裏の意味を潜めやすかったのかもしれない。 それにしても、いったいこの東ー - ー終末とは、何のモチーフだったのだろうか。これだけではまだ 決め手にならない。解けていないも同然である。 「東野炎立所見而」 東と炎とは、どのような結びつきがあるというのだろう。私たちはここまできて、また行き詰まっ てしまっていた。 「この歌をとく鍵は、炎ね」 と、自信あり気に言っていたアガサの顔が浮かぶ。 朝焼けの風景の中に やはり「炎」にはなにかある。思い出してみれば、万葉のなかで炎を " カギロヒ ~ と訓んでい るのもここだけなのだ。しかも、それは " 曙の光だと〔う。人麻呂が、曙の意味にどうして「炎」 の字を用いたかというのがまず第一の疑問である 私たちは、ずいぶん長い間、この炎に手をやいた。 炎の朝鮮語音は「」。やはり、激しく燃えあがる炎のことである。では、その炎の美しさはどこ にあるのかということを、素直に考えてみたらどうなるだろう。それは燃えあがる一瞬だ。勢い激し く燃えあがり、やがては消えていく炎の美しさを私たち誰でもが知っている。こう考えたとき、頭の 中にひらめくものがあった。そうなのだ、もともと炎のイメージには " 激しさ ~ と " はかなさ ~ とか 同居している。つまるところ、それが「炎」の一文字ではないか。 表向きには、盛んに燃える炎のことではあるが、ここにもまた、驚くような意味がかけてあった。 ョムれんしゅう かたびら 【瞼襲。死体の体を清め、帷子をきせるーー・これだったのだ。そうであれば、人麻呂は激しく燃 ョム
アガサの言い方はいつもこうだ。なにもかもお見通しのはすなのに曖昧にかわす。だからといって、 すべて鵜呑みにするとあとでとんでもない目にあうこともある。いまだ何の手掛りもっかめぬ私たち は、とりあえすアガサの推理にたよってみることにした。 「炎」ーー盛んにもえる火。 、。こもかかわらず、賀茂真淵はこれを「カギロヒ 字源をみても激しく燃える炎のことでしかなし。 と訓んでいる。さらにそれ以前は、「アズマノニケプリノタテルトコロミテ」としているではないか 盛んに燃える、激しい火、を表すはずの字が、なぜこんな訓でおこされているのだろう。 かぎろひ ムよ、 いったいこの「炎、という表記が万葉集のなかにどのくらいあるものなのかを調べてみる こよ、蜻火、蜻炎、香切火、炎の四種があてられてい ことにした。すると、 ' かぎろひ , という表記し ( さと ることがわかった。なかでも炎の表記は、この歌の他には田辺福麿歌集の「郷を悲しびて作れる歌一 か・けろ - っ 首」に陽炎の意でつかわれている一カ所をのぞいては万葉集のなかには見当らない。 陽炎とは、野原などにちらちらと立ちのばるはかない「気」のことだ。炎を " カギロヒ ~ と訓ませ たのでは、他の用例からみてもますます腑におちないものになる。「炎」と「カギロヒ , とでは、ま るで正反対の意味になってしまうではないか : 「この歌のなかで炎っていうのが、ちょっと不思議じゃない ? み じっと原文に目をすえていた仲間が訊いた。 あかっき 歌 「この歌の場合、野火とか、かかり火とか、一般には " 暁の光 ~ とか言われているようだけど る をそうは言ってみたものの、お互いに腑に落ちない顔になってしまった。言われるまでもなく、炎と は燃えさかる火であり、曙の光などという意味はない。 何のつながりもないではないか。いったい人麻呂は ーー炎と " 曙の光。 炎と " カギロヒ ~
「炎」をどういう意味に用いたのだろうか。激しく燃えさかるホノオなのか、東野にたちそめる曙光 なのか。それとも、はかない陽炎だったのだろうか。 かぎろひ たしかにここでの「炎立所見而」は、炎がたっところが見えてとか、現われてという意味の漢文で あかっきのひかり ある。しかし、この「炎」をすでに解釈されているように「曙光、とのみ単純に考えていいもの なのか、どうしても納得かいかない。 この安騎野にたった炎を、人麻呂は実際にみたと仮定しよう。人麻呂は歌人である。その風景の背 後に、よりくつきりとみえていた何か別のものがあったととる方が、むしろ自然なことではないのか 私たちは、もうすっかり " 人麻呂探偵団。の気分になりきっていた。まず証拠がためにかかること にしよう。人麻呂のみた「炎」が何であったのかがはっきりするのは、それからでもおそくない。 十四文字のなかの対称性 これは前に長歌をふくめた連作のなかの四首目にみえる歌である。まず原文をみて誰でもが気づく ことは、使われている漢字がたった十四文字だということだ。これは他の歌にくらべてかなり少ない。 たつみえて 一般に万葉前期のものはかなり漢文の色合いが濃く「立所見而」のところなどは、漢文体そのまま である。この一首だけは四首連作のなかでも目立って字数が少ないため、後人の作とみる説すらある。 私たちは、この漢字の配列をながめていておもしろいことに気がついた。原文をちょうど真中、七 文字目の「而」で区切ってみると、一首の前後にくる「東」と「西」、ふたつの「見」、そして「炎」 に対しての「月」がほば対称的に位置していることがわかる。 東野炎立所而反為者月西渡
えあがる炎に、誰か死者の姿をダブらせていたことになる。やがては消えていく炎のはかなさゆえに、 そこに人の命の灯をみたのだろうか そしてさらに、そのことを強調するかのように「かぎろひ」と訓じられていたのである。この音を カクロヂダ 朝鮮語にてらすとびったりのことばがみつかる。早ー ( 古語【外 4 勢いが衰える、死ぬ ) だ。カギロヒは、カクロヒ ( ・ 1 ↓の音韻変化 ) という音の範囲で考えることができることからも、ま すます、この炎のはかなさが「死」を暗示していたことになってくる。この「カギロヒーの訓は偶然 の一致なのだろうか、それとも、それを知ってのことだったのだろうか。 私たちはここまで解いてきて、あらためて人麻呂がこの一字に託した想いの深さに驚愕した。美し い朝焼けの風景の中に、くつきりと死者の姿がうきほりにされたのである。「炎立所見而」は、背筋 かゾッとするほどに恐ろしい情景を伝えてくれていたことになる。東野に現れた亡霊の姿、それはま さに炎のように立ちあらわれたのだった。 そして、このことは″東ー終末″というモチーフをもうけているものだった。亡霊が現れるにふさ わしい舞台というものが、おのずとあったのである。それこそが " 終末の野 ~ であり、人麻呂にとっ かぎろひ ては何かの境目の地としてみたてた場所であったのだろう。東と炎とは、死のイメージで分ちがたく 結びつくものだったのである。 ふと見ると、じっと私たちのはなしに聴きいっていたアガサが、めずらしく口もとをほころばせて み 詠 操冥界に渡る月 を 五ロ 「その炎を見た人麻呂が、さらにふり返って見る。これって何かつじつまがあわないな」 「″反見為者″だね。ふり返ってみるとと解釈されている」 かへりみすれば
重くたれこめた天空を突きあげる勢いで、なおもその炎は燃えつづけている。 茂みの岩に腰をおろすと、ようやく私たちは夢から覚めたように、冷たくなった手足をゆっくりと 伸ばしていた。どれだけの間こうしていただろうか。朝早くから私たちにつきあってくれた宿の主人 も、長年地元にいても、この日の光景はそうはお目にかかれる代物ではないとすっかり興奮している。 かぎろひ 人麻呂は、この朝焼けのようすを「炎、の一文字に託していたのかもしれない。そんな確信にも 似た思いが、私たちのなかで頭をもたげてきていた。私たちは、はじめて目にした「炎」のイメージ をしつかりと胸に刻みつけると、明るくなった木立の道を宿へと急いだ。 生死の境界ーー東野 「あの曙光が " 東野の炎 ~ だったかもしれない」 さっきからものも言わずに手をうごかしていた仲間の箸がコトリととまる。だが、そのことにはさ して誰も驚いたふうはなかった。 「私もそう思っていたところなの。あんたたちもでしょ ? アガサは即座にこたえた。 「でも、あれが " 炎 ~ だったとしたら、あれと草壁皇子の亡霊とはどう結びつくんだろ」 「そうね、私もそれを考えていたところなのよ」 くるくると箸の先で納豆をかきまわす。 「ーーそれもただのオバケじゃない。お岩さんとはちがうのよ、草壁皇子だった」 「それってヒント ? アガサは意地悪そうにくすりと笑った。 「さあ、あんたたちはどう思う ? 」
ひなみし れば、ここに日並所知皇子の名を織りこんでいたからではなかったのか。「炎には、人麻呂ならで はの二重、三重の工夫がこらされていたのだった アガサはここまで一気にはなし終えると、コーヒーをひとロ啜った。私たちは、まるで自分が発見 したかのように浮き立っていた。 「やられた ! 」 「まさにあの炎の一字は、草壁皇子そのものだったことになるね」 「やつばり炎がキーワードだったんだ」 亡き草壁のことを伝えたいがためにこの「炎」の一字が選ばれていたなどとは思いもよらないこと だった。それも、これほどまでに緻密なことばのかかり方になっているとは : 人麻呂の生きた時代、それは権力抗争の渦巻く時代であった。人麻呂が宮廷歌人として生きたので みことのり あれば、天皇の行幸のとき、皇族が亡くなったときなど、詔に応じて「公」の立場で歌を詠んだこ とだろう。しかし人麻呂は、「公」に詠むものにすら「私」の感情のすべてをそそぎこんでいたこと になる。 この時代、いかに歌人とはいえ、ひとりの皇子への私的な思いをあからさまに詠むことなど、政権 抗争のただなかに自らを投げこむに等しい行為である。だからこそ人麻呂は、歌のいたるところに符 牒をちりばめていたのだ。それだけではない。さらに、表記としてつかわれた漢字は、確かな歌人の 目で選ばれていたものだった。 この「かけことば」の技法にこそ、歌人の秘かなねらいがあった。ここまで解いてきて、私たちは あらためてそのことを実感していた。歌人はこれらをふんだんに用いて、歌そのものを一枚の判じ絵 として描いていたのである。 東野炎ーー終末の野に草壁皇子の亡霊があらわれたと人麻呂はいう。それはまた、夜の白む光に、
多言語を操る歌詠み 「こんなふうによめるなんて、わたしの万葉注釈書も書き直さなくてはなりません」 そう冗談まじりにいってくれた金氏。またとない協力者を得た私たちは、まさに幸運だった。 あけばの 人麻呂は安騎野で見た曙の光のなかに「炎ーを見た。そして、その「炎ーの一文字に「日と並ぶ と称され、若くして病に散った草壁皇子の燃えっきた命を託したのだった。「炎 . という字は、人麻 呂の敬慕してやまなかった皇子、草壁皇子の人生そのものにふさわしい一字であったに違いない。 このことは関連の歌を眺めていくことで、さらにはっきりとしてくる。 もカり 騎野は殯の地だった 阿騎乃野奈宿旅人打靡寐毛宿良目八方古部念奈 あき なび いにしへおも 阿騎の野に宿る旅人打ち靡き眠も寝らめやも古思ふに ( 巻一ー四六 ) 眞草苅荒野者雖有黄葉過去君之形見跡曾來師 ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し ( 巻一ー四七 ) 東野炎立所見而反見爲者月西渡 ひむかしののかぎろひ 東野に炎の立つ見えて反見すれば月傾きぬ ( 巻一ー四八 ) 日雙斯皇子命乃馬副而御臈立師斯時者來向 ひなみしのみこ みかり きむか みこと 日並皇子の命の馬並めて御猟立たしし時は来向ふ ( 巻一ー四九 ) かへりみ もみちば かたふ かたみ
、。情景 からこそうるわしく響く。だがそれは、当然詠み手の側にせまらなければきくことはできなし の描写に感情を重ねるなどということは当り前のことである。歌人がその技と力とをためされたのは、 このふたつを結ぶ相関の語句を、いかに的確に歌のなかで駆使することができるかということだった。 人麻呂が安騎野で見たという実景に、新しい角度から光をあてる重要な鍵を握っていたものは、表 記につかわれた漢字の字解、その古代中国語、朝鮮語音であった。それらのことばによって歌全体を よみなおしてゆくとき、はじめて人麻呂が見たものの正体がくつきりと形をもってくるのではないだ ろ、つか 私たちはアガサをかこみ、何人もの頭でこの歌の解読に夢中になっていった。この歌にある奥深い なにかが私たちをそうさせていた。 皇子の名が炙りだされた 数日後、アガサが暗号の解読に成功した。 「この歌には、は 0 きりと草壁皇子の名が織りこまれている」というのである。 かぎろひのたっ 草壁皇子は、その別名を太陽と並ぶ皇子として「日並所知皇子」という。歌中の「炎立所」とは、 ひなみし アガサによればまさしく「日並所」の別表記だというのだ。みないっせいに身をのりだして息をのん だ。アガサはロをさしはさむ隙をあたえずにつづける。 み 炎は、燃えさかる火。火と日は、どちらも「太陽」を表す漢字としてつかわれている。並の原 硺字は竝であり、立をふたつならべたものが並だったのだ。さらに炎の字形に注目すれば、まさしく火 をがふたっ、ならんでいるではないか。すでにこの一字のなかに「日並所」の " 日とならぶ ( 皇子プ 五ロ の意がこめられていたことになる。 かぎろひのたつみえて 「炎立所見而、と、ここの部分を人麻呂があえて漢文で表したことにもそれなりの理由があったとす
「わたしにもさつばりわかんないのよ」 私たちは爆笑した。 「あたしは、あの光景には布いものなんて確かに感じなかった。とにかく、ただあの勢いに呑まれち やったっていうか、凄かった」 「そうか、″炎〃にはある勢いを感じていたはずだものね」 ひなみしのみこ 「連作のなかでは、これをうけた次の歌では " 日雙斯皇子が馬をひきつれて ~ というくらいなんだか ら、そこにある ' 勢い ~ をみたというのも納得できる」 「なるほど。亡霊といっても、いつもあのヒュードロドロってでてくるような弱々しいものばかりじ ゃなかったっていうことね。そればかりか、あの燃えあがる太陽に血気さかんな草壁皇子の、生前の 姿を映したものだったかもしれない 「ウーン、おもしろい。だからこそ、草壁皇子を " 炎 ~ にたとえたわけか」 アガサはフンフンと頷いた。 「これでひとっ解けたことになる」 「ま、それはい いとしても、もうひとっ腑におちないことがある。 " 東 ~ のもっ終末とか、境という 意味はどうなるのかな ? み「東野 ( 境・終末の野 ) 、炎 ( 死者 ) はふたつで誰かの死を暗示するためのかけことばになっていた。 歌ここでいう誰かとは、当然草壁皇子のことだった。そうすると、安騎野をなにかの境と見るにふさわ しいところだと、人麻呂は見ていたはすだよ」 頭のなかで雑然としていたものを整理しているようなはなし方だ。 多 「なにかの境」
「それはよくわからないけど、表向きには言えないようなことでも、裏にひそめることで誰かには伝 わる」 「暗号」 「そうだったかもしれない 「歌人にはことばを微妙に操ることで、そこに重層的な意味をもたせ、歌の奥行きを深めるという意 言かあったのだと田 5 、つな」 ってことは、表記につかわれた漢字そのものが " 暗号 ~ になりえたってことだね」 「まあ、結論はいそぐことはないけれど、そういう可能性はあったっていうこと」 「人麻呂の暗号か : : : 」 私たちは、の事務所を後にした。午後の木洩れ日が薄くなった緑のあいだから射しこみ、心地よ くからだをあたためてくれている。たいした距離ではないのだが、私たちは少しだけ遠まわりをして 学校へ戻ることにした。 「炎」の一字が映しだすもの 東野炎立所見而反見爲者月西渡 ひむかしののかぎろひたみ 東野に炎の立つ見えて反見すれば月傾きぬ ( 巻一ー四八 ) み 歌 ことばの揺籃期が生んだ謎の歌聖ーー柿本人麻呂に、私が出逢ったのはこの歌がきっかけだった。 る かるのみこ をこれは人麻呂の代表作とも言われるもので、持統三年 ( 六八九 ) 晩秋、人麻呂が軽皇子 ( のちの文武天 あきの 皇 ) につき従って安騎野を訪れたときに詠んだ歌だという。 この東方の野には曙の光がさし初め、西をふりかえると月が傾いてあわい光をたたえているーーーと かへりみ つきかたふ