スサノヲが罪過を負わされて放逐されることや、先に触れた乱暴行為と大祓詞の天っ罪 が対応することなどから、スサノラ神話は六月と十二月の定例大祓の起源譚とされてき 学 / 学ノ学 / 大祓は二季の晦日だけてなく、臨時にも多く行われ、前述したように、史料の 最初とされる日本書紀天武天皇五年 ( 六七六 ) 八月のそれも臨時のものだった。天武天皇 しんちゅう 朱鳥元年 ( 六八六 ) 七月辛丑 ( 三日 ) に催されたそれも、天皇の病気が深刻化 ( 同年九月九日 、」、つリん 崩御 ) するなか、効験を期待して臨時に執り行われた一連の呪的・宗教的諸儀礼のひとっ てあることに田亠思しなければならない。 つまり、大祓は六月・十二月に独立した宗教的儀礼として定例に催されるが、それ以外 も祭儀などてしばしば臨時に営まれた。通説のように、スサノヲ神話が定例大祓の起源 譚てあるか否かについては、この神話と祭儀の関係から明瞭になろう。 スサノラの乱暴は本来、アマテラスの祭儀ての儀礼的行為だったが、アマテラスを中心 とする物語は伊勢神宮の神事として理解するべきと考えられる。すなわち、アマテラスの かんみそさい かん 斎服殿ての機織りの物語は伊勢神宮の「神衣祭」と、アマテラスの新嘗に関わる話は「神 なめさい 嘗祭」との関連が想定される ( 松村武雄『日本神話の研究三』培風館 / 岡田精司「記紀神話の成 立」「岩波講座日本歴史』古代一一 / 小島瓔禮前掲書 ) 。 四月・九月の神衣祭はアマテラスに夏冬一一季の御衣を奉献し、九月の神嘗祭は新しく収
呪術て、先のアメワカヒコの喪葬ての鳥の扮装も同じ信仰 ( 天孫降臨からウミサチ・ヤマサチ神話へ物語は劇的に展開するが、ここはわが国古代文化の 複合的性格が最も明瞭に表れているところてもある。 【文献案内】 もう少し日本神話を学びたい人のために、文献を紹介しておこう。 大林太良「日本神話の構造」弘文堂、一九七五 天と国、海と山などの双分観や、祭祀者 ( 主権者 ) ・戦士 ( 支配者 ) ・生産者 ( 庶民 ) の三機 能体系などを構造的に分析し、その背後にある世界観について論じている。 大林太良編「日本神話の比較研究」法政大学出版局、一九七四 日本神話と東アジア・東南アジア・オセアニア・北方ューラシア・印欧神話との比較研究。 日本神話の系統や起源を知るうえて参考になる。 松前健「日本神話と古代生活」有精堂出版、一九七〇 文化人類学の視点から日本神話と祭儀の関係などを論じて博引旁証、有益てある。 大林太良・吉田敦彦監修「日本神話事典」大和書房、一九九七 これまての研究成果や個別神話の概要がコンパクトに解説されていて便利てある。 0
う男神スサノラの性交は、蚕織と農耕の豊穣、秩序と安寧に満ちた新たな世を創造する、 呪術儀礼的な営みだったのてある。イザナキ・イザナミを国土創生の神だとすれば、アマ テラス・スサノラは蚕織・農耕に象徴される文化創造の神てあったといえよう。 【文献案内】 ここては日本神話を学ぶための入門書的な文献を紹介しておこう。 上田正昭「日本神話」岩波新書、一九七〇 日本神話の歴史的性格やその世界観、祭祀や習俗との関係について述べている。 大林太良「神話学入門」中公新書、一九六六 文化人類学の視点から神話研究の基本点がわかりやすくまとめられている。 松前健「出雲神話」講談社現代新書、一九七六 記紀や風土記の出雲神話、スサノヲ・オホアナムチ神話、国譲り神話の諸問題について、神話 を語り伝えた氏族集団にも配慮しながら平易に解説している。
和銅五年 ( 七一 (l) 成立の古事記は上・中・下巻のうち上巻すべてを神々の物語にあて、 じんむ ひとのよ 中巻の神武天皇から人代となる。養老四年 ( 七二〇 ) 撰述の日本書紀全三十巻は、巻第一 かみのよ が神代上、巻第一一が神代下て、巻第三の神武天皇紀より人代となる。古事記上巻を「神代 言」、日本書紀は神代上・下を合わせて「神代紀」と略記するが、この神代記・神代紀の 神々の物を「己ä-ä神話」とい - フ。一般に日本神話といえば、この記紀申話をさす 日本神話を知ろうとする場合、一般には古事記神代記がよく読まれる。これは日本書紀 あるふみ 神代紀が段落ごとに少しすっ内容の違った複数の所伝 ( 一書 ) を挿入していて、物語が複 雑化し全体の展開を読み取り難いからてあろう。しかし、必すしも神代記が神代紀より古 くて本来的な物語てあるとは限らない。 それより、一つの神話に複数の所伝があること は、神話研究のうえてむしろ幸せなことだといえる。なせなら、複数の所伝をかれこれ比 対照することにより、その物語のより本来的な姿や多様な古代社会の実相を明らかにす ることが可能となるからてある。もちろん、そのためには記紀神言かそれぞれどのような 内容て、各々の神話が何を語り伝えるものだったのかを知らなければならない。本章は、 こうした視点からの日本書紀スサノラ神話を理解するための基礎的な作業てある。 スサノラノミコトの乱行ぶり 0 ・ 4
系化が進められていて、いわば信仰に裏打ちされた神話としては最後の姿てあるといえ る。日本神話が、天皇統治を合理化する国家神話としての政治的性格が著しいのを特徴と するのは、このゆえてある。 神話の真の意味や機能を考えるためには、個々の物語に分離し、てきるだけ原初の姿に 近づくことが必要てある。しかしながら、一つの物語においてもさまざまな要素が複雑に からみ合い複合的な格が濃厚なうえに、統一的な意図による体系化も進んている日本神 話において、そのことはからみ合った絹糸を解すに等し、 ここては、スサノラ神話の一部についてそれを試みたが、結果、アマテラスへの乱暴と されるスサノヲの行為は本来、祭祀において求められた儀礼的行為てあり、原神衣祭・原 神嘗祭の起源神話てあることが見てとれた。たか、このスサノヲ神話とて不変てはない。 まず神話の体系化にともない、 本来は高天原から出雲へのスサノヲの「天降り」という ストーリーだったものが、スサノヲは高天原て重罪を犯したために出雲に「追放」された し J い - フ . ス , トーーーリノ に変更されたと考えられる。そうなると、スサノヲが高天原を「追放」 された理由を説明せねばならない。スサノラの乱暴とされる行為は、いずれもアマテラス を祭る原神衣祭や原神嘗祭における儀礼的行為が本来の姿だった。それは祭祀空間てのみ 許された神聖な行為ぞあって、それを日常生活て行なうことは禁忌てあり罪てあった。こ ほぐ 0 ノ ・ 4 スサ / ヲ神話を読み解く
開する。 ただし、これはアマテラスの子孫ぞある天皇・その王権による国の支配の正統陸を説明 亠 9 るし J い - フ、 政治的な意図のもとに連続する物語として体系化されたものぞ、本来はそれ ぞれ別個の独立した物語てあった。また、これらは物語の舞台から「高天原神話」「出雲 ネ話」「日向神話」などとも称されるが、高天原が実在しないように、実際に出雲や日向 の地て語られていたのてはないことなど 、己紀神話を読むうえて留意が必要てある。 アマテラスとスサノラを主人公とする高天原神話をやや細かく見ると、神代紀の第六段 はウケヒ ( 誓約 ) の物語てある。ウケヒとは、ある行為について前もって設定しておいた 結果を得ることがてきるか否かて神の意志の所在や各人の行為の正邪を判別する、呪術的 な占いてある。この場面ては、父イザナキによって「根の国」 ( 地下の別世界 ) に行けと命 令されたスサノヲが姉アマテラスに会し 、に行き、「お前は高天原を奪おうとする悪心があ るのてはないか」「ないというならいかに赤心を証明するか」と間われて、ウケヒを申し きたな 出る。すなわち「女が生まれれば濁き心、男が生まれれば清き心」として、姉弟はそれぞ ものざね れ相手の剣・玉を物根 ( 物事の根元 ) として神々を生む。結果、アマテラスは三柱の女神 を、スサノヲは五柱の男神を生んだのだった。 あまのいわやと 続く第七段は、日本神話の最も著名な場面の一つ、いわゆる天岩屋戸神話てある。ま
にえ のさいに用いる馬 ) のもっとも原始的な意義をうかがわせる資料てある、と説く ( 『日本神話 の形成』塙書房 ) 。ただし、これを職掌とした民がいて、のちにその行為を責められ追放さ ささか読みすぎてはないだろうか。それが祭儀の犠 れる真似事が行われたというのは、い 牲なら神前ての殺害は正当なはずて、真似事にしろ追放される必要はなく、説明が矛盾す る いずれにしても馬を犠犠にする習俗を読み取ったのは評価されるべきぞ、天斑駒はアマ ) け . にヘ テラスの祭祀に捧げられる犠牲だったにちがいなし 犠牲馬との性交儀礼があった 生剥・逆剥が罪になるのてはなく、一色てないまだら模様の馬を神に捧げるのが不適切 だったという説もある ( 伊藤清司『シンポジウム高天原神話』学生社 ) 。二千百余年前の前漢代 えなんじ せつざん りゅうあん に劉安が編纂した思想書『淮南子』説山訓にはそれを思わせる記述があり、古代中国にそ 古代インドてはまだら模様の馬が祭儀に用いられることも うした考えもあったようだが、 あったから、一概にはいえない うままつり インドのアシュヴァ・メーダ ( 馬祀 ) は、威力の強大な王が宗主権を度得するために行 、リ一」みへ う、犠犠の牡馬と第一王妃の模擬交合の儀式てある。ヴェーダはインドて一番古い宗教文 0 、はり一、認へ スサ / ヲ神話を読み解く
のような儀礼的・宗教的な罪が大祓などて除去される世俗的・一般的な罪と読み換えら れ、それがスサノヲ「追放」の理由と見なされた結果、やがてスサノヲ神話自体が宮廷儀 礼として制度化された大祓の起源神話と位置づけられることになったのだろう。 アマテラスとスサノラの性交ーーーニ神は何を生み出したか ちなみに記紀の段階ては、罪は天っ罪・国っ罪にいまだ類別されていない。記紀以降、 両罪の見える『皇太神宮儀式帳』の成立する八〇四年まての間に、その類別化が進行した のてあろう。また、現スサノラ神話ては、近親相姦など性的な禁忌を中心とする国っ罪に 相当する行為は表面化していないが、もとからなかったかどうかはよく考えなければなら 十ノー、 すなわち、アマテラスは投げ込まれた天斑駒に驚いて梭て陰部を傷つけるが、これが性 交を意味することは、神が赤く塗った矢に変じてセャダタラヒメの陰部を突き、神武天皇 にぬりや の皇后となる女性が産まれる古事記神武天皇段の丹塗矢型神婚譚や、神の妻となったヤマ トトトビモモソヒメが箸て陰部を突く日本書紀崇神天皇十年九月条の箸墓型神婚譚など、 類似の神婚譚からも明白てある。 アマテラスの性交の相手は、天斑駒の投入てそのことが起こるわけだから、スサノヲだ はしはか 0
しかばね 屍に風を送り、第一王妃が馬の側に身を横たえる。祭司が両者を外套て覆い、馬の性器 を擱み妃の恥部に触れさせ、もしくは妃が自らこのことを行なう。交合が終わり妃が立ち 上がると、馬の屍が切り刻まれる。犠牲馬は全宇宙かっ太陽てもあるとされ、この儀式て 王は宗主権と同時に、家畜や農産物と多くの子宝を獲得すると考えられた」 ( 『ギリシャ神話 と日本神話』みすず書房 ) 太陽の象徴とされる高貴な女性と犠牲馬の交合という点ては、アマテラスのいる斎服殿 への天斑駒の投入とよく似ていて興味深い。天斑駒も本来、アマテラスの祭祀に捧げられ る犠牲だったのだろうナオ 。ごごし、古代インドの祭儀や説話との直接的なつながりは明らか ぞない。 他方、神の衣を織る斎服殿へ馬を投げ込んだこと、すなわち機織りと馬の結びつきか ばじようこんいんたん ら、馬と娘が結ばれる馬娘婚姻譚のひとってあるオシラサマ伝説との類似も指摘されてい る。オシラサマは柳田国男が一九一〇年に「遠野物語」て報告した次の物語だが、それは のろ 呪いて蛇を殺し木にとまる鳥を落とせたという、岩手県遠野の八十歳過ぎの老女が語り伝 えたものてある。 「昔、ある所に貧しい百姓がいた 妻は無く美しい娘がいた。また一匹の馬を飼ってい 娘はこの馬を愛し夜になれば厩舎て寝て、終に馬と夫婦になっこ。 オこのことを知った はた スサノヲ神話を読み解く
◆日本書紀の読みどこうー①◆神代紀上・下・ 国生み神話ーーイザナキとイザナミによる世界創造〈巻一神代紀上〉 イザナキ・イザナミの兄妹婚による世界・人類のはじまりを語る国生み神話は、いわば日本 の創世神話てあるが、その大筋は次のとおり。 はじめ世界は暗く混沌としていた やがて萌え出る葦の芽のように三柱の神が誕生する。続 あまのうきはし いてイザナキ・イザナミなど男女四組の神があらわれる。イザナキ・イザナミが天浮橋に立 ち、矛を下ろして海原を探ると、矛先から滴り落ちた潮が固まりオノゴロシマとなる。島に降 みはしら を はじめ りた一一神は島を国の御柱として左右別々に周り、出合ったところて ( 書紀ては「雌の元」と「雄 はじめ の元」を合わせて ) 夫婦となり、国を成す大小の島々を生む。 やけど のち、古事記や日本書紀の一書によれば、イザナミは火神力グッチを生む際に陰部を大火傷 としゃ し、吐瀉・排泄物からは鉱物・土水・食物の神が生まれるも、女神は亡くなる。怒ったイザナ キが火神を切り殺すと、その血や屍体からも雷神や山の神々が出現する。イザナキは、イザナ よみ うじむし ミに会うため黄泉の国を訪問する。そこて見てはならない禁忌を破り、蛆虫がわきイカヅチが 巣食うイザナミの姿を見、驚いて逃げ帰ろうとする。イザナミの遣わしたイカヅチやヨモッシ コメに追いかけられるが、竹櫛や桃の実を投げるなど様々な呪法を使って逃れる。イザナキが め : 平林章仁 日本書紀の読みどころ -- ー H ①