儀礼 - みる会図書館


検索対象: 日本書紀の読み方
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1. 日本書紀の読み方

穫された米の御飯などの御饌を奉献して豊穣を感謝する、ともに伊勢神宮の祭祀てある。 九月には両祭がひと続き ( 十四ー十七日 ) て執り行われた。 ただ、記紀編纂当時には、もはや伊勢神宮の神衣祭・神嘗祭てそうした儀礼的行為がな したがって厳密にいえば、それは記紀神話に体系化され されていた痕跡は - フかかえない。 る以前の、原神衣祭・原神嘗祭の祭儀神話だったといえよう。畔放・溝埋は神嘗祭の春の 準備的儀礼ぞあり、頻蒔も神嘗祭に関わる一一月最初の子日の御田に種を蒔き下す神事 ( の ちの鍬山神事 ) との関係が想定される。屎戸は、アマテラスの神嘗祭の儀場てある新宮を非 いけにえ 日常化する儀礼的行為てあり、天斑駒は原神衣祭・原神嘗祭ての犠牲だった。 スサノラの乱暴が本来は原神衣祭・原神嘗祭ての儀礼的行為だったなら、それに関わる 黻も通説にいう定例の大祓てはなく、両祭に関わる臨時の大祓と解さなければならない つきなみ 申武こよ、伊勢神宮の神衣祭と神嘗祭および六月と十二月の月次祭には、一カ 『延喜式』ネ『 ( ー 月前の晦日に黻を行う、とある。とくに神嘗祭の祓は厳重に執り行われたようて、延暦一一 十三年 ( 八〇四 ) に成立した伊勢神宮の儀式書てある『皇太神宮儀式帳』にも神嘗祭の祓 規定がみえる。もちろん、大祓と同様の祓詞が唱えられたてあろう。 また、アマテラスの原神衣祭・原神嘗祭に馬の供犠が行われていたこと、しかもそれが ューラシア北部のアルタイ系狩猟・遊牧民の儀礼にのっとる方法てなされていたことは、 スサノヲ神話を読み解く

2. 日本書紀の読み方

ひゅうが これに関し、九州の日向を発して大和にいたる神武天皇東征伝承の中に、天皇の軍が熊 野て悪神の毒気にあたって将兵が倒れたとき、タケミカヅチノカミ ( 武甕雷神 ) がその救 助に霊剣フッノミタマを倉の棟を穿って投下したとのくだりがあることに注目し、スサノ ラの雷神的性格からの着想とする見方もある ( 次田真幸『日本神話の構成と成立』明治書院 ) 。 他の雷神的神格に類似の所伝はないものの、屋根からの投入には、何らかの儀礼的意味 があったと考えられる。 プレゼントを持って夜半に煙突から訪れるサンタクロースを引き合いに出すまてもない が、古い宗教的観念ては、煙出し ( 煙突 ) や屋根は、天上にある神の世界と地上のこの世 を結ぶ通路ぞもあった。屋根を穿っての天斑駒投入は、神から人へ、神界からこの世への 贈り物という観念にもとづく、儀礼的方法てはなかったかと考えられる。 古典的人類学者の・・フレイザーによれば、カラフトアイスは育てた熊を儀式て殺 すと、肉や血はもてなしに用い、皮や頭など残りの部分は入口てはなく、 一人の男が屋根 に登って煙出しの穴からおろす。ギリャークの熊祭りても、「熊の毛皮、頭、肉は、戸口 からてはなくて煙出し穴から家内に運びこまれる」という ( 『金枝篇四』岩波文庫 ) 。 また、十九世紀から一九三〇年代に至るまてのロシアとヨーロッパにおけるシャマニズ ハルヴァの報告はさらに詳しい ム研究をすすめたウノ・ スサノヲ神話を読み解く

3. 日本書紀の読み方

が終わって退出する、という流れてあった。 この記述から、小墾田宮には南から南門・朝庭・大門が存在したことが明らかて、「朝庭」 こそが重要な儀礼の空間になっていた。皇帝からの国書と信物は最終的には大門の奥の空間 ( 大殿 ) にいご オ天皇に献呈された。書紀の描く儀礼においては裴世清は天皇と対面しておらす、 天皇が女性てあったことも知らなかったようだ。ところが、『隋書』には世清が「王」と会見 したと記してあり、「王」は「我は夷人、海隅に僻在して、礼儀を聞かず」といったとある。 裴世清が対面した「王」はいったい誰なのか。考えられるのは厩戸皇子か大臣蘇我馬子てあろ はばか う。朝廷は女帝 ( 王 ) を外交の場に出すことを憚り、外交は皇太子・大臣が行った。しかし、 対等外交を標榜したはすの倭国の指導者は大国の使者の面前て自己を卑下するような精神の持 ち主てあった。両書の読み比べが倭国外交の実態に迫るカギになる。 角古女帝の遺詔をめぐる分争〈巻ニ十三舒明紀〉 女帝は推古三十六年 ( 六一一八 ) 三月に死没する。次代の後継者は前天皇の死を契機として決 定される慣例てあったのて、紛糾を想定した女帝は遺詔を残したが、それが結果的には宮廷の 紛争の火種となった。 たむらのみこ 遺詔の対象は田村皇子と山背大兄王とてあった。明確にどちらかに即位を薦める内容てはな やましろのおおえのみこ 196

4. 日本書紀の読み方

誌』町ー川 ) なども、こうした廁に対する伝統的な宗教的観念に由来する。 古代には、便所や糞尿を不浄、汚穢とする観念は必すしも支配的てはなく、汚穢観ては 理解しがたい 一面が存在した。とくに廁ての神婚伝承は、廁がこの世とあの世をつなぐ境 界、異界との通路と考えられていたことを示している ( 飯島吉晴『竈神と厠神』人文書院 ) 。 アマテラスが梭て陰部を突くことが、丹塗矢や箸の場合と同様な儀礼的性交を示唆して いることに照応して、その場へのスサノヲの屎まりにも儀礼的な意味があったと考えられ る。本来それは、儀場を汚しアマテラスを困らせるといった単純な動機によるものてはな くて、新嘗の儀場を日常的世界と隔絶させるための儀礼的行為てはなかったか。 先にも述べたように、古代人の世界観によれば、神が棲み死者が逝くあの世は、現実と 論理の逆転した世界てあった。あの世に移行するには、日常性から脱することが必要て、 ものいみ そのためには物忌のような静的な方法のほかに、日常の規範を否定し、逆転させる破壊行 為も有効と考えられたのだ ( 薗田稔『講座日本の神話四』有精堂 / 山内昶『「食」の歴史人類学』 さか 人文書院 ) 。日常の秩序が否定・破壊されて逆しまなあの世が現出するのてあり、反対にあ の世からこの世にもどすのにも禊・祓などの儀礼が必要とされた。 スサノヲの屎まりは、あの世へ移行するための日常的秩序の破壊という儀礼行為てあ 、祭儀の場てしか行えない禁忌だったと考えられる。屎戸は、日常世界から祭儀時空へ スサノヲ神話を読み解く

5. 日本書紀の読み方

新春の耕作始めの儀礼だったと考えられるのだ。それは何よりも優先されなければならな い、新嘗の最初の準備儀礼としてもふさわしい。 畔放とは本来、御田設定に際しての旧哇畔の破壊と再構築という、新嘗の準備儀礼だっ たと考えられないだろうか。仮説の第二として提案したい。 溝埋・樋放・頻蒔は耕作妨害ではない 「溝埋」は、古事記神代記や仲哀天皇段にあるも神代紀本文になく、大祓詞ては「樋放」 と併記されるから、類似の行為とみられていたのだろう。溝埋はまさに灌漑用の溝を埋め ること、樋放は溜池や灌漑用水路からの導水施設 ( 樋 ) を破損することと考えて間違いな 通説ては、灌漑用水路を埋めたり導水施設を破損したりする、水田耕作への妨害行為と 解されている。溝を埋めたり導水施設を破損すれば、当然、水田への引水が困難になる。 この溝や樋が、集落の共同的な管理のものてあれ、個人の私的なものてあれ、その勝手な 破損はいつの時代にも明らかに社会的犯罪てある。ここても、そうした日常の常識的なこ とを指しているのてはなかろう。 畔放がアマテラスの新嘗の御田耕作に関わる儀礼的行為てあったように、溝埋・樋放も スサノヲ神話を読み解く

6. 日本書紀の読み方

「ツングースは熊や毛皮を天幕後方の覆いの下から、プリャートは黒テンを壁に特別に開 けた穴から、ヤクートは狐や大山猫を窓穴から、モンゴルは犠牲動物の肉を親類に届ける のに天幕入口左上の覆いの隙間から、カムチャダーノ レは黒テンを煙出しから、ギリャーク も頭のつ ー、学 / ム目ハ 、の毛皮を煙出しから、ラップは熊 ・トナカイや諸霊に供えたものも神聖な 後ろの隙間から、丸太小屋に住むオスチャークは熊の毛皮を後ろの窓から、天幕や部屋に 入れた。この風習は明らかに古代の狩猟儀礼にもとづいているが、この千年来の習慣が何 に由来しているのか、これらの民族はもはや説明てきない」 ( 『シャマニズム』三省堂を要約 ) 生剥・逆剥にした天斑駒の屋根からの投入が、遠く離れたユーラシア北部のアルタイ系 狩猟・遊牧民の儀礼的な肉・皮の搬入方法と軌を一にすることは驚きてもある。 筆者の知る限り、この点に注目したわが国の研究者は西アジアの言語・文化に詳しい井 本英一氏のみてある。井本氏は、フレイザーの報告をふまえて、死者に動物の皮をかぶせ る儀礼は世界に広く見られ、天斑駒の皮も天照大神の死体にかけるものだったと推測てき る、とする。逆剥にされたまだらの皮は、死の儀礼て使うためにことさらそうしたのてあ り、「スサノヲノミコトが屋根に穴をあけて天斑駒の皮を投げ落としたのは、乱暴な行為 というよりは神聖な行為てあったようてある」と述べる ( 前掲『王権の神話』 ) 。 剥がれた馬皮の機能は定かてないが、アマテラスの機織る斎服殿にスサノラが生剥・逆

7. 日本書紀の読み方

にえ のさいに用いる馬 ) のもっとも原始的な意義をうかがわせる資料てある、と説く ( 『日本神話 の形成』塙書房 ) 。ただし、これを職掌とした民がいて、のちにその行為を責められ追放さ ささか読みすぎてはないだろうか。それが祭儀の犠 れる真似事が行われたというのは、い 牲なら神前ての殺害は正当なはずて、真似事にしろ追放される必要はなく、説明が矛盾す る いずれにしても馬を犠犠にする習俗を読み取ったのは評価されるべきぞ、天斑駒はアマ ) け . にヘ テラスの祭祀に捧げられる犠牲だったにちがいなし 犠牲馬との性交儀礼があった 生剥・逆剥が罪になるのてはなく、一色てないまだら模様の馬を神に捧げるのが不適切 だったという説もある ( 伊藤清司『シンポジウム高天原神話』学生社 ) 。二千百余年前の前漢代 えなんじ せつざん りゅうあん に劉安が編纂した思想書『淮南子』説山訓にはそれを思わせる記述があり、古代中国にそ 古代インドてはまだら模様の馬が祭儀に用いられることも うした考えもあったようだが、 あったから、一概にはいえない うままつり インドのアシュヴァ・メーダ ( 馬祀 ) は、威力の強大な王が宗主権を度得するために行 、リ一」みへ う、犠犠の牡馬と第一王妃の模擬交合の儀式てある。ヴェーダはインドて一番古い宗教文 0 、はり一、認へ スサ / ヲ神話を読み解く

8. 日本書紀の読み方

ればならなかったのだ このように、畔放・溝埋・樋放・頻蒔などは耕作妨害というより、本来はアマテラスの 新嘗の御田設定・耕作初めの儀礼的行為てあった。 スサノラ神話は本当に大祓の起源か ? スサノラの乱暴行為はいずれも、本来はアマテラスの新嘗に際しての儀礼的行為だった と考えられたが、八十万の神々やアメノウズメの尽力て、アマテラスが天石窟から出て復 活したあとのスサノヲについて、神代紀の第七段本文は次のように伝える。 ちくらおきと 後にもろもろの神は、罪過をスサノヲ一身に帰して千座置戸を科し、厳しく徴収し あがな た。さらに髪を抜いて罪を贖わせた。別伝ては、その手足の爪を抜いて償わせたどい う。こうしてスサノヲを天上から追放したのてある。 千座置戸を多くの賠償物とする考えもあるが、スサノヲがほかに責め取られたのが髪や つばきょだれ 爪てあり、神代紀第七段一書第一一ては唾と洟てある。それは賠償の財物てはなく、 とあることから、祓儀礼に用いる多くの呪物と解される。 はらへつもの 「祓且 ( 」 4 4

9. 日本書紀の読み方

剥の天斑駒を、屋根を穿って投入するのも本来、ユーラシア北部のアルタイ系狩猟・遊牧 民の呪的な儀礼に通い合う、「神聖な行為」てあるにちがいない。彼ら狩猟・遊牧民には、 天幕上部の煙出しは天 ( 神界 ) との通路てもあり、そこからもたらされる肉・皮は神から たまもの の聖なる賜物と考えられた。 いけにえ 生剥・逆剥だけてなく、天斑駒の屋根からの投下も、本来、祭儀において神に犠牲を捧 げる儀礼的方法にのっとったものだった。しかし、反対に日常の場て神聖な儀礼行為を行 うことは、宗教的な秩序を破壊するとして禁忌てあった。宗教的禁忌の侵犯は、神の怒り を買い、気象不順や疫病流行などの災厄を招くと信じられたのてある。 馬伏ーー犠牲は丸々と太らせろー 神代紀ては、天斑駒を秋の田に放ったとある。この「馬伏」についてはどんな読み解き がてきるだろうか。通説的な解釈ては、秋の農事・収穫の妨害とされるが、スサノヲはア マテラスの収穫作業を妨害するために天斑駒を田に放ったのだろうか。稲の稔った秋の田 それは社会的にも許されない行為てあって、 に騎を放てばどうなるか、記すまてもない。 ここてはそうした当然のことをいっているのてはなかろう。 しけにえ これまて述べてきたように、 天斑駒は本来、犠牲馬てあった。それが生剥・逆剥にして うまふせ スサノラ神話を読み解く

10. 日本書紀の読み方

を暗示している可能性があると説く。また、馬を儀礼的に殺害し、天に帰る馬の魂にとも なわれて、シャマンの魂も天にまて達する。馬の剥ぎ皮をかかげる儀礼が、天の神と司祭 者の交流の儀礼てあった、と述べる ( 『人・他界・馬』東京美術 ) 。 大祓との関係にはなお不明な点も残るが、天斑駒の本来の姿がようやく見えてきたとい える。犠牲としての天斑駒の実像は、その生剥・逆剥から一層鮮明となろう。 生剥ーーー神様は新鮮な食べ物がお好き 生剥とは、獣がいまだ生きているときに皮を剥ぐことてある。天斑駒は本来、アマテラ いけ . こ講へ スの祭儀に捧げられた犠牲ぞあったが、どうして生きながら皮を剥がれなければならなか ったのだろうか 死んだ馬を解体して肉を神に供えると神饌にはなるものの、犠牲Ⅱ生きている贄 ( 馳走 ) とはならない。現代のように生のままて食物を保存することがてきなかった時代にあって 、はリ′」のヘ は、神が召し上がる神饌・贄は新鮮なのが最良て、とくに犠牲は生きていることに重要な 意味があった。生きながら神前て皮を剥がれた天斑駒は、耐え難い苦痛から天にも届かん いなな ばかりに甲高く嘶き大きく暴れたに違いないが、それはまさに生き生きとした新鮮な贄て ざんにん あることを神に示すことてもあった。これを膠忍極まりなく思うのは、生産と消費が分離 ) 、け・にのヘ かん なま しんせん にえ スサノラ神話を読み解く