目次 社區幻 ・ : 岡本經一 玄人藝・ : 京 ・ : 蘆原英了 小山内薫のこと : ・ ・ : 越智治雄 忘れられた靑果 : ・ : 眞山美保 眞山靑果の家庭 : ・ 東音 小山内薫と岡本綺堂 : : : 永平和雄月 題字・谷崎潤一郞 うに、私には思える。 明治の初年東京に生まれて、幼時から芝居に親しんで、「母の乳の 岡本經一 ぬくみを忘れない」と同じ思いで育った綺堂は、長い劇評家生活で 綺堂の明治劇談のなかに、團十郞の仲國を回想して、こんなこと明治歌舞伎を堪能したことを「生涯の幸輻」と考えていた。日本の が書いてある。「鞭を横たえて嵯峨野の月に立った彼の烏帽子姿は演劇はどこまでも「歌舞伎の進歩發展したものが主流になっていく ありありと私の眼に殘っている。辨慶も助六も淸正も家康も河内山筈だ」という思いは自然の成り行きであった。したがって、彼の作 も説くに及ばない、この仲國一役でも團十郎に名人の奪稱をあたえを新歌舞伎などというのは他人の言うことであって、彼は現代の劇 のつもりであった。常に現時點をめざす。四十年にわたる劇作で、 て好いと私は今でも思っている。」 櫻痴居士の淨瑠璃「雪月花」の中の「月」の平家物語仲國であっ時代の相違によって作風も變る。一時代をとらえて綺堂論をやるの た。今この作を讀み返してみても、その情景を空想することはむずは無理というものである。 かしい。なにしろ八十年の昔である。記録では確認できても、當時大劇場で興行する芝居は今日では商業演劇と呼ばれる。すでに商 の俳優の風格をわれわれは實感として受けとめられないからであ業というからには客を呼べなければならぬ。廣い層の客をひくため に「芝居はおもしろくなければならない」というのが持論であっ る。 綺堂作品の場合はそんなに古い話ではない。この集に收められたた。おもしろ」と言うには、まず俳優が氣を入れなければならぬ。 「修禪寺物語」の初演から六十年に近く、作者も歿してから = 一十年仁に合わせて嵌めて書くと」うのは、大劇場作家の常道であるが、 になるが、亡き名優たちの風貌は今なおわれわれの瞼のうちにあその前に、まずどうすれば俳優を喜ばせられるか。つまりは仕どこ る。その作は承けつがれて舞臺にのぼるとしても、とかくに昔の偲ろを與えて " 役にすることであろう。そこに玄人の藝がある。 ばれて、違和感をおぼえるのは是非もない。それは俳優の罪ではな「權一 = と助十」の本讀みのあと、俳優たちは顏見合わせて溜息をつ くて、時代の移り變りである。劇作家の幸と不幸のわかれみちは、いた、と晩年の市川猿翁から聞いた話である。「うまいもんだなあ、 自分のめざした俳優の系列が、生まれるかどうかに掛かっているよどの役をもらったっていいよ」 玄人藝
岡本綺堂集目次 卷頭寫眞 修禪寺物語・ 鳥邊山心中 : 時雨ふる夜 : 權三と助十 : 相馬の金さん・ 近松半二の死 : 天保演劇史・ 作品解説 : 岡本綺堂入門 : 年 三一口 參考文獻・ : 稻垣逹郞四一一一 : 山本二郎四一一六 : 噐五
小山内薰集目次 卷頭寫眞 筆蹟 病友 : 手・ 十三年・ 沈默・ 堀田の話・ 不思議・ 『色の褪めた女』 : 梅龍の話・ 手紙風呂・ 第一の世界・ 息子・ 西山物語 亭主・ 盛遠 ( 第一部・第二部 ) 森有禮・
作品解説 : 小山内薫入門・ 參考文獻・ 二ロ : 稻垣逹郞四一一一 : 山本二郞四一一八 ・・四一宅 : 四四五
眞山靑果集目次 卷頭寫眞 筆蹟 南小泉村・ 平將門 大鹽平八郎 桃中軒雲右衞門・ 作品解説 : 眞山亠円果人門・ 一三ロ 參考文獻・ : ・稻垣逹郎四一一一 : 山本二郎四三 0
日本現代文學全集 34 岡本綺堂・小山内薫・眞山靑果集 編集 伊藤 整 龜井勝一郞 中 村光 平 野 山 本健 に 1 昭和 43 年 6 月 10 日印刷 昭和 43 年 6 月 19 日發行 定價 600 圓 0 KODANSHA 1968 ど、 岡 本 三 [ ニ お さない かおる 小山内 者 著 ま やま せい 眞 円 果 行 者 野 間 省 發 北 島 印 織 衞 刷 者 所 株式會社講談社 行 發 東京都文京區音羽 2 ー 12 ー 21 電話東京 ( 942 ) 1111 ( 大代表 ) 振替東京 3 9 3 0 おト もと 印 刷 大日本印刷株式會社 寫 眞 製 株式會瓧興陽社 版 印 製 本 大製株式會社 製 函 株式會社岡山紙器所 背 皮 小林榮商事株式會社 表紙クロス 日本クロス工業株式會社 ロ繪用紙 日本加工製紙株式會社 本文用紙 本州製紙株式會社 函貼用紙 安倍川工業株式會社 見返し用紙 三菱製紙株式會社 紳製紙株式會社 扉用紙 落丁本・亂丁本はお取り替えいたします。