はい ) めに Ⅱ北水床調査紀行 再び。ハタゴニアを目指して飛行機て北水床へ 軍事基地コジャイケ乱気流をついて飛行湖畔 の宿ーー近藤隊員の手記水河上部への偵察と荷上 近藤隊員の手記 インゼルを越えてーーー近藤 隊員の手記三度パタゴニアへ ( 第一一次調査 ) 空路サン・ラファエル湖畔へ空から水床上へ物資 投下 ハタゴニアに惹かれてイ 南水床探検紀行 探検部の隊長となるサンチャゴに着く軍艦に 便乗プエルト・エデンへ来た水河へ出発 大河に立っ
おわりに 0 装丁・レイアウト加藤光太郎 表サン・ラファエル水河末端の夕暮れ 裏上っるし雲下チリー国花コイコビウェ Ⅲハタゴニアの自殃 水河の陰に咲く花風に飛ばされる蝶白雲の乱 舞水の造形水河て知るグロー バルな気候変動 ルバタゴニアの人々 アラカルーフ フェルト・ エデンて働く人達プ ンタ・アレナスの友だち老神父の気象観測国 境 「持てる者と持たざる者」 フェルト・モン トのインディオ達港町アイセン水産加工て賑 わう島
中島暢太郎 ( なかじまちょうたろう ) 19 2 2 年東京生まれ。 1946 年京都大学理学部卒業、理学部助 手、講師を経て 19 5 8 年気象庁大阪管区気象台予報官。 年京都大学防災研究所教授。 1986 年停年退官、京都大学名誉教授、 理学博十、京都大学学十山岳会 会員。 チリーハタゴニアに調査隊長と して三回、 ール・ヒマラヤ水河学術調 査に副隊長として二回参加、 中国崑崙山脈に京大登山隊総隊 長として初登項に成功。 〈著書〉『気象と災害』新潮選書 『京都自然記行』 ( 監修 ) 人文書院。 近藤裕史 ( こんどうひろし ) 11 一 5 「 / 年大阪生まれ。 ハタゴニア氷可紀行 19 8 3 年京都大学工学部卒業。 11 9 、 CC LC 年京大大学院地球物理学科修十課 一九九一年三月二十五日初版第一刷発行 程修了。 19 8 7 年日本気象協会関西本部勤務。 一九九一年六月三十日初版第二刷発行 京都大学山岳部、京都大学 中島暢太郎 文 学士山岳会会員。 海外調査等に 1980 年京都大学山岳部片ノ 近藤裕史 、。、ールヒマラ写真 ャ登山隊、ビサンビーク ( 6 0 91 E ) 登項 川道明 発行者 1982 年京都大学学士山学会西蔵高原学 術登山隊、カンペンチン ( 7 2 株式会社リプロポート 発一打一所 81 E ) 初登項 〒Ⅲ東京都豊島区南池袋二ー一一三ー一 1983 ー 86 年文部省海外学術調査、南 米パタゴニア水河調査二回。 池袋ハークサイドビル 2 19 8 9 年京都大学学士山学会日中合同梅 電話東京 ( 3983 ) 1895 〔編集〕 里雪山峰学術登山隊、 年同右第 2 次学術登山隊。 0 ( 3 9 8 3 ) 6191 〔営業〕 11 9 11 年項上直下て悪天の為引返す。 1 月 3 日夜、豪雪により遭難。 凸版印刷株式会社 印刷・製本 〈著書〉 「カンペンチン』 ( 毎日新聞社、 共著 ) 。 加藤光太郎 装丁・本文レイアウト 谷 ) 一 9 三 C. Nakajima H. Kondo Printed in .Japan 一 SB ノ 4 ー 8457 ー 0582 ー 6 C0026