ホ袋學集 題字・谷崎潤一翩 度そのものがその通りではないかと私は思う。 昭和十六七年ごろ、白鳥さんは洗足の自宅からあまり遠くない駒 澤のゴルフ場へ、毎朝のように通って居た。自由ヶ丘のパス停留場 で、私は何度も白鳥さんにお會いして、同じ・ハスに乘った。白鳥さ んはいつも新聞を讀みながら・ハスを待っていたが、。ハスが來るとひ 岡山縣人にはエゴイストが多いと言われている。正宗白鳥さんもろげていた新聞を、まるでアコーデオンを押したたむようにぐしゃ 一種のエゴイストかも知れない。しかし白鳥さんは自分一個の利益っと兩側から押した、んで。ホケットに突っこむのたった。新聞をそ を圖るようなエゴイストではなくて、周圍の何ものにも安協するこういう疊み方をする人間を、私は見たことが無い。新聞の折り目と となく自分の個性を守って行くという意味のエゴイスト。利己主義いうものを白鳥さんは無視してゐた。何という我儘な人だろうかと 私はおどろいていた。 者ではなくて ( 自我の人 ) というべきだろう。 もちろん、新聞を折り目に從ってたまなくてはならないという 自分の意見がはっきりしている人という點では、私は白鳥さんと 佐藤春夫さんとを思い出す。しかしその人の生き方が獨自のもので理窟は無い。しかし普通の人間は、既にある折り目に安協するの あるという點では、文筆人のなかで白鳥さんの如きはまことに稀にだ。白鳥さんは安協しない。これは天性のものだと私は思った。 ゴルフというものを、普通の人はス。ホーツと考えている。運動競 見る人だと思う。 某新聞の學藝部長をつとめた人が、退してから畫商のような仕技と考えている。つまり相手と技を競うものだと考えている。白鳥 事をやっていた。その人が私にこう言った。「當代文士のなかで白さんは單に運動とのみ考えて、競技とは考えていなかった。ゴルフ 場を先生は決して誰かと一緒に歩くことはしなかった。斷乎として 鳥ほど立派な字を書く人は居ないね」 獨りきりで、せつぜと球を打ちながらひと廻りし、さっさと引きあ 私がその理由を間うと、彼は直ちに答えた。 「白鳥の字は他人に見せようという氣がちっとも無い。他人の批判げて行くのだった。運動のためにゴルフをやる人は多いが、必らず 何。ハーセントかは竸技の性質をおびて來る。白鳥さんのゴルフには などは無視している」と。 それはなにも白鳥さんの筆跡はかりではなく、白鳥さんの生活態一。ハーセ / トの競技性もなかった。その非安協的な態度は終始一貫 白鳥さんの個性 目去 白鳥さんの個性 : 正宗氏の心境・ ニッカーズボン 花袋と白鳥 : 稻室中石 島 河 逹朝太逹 郎子郞 月報 12 ー 9 6 1 ・ 9 講談瓧 東京都交京區 音羽町 3 の 1 9
正宗白鳥集目次 ロ繪寫眞 筆蹟 一一階の窓 塵埃・ 五月幟 ロ入屋 入江のほとり・ 人さま久、、・ 生まざりしならば・ 六十の手習ひ い安と酉日 今年の春・ 魯領通過・ 根無し草・ 今年の初夏 變る世の中 田園風景・ 流浪の人 : 心の燒跡 : 旧怨 ~ 限 今年の秋・
人生の幸嚀 : 私の文學修業 : 思想・無思想 : 文學者の葬式 : ・ 人生の花道 : ・ 私の顔 : 世紀への遺書 : 一つの祕密 : ダンテについて : 明治文壇總評 : 明治劇壇總評 : 飜譯『オセロ』・ 『イリアッド』について 内村鑑三 : 藤村論 鏡花の註文帳を評す : 現代の新體詩人 : 論語とバイプル・ 漱石と柳村 : 年少者に小説を讀ましむる可否 : : : ・・四一一 : 四 0 五 : 四 0 八 ・四 0 六
「獨歩集」を讀む 靑年の勝利・ 「破戒」を讀む 「蒲團」合評拔萃・ 作品解説 : 正宗白鳥人門・ 一三ロ 參考文獻・ 二十歳の日記抄 ・ : 山本健吉四一五 : 瀬沼茂樹四一一 0 : 四四五
日本現代文學全集 30 正宗白鳥集 昭和 36 年 9 月 10 日印刷 昭和 36 年 9 月 19 日發行 0 KöDANSHA ーー 整郎夫謙吉 集 トに・不ー 伊龜中平ー 0 0 S 》 はく 示 白 鳥 野 間 省 發行者 北 島 織 衛 印刷者 爬日本印刷休式曾社 制 印 寫 眞 製 味式會社興陽社 版 印 小 禳田製本工業株式會社 製 株式曾社岡山紙器所 製 株式會社第一紙藝瓧 革 厚川株式會社 背 日本クロス工業株式會社 表紙クロス ロ繪用紙 日本加工製紙株式會社 本州製紙株式會瓧 本文用紙 安倍川工業株式曾社 函貼用紙 菱製紙株式會社 見返し用紙 扉用紙 禪崎製紙株式會計 , 亠Ⅳ 0 二一一口田 羽 9 3 生書音 ( 一三ロ區表京 社文大東 會名大替 式京等 株電 所 落 - - 「本・丁まはお取りかえいたしまづ