三津の崎波を恐み隠り江の舟公宣奴嶋奈 ( 巻三ー二四九 ) 珠藻苅敏馬乎過夏草之野嶋之埼奈舟近著奴 みぬめ のしま 珠藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野嶋の崎に舟近づきぬ ( 巻三ー二五〇 ) 粟路之野嶋之前乃濱風八妹之結級吹返 あはぢ 淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす ( 巻三ー二五一 ) 荒栲藤江之浦奈鈴寸釣泉郎跡香將見旅去吾乎 あま すずき 荒材の藤江の浦に鱸釣る白水郎とか見らむ旅行くわれを ( 巻三ー二五一 l) 稻日野毛去過勝奈思有者心戀敷可古能嶋所見 ( 一云、湖見 ) いなびの 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島見ゅ ( 一に云ふ、湖見ゅ ) ( 巻三ー二五 留火之明大門奈入日哉榜將別家當不見 ともしびあかしおほと 留火の明石大門に入る日にか漕ぎ別れなむ家のあたり見ず ( 巻三ー二五四 ) 天離夷之長道從戀來者自明門倭嶋所見 ( 一本云、家門當見由 ) あまざかひな ながぢ やど 天離る夷の長道ゅ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゅ二本に云ふ、家門のあたり見ゅ ) ( 巻三ー一一五五 ) あらたへ たまも みつ と 186
安胡乃字良奈布奈能里須良牟乎等女良我安可毛能須素奈之保美都良武賀 をとめ 英虞の浦に船乗りすらむ少女らが赤裳の裾に潮満つらむか ( 巻十五ー三六一〇 ) この三六一〇番は、少しちがいがあるものの、まぎれもなく四〇番の「あみの浦」の歌ではないか。 他の四首も既に前の巻に出ていた歌であり、いわばこれらはリバイバルなのだ。それもそのはず、巻 十五は後に遣新羅使によって口誦された歌を集めたものだったというのだ。 問題の「嗚呼」が消えている。そして所在不明のあみの浦が、れつきとした実在の地名英虞の浦に すり変っている。また、珠裳が赤裳に変っているのも、当時の女官たちが通常赤い裳を着ていたから であろう。見事に当り障りのない美し ) しいわゆる " やまとことば ~ の歌になっているのである。そ もそもそういった意味のすり替えは、元になっている白文の表記のしかたの違いが引き起こしたので あろう。三六一〇番は、万葉後期特有の一字一音の音借仮名の表記になっていて、ここでは漢字は音 を示す道具に過ぎない。音借仮名では、漢字の意味の方があまり目立たないように、平均的なありふ 巻十五に同じ歌が 「ねえ、ちょっと、こんなとこにも人麻呂の歌があったよ」 万葉集の本に指をさし挟んだまま仲間のひとりがやって来た。その子が見つけたのは三六〇六番か ら三六一一番までの五首だった。 「へえ ! そんな後ろの方に ? 」 人麻呂の歌は、万葉集の初期、巻一 5 巻四に集中しているのだが、それら五首は巻十五の中にあっ
多言語を操る歌詠み 「こんなふうによめるなんて、わたしの万葉注釈書も書き直さなくてはなりません」 そう冗談まじりにいってくれた金氏。またとない協力者を得た私たちは、まさに幸運だった。 あけばの 人麻呂は安騎野で見た曙の光のなかに「炎ーを見た。そして、その「炎ーの一文字に「日と並ぶ と称され、若くして病に散った草壁皇子の燃えっきた命を託したのだった。「炎 . という字は、人麻 呂の敬慕してやまなかった皇子、草壁皇子の人生そのものにふさわしい一字であったに違いない。 このことは関連の歌を眺めていくことで、さらにはっきりとしてくる。 もカり 騎野は殯の地だった 阿騎乃野奈宿旅人打靡寐毛宿良目八方古部念奈 あき なび いにしへおも 阿騎の野に宿る旅人打ち靡き眠も寝らめやも古思ふに ( 巻一ー四六 ) 眞草苅荒野者雖有黄葉過去君之形見跡曾來師 ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し ( 巻一ー四七 ) 東野炎立所見而反見爲者月西渡 ひむかしののかぎろひ 東野に炎の立つ見えて反見すれば月傾きぬ ( 巻一ー四八 ) 日雙斯皇子命乃馬副而御臈立師斯時者來向 ひなみしのみこ みかり きむか みこと 日並皇子の命の馬並めて御猟立たしし時は来向ふ ( 巻一ー四九 ) かへりみ もみちば かたふ かたみ
人麻呂の遺書 繩浦從背向奈所見奧嶋榜廻舟者釣爲良下 そがひ み 縄の浦ゅ背向に見ゆる沖っ島漕ぎ廻る舟は釣しすらしも ( 巻三ー三五七 ) 縄のように幾重にもよじれ 正体のつかめぬ朝廷に 従ってきた君ではあるが その曲がりを正すためには 向くことしかなかったのか とむらいふね 君がのせられたという弔船は 果てしなく奥深い嶋のまわりを 榜ぎまわっている 武庫浦乎榜轉小舟粟嶋矣背奈見乍乏小舟 み 武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島を背向に見つつ羨しき小舟 ( 巻三ー三五八 ) 武庫の穏やかな海ーーー宮中は みなそこ その暗い水底に 罪なき身である君の真実を 覆い隠している わたしをのせた小舟は そのことをあばくこともできず をぶね とも 239
人麻呂の遺書 多くのすぐれた人材が、囚われ、流され、死んでいった動乱の時代に、忽然と現れ、忽然と消えて いった人麻呂である。この歌の意味もまた、決して小さくはないだろう。 風ーー永遠の別れ 人麻呂が次に訪れたのは、粟路の海辺であった。この歌からは浜風が激しく吹きつけてくる。その うわごろも 風を正面からうけているのは人麻呂である。この浜に、ひとり佇む人麻呂の上衣の紐はひるがえって いる。旅立ちの日、妻が結んでくれたものだ。 遠く都をはなれて、妻のことを偲んでいる歌だといわれている。それにしてもいったい、 この歌を 吹き抜ける風は、私たちに何を伝えようとしているのか。「三津埼」の歌が、浪を主題にしたのに対 し、この歌では風が主題になっているようだ。 粟路之野嶋之前乃濱風奈妹之結級吹返 ( 巻三ー一一五一 ) 古く、紐を結ぶという行為は、親しい男女が無事な再会への祈りをこめたもので、結びの呪カ信仰 にもとっくといわれている。 磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む ( 巻一一ー一四一 ) ありまのみこ と有馬皇子の歌にもあるように、松の枝を結ぶことで再び還ってこられることを祈った歌もある。 今でも、私たちが相手と何か約束をするときに「指きりげんまん、指きった」といって小指を結び あわせるが、これもそういう信仰の名残りである。 ・まさき 205
死のジグソーパズル 「人麻呂終焉の地をますます謎めかせているってわけかな」 「山といえば川、人麻呂と妻の合言葉かも」 「そんなあ、忠臣蔵じゃあるまいし」 「石水と石川を地名と決めてかかっているから、わからなくなっちゃうんだよ」 「それに貝に交って倒れているなんて、なんか漫画みたい」 「うん、そう一言えば、『古事記』では緩田毘古神が貝に手を食われて海で溺れ死んじゃうんだったよ ね。何か関係あるのかなあ」 「人麻呂の水死説も、 " 石川の貝に交る ~ ということと何か関係あるのかなあ」 「貝って二つにバカッとわかれる貝じゃないの " 雲立ち渡れ。の方に " 相 ~ が二つあるよねえ。これも二つに分かれて向い 「二つにわかれる貝 : ・ 合ってることじゃなかったつけ」 「人麻呂と妻が、お互いに見つめあっているみたい」 丿に、雲よ立ち渡ってくれと、空を見据えているような、強い感情のほとばしりを感じる。 辞書をひもとく私の頭の中にあったのは、人麻呂を慕ったという依羅娘子の人物像であった。どん な女性だったのだろうか。 まじりてありと かひに いよずやも けふけふとわがまっきみは石川のかひに 且今日、、ゝ、、、吾待君者石水之貝奈 ( 一云谷奈 ) 交而有登一一〔八方 ( 巻一一ー一三四 ) にくもたちわたれみつつしのはむ ただのあひはあひかつましじ石 直相者相不勝石川奈雲立渡礼見乍將偲 ( 巻一一ー一三五 ) ソクス ムルス 、 L ルムル 石の朝鮮語は、を・囹 ( 訓・音 ) 、水は号・全である。石水、等号は渦巻きで、囹全は汐水、タ潮。
暗号の解読者たち 嗚呼見の浦に嘆息を、潮騒に女たちの慟哭を聞いた人麻呂の耳。さすまたの様につきでた答志崎に、 釵の貞節を刈る大宮人の手をみた人麻呂の目。彼の耳が聞き、目が透視したものを解する者たちはい なかったのか。万葉集に残された歌を通してみるとき、その解読者は遣新羅使の中にいたのである。 巻十五 ( 三六一〇 ) に次の歌が記載されている。 安胡乃宇良奈布奈能里須良牟乎等女良我安可毛能須素奈之保美都良武賀 嗚呼見浦が英虞浦に、珠裳が赤裳に代わっているだけである。巻頭に遣新羅使たちによって、船中 で吟誦せる古歌とある。また、荒栲の藤江の浦も同じく小異をもって、三六〇七に載せられている。 定訓をそのまま受けとるならば、官女たちの浜遊びの歌を吟誦しながら、新羅への船旅を楽しんだ ということになる。しかし当時の船旅がどんなにおそろしいものであったかは言うまでもない。また 全てが希んで遣新羅使となったわけでもない。気のすすまぬ者も多かったことは、遣新羅使たちの歌 群 ( 巻十五 ) からも窺うことができる。先進文化を取り入れるために、勇んでか気が進まぬままか、 船出する彼等を一様に、まず待ち受けていたものは、果てしない荒海である。遣使たちの胸中に去来 したものは、鳴呼見の浦から死の船出をし海潮に没していった女たちの運命ではなかっただろうか。 藤江の浦の、縄打たれ死出の旅路を行く人麻呂の姿ではなかっただろうか。閉じこめられた船中で、 もう永遠に陸地には着けないのではないかという気持ちをいだいた彼等が、同じ運命にさらされた者 ガとしてのこれらの歌を吟誦するとき心慰められるものがあったのだろう。人麻呂の歌の真意をよみと ったものは、確かにいたのである。これらの歌が、遣使たちによって船中で吟誦された意味は、深い 2 ラ 1
「あんたたち、あがってなさいよ」 と、いつもとはうってかわった近所のオバサンふうのアガサである。 私たちは、ずかずかと玄関から居間へとあがりこんだ。 「さっきの話だけど」 「私にもまだよくわからないのだけど、なんとなくね」 「なんとなく、なに ? きりよ 「羈旅の歌」 仲間の一人が言った。 「キリョの歌 ? あの " 旅 ~ の歌八首のこと」 「うん」 私はあっけにとられてしまった。 「何が羈旅の歌なんですって」 古びて焦茶色に光る盆に、白い碗皿をのせてアガサが立っていた。そこで、私たちはここにくるま での一部始終と、なぜ羈旅の歌なのかを話さなくてはならなくなった。珍しくアガサは煙草に火をつ けることも忘れるほど、真顔になって聞いていた。 「そう、そうかもしれない」 一抹の疑問をも打ち消すような勢いでアガサは言った。 「それに、八首っていう数のまとまりも無視できないと思う。同じ巻三の中にも、旅を題材にして歌 ったものは別に載せてあるのになぜ、この八首だけが「羈旅の歌」としてまとめられているのか、不 思議よね」 「この八首ってつながりがあるの ? 」
のそのようなおもいを示すものであったかもしれない。 それにしても何故「八首、なのかに改めて思いがいく。同じ巻三には旅の歌が他に二首 ( 三〇三、 四 ) ある。何故「羈旅の歌十首」とはしなかったのか。 『説文解字』は八を「別なり。分別してあい背く形に象る」と説いている。まさに八首の別れの意味 と対応している。 敏馬ーーー野嶋 稲日ーーー可古 結ーー・解 明大門・出ーー入 天離夷・天ーー道 ( 高ー低 ) 白水郎・清廉ーーー卑 人麻呂は一首の中に二つの地名を詠みこむことや、二つに分かれる逆の意味を表わす対語を以て、 離反の意を表わしているが、八 ( 首 ) という全体でさらに離反を表わしたのではなかろうか。そうに 違いない。人麻呂の別れの歌である。遺書である。 八、別、敗、伐、叛、反、返 : : : 八系列の文字の中に、叛き別れていく人麻呂の姿が浮かび上がる。 三四九 ) 三五〇 ) 三五三 ) 三五四 ) 三五五 ) 三五六 ) 246
身動きもせずにたじろいでいる かくれのみや 君は幽宮へと死にゆくのに 阿倍乃嶋宇乃住石奈依浪間無比來日本師所念 阿倍の島鵜の住む礎に寄する波間なくこのころ大和し思ほゅ ( 巻三ー三五九 ) 真のこころざしをまげ へつらわねばならぬような よど 汚れた澱みの島を 振りきってきた君は 身も心も、つごかないままでいる よど この澱んだ水辺にあがる 清らかな白い浪はなく その浪のような君の姿はもうない ーーー柿本人麻呂よ 君のことが、いに深くおもわれる これらの赤人の歌は、文字どおり人麻呂に悲劇的な死をあたえたであろう権力への告発になってい る。歌をとおして、知る人よ知れという彼らの魂の叫びが、今、私たちにきこえてくる。 これらはまさしく、人麻呂の「羈旅の歌」をうけて詠われていたものだった。「藤江の浦」のよじ れつかえた人麻呂の心情を「縄の浦」でうけ、穏やかに凪いだ「飼飯の海」に「武庫の浦」を重ねて まこと 240