このように六つの意味がかかげられており、そのさいごに演劇を意味する「能」があげられている。これ によれば、「能」の原義は最初にかかげられてい①「才能・能力」で、そこには用例として、『平治物語』 しよ、つば、つげんぞ、つ の「文にもあらず、武にもあらす、能もなく芸もなし , や、『正法眼蔵』の「黄檗いはく、不敢。この言は、 宋土におのれにある能を問取らせらるるには、能を能といはんとても、不敢というなり」などがあげられて いる。現在でも用いられている「能ある鷹は爪を隠すーの「能」である。したがって、演劇を意味する「能」 ヒ匕 ム目 を意味する能」から派生した語であることになる。つまり、能というの も、そのような「 は言葉としてどのような意味かと問われたならば、それは本来は「才能」「能力ーを意味する語であると、 ますは答えればよいわけである ( ↓三五頁の右側の図 ) 。 というのは、右の① 5 ④は意 さて、ここまではきわめて明確なのだが、そのさきはあまり明確ではない。 味のうえでそう大きなちがいはないが、⑤の「ききめ・効能・効験・しるし」と⑥の「日本の古典芸能の一 種ーは、① 5 ④とのあいだにいささかへだたりがあるからである。そのうちの⑤は用例に雑俳 ( 大衆化した すれかといえば、「才能」「能力ー 俳諧 ) があげられているから近世後期に生まれた意味らしいが、これはり という意味に比較的近い。これにたいして、演劇意味する⑥は① 5 ④からはかなりのへだたりがあるよう に思う。もちろん、①の「才能」「能力」という意味から「 ( 演劇についての ) 才能・能力、の意味が生まれ たと考えれば、いちおうの説明はつくのだが、それがなぜ音楽や文学や絵画におよばず、演劇だけが「能」 と呼ばれるようになったのかが明確ではないのである。また、それがいつごろのことなのかも、当然、問題 となるだろう。つぎにそのあたりの事情を考えてみよう。 ざっはい
そのうちの第一編から第三編までは応永七 ( 一四〇〇 ) 年の成立であるが、たとえば、その第一編たる「年 来稽古条々ーの「七歳」の項には、つぎのように「能」の語がみえる。 、この芸において、大方七歳を以て初めとす。このころの能の稽古、かならず、その物自然としいだす ことに、得たる風体あるべし。 : ・ ( 中略 ) ・ : さのみに「よき」「あしきとは教ふべからず。あまりにいた く諌むれば、童は気を失ひて、能物くさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。 これは稽古はじめの七歳という年齢における能芸についての心得を説いた有名な項で、若年の役者はあま り型にはめてはいけないことが強調されているが、この「能」は明らかに演劇としての能を意味している。 同じ例は『風姿花伝』の他の箇所や、それ以降の世阿弥の芸論にも数多くみえるし、「松風村雨の能」「隅田 川の能、「恋の重荷の能」 ( 『申楽談儀』 ) などのように、具体的な能の演目に用いられている例も世阿弥の芸 侖には少なくない こうして、演劇を意味する能」の例は一四世紀半ばころからみえてくる。もちろん、その意味の「能」 の誕生はそれ以前のことになるはすで、それは一三世紀後半 5 一四世紀初頭の鎌倉時代後期ころと考えられ る能の誕生と一体だったものとしてよいであろう。 ところで、『風姿花伝』には、演劇を意味する「能」とは別に、「技能」を意味する「能」の例が少し含ま れている。たとえば、第三編の「問答条々」には、「能と工夫とを極めたる為手、万人が中にも一人もなき ねん
面は希薄なのではないだろうか。そのような現象は近年のわれわれの社会や文化のありかたとも深くかかわ っているはずであるが、そうしたかっての狂言プームとの違いは違いとして、現在の狂一言プ 1 ムを目のあた りにしてあらためて思うのは、狂言あるいは狂一言役者がこれだけ強い社会の注目を浴びる「何か」をもって しるということである。換言すれば、それは狂言がこの現代に生きているということでもあるが、この第十 講では、そのような生命力を有する狂言は、そもそもいっ頃、どのようにして生まれ、どのような経過をた どって今日に至ったのか、歴史的に能とはいかなる関係を持っているのか、また、その演劇としての魅力は どのような点にあるのか、といったことを略述してみたい。 「狂」という名称 狂言は笑劇である。これは狂言を一度でもみたことがある人ならば、ただちに理解されることであろう。 そして、そのような内容の劇が「狂言」と呼ばれているのもなんとなく納得されることだろう。この「狂一一一一口」 きよ、つデんりこ、つ はたぶん「興言利ロ」の「興言」で、「興に乗じていう言葉、「座興にいう言葉」という意味の言葉である と思われる。「利ロ」も「冗談」の意味だから、「狂言」という言葉は「興言利ロ」とほば同じ言葉と考えて よいと思われるが、このような意味の言葉をその名称に持っていることは、笑劇としての狂言の本質を示唆 するもののように思われる。現に、「金の値」を「鐘の音」と取り違える《鐘の音》のような設定や、三つ 成りの柑子をめぐる《柑子》で、食べてしまった柑子を返せといわれて、「好事 ( 柑子 ) 門を出です、と洒 「狂言」と「をかし」 254
二二ロ である能の詞章を意味する語である。つまり、能」が演劇「全体を意味る語であるのにた、 曲ー 北いう演劇の部を意味する語ということになる能よ現代劇とはちがって詞章 ( セリ ) と踊仕舞 ) 音楽いう要素からなる演劇であるが、そのうちの詞章 ( セリフ ) が「謡曲」オである。 ただし、この詞章には浄瑠璃などと同様に節がついている。謡曲を習う人は、これも浄瑠璃などと同じよう に、その節付きの詞章を稽古ごととして習うわけである。 この「謡曲という語は現代においては比較的よく用いられている。右に紹介した「謡曲を習う」という場 題 そのことは現在、数種が出ている日本の古典文学の注釈書シリーズのほとんどに、「謡曲集」が 合もそうだが、 る 含まれていることによっても理解されると思う。すなわち、朝日新聞社の日本古典全書の『謡曲集』 ( 上中下 ) 、 、一 l) 、新潮め 岩波書店の日本古典文学大系の『謡曲集』 ( 上下 ) 、小学館の日本古典文学全集の『謡曲集』 ( 一 称 名 社の日本古典集成の『謡曲集』 ( 上中下 ) がそれである。 これは現在だけのことではない。明治四四年に刊行さ レ」 ヒじ 扉れた国民文庫の『謡曲集』 ( 上下。これは本文のみで注釈 は施されていない ) 、昭和四年の有朋堂文庫の『謡曲集』◎ 講 曲 ( 上下 ) など、明治時代からの慣習的な現象なのであ 第 謡 る。また、「謡曲集」ではなく「謡曲を書名に用い 東索明オ たものにまで例を広げると、その数はおびただしいも のになるが、そのなかには昭和初年の刊行で今なお現 二 = ロ
第ニ講 「能という名称をめぐる諸問題 「能楽」「猿楽」「申楽」「謡曲」の意味とその相
0 「申楽」「謡曲「謡い」の意味を考えてみるが、それはたんに用語の整理というだけではなく、能楽の歴史 にふかくかかわる作業となるはすである。「名は体を表わす」で、それぞれの用語には能楽の歴史がこめら れているからである。 「能」の原義は「才能」「能力 題 まず、いちばん気になる「能」という名称から考えてみよう。このようなとき、もっともてっとり早くて 頼りになるのは「辞書 , である。そこで『日本国語大辞典』 ( 小学館 ) の「能」の項をみると、そこにはつぎる め のような六つの意味がかかげられている。 を 称 名 ①よく事をなし得る力。才能能力。 ②はたらきのある人。才知ある人。 ヒ匕 ③技芸。芸能。また、芸能や技芸としてほこるべき事柄。 ◎ 講 ④特に誇ったり、取りたてていったりするのにふさわしい事柄。 第 ⑤ききめ。効能。効験。しるし。 ⑥日本の古典芸能の一種。もと田楽の能、幸若の能、猿楽の能などがあったが、のち他のものが衰え、猿 楽だけが盛んに行なわれ、 ~ 楽の能」の , とオた ニ = ロ
ヒ匕 在 現 レ」 という視点から夢幻能が論じられているのであるが、このような ここでは、このよ、つに「リアリティー 論に接すると、筆者もふくめた能楽の関係者が、いかに夢幻能という形式のもつ意味に関心を払ってこなか◎ ったかを、あらためて思う。われわれ能楽の関係者は夢幻能の存在は知ってはいても、その存在に慣れて、三 その意味を理論的に考えるということを怠ってきたということであるが、これは演者も研究者も愛好者も一 度は考えておくべき問題であろう。 : これをリアリティのとして、前場的な < と、後場的なというふうに考えてみると、 < の中からを 導き出して行く、 < からをつくり出してくる、そういう構造が能の中にはあるように思われる。いまは 『井筒』の筋をやむを得す簡略化したので、大変分りにくくなったかと思います。うまく説明できないけれ ども、そ、つい、つリアリティとい、つものか、この物語にはある 複式夢幻能と称されるものの中にある。そうい それが具体的に非常にうまくあらわされている作品が、 うリアリティというものを、例えば詩人が詩として書くのではなく、劇という一つの構造の中で、つくり 出す方法を考える手がかりとして、複式夢幻能が大変有効であるのではないか、というふうに考えている わけです。
演劇しての「能」「狂育」の譜 言葉しての「能」の変 1 ヒ 〔平安 ~ 鎌倉期〕 物まね・曲芸・寸劇・歌舞 などの滑稽主体の雑芸 ムヒ 目匕 ( 才能・能力 ) 〔平安 ~ 鎌倉期〕 鎌倉後期ころ 鎌倉後期ころ / て るからである。周知のように、狂言は笑劇であり、能は笑いの要 素がきわめて少ない劇である。その源流である平安鎌倉期の猿楽 が滑稽を本質とした芸能であるならば、その嫡流は狂言とするの が妥当であろう。その結果、このような図になったのであるが、 それは換言すれば、狂言より能のほうがはるかに源流たる猿楽か らへだたった異質なものとして誕生した、ということになる。そ 題 れはつまり、能という演劇の誕生は、それまでの芸能とはまった く異質な芸能の誕生という画期的なできごとだった、ということる め でもあろ、つ。 を このように、猿楽能・狂言の源流 ( あるいは母体 ) と考えら名 いう語は、演劇を意味する「能」 れるのであるが、この「猿楽ー レ」 という語が生まれたあとも、町時代から江戸時代の終焉まで、 「能」ととも、演劇意味するとして用いられ続けた、まこと◎ 講 言っ第〕 - に息の長い言葉であ 0 た。猿楽が能・狂言の源流であるならば、 第 ・狂言の成立と同時に使われなくなるの 「猿楽」という語は、能 が自然であろうが、そうはならなかったのである。たとえば、徳 川幕府の正史である『徳川実紀』を繙くと、 二 = ロ
すこし具体的に見ていただいたわけですが、こんなぐあ解していただくために出しました。そこに図のようなもの ここで いに、主題とかねらいについて書かれていないものがわり が書かれていますので、これをご覧いただきたい。 も私は全体として、さきほどの文章のようなことを主張し に多いのです。《熊野》はそれが比較的書かれている作品 だと思いますが、こうしてみますと、主題やねらいがほとているわけですが、要するに、作品というのはこのような んど書かれていない、 つまり粗筋しか書かれていないもの構造を持っているのではないかと思うのです。つまり、作 がわりと多いのです。こういう現象は、他の演劇や文学の品には作者の構想というものがある。この構想というのは、 ジャンルではあまりないのではないかと思います。ところ言い換えればそれは「作意」とか「ねらい」ということで が、能はこういう状況である。どうも歌舞伎や文楽もそうす。私はこれらは同じ意味で使っていますが、作品には構 いう傾向があるのではないかと思います。要するに古典劇想とか作意とかねらいという作者の意図というものが全体 全体にそういう傾向があるように思われるのです。 としてある。また、作品にはそれとは別に主題という要素カ ここですこし用語のことをお話ししておく必要がありまがある。その主題というのは作者のメッセージ、とりわけべ れ す。さきほど紹介した短かい文章の中でも、私はねらいと観念的なメッセージというふうに私はいちおう定義してい ます。それからもう一つは趣向という要素がある。そこに か主題という言い方をしています。資料には岩波講座『日 本文学史』に書いた「能の成立と展開」という文章のなかも書いてありますが、私が言う趣向というのは、作品全体功 ヒヒ の「世阿弥の能における主題と趣向」という節の一部をかあるいはある場面の工夫や見どころ、そういうものを私は ◎ かげておきましたが、 そこでは主題とか趣向という言葉を趣向と呼ぶことにしています。たとえば《井筒》でいうと、 講 用いています。趣向という用語はさきほどの私の文章にはそこに井筒の作り物が出る。これも趣向です。それからそ補 出ていませんでした。私が能という演劇作品を解釈する場の主人公が男装の形で現われる、これも趣向に入るわけで 合に、そういう主題とか趣向とかねらいとか、そういう言す。その一方、そういう趣向などをもとに、作者が訴えよ 葉をどういうふうに使っているのか、この資料はそれを理うとしている主題が当然あるわけです。そういうものを総
とある。これも僧徒による延年芸で、この「咲、が狂言のことなのである。この「咲」を「をかし」と読む ことは後代の文献から明らかであり ( 『看聞御記』永享四年一〇月一〇日条に勧進能に出演した狂言役者を「咲、と 振り仮名付きで記している ) 、これが狂言をさしていることは疑いがない。この「咲」は能によく似た劇であ れんじ る「連事」に挟まれる形で演じられているのだが、これはちょうど能と能のあいだに狂言が演じられるのと 同じ形でもある。この「をかし」は世阿弥の芸論である『習道書』にも、狂一言役者やその芸を意味する語と してみえているが ( 五例みえる ) 、この「をかし」という名称は、「狂言」がそうであるように、狂言という 笑劇の名称として、いかにもふさわしいものといえよう。 ところで、このような「狂言」と「をかし」の最古の用例からは、「をかし」のほうが「狂言」よりも古 い名称のように思われるかもしれない。しかし、「狂言」と「をかし」については、その先後関係を考える のはあまり意味はないように思われる。「狂言」も「をかし」も狂言の劇としての特色を端的にとらえた名 称であり、はじめから両様に呼ばれていて、それが世阿弥のあとの時代あたりから「狂言」に統一されて現 在に至ったと考えるのが正しいのではないだろうか 狂はいつどのようにして成立したのか 狂言の源流や成立過程については、すでに第一講で、能の成立について述べたところで簡単にふれている。 すなわち、そこでは能と狂言の源流は平安鎌倉期の滑稽芸だった猿楽で、その滑稽主体の雑芸だった猿楽か おかし 256