス卿は、今まで見て きた中では、デラニー夫人のモザイク画のみが、あ りのままの自然を描写している唯一のものであり、 誤まりがないかと案ずることもなく、モザイク画の どんな植物に対しても自分が植物学的な記述をする ことにためらいはないと宣言した。 製作者であるデラニー夫人は、 18 世紀に生を受け た有名人である。非常に優れた水彩画家、また刺繍 家であった彼女は、偉大な芸術家や美貌の女性と言 うわけではなかったが、彼女の優しさや温かな人柄 が、高貴な人々の尊敬と好意を集めていた。その支 Rosa gallica var. 赤ばら 表現は紐で、葉の虫食いまである。高さノ 74m 。 7 75