けにあるかを考、んていきましよ、つ。 世界には様々な宗教がありますが、その最も根源的な分類は「普遍的な教義を持って いるか否か」でしよう。いわゆる「民族宗教」と「世界宗教。の違いです。 「民族宗教。とは、その土地の伝統や文化が混ざり合って自然に形成された宗教のこと がです。いっ誰が始めたというわけではなく、土地に古くから伝わる神様をそのまま信じ るていたり、生活と宗教が一体化されていたりするものが多いのが特徴です。 定 たとえばヒンドウー教はこの典型例でしよう。竜神、暴風神など様々な民間信仰や地 見 生元の神話が合体し、さらにインドの社会システムを組み込みながら自然にできあがった の宗教です。インドの文化や社会構造がそのまま宗教のシステムに投影されているため、 ・目 ヒンドウー教が他の国で成立することはありえません。 章 このように民族宗教は、普遍的な教義を持たないため他の民族に広がりにくいことが 第 特徴です。
知識のないまま瞑想をしても意味はなく、語りに近づくことすらできません。きちん とした勉強と瞑想があわさって初めて価値があるのです。この時初めて仏教を実践し、 高め、守ることができるでしよう。 ちなみに私の所属するチベット仏教は、非常に小さなコミュニティです。少人数であ るがゆえに、きちんと知識を学び、教えを途切らせることなく継承することができた。 氛それについては誇るべき部分だと思っています。 しチベットに仏教を広めた高僧・シャーンタラクシタも、仏教の教えをきちんと学ぶこ ど とを重視していました。しかし当時は、インドからそのまま経典を持ってきただけで、 チベット語ではありませんでした。そこで「チベット人はチベット語で経典を読み、自 、ん 鍛分たちの言葉で仏教を学ぶべきだ」と説き、大量の経典が翻訳されることとなりました。 その数は、経典が約百巻、それに対する注釈書が約一一百二十五巻にも上りました。 章 五 この結果、チベット仏教はインドのナーランダー大僧院の伝統を引き継ぐものとなり 第 ました。ここで指導されていた教えは仏教の基礎であり、根幹であり、土台となる一番 1 幻
やすじろうあおきぶんきようのもとじんぞうきむらひさお にしかわかずみ 保治郎、青木文教、野元甚蔵、木村肥佐生、西川一三の各氏が戦前にチベットへ入国し のうみゆたか ています。河口と同じ頃、能海寛もチベットを目指して出発しましたが、途中で消息を 絶ち目的を果たすことは出来ませんでした。 現在では、チベット自治区以外でも、法王の住んでおられるダラムサラ ( インド北 部 ) をはじめ、インド、ネパール、スイス、米国など世界各地のチベット人コミュニテ ィーにおいて、チベット仏教をはじめとしたチベット文化を学ぶことが出来ます。 私たちも、今後も引き続きチベット仏教の学僧との対話を行い、 相互に学び合いたい と願っています。このような試みは精神的に豊かな実りを双方にもたらし、両者が目指 さいせいりみん 絆す済世利民と世界平和の実現により近づくことができると確信しております。 の 本 ( この度の高野山大学における講演では、マリア・リンチェン女史と平岡宏一先生に通 訳をお願いしました。記して感謝の意を表します。 ) べ チ 187
他の宗派に目を向けなくてはいけないという教えです。 チベット仏教は論理学を重んじる 仏教は「哲学」に近いものであるため、物事を考えるにはとりわけ論理性を重んじま す。そのため「論理学」に近いともいえるでしよう。 実際にチベット仏教の歴史を振り返っても、論理学としての色が明らかです。 まず七世紀に、チベットのソンツェン・ガンポ王が唐の皇帝の娘と結婚したことで、 一つの仏像が中国から伝えられました。 本格的にチベット仏教が形成されたのは八世紀。インドの僧侶・シャーンタラクシタ がチベットに招聘され、そこで弟子たちに戒律を授けたことが、今日のチベット仏教の 起源です。 彼はチベット仏教の基礎を築いたと同時に、チベットに論理学を広めた人でもありま
何をしたって無駄だ」などといった「虚無論」を唱える人がいる。 ちゅうろん 「空」の理論を大成したインド仏教の僧侶・ナーガールジュナの論書『中論』にも、同 じような人が登場します。ナーガールジュナが「あらゆるものに実体はない」と「空の 本質、を説くと、反対意見を唱える人々から「あなたの見解は間違っている。あなたの 言うとおりなら、全てのものは一切存在していないということじゃないか。そんなはず がないと、議論をふつかけられる場面があるのです。それに対し、ナーガールジュナ は「あなた方は『全く存在していない』ことと『実体がない』ということを混同してい るのだーと答えています。 仮にあらゆる物事の存在を否定した場合、この世界には自分も含めて何もないという ことになります。でも自分が存在していないのなら、今この問題を考えている私たちは 一体なんなのでしようか。手を伸ばせば自分の体に触れることができるのに、それも存 在していないというのなら、私たちは何を触っているのでしよ、つか。そしていま目に見 えているあらゆるものは、全く存在すらしていないというのでしようか
始まりも終わりもなく、常に存在し引き継がれるものなのです。 瞑想の効果で脳細胞が変わる もちろん、科学者が科学的なアプローチでもって意識を考えるのは当然です。でもそ の れが絶対に真理だとも言えない。私たち仏教徒は、自分の心と対話したり、人の経験を 分析したり、論理的な思考法を積み上げたり、仏教の経典と照らしあわせたりしながら、 ~ 仏教という自分たちの方法で、科学者のみなさんと共に真理に迫りたいと思っています。 れ これは決してどちらが正しい、どちらが優れているという問題ではありません。むし でろ異なるアプローチを重ねあわせて、ひとつの真理を追究していくべきです。 数私自身、科学には大変興味があり、積極的に科学者の方々と意見を交わす機会を設け 六ています。過去二十五年間にわたって欧米を始めインドやアジアなど世界中の科学者た 5 ちにお会いし、清報交換したり、最先端の科学の解説を受けたりしてきました。
「空」を説いた般若経は多様かっ膨大にありますが、『般若心経』はその思想の真髄を 短い形に圧縮したもので、まさに「空」の真髄が書かれていると言えます。 よく唱えられる機会が多いので、日本のみなさんにも馴染みが深いものでしよう。も ともとはサンスクリット語で書かれていたものですが、普段みなさんが唱えているのは 漢訳されたものです。日本のみなさんはこれを日本語ではなく漢文のままで唱えていま すが、わたしたちチベット仏教徒はチベット語訳の『般若心経』を唱え、それを勉強し ています。 それでは、これまで説明した「空、の概念をこの『般若心経』で見てみましよう ( 註・章末に『般若心経』を付記しましたのでご参照ください ) 。 りようじゅせん おうしやじよ・つ この経典は、王舎城 ( 古代インドのマガダ国の首都 ) の霊鷲山で、釈尊とたくさんの 弟子たちが集まっている場面を説いています。このとき、その場にいた観自在菩薩が 「空」の本質を悟るのです。 これが冒頭の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」という部分です。
す。 彼かもともといたインドのナーランダー大僧院は、寺というより大学のような場所で、 大勢の僧侶が仏教の教えを学んでいました。特に、仏教の考え方が論理性を重んじるこ とから、ここにいた僧侶たちも盛んに論理学を勉強していたのです。シャーンタラクシ タは大変優れた論理学の学者だったため、そこで指導をしていました。 がチベット仏教は、彼の指導やナーランダー大僧院の教えから発展したため、仏教の中 るでもとりわけ論理学の影響を強く受けていて、物事を考える際にも論理的思考をとても 定重要視しています。 生このように仏教は、論理的に物事を捉えることで、真理にアプローチしようという宗 の教です。人間とはなにか、心とはなにか、幸せとはなにか、世界とはなにか。その概念 自 を見直し、徹底的に探究し、その中にある真理や法則を解き明かします。 一その上で、一人の人間としてどう生きていくべきかを見定める。だからこそ、自分だ けでなく、仏教徒だけでもなく、全ての人間に当てはまる答えに帰結するのです。
ダライ・ラマ 1 4 世 19 3 5 年チベ ット東北部生まれ。 2 歳でダライ・ ラマ 13 世の転生者と認められ、 15 歳で国家最高指導者に。中国の侵 略を受け、 19 5 9 年インドに亡命、 亡命政府を樹立する。 1989 年ノ ーベル平和賞受賞。 ⑧新潮新書 462 傷ついた日本人へ 著者ダライ・ラマ 14 世 2012 年 4 月 20 日発行 にほんじん 発行者佐藤隆信 発行所株式会社新潮社 〒 162-8711 東京都新宿区矢来町 71 番地 編集部 ( 03 ) 3266-5430 読者係 ( 0 引 3266-5111 http: 〃 www.shinchosha.co ・ jp 印刷所株式会社光邦 製本所憲専堂製本株式会社 ◎ The 14th Dalai Lama 2012 , Printed in Japan 乱丁・落丁本は、ご面倒ですが 小社読者係宛お送りください。 送料小社負担にてお取替えいたします。 1 S B N 978-4-10-61 04 6 2 - 6 C 0 2 1 4 価格はカバーに表示してあります。
共通点があります。 紀元前五世紀頃、古代インドで釈尊によって説かれた仏教は、アジア大陸の各地へ伝 わりました。日本には六世紀前半に公伝し、現代に至るまで日本文化の諸相に、冫い影響 を与えています。一方チベットでは七世紀頃に伝わり、八世紀後半にテイソン・デッ工 ン王によって国教化されました。王によってナーランダー大僧院の長老・シャーンタラ クシタがチベットに招かれ、サムイエー大僧院の清浄戒院でチベット人の出家者たちに びく力い ぐそくかい 「比丘戒 ( 具足戒 ) 」 ( 出家僧の戒律 ) を授けたのが最初のこと。これが小乗のうち根本 せついっさいうぶ 説一切有部という部派の戒だったため、以降チベット仏教では比丘戒はこれを修学する 絆こととなりました。チベット仏教が栄えると、文学、美術、工芸、演劇、医学などにお 本いても独自の文化が形成され、輝かしい精神文化を発展させました。これが中国、モン ゴル、ネパール、旧ソ連南部など広大な地域に広まったことで、アジア大陸一帯にチベ ~ ット文化圏が生まれることとなったのです。 実は、古代から現在に至るまで、密教の信仰が継承されているのはこのチベット仏教 こんぽん 185