つまり、東景に対しての西景が如実に表わされていることに気づくのだ。人麻呂は、この歌を解く 鍵となることばを、意図的にちりばめていたとは考えられないだろうか。また、この対称性そのもの が、なにかの意味を象徴しているものではなかっただろうか。 もしそうであるならば、「炎ーをさぐる第一のヒントになってくれるものは「東であったかもし れない。私たちはまず、この「東野」がどこをさしていたかというところから始めることにした。 あきの 歌の舞台となっている " 安騎野。は、奈良県宇陀郡大宇陀町一帯、宇陀川流域ぞいの榛原町にかけ くさかべのみこ ての山野であるとされている。ここに軽皇子の父、草壁皇子が、生前好んで狩りにきたという追憶の 地であり、人麻呂にとっても草壁皇子を偲ぶよすがとなる思い出深いところであった。 東はもと、中国語では「 ( u 尸、袋に棒を突き抜いた形 ( 鼡 ) のことである。この字は朝鮮に入る と「等 (tong) 」とよまれるが、その意味はいずれも物を突きとおすということである。太陽が突き でる方向から、ヒガシの意味になっている。 だが当然のこと、朝鮮ではこの「三。」に他の意味はなかったのかという思いか湧いてくる。私たち が、「ケ」という音をきいて瞬間、「毛ーや「笥」などのものを連想するのと同じように、朝鮮の人た ちは「三。ーという音にどんな意味を与えていたのだろう。 さっそく朝鮮語の辞書を開いてみると、童 ( 等 ) 、洞 ( 三。 ) などの漢字が一斉に目にとびこんでく る。これらはいずれもその漢字の漢音である。「三。ーの意味は、この他にはないのだろうか。 み 詠 トン ようやく私たちは「三。、物事の継ぎ目、終末」ということばを探りあてた。この他のものは、どれ る をもびったりとこないものばかりである。突き通すことは、当然、通じる、達する、さらには終末とい まう派生的な意味をうむ。表向きは、あくまで東という方向、もしくは場所をさす。が、その音には同 音で " 終末。の意味をかけている。東野は、安騎野ーーー東の野だと見逃していきがちなものだけに、
息づまるような思いで、私が待つあなたは、墓場である石川で、あの世のともがらに交わってい ると一言うのでしようか。あなたは逝ってしまった。 次の歌の石川はどうだろう 。川は、地を縫って流れる < 印で、川の流れを描いた象形文字、『説文 ネグ 解字』には「貫穿通流する水なり」とある。穿っと同系で、川の朝鮮語も動詞になると、 ( あ なを ) あける、穿つなどの意がある。石川も石水と同様、死に場所としての墓穴を暗示しているとい うことが考えられる。 この石川に今度は、雲立ち渡れと続くが、雲は中国語音で魂と同系のことば、人麻呂の亡き魂を雲 にかけているのだろう。立、渡、礼は三字とも、字形はくつきりとした形を示している。雲のように 立ち籠めている人麻呂の思いを、はっきりさせたいという妻の願いを色濃く見るような気がする。 じかにお逢いすることはもうできないだろうと、相の字が示す一一人の姿ーーー恐らくそれは人麻呂が この世でない、あの世にいる姿で妻と向きあい、目を見つめあっているのだ。二人の間には、今生の 人には通ることのできない壁が立ちはだかっている。 夏休みが終わる頃、アガサが雲についての興味深い話を紹介してくれた。 アガサの万葉アンテナにひっかかってきたのは、雲が昔、山から生ずると考えられていたという説 である。私たちは、再び雲について調べ直してみる。アガサの話にピッタリの語があるではないか。 雲がどこから生ずるかという雲のもとをさす語で、一つには高山の谷をさし、同様にそ " 雲根″ ういった谷間の岩石の間からも雲が生ずると考えられていたことから石のことをも一言う。つまり、谷 と石から雲が生ずるという考え方である。 杜甫はその詩の一句に、 " 穿水忽雲根Ⅱ水を穿ちて忽ち雲根…ということばを使っている。 フ 6
「なかなか迫力のあるところですよ、藤江の浦は。断崖の岩肌には、波が打ちつけた跡が荒々しく刻 まれている。その濃淡のくつきりとした段層は、まるで粗織の布まがいですよ。海辺に立っとその 荒々しい岩肌が、まるでひとつの美しい織物のように見えてくるんです」 まだ見たことのないその風景が急にリアリティを帯びてきた。粗織の喪服、そのものが歌の中にも 刻まれている。そんな荒つほい場所で人麻呂は呑気に魚釣りをしていたのだろうか。 私は改めて、その光景のちぐはぐさを想像していた 白水の男ーーー人麻呂 あま 次なる手掛りは、この「白水郎」だ。海人のことを意味する漢語である。「白水」は、清らかな水 の流れのことで、心が潔白なたとえに用いられる。「郎」は、中国・朝鮮でも男子に与える敬称であ る。日本でも「一郎」「太郎」などのように男子の名に使われている。白水の男、つまり " 清らかな あま 水の人。というのが、白水郎 ( 海人 ) のことだったのだ。 ペクス これを朝鮮語で解くと「叫全 ( 白水 ) ( 郎 ) 」、清廉潔白な男と解釈することができる。後半部 分は、旅をする自分をひなびた海人の姿として見るだろうかというだけに止まらない。自分を清廉潔 白な男として見てくれるかという思いがけない意味が込められていたのである。 なぜ、なにが " 潔白 ~ であるというのだろう。これでは、何かわけあって罪をかぶせられでもした ようないい方ではないカ たびゅ 書 おいうちをかけるように、さらに私たちをひきつけたのは「去」の一字であった。「旅行く」とい たびゆくわれを ってもよさそうなものを、あえて人麻呂は「旅去吾乎」と結んでいる。一見単純なことのようだが、 麻用字によって意味は全然ちがったものになる。 今でも " 旅立ち ~ といえば、死去や逝去の意を表すことが多いが、それが「去」の原義である。こ 2 リ
鴨山之磐根之卷有吾乎鴨不知等妹之待乍將有 ( 巻一ー一三一 後半に移る。不知が漢文体そのままであることは、中学や高校の漢文の教科書などで知っていると アム おりである。妹は妻であるが一 m 。は朝鮮語の曾 ( 妻、女 ) に対応する。「人麻呂に迫りつつある死を 知らずに妻は待っているのか」という、漢文として読み下せる箇所である。前半の不吉な意を受け、 それを知らずに妻は待っているというわけだが、それだけで、哀切感が募ってくるようだ 9 もう一度、全体を見渡してみると、之という漢字が三つもあるのにあらためて気付かれる。 のという意だが、漢字としては人間の足の象形で、中国音 ( 一異は、ま 0 すぐに前進することを表 すこの漢字で、人麻呂がひしひしと死に向かっているという、切迫感が醸しだされている。 墓山である鴨山に、わだかまった根のように私の気持ちは黒々と沈められ、私自身が、私のこと ばが、葬られていく。ああ悲しゃ ! 妻に対する想いも空しく封じられる。それが迫っているこ とを知らずに、妻は待っているのか。 石水・石川ーー貝・谷・ーー・死 次に続く二首の歌は、柿本朝臣人麻呂の死りし時に、妻の依羅娘子の作れる歌とある。人麻呂が亡 くなっていく時の思いを詠んだ歌と言うのである。私たちの視線は、いっせいに次の歌の石川に引き つけられていく。 「大体、白文には石水と石川となっているのに、どうして石川と同じに訓み下しているの ? 」 「まあ、水と川というつながりはわかるけど : : : どっちにしても、石川は所在不詳となっているし」 みまか よさみのおとめ 170
ひなみし れば、ここに日並所知皇子の名を織りこんでいたからではなかったのか。「炎には、人麻呂ならで はの二重、三重の工夫がこらされていたのだった アガサはここまで一気にはなし終えると、コーヒーをひとロ啜った。私たちは、まるで自分が発見 したかのように浮き立っていた。 「やられた ! 」 「まさにあの炎の一字は、草壁皇子そのものだったことになるね」 「やつばり炎がキーワードだったんだ」 亡き草壁のことを伝えたいがためにこの「炎」の一字が選ばれていたなどとは思いもよらないこと だった。それも、これほどまでに緻密なことばのかかり方になっているとは : 人麻呂の生きた時代、それは権力抗争の渦巻く時代であった。人麻呂が宮廷歌人として生きたので みことのり あれば、天皇の行幸のとき、皇族が亡くなったときなど、詔に応じて「公」の立場で歌を詠んだこ とだろう。しかし人麻呂は、「公」に詠むものにすら「私」の感情のすべてをそそぎこんでいたこと になる。 この時代、いかに歌人とはいえ、ひとりの皇子への私的な思いをあからさまに詠むことなど、政権 抗争のただなかに自らを投げこむに等しい行為である。だからこそ人麻呂は、歌のいたるところに符 牒をちりばめていたのだ。それだけではない。さらに、表記としてつかわれた漢字は、確かな歌人の 目で選ばれていたものだった。 この「かけことば」の技法にこそ、歌人の秘かなねらいがあった。ここまで解いてきて、私たちは あらためてそのことを実感していた。歌人はこれらをふんだんに用いて、歌そのものを一枚の判じ絵 として描いていたのである。 東野炎ーー終末の野に草壁皇子の亡霊があらわれたと人麻呂はいう。それはまた、夜の白む光に、
いうのが現在の解釈である。 私がこの歌をはじめて知ったのは、中学の古典の時間だったように記億している。「東から日はで て月は西」というような歌をそのまま、雄大な風景をうたった叙景歌だとし、″当時の万葉人は素朴 だった ~ と言われたことに何の疑問もなく納得してしまった。ただこんな歌なら私たちでもっくれそ うな気がしたことを覚えている。しかも、この歌は、大らかな「万葉ぶり」の代表格として教科書に もしばしばとりあげられるほど多くの人々に愛唱されてきた。 だが、この一見単純な叙景の裏に、もうひとつのことばが織りなす風景がみえていたとしたらどう だろう。そこに託した人麻呂の人知れぬ思いがあったとしたら 。そんな隠された故人の思いを、 私たちは探りあてることができるのだろうか : それならば、私たちはこの歌のどこに手掛りをも とめたらいいものか。 さっきから隣りで、聞くとはなしに私たちの話に耳を傾けている人がいる。スリムな体つき、うし ろで、ひとつにまとめた髪が団子のようだ。 アガサ。新入生は彼女のことを称して " おだんご先 生〃などとも呼んでいる。 最近小皺が少しめだってきた面長の顔から大きな瞳がのぞいている。 「まず、どの漢字に目をつけるか : : : 歌をとく上で鍵となる、キーワードをみつけることが大切だわ ね。私だったら " 炎 ~ の一字をとっかかりにするかな」 後れ毛を指先でなでつけるしぐさがアガサの場合には、艶つほいというよりも、威厳につながって いる 「えつ、どうして ? 「さあ : : : それは、あんたたちで確かめてみることね」
このごろ、洋服の上からでもはっきりわかるくらいになってきた仲間の大きなお腹を見て、みんな がニャリとする。 「タラチネノハハね」 「そう、充実してるって感じだもん」 達Ⅱ山Ⅱ毎Ⅱ母、という語と語の関わりあいの中においてはじめてこの枕詞が成り立つのだ。達 ( せ ) の音を足・垂を借りて表わし、達の意味を乳根で示すことで、繁殖の根源としての母にかかる 「たらちね」という枕詞になっているのである。 漢字ーー表意・表音のニ重性ーー 枕 トラカレに、外国人が遊びにくるのは日常茶飯事である。 「ちね」のねに、根をいちばん多く使っているのも「根源」を意味する朝鮮語の古語が、同じ「」 という語音で表されるからだろう。母が生命の源であるというのは、人間の共通の認識である。同じ く母に係る枕詞「たらちし」のしは、種 ( 子 ) や血筋を意味するの音に対応するのではないか。 「播磨風土壟の中で、「たらちし」が地名の「吉備」に係っているのも、「吉」「備」の両字のもつ、 「中にいつばいにつまる、充実する」意味がお腹に赤ちゃんのいる充実した母の姿と同じ状態と見た からであろう。 「ちね」のちの表記に使われる「乳」は、子を育てる意味をもつ。また、「知」、「千」などはまっす く進むことを表すことからも、達の「通り進む」という意味に、母が子を生み子孫が続く意味をかけ ていることがわかる。上古においては、「」という語が尊称に使われていたこともつけ加えておこ
こまで死のモチーフが重なれば、この旅が、死出の旅路であったと断言してさしつかえあるまい。 この最後の一節は、とりわけ悲痛に響いてくる。死んでいく自分を、人は潔白な男とみてくれるか。 人麻呂はそう訴えていたのだ。 午前十時、駆け足で教室のドアを開ける。もうほとんど満員だ。トラカレの朝は、席とりで始まる。 通常、大学の講義では、時間とともにうしろからじわじわと席が埋まっていく。ところが、トラカレ では始業三十分前でこの有様である。前列からびっしりと人で埋まっていく。とにかく、油断大敵。 キョロキョロと見渡すと、ちょうど、いい席が空いていた。 今日は、氏が講義に来ることになっている。これは、私たちがたまたま手にした一冊の本がきっ かけとなった。「漢字学ーー「説文解字の世界」』である。 およそ漢字研究に関しては、かならずといっていいほど引き合いに出されるものに『説文解字』が ある。これは、西暦百年、中国で誕生した漢字の「字書」である。 「人間が、なにごとかを強く訴えようとするとき、直接そのことを一言うことはせずに文字やことばの 語源を利用することか多いのですよ。遊びの中でもそういうものがあるでしよう。しかし、この " 遊 び ~ は、場合によってはかなりの説得力をもつのです」 氏が淡々とはなす中でことさら私の興味をひきつけたのは、この遊び、つまり " 字形分解 ~ とい うことだった。漢字はいくつかの構成要素に分解することができ、それぞれの要素ひとつひとつを独 立した文字のように用いることがある。その手法は今でも、暗号としていろいろな方面で広くつかわ れているという 人麻呂が、表記に用いた文字の語源をつかって歌の主題をくつきりさせていたことは、前の歌で見 たとおりだ。けれども " 字形分解…というのはどうだろう。 214
るだけに、そこを去らねばならぬ人麻呂の思いは募る一方であった。この地と訣別することは、同時 に自らの過去への離別を告げるものであった。そのさまざまに乱れる思いを、人麻呂は「恋」の一字 に託していた。 末尾に見えてくる「可古の嶋」。これは " 恋しく思っている過去の島 ~ でもある。可古と過去との 音をあわせたかけことばになっている。 人麻呂は、その「古の島、に自分の死を見ていた。可古の表記は、屈曲し頭蓋骨のようにひから びて固いことを意味する。それは、砂土が積もり固くなった川の中洲の様子ともダブってくる。人麻 ーさご 呂の千々に乱れる思いは、砂のように流され、うねり、反転し、やがてはゆき場を失い鬱積していく。 塞きとめられ、かたく凝り固まっていく己れの思いを、人麻呂はこの可古の島にみたてたのだろうか。 この地に心を残したまま、死にむかう人麻呂。彼に残された時間は、それほど多くはなかった筈であ る。目の前に見えてきた島に、自分の運命を予感したのであろう。 稲日野の暖かく肥沃な土地は わたしに故郷を、そして 豊かに栄えていた懐しい日々のことを 思い出させる わたしがこの地を去っていくように あの古の日々を失うことは 耐えがたくつらい 別れてゆくわたしの前には 226
0 をー 枕詞が解けた 使用された枕詞の種類およびその割合 長歌 ( 首 ) 総歌数枕詞の種類 短歌 、 6 11 -0- 、 1 つ「 / 101 だ。人麻呂が、それだけの才能と技巧を兼ね備えていた ダントツの歌人であったことをもの語っている。 人麻呂の歌を読み解く上で、特にその枕詞の中に見落 すことのできない重要な言語解釈上の多くの問題をみつ けることができるだろう。なぜなら、枕詞は必ず歌の中 にあって、その意味を反映しているのだから 今でこそ文字は溢れ、私たち現代人はあたかも文字は 人間世界にはじめからあった存在、空気のようなものと して捉えがちである。あらためて文字のもっ性格につい て深く考えたりすることもない。 中国における最古の字書『説文解字』の末尾には、文 字に対する考え方が次のように述べられている。 し けたもんじ もとおうせい ぜんじん 蓋し文字なる者は経芸の本、王政の始、前人の後に た ゆえんこうじんいにしえし 垂るる所以、後人の古を識る所以なり。 思うに文字とは学問の根本であって、王者による統 治の基礎である。また、前代の人々が後世に範を垂 れる道具であって、後世の人が前世を学ぶ道具であ る。 この中には「文字」に対する古代の人々の態度がくっ きりと示されているよ、つに思、つ。 0