日ホ隻學ま 社區四 : 寺田透 京の 「思出の記」・ 報 文 3 : 谷釋永一 抽象的自然 6 ⅱ都町 : 禪崎淸 謀叛論と河上丈太郎 京羽 : 荒正人 蘆花と再臨説 月講東音 題字・谷崎潤一郞 である。六の卷の終りの『此が東京か、何と云ふ汚い所だらう ! 』 といふ言葉で、この作品が未完のまま終ってゐたらかへって良かっ たらう。さういふことはあっても子供には分るはずのない小説だっ たかも知れないと今は思ふのだ。明治十年代の後半に生れた日本の 寺田透 無名のインテリゲンツィーの多くは、蘇峰のゑがいた思想的軌跡、 「自然と人生」や「みみずのたはこと」は僕が生れるころの父の愛乃至、思想の取得から抛棄への軌跡に從って動いたといふのが、昭 讀書のひとつだったらしい。「思出の記」は、いつのころと確定は和十年代、そのころ五十臺だった人々が議會制度に失望したと稱し できないが、母の愛讀書のひとつだった。僕はまだ若かった母のロ國の軍國主義的旋廻をいく分支持しはじめるのを見た當時から僕の から、何遍か菊池愼太郞の名を聞いた覺えがある。父にとってはど持説となってゐるが、蘆花の道程をふりかへっても、明治十年代か らいつごろまでとは斷言しかねるが、ともかく日本が奪大に思ひ上 うだったか、恐らく女の方があの作品を愛するのではなからうか。 さういふわけで、僕は蘆花の全集が、その死後一年して丹頂の鶴って世界戦爭に突入して行くまでのその精紳的推移を型としてかな が白雲颯々とした冷い靑空に翔け上る圖柄の、固いクロ , ース裝を鎧りあざやかに象徴してゐるやうに思ふ。 って出る前から、その作品をかなりよく知ってゐた。が「思出の「思出の記」そのものがすでにさういふ推移の豫期せぬ明瞭な豫兆 記」はどういふ本でまづ讀んだのだったか、その記憶は全く缺けてであったと言へなからうか。 ゐる。 七の卷以後が輕佻奪大なのも、見やうによればそれまでのやうに 今度「思出の記」を讀みかへして、一體僂はそこから何を讀みと自然と人間の接點での人間の行動、乃至主人公の内界の問題だけを ってゐたのかと疑った。極端なことを言へば、おもひでは思のつぎ扱ってゐればいい時期が過ぎて、都會が、都會の形で外界が、是非 にひを送らずに思出と書いてもいいのだといふことだけが、斬新なとも書かれねばならなくなったことに、根本的な理由を持つだらう と感ぜられる。混亂した巨大な都會は、それだけ餘計に安易な解決 印象として記憶に殘ったにすぎなかったのかとさへ思はれた。 今度讀み直して、この小説は面白いと思った。主人公の菊池愼太策の見出される場所である。まじめな人間の内的問題以外のすべて 郞が東京に出るまでは少くも面白いと言ふのに憚るところはないのがそこではより急速に進展し、やがて解體する。十九世紀の半ばあ 「田 5 出の記一
德冨蘆花集目次 卷頭寫眞 筆蹟 思出の記・ 黒い眼と茶色の目 : 自然と人生 : 謀叛論 ャスナヤ・ポリヤナの五日抄 : : 三実
作品解説 : 德冨蘆花入門 參考文獻 : 1 1 ロ 瀬沼茂樹三兊 ・木村毅一元六 ・四 0 三
日本現代文學全集 德冨蘆花集 17 編集 整郎夫謙吉 光健 村野本 伊龜中平山 昭和 41 年 1 月 10 日印刷 昭和 41 年 1 月 19 日發行 定價 500 圓 ◎ KODANSHA 1966 とみ ろ 著者 德 蘆 イ匕 發行者 野間 印刷者 北島 織 衞 株式會瓧講談社 發行所 東京都文京區音羽町 3 ~ 19 電話東京 ( 942 ) 1111 ( 大代表 ) 振替東京 3 9 3 0 印 刷 大日本印刷株式會社 寫 眞 製 株式會社興陽社 版 印 刷 製 本 大製株式會社 函 株式會社岡山紙器所 製 株式會瓧第一紙藝社 背 皮 小林榮商事株式會瓧 表紙クロス 日本クロス工業株式會社 ロ繪用紙 日本加工製紙株式會社 本文用紙 本州製紙株式會社 函貼用紙 安倍川工業株式會社 見返し用紙 三菱製紙株式會社 扉用紙 崎製紙株式會れ 落丁本・亂丁本はお取りかえいたします。