日ホ袋學 『婦系圖』の後半について・ : 柳田泉 懷しい鏡花・ : ・ : 永武彦報 ・ : 村松定孝 「瀧の白糸」の謎 : ・ : 泉名月 番町の家・ : 日本語の魔術師 : ・ : ・市原豐太月 題字・谷崎満一郎 何かで書いていた通りで、これは、はっきりしている。私のいって 置きたいのは、後半分のところである。 この『婦系圖』の後半分にも、前半分のようなはっきりしたモデ ルがあったのか、それとも、このあと半分は全く前半から引き出し 柳田泉 た鏡花の繪空事なのかどうか。大方の研究家は、繪空事乃至それに ったちから 鏡花の『婦系圖』は、一般の人氣からいえば、お蔦、主税の情絡近い説をとっているらしいがどうもそうではなく、この方にもは 纒綿で、流行歌まで出來ているほどであるから、大したものになつつきりしたモデルがあったという。もともと小説であるから、この ている。また分量からいっても、鏡花の諸作中では大きなものの方後半に語られている通りのことがそのままあったというのではない に入っているわけであるが、さてこれを眞に鏡花の作中の傑作と見が、鏡花の分身たる主税と、河野家といわれている靜岡近くのある土 たいけ るかどうかとなると、どうであろうか。どうも、私は異論が多かろ地の大家とのいざこざめいたものがあって、それが潤飾されて『婦 うと思う。私自身、傑作と見ない方に賛成するからそういうのでは系圖』の後半分となっているという。この小説の前半と後半のつな ないが、この作は長いわりに、作品としては鏡花の缺點がいろいろぎにゆるいところがあるのは、もともと別の事件をまとめたものだ と出ていて、まとまらないところが多い。前半は、それでも今もいからということになる。私は、この河野家一件のことを、その家の ったお蔦、主税のいきさつに、紅葉をモデルにした酒井先生、その肉親の一人の口から聞いたので、この人は、明治、大正、昭和にか 令孃妙子などをからませて、ますまず讀ませるとして、後半の主税けての有名な漢學者であるが、ある日、閑話のついでに、この小説 と河野家とのからみあいは、一向うなずけない。主税が河野家に仕は、自分の兄の一家をモデルにしたものだといって語り出したもの 返しをするというもとは、前半からいろいろと伏線にしてあるが、である。 それが、讀者の心にはっきりと納得されないのである。 此の河野家 ( 今小説のまこう呼んでおく ) というのは、事實は だが、ここで讀者の耳に入れておこうかと思ったのは、そうした濱松の醫家で有名な某家のことであった。娘さんが皆美人で、學士 批評ではない。つまりモデル間題である。モデル間題となれば、前さんに嫁いだ。學士さんに嫁がせるのが、そこの老主人の理想で、こ 半が、紅葉對鏡花、鏡花夫人すゞさんのいきさつが勝本淸一郞氏がれは、醫者だがやはり漢學も出來、なかなか世間的義理にやかましい 『婦系圖』の後半について 1 9 6 5 ・ 1 講談社 東京都文京區 音羽町 3 の 19
泉鏡花集目次 卷頭寫眞 夜行巡査 : 照葉狂言 湯島詣・ 高野聖・ 註文帳 婦系圖・ 歌行燈・ : 一 0 六
眉かくしの靈 : 薄紅梅・ 紅葉先生逝去前十五分間 紅葉先生弔詞・ 初めて紅葉先生に見えし時 : 芥川龍之介氏を弔ふ 作品解説 : 泉鏡花入門 : 1 三ロ 參考文獻・ : 伊藤整三会 橋本佳三九一 : 三究 : 三三七 : 三全 : 三八三 : 四
日本現代文學全集 12 泉鏡花集 整郞夫謙吉 村野本 井 伊龜中平山 印刷 昭和 40 年 1 月 10 日 發行 昭和 40 年 1 月 19 日 ◎ KÖDANSHA 1965 いすみ きよう 者 泉 鏡 花 著 行 者 野 發 間省 者 北 島織 印 刷 所 株式會社講談社 行 發 東京都文京區音羽町 3 ~ 19 電話東京 ( 942 ) 1111 ( 大代表 ) 振替東京 3 9 3 0 刷 大日本印刷株式會社 印 寫 眞 製 株式會社興陽社 版 印 本 和田製本工業株式會社 製 株式會社岡山紙器所 製 株式會瓧第一紙藝社 背 革 厚川株式會社 表紙クロス 日本クロス工業株式會社 ロ繪用紙 日本加工製紙株式會社 本州製紙株式會社 本文用紙 函貼用紙 安倍川工業株式會社 三菱製紙株式會社 見返し用紙 暃用紙 神崎製紙株式會社 落丁本・亂丁本はお取りかえいたします。