凡例 : 卷第十六小泊瀬稚鷦鷯天皇武烈天皇 : 卷第十七男大迹天皇繼體天皇・ : 卷第十八廣國押武金日天皇安閑天皇・ : 武小廣國押盾天皇宜化天皇 : ・ 卷第十九天國排開廣庭天皇欽明天皇・ : 卷第二十渟中倉太珠敷天皇敏達天皇 : ・ 卷第二十一橘豐日天皇用明天皇 : ・ 泊瀨部天皇崇峻天皇 : 卷第二十二豊御食炊屋姫天皇推古天皇 : ・ 卷第二十三息長足日廣額天皇舒明天皇・ : 卷第一一十四天豐財重日足姫天皇皇極天皇 : ・ 目次 ・ : 一五四 / 、 - 五 - 区目 フノ、 / 、ノ、
卷第二十五天萬豊日天皇孝徳天皇 卷第一一十六天豊財重日足姫天皇齊明天皇 : ・ 卷第二十七天命開別天皇天智天皇 : ・ 卷第一一十八天渟中原瀛眞人天皇上天武天皇 : 卷第一一十九天渟中原瀛眞人天皇下天武天皇・ : 卷第三十高天原廣野姫天皇持統天皇 : 補注 : ・ 校異 : 付表・付圖・ ・ : 五三八 ・ : 六 0 四 ・ : 哭四
目次 店 ・ : 神田喜一郎 : ・一 ロ区期本 2 7 『日本書紀』という書名 : 井上光貞 : ・三 紀年「日本書紀 ( 下 ) 」ができるまで・ 二回書 「日本書紀」の校注を分担して・ 跖本 4 ・・・・大野晋 = ・・波都ノ : 浅野建二 : ・八 日和奥浄瑠璃と早物語 : 月第第 ( 岩 ・ : 中田剛直・ : 一 0 狭衣物語の間題・ 来、「書」と「紀」とはすぐには連らない文字であるからである。 いったい『日本書紀』の「書」の字は、周知のごとく『漢書』 や『後漢書』などの史書の名に用いられている文字である。『史 記』も元来は『太史公書』と題されていたといわれている。そん 神田喜一郎 なわけで、古い史書には多く「書」の字が書名に採用せられた。 『日本書紀』に関する問題は極めて多い。第一、その書名から『後漢書』のあとをついで作られた『晋書』『宋書』『斉書』『梁 して問題である。しかし、われわれは本文の一字一句に至るまで書』『陳書』『隋書』など、皆その例である。『日本書紀』の「書」 正確に読み、その意味を究明しつくさねばならぬ。坂本博士等のは、おそらくこの「書」に相違あるまいと思う。 ところでこの場合の「書」の字は、『太史公書』以来の習慣とし 日本書紀研究会は、そういう真摯な意図のもとに発足したものと 思うが、このたびその研究成果を日本古典文学大系本の本文の校て、専ら紀伝体の史書を意味することにな「ている。紀伝体の史 もうまでもなく「紀」と「志」と「列伝」との三部が備わ 訂、訓注釈に利用せられたことは、何といっても『日本書紀』書は、、 ることを必要条件とする。しかるに『日本書紀』には、その「紀」 研究史上に一時期を画した貴重な寄与といえよう。その背後にど 、まはわざと説くことをさしひにあたるものだけがあって、「志」と「列伝」とが無い。これでは れほどの苦心が払われているか、 かえておく。そしてわたくしは別に、『日本書紀』の書名についてどうしても紀伝体の史書とはいいえないのである。それかといっ 最近考えたことを記し、大方の教示を仰ぐとともに、いかに『日て、本来その三部が備っていたのが、いっか「志」と「列伝」と とう考えてみても不 が失われたのかという形迹もまったく無い。・ 本書紀』の研究が問題に富むものであるかを示す一端に供したい と田 5 、つ。 思議である。『日本書紀』の「書、の字は余計なものというより 少し考えると、『日本書紀』という書名はどうもおかしい。これほかはなかりそうである。 いまの『日本書紀』の体裁や内容からいうと、単に『日本紀』 は中国の古典を研究している者としては、おそらく誰もが抱く率 直な疑問であろう。「書紀」という一一字がおかしいのである。こというのが相応わしい。「紀」の字は、古く『竹書紀年』以来、 んな名前をつけた史書は、中国には見当らないばかりでなく、本漢の葡悦の『漢紀』、晋の袁宏の『後漢紀』などの史書に用いられ 日者典文學火 『日本書紀』という書名
日本書紀下 1965 年 7 月 5 日 1977 年 4 月 20 日 第 1 刷発行◎ 第 13 刷発行 校注者 発行者 日本古典文学大系 68 定価 2600 円 さかもとたろう 坂本太郎 いのうえみっさだ 井上光貞 岩波雄 いえながさぶろう 家永三郎 おおのすすむ 大野晋 〒 101 東京都千代田区ーツ橋 2 ー 5 ー 5 発行所樊岩ラ皮 : 書店 電話 03 ー 265 ー 4111 振替東京 6 ー 26240 落丁本・乱丁本はお取替いたします