あたかも水が溢れ出るように拡がっていくというイメージをあらわしたものとみられる。 天皇の支配が拡大していく「方向性」を示すのが物語の主眼だったと考えれば、四道将軍 や三道将軍というヴァリエーションが生じたことは、さして異とするに値しないだろう。 ただ疑問なのは、「崇神紀」て将軍が派遣されたのが北陸・東海・西道というように、 三つまて漠然と方角をあらわしたものになっているのに、一つだけ丹波と具体的な地名を 示していることだ。北陸は律令制下の北陸道、東海は同じく東海道、そして西道というの は、この方面の将軍がキビッヒコてあることを考えれば、吉備 ( 律令制下ては備前・備中・備 後の三カ国 ) が属する山陽道とい - フことになるだろう。 そうすると、タニハノチスシが遣わされた丹波とは山陰道に属した丹波国に当たるわけ だから、丹波国の先にあって山陰道を代表する大国だった出雲が挙げられてしかるべきて はないだろうか。西道が具体的には吉備を指したとするならば、吉備とともにヤマトに拮抗 した一大勢力の拠点だったとされる出雲が見えないのは、やはり不審といわざるをえない ところて、出雲の天皇への服属に関しては、日本書紀につぎのように描かれている。そ れは崇神六十年七月のこととされている。 天皇は群臣に「タケヒナテルノミコト ( 武日照命 ) が天から将来した神宝を出雲大神
まても「歴史像」なのてある。 このように、崇神の物語は神武東征の物語やいわゆる欠史八代の天皇と県主のむすめと の聖婚譚と一続きのものてある。神武東征や欠史八代の天皇が史実としては疑わしいもの てあるならば、崇神の物語も同様に歴史的事実とは考えられないことになろう。 さ、らに、 この物語は天皇が「 ( 神として ) 祭られる存在」から「 ( 神を ) 祭る存在」に転換 したことも示そうとしているエピソードてあると思われる。全体として、天皇の権力 ( 王 権 ) の発達や展開を極めて図式的に ( しかも単線的て平板に ) とらえ、描き出そうとした ものてあることは明白だ。 四道将軍ーー・なせ出雲は出てこない ? さて、「崇神紀」の叙述はさらに続く ヤマトが名実ともこ ( 天皇の支配下に入ったことをふまえ、今度はその外部 ( 外縁部 ) に いく。それが四道将軍の物語だ。神々の祭 向かって天皇の支配が拡大していく話になって 祀の話と四道将軍の話が主題を共有して連続するものてあることは、将軍らの出陣を前に タケハニャスヒコ ( 武埴安彦 ) の反乱があったという筋立てから窺うことがてきる。 わにのさか オホヒコノミコトが北陸に向けて出陣しようと和珥坂を越えようとした時、そこて出会 0 「崇神紀」の読み方 崇神大阜は実在したか ? 9
開する。 ただし、これはアマテラスの子孫ぞある天皇・その王権による国の支配の正統陸を説明 亠 9 るし J い - フ、 政治的な意図のもとに連続する物語として体系化されたものぞ、本来はそれ ぞれ別個の独立した物語てあった。また、これらは物語の舞台から「高天原神話」「出雲 ネ話」「日向神話」などとも称されるが、高天原が実在しないように、実際に出雲や日向 の地て語られていたのてはないことなど 、己紀神話を読むうえて留意が必要てある。 アマテラスとスサノラを主人公とする高天原神話をやや細かく見ると、神代紀の第六段 はウケヒ ( 誓約 ) の物語てある。ウケヒとは、ある行為について前もって設定しておいた 結果を得ることがてきるか否かて神の意志の所在や各人の行為の正邪を判別する、呪術的 な占いてある。この場面ては、父イザナキによって「根の国」 ( 地下の別世界 ) に行けと命 令されたスサノヲが姉アマテラスに会し 、に行き、「お前は高天原を奪おうとする悪心があ るのてはないか」「ないというならいかに赤心を証明するか」と間われて、ウケヒを申し きたな 出る。すなわち「女が生まれれば濁き心、男が生まれれば清き心」として、姉弟はそれぞ ものざね れ相手の剣・玉を物根 ( 物事の根元 ) として神々を生む。結果、アマテラスは三柱の女神 を、スサノヲは五柱の男神を生んだのだった。 あまのいわやと 続く第七段は、日本神話の最も著名な場面の一つ、いわゆる天岩屋戸神話てある。ま
ちゅう これらの記述によれば、崇神の時代、出雲の神宝献上をめぐってイヅモノフルネが誅 戮され、出雲は天皇に軍事的に屈服し、その後、垂仁の時代になって、ようやく出雲の神 たカ実は、出雲の軍 宝が天皇の管理下に収まり、出雲平定が完了したことになっている。ご、、、 事的平定はすてにはるか以前に完了していた、というのが日本書紀の描く「歴史像」だっ あしはらのなかっくに すなわち、天皇が統治するとされた葦原中国はすてに早く、天皇家の祖先てある天孫 ホノニニキノミコトが高天原から降臨する以前に天皇の支配のもとに服したとされてい る。この時に葦原中国に派遣されたのが、タケミカヅチノカミ ( 武甕槌神 ) とフッヌシノ カミ ( 経津主神 ) という武神だったことからいって、これは明らかに軍事的平定なのだ。 この神話的世界において、葦原中国を代表する神がオホアナムチノミコト ( 大己貴命 ) 、す なわちオホクニヌシノカミ ( 大国主神 ) てあって、葦原中国の中心て、その象徴ともいう べき地域が出雲とされているのてある。 日本書紀の叙述ては、出雲は天孫降臨以前に ( というよりも天孫降臨が実現する前提と ・ - 甲工白こみズ して ) 、天皇 ( 厳密には天孫 ) に屈服したと描かれているのだ。この「国譲り」ネ言 天皇による出雲Ⅱ葦原中国平定の第一段階、すなわち軍事的平定に当たる。 次いて、ヤマトの祭祀権も掌握し、ヤマト平定を成し遂げた天皇が、こんどはヤマトの
き」と表現していることが参考になる。「和し平げしめき」とは、まさに宗教的平定を象 徴する文言といえよう。おそらくは、出雲が神宝を献上したのは四道将軍派遣の成果だっ こ、というのが物語本来のストーリーごったに違いない。 ところが、「崇神紀」や古事記は将軍を字義どおりに解釈し、これを軍事的平定のため の使者と見なしたから、話が違ってきた。将軍の一人を葦原中国の中心てあり、それを象 徴する場所てある出雲に差し向けるわけにはいかなくなったのてある。なぜならば、出雲 はすてに早く軍事的に平定されていたからだ。 こうして、将軍タニハノチスシの派遣先は 出雲てはなく、丹波になったのてはないだろうか それにしても、どうして丹波がえらばれたのかという問題がのこる。一つには、丹波が ヤマト外縁の北方に隣接して存在することに加えて、崇神のむすこ垂仁天皇の二人目の皇 后ヒバスヒメノミコト ( 日葉酢媛命 ) が丹波の出身 ( タニハノチスシのむすめ ) とされているの て、その伏線としてその手前の丹波への将軍派遣という話が設定されたのかも知れない。 以上に述べたことを整理し、日本書紀が天皇の支配の拡大、天皇による日本列島統一の プロセスをどのように認識していたかを示せば、つぎのようになる。 ①高天原が葦原中国を軍事的に平定 ( 「国譲り」 )
出雲神話ーーーオホアナムチの「国造り」と「国り」〈巻一神代紀上・巻ニ神代紀下〉 ひ 高天原を追放され出雲に天降ったスサノヲは、クシイナダヒメを犠牲に要求する斐伊川の精 くさなぎのつるぎ ヤマタノラロチを退治し、その尾から霊剣草薙剣を入手する。スサノラとクシイナダヒメ おおくにぬし おおものぬし は結ばれ、オホアナムチノカミ ( 大己貴神。または大国主神、大物主神 ) をはじめ多くの神を生 む。 オホアナムチは、ガガイモの舟に乗りミソサザイの羽を着てやって来た小さな神スクナビコ あしはらのなかっくに ナと協力して国造りを進め、地上世界の葦原中国に君臨する ( 第八段一書第六 ) 。 ここぞ書紀の記述は巻一一神代紀下に入る。アマテラスは、葦原中国の邪神を平定し統治権を 天孫に移譲させるため、地上界に使者を送る。まず出雲臣氏らの祖神アマノホヒを、続いてア メワカヒコを派遣するが、いずれもオホアナムチにへつらい失敗。そこて強力な武神タケミカ ヅチが派遣され、交渉のすえ、オホクニヌシは子のコトシロスシらと相談して統治権を献上、 すなわち国譲りを決める こうして天孫の降臨が可能となるが、国譲りが出雲という具体的な地域を舞台とすることか ら、この神話に何らかの歴史事象の反映を認めるか否かて、賛否両論がある。 神話は、一定の歴史的条件の中て生まれ語り伝えられていくわけだから、その中て歴史的あ 0 日本書紀の読みどころーー①
遠山美都男 5 第 2 章崇神天皇は実在したか ? 「崇神紀」の読み方 いない ? / 神武と崇神とーーニ人の「ハックニシ オホヒコの「発見」 / オホヒコはいた ? ラス天皇」 / 「崇神紀」をどう読むか / ヤマトの神々を祭るということ / 天皇への服属のニ 段階 / 四道将軍ーーなぜ出雲は出てこない ? / ミマキイリヒコイニヱの正体が見えた ◆日本書紀の読みどころー②◆ 初代天皇神武の正体 / 「欠史八代」ーー天皇創造のカラクリ / 名 天神とは何か ? 前に探るヤマトタケルの人間性 / 神功皇后紀の奇妙さについて 加藤謙吉 第 3 章「歴史の出発点」としての雄略朝ワカタケル大王と豪族たち 暗殺と謀殺のすえに / 履中系王統と允恭系王統 / 安康天皇暗殺の真犯人は ? / 雄略の即位 はいつだったか ? / 「葛城」氏い雄略 / 最初の「治天下大王」 / ウジの成立とラワケ、ムリ テ / 大伴氏と物部氏ーー雄略王権のニ大軍事伴造 / 大伴氏「内の兵」の統率者 / 「その名 をば大来目主と負ひ持ちて」 / 大和政権屈指の巨大氏族物部氏 / 物部氏と「和珥」氏 ーー雄略の軍事防衛線で / 古代の一大画期 / ワカタケル大王と渡来人
やたべのみやっこ の宮に収めてあるど聞いた。これを見てみたいと思う」どいった。そこて矢田部造 の祖、アケモロスミ ( 武諸隅 ) を遣わして、神宝を献上させようどした。この時、出 皮よちょ、つど 雲臣の祖てあるイヅモノフルネ ( 出雲振根 ) が神宝を管理していたか、彳ー 筑紫に出掛けており、面会するこどがてきなかった。その弟イヒィリネ ( 飯入根 ) は 天皇の命を受けて、神宝を弟のウマシカラヒサ ( 甘美韓日狭 ) ど子のウカヅクメ ( 鷁濡 渟 ) に託して献上におよんだのだった。イヅモノフルネは筑紫より帰って来て、神宝 が天皇に献上されたど聞き、弟のイヒィリ、イ 、に「なぜ数日待っこどかてきなんだか。 何をおそれ、たやすく神宝を見せたのだ ! 」どいって責め立てた。これにより、イヅ モノフルネは年月を経た後も恨みを抱き続け、いっか弟を亡き者にしてやろうど機会 をった。 その後、イヅモノフルネはイヒィリネを騙し討ちにして殺害してしまう。崇神はウマシ カラヒサらの通報を受け、キビッヒコとタケスナカハワケとを遣わし、イヅモノフルネを ちゅうさっ 朱殺したという。さらに崇神のつぎの垂仁天皇の時代になって、モノノベノトチネノオホ ムラジ ( 物部十千根大連 ) が出雲に派遣され、神宝を検閲し、以後その管掌に当たることに た 6 ったとい・フ ~ 後日が見 - んる おみ 崇神大皇は実在したか ? 「崇神紀」の読み方 -8
系化が進められていて、いわば信仰に裏打ちされた神話としては最後の姿てあるといえ る。日本神話が、天皇統治を合理化する国家神話としての政治的性格が著しいのを特徴と するのは、このゆえてある。 神話の真の意味や機能を考えるためには、個々の物語に分離し、てきるだけ原初の姿に 近づくことが必要てある。しかしながら、一つの物語においてもさまざまな要素が複雑に からみ合い複合的な格が濃厚なうえに、統一的な意図による体系化も進んている日本神 話において、そのことはからみ合った絹糸を解すに等し、 ここては、スサノラ神話の一部についてそれを試みたが、結果、アマテラスへの乱暴と されるスサノヲの行為は本来、祭祀において求められた儀礼的行為てあり、原神衣祭・原 神嘗祭の起源神話てあることが見てとれた。たか、このスサノヲ神話とて不変てはない。 まず神話の体系化にともない、 本来は高天原から出雲へのスサノヲの「天降り」という ストーリーだったものが、スサノヲは高天原て重罪を犯したために出雲に「追放」された し J い - フ . ス , トーーーリノ に変更されたと考えられる。そうなると、スサノヲが高天原を「追放」 された理由を説明せねばならない。スサノラの乱暴とされる行為は、いずれもアマテラス を祭る原神衣祭や原神嘗祭における儀礼的行為が本来の姿だった。それは祭祀空間てのみ 許された神聖な行為ぞあって、それを日常生活て行なうことは禁忌てあり罪てあった。こ ほぐ 0 ノ ・ 4 スサ / ヲ神話を読み解く
ったにち力いオし よ、 9 梭は、変身したスサノラ自身てあり、現アマテラス・スサノラの物語 は姉弟の近親相姦を隠している。天岩屋戸神話の前に記される、姉弟がウケヒて神々を生 む物語も、一一人の性交を暗示している。 姉弟の近親相姦が、のちには国っ罪の性的禁忌につながっていくものと考え られるが、国っ罪とされる近親相姦や獣姦なども、ある時期まては祭祀の場ぞ模擬的にし ろ、獣に扮した人物との間ぞ儀礼的交として実際に演じられていた可能性が高い。 スサノヲのアマテラスへの行為は、神嘗の春の準備から秋の本祭にまて及ぶものだった こと、アマテラスが梭て陰部を突くのがまさに神嘗儀礼の最中てあったことから、姉弟の 性交も神嘗、すなわち農耕の収穫祭ての営みてあった。知られているように、農耕祭祀に おける男女神の交合は、豊穣を「予祝」する呪術儀礼的な行為だった。スサノヲが地上世 界を象徴する出雲に天降るだけてなく、神代紀第五段のアマテラス・ツキョミ・スサノヲ 三神誕生の物語ても、イザナキから統治を命ぜられるのが天下てあったり青海原てあった りするのは、スサノヲの農耕神的性格によると考えられる。出雲てのスサノラには追放者 ひ の面影はなく、斐伊川の水を統御する英雄てあり、クシイナダヒメと結ばれて豊穣をもた らす農耕神てあるのも、同様てある。 要するに、天上界を象徴し養蚕紡織に従う女神アマテラスと、地上界を代表し農耕に従 スサ / ヲ神話を読み解く