した。その研究の蓄積や実践の成果は、科学者の方にとって貴重な情報なのだと伺いま した。 みなさんにとっても、今まで当たり前だと思っていた物事を科学的に検証したり、違 った切り口で見つめ直したりすることは面白いはずです。そして、新しい発見や気づき かあることでしよ、つ。 仏教と科学の関係については後で詳しくお話しします。 さて、これからいよいよ仏教の教義のお話をしていきます。 ただし、仏教の話の根底には、人類共通の真理や世界の道理があるということを、心 に留めながら聞いていただければと思います。そして、仏教の教えをきっかけに、世界 中のみなさんに何らかの貢献ができ、心の平和が生まれればと願っています。
増えているということを聞きました。これは精神的活動がなおざりになってしまったこ との弊害なのかもしれません。 それでは、宗教を持たない人が心と向き合うには何を基準にすればいいのでしようか それは世間一般の「倫理」です。 一人の人間として正しくあろうとする「倫理、こそ、宗教の代わりとなるものです。 たしかに宗教のようなわかりやすい教義や儀式はないでしよう。しかし「よき人間であ いしずえ ろう」と常に意識することは、確実に人間性を高め、他人を思いやる礎になります。そ して、豊かな人間関係を構築できるのです。 最近の私は、むしろ宗教より「倫理。を軸にお話ししています。 というのも、仏教徒でない方に宗教的な観点からお話ししてしまうと、伝わることも 伝わりづらくなってしまうことが多かったからです。「よく生きたい」「幸福になりた という人類共通の願いを述べても、宗教を土台にして説明すると、やはり複雑にな ってしま、つことがありました。 2
これはまさに「哲学」と同じ姿勢といえるのではないでしようか 仏教の教えには論理性と普遍性があり、仏教徒でないみなさんに理解していただける 部分が多いのも、これが理由なのです。 私が今回お話しする仏教の教えも、みなさんがよりよく生きるための役に立ったり、 人生を豊かにするための手がかりになったりしたらと願っています。 仏教と科学は同じ夢を見ている 先ほどお話ししたとおり、仏教は「科学」にも非常に近い性質があります。 いぶか そう聞くと、宗教と科学は相反するものではないかと訝る方も多いでしよう。実際、 と私に忠告してきた方もいました。 「科学は宗教を壊すから近づかないほうがいいー しかし私は決してそうは思いません。仏教も科学も、この世界の真理に少しでも迫り たい、人間とはなにかを知りたい、そういった共通の目標を持っています。
当然周囲の人々にその姿は確認されていました。 これは一体どういうことでしよう。これを読み解くにあたっては、仏陀となった釈尊 ぶっしん の姿、すなわち「仏身ーには三つの相があるという解釈がなされています。 はっしん その一つの「法身」は、、 しまお話しした究極の本性のことです。見る方も仏陀になり、 同じように究極の段階に至らなくては認知することはできないものです。 けしん 一方で「化身とは、、 しわゆる人間の形をした姿です。普通の人間が「人」として認 し知でき、目で見たり触ったりできる、世俗のための姿です。 ほうじん その中間の相として「報身ーがあり、これは修行を積み、さまざまな真理が分かった 人だけが、 その概念を捉えることができるとされています。 鍛いずれにせよ本性は法身であり、報身や化身はこれを土台にして、俗世にあわせて生 じたものです。 ここまでお話ししたとおり、全ての煩悩を断滅し、この世の苦悩から解脱し、そして 一切智を得ることは大変難しいことです。仏陀は究極の段階にあり、これまでこの境地 113
として苦を三種類に分類して考えますので、そこから整理してみましよう。 まず一つ目はいわゆる感覚的な「苦ー ( 苦苦 ) です。痛み、寒さ、怒り、恐れなど外 的な刺激によって生じる苦しさです。 二つ目は状况にともなう「苦」 ( 壊苦 ) です。夢がかなわない、仕事がうまくいかな : 不幸な境遇だ : : といった、うまくいかない現状に苦しむというものです。 、ら この二つは、外的要因を取り除いたり、状況が変わったり、心をコントロールしたり しすれば解消することができます。私が前に心をコントロールしようとお話ししたのも、 ど この苦しみについてでした。 、よ・つ第、 一方で、三つ目の「苦」 ( 行苦 ) は「生まれてきたことそのものの苦」です。 え 鍛さきほどお話ししたとおり、精神を持った生物は必ず概念にとらわれてしまいます。 人は常に煩悩によってものを考え、煩悩の影響下で行動してしまう。 五どこにいてもどう生きても、それから逃れられない。それは生から苦を切り離すこと 7 第 ができないからです。生まれてきた時点で、すでに苦しみが内在しているわけです。
まず最初に、なぜ私が仏教の教えをみなさんにお伝えするのか、その理由をお話しし たいと思います。 みなさんの中には仏教に興味があまりない方もいれば、違う宗教を信じている方もい るでしよう。宗教そのものを信じていない方だっているでしよう。 がそれでも日本のみなさんに仏教の教えを聞いていただきたいのには、幾つかの理由が るあります。 定 見 を 生 仏教のことを知らずに仏教徒になる日本人 人 の 分 ・目 その一つは、日本が仏教徒の非常に多い国だからということです。「仏教国」といっ 一ても過言ではありません。 第 中には仏教徒だという自覚のない方も多くいるでしようが、先祖や家族をたどると、
何らかの認知をしています。そしてそれにとらわれざるをえない。つまり、生物である 以上、煩悩から逃れることは非常に難しいのです。 私たちは生きている限り、必ず煩悩を持ってしまう。これを突き詰めると、「生きて いることは煩悩を持っことであり、そして煩悩を持ち続けることはずっと苦しむことで ある」という結論にたどり着きます。仏教が「この世に生まれてくることは苦である」 と説くのにはこういった理由があるのです。 生まれてくることは「苦ーであるということ こう説明しますと、「知性で苦しみをコントロールしよう」と言っていたのにどうい 、つことかと混乱される方がいるかもしれません。 いくつかのレベルがあるので しかし「苦」と一言で言っても、そこには様々な種類、 す。今お話しした類の苦しみは、日常の苦痛とは質が違うものです。仏教では、「三苦」 706
第章本当の幸せとはなにか その際、仏教がこれまで取り組んできた研究が少なからず役立っていると聞き、とても 嬉し / \ 田 5 っています % 欧米では、仏教のスキルを取りいれた教育が行われている国があります。たとえばア メリカのある大学では、学生たちに瞑想をさせたところ、精神状態が安定したり、集中 力があがったりしたという変化が見られたそうです。 私自身、人間性や倫理観の教育の大切さを、色んな場所でお話しするようにしていま す。子どもたちが理性を育て、智慧を高め、人間としての素質を高めることのできるよ う私も尽力したいです。 心はカメラに映らない 一一日本人のみなさんも精神的な「幸せ」を追求し、「他者への慈悲、を育てていくこと をぜひ目指してください。 5
しみもプラスの方向へとコントロールしていってほしいと思います。 苦しみを分析すると見えてくるもの それでは、苦しみをコントロールする具体的な方法とはどんなものなのでしよう。 まずは、苦しみとはどのようなものであるかを知る必要があります。 このプロセスは、「幸せとはなにか、を考えたときと全く同じです。幸せを分析する と、外部刺激による反応としての外因的な幸せと、自分の精神によって生み出された自 律的な幸せがあるとお話ししましたが、苦しみも同じように外因的な苦しみと精神的な 苦しみがあります。 外因的な苦しみとは、自分にとって好ましくない状況に陥り苦しむものです。たとえ ば、病気になってしまったり、人間関係がうまくいかなかったり。そして、今回の震災 もこちらに当たります。突然発生した地震によって数多くの災難が降りかかってきた苦
たように思います。計算や数式によって全てが説明でき、数理学的なアプローチで全て かたく が解明される、一部の人はそう頑なに信じていました。 しかし、これほど科学が進歩した今でも、解明できないことがまだたくさんあります。 最先端の技術や知識をもってしても、発見できない現象や説明できない現象が山のよう にあるのです。 とりわけ精神や感情という分野において、科学的な研究はあまり進んでいません。科 学は、眼に見えないものや数字に置き換えられないものについて、なかなかアプローチ しづらく、研究対象として扱いづらかったのでしよう。 一方で、私たち仏教徒ははるか昔より、精神のはたらきや意識のありようを考えてき ました。たくさんの人間がこれを研究し、議論し、実践し、少しでも真理に近づこうと 多くの時間が費やされました。数多くの経典やテキストが書かれ、仏教徒たちがこれを 日々勉強しています。これまでお話ししてきた空の本質や精神を高める方法も、こうし たプロセスの末にあみだされたものです。 128