熊野 - みる会図書館


検索対象: 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講
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1. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

第八段の酒宴の場面になると、ここにも観世系と金春系と愛惜している宗盛を優柔不断な馬鹿殿だとみるのは、やは のあいだに注意すべきちがいがあります。金春系ではそこりますいと思います。宗盛がそういう人物であるというこ で熊野が「あら面白と咲きたる花ども候や」と言うセリフとは、《熊野》のどこにも書かれていないと思います。と があります。熊野は続けて「いつの春よりもおもしろうみ いうことで、《熊野》をすなおに読むならば、過ぎ去って えて候」と言います。それにたいして、ツレの朝顔が「げ いくその年かぎりの春を惜しむ宗盛という人物の輪郭がた にいつの春よりも面白うみへて候」と応じる。これは金春 しへん鮮明に描かれている、ということになると思います。 系の場合で、このやりとりは観世系にはありません。このですから、病気の母親を思う熊野の心情とともに、宗盛や 金春系の詞章でみると、ここでは熊野と朝顔の二人は母親熊野のこの春だけの春を惜しむというその心情が全体に流 が病気であるという事態のなかでも、眼前の春景色を例年れているということも、見逃してはならないと思うんです 、刀 にもまして美しいといっているのです。そのあと酒宴になね。そう解することによって、はじめて《熊野》における べ って、さきほど紹介した熊野の詠歌の場面になるわけです。作者の作意がみえてくるのではないかと思うのです。 る その歌をもういちど紹介しますと、「いかにせん都の春も また、ワキの宗盛のことを彼のためにひとこと弁護してれ 惜しけれど馴れし東の花や散るらん」というものでした。おきたいと思います。たしかに《熊野》のあらすじだけを そこではます、都の春にたいする愛惜がのべられて、それ聞くと、母親が病気で故郷に帰りたいといっている熊野を、 から病気の母親への気遣いがのべられています。 たんなる花見のために帰そうしないのは、とんでもない暴 このようにみてくると、《熊野》についてのこれまでの君だと思ってしまうのは当然かもしれません。しかし、第◎ 解釈は、あまりにも熊野の憂いということに焦点が当てら四段の母からの手紙を読む場面を見ると、観世流ではその補 れて、それと対になっている春や花への愛惜という要素が手紙は熊野が読みます。母からの手紙を持っていった熊野 無視されているのではないか、という思いが強くなってき にたいして、宗盛は、「何と古里よりの文と候ふや、見るい ます。それだけならまだいいのですが、その春をこんなに までもなしそれにて高らかに読み候へ」と一言うのです。私 一三ロ

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っていると見なければなるまい」とあります。こういう解 つぎに紹介するのは、伊東俊太郎さんという方の「『熊 釈なんです。宗盛は『平家』に描かれているように、浅慮野』を読む」です。《熊野》はなぜかいろいろ解釈が出て でわがままで優柔不断で怯懦で卑怯で未練で卑屈な人物、 いるのですね。伊東さんは東大の医学部の教授だった方で、 それが能の宗盛であるという解釈です。さらに、「見所のこれは『観世』の昭和六二年に載った文章です。これはさ 客達の脳裏に浮かんだその人物のイメージは、以上のよう きほどお名前が出た田代慶一郎さんが朝日選書で出した な「あきれ果てた馬鹿殿 . であったと見なければなるまい」 「謡曲を読む』の《熊野》論をふまえた文章で、田代先生 「こうして、この曲は、単刀直入、直ちに主人公熊野に対の説にたいする異論として書かれたものです。ですからこ する同情へと、曲の情調を規定していくのである」、そうれを紹介するとお二人の《熊野》についての解釈を知るこ いうひどい男に囲われた女性の物語である。そういうふうとができるわけです。田代さんの説というのは、そこに引 に読むべきだというふうに林さんは主張しているわけです用されているように、「従来この謡曲を理解する上で、何 ね。さいごに熊野の帰郷を許す場面については、「さすが人も見落としてきた一つの重要な隠れたテーマがある。そ の鈍感居士宗盛もようやく感するところがあったと見え、れは「熊野の宗盛への愛情」である。この謡曲の中で、熊 「暇取らする」というお沙汰」があったとし、「つまり、宗野は一言も宗盛への愛を語ってはいない。しかしそれが実 盛は、最後の最後まで、愚かで、我侭で、気まぐれで、未は『熊野』理解の鍵をなすのであり、この一点さえ把握さ 練な男として造形されている」と結ばれています。ここにれるならば、『野』は平板でも、いわんや奇怪でもなく、 は《熊野》をご覧になったことがある方も多くいらっしゃ 深い情緒を以て味わうことができるのである」というもの かりがね ることと思いますが、もし《熊野》がこのような能であるです。《熊野》の終曲部に「花を見捨つる雁のーという文 のなら、こんな不愉快な人物が登場する能は私は見たくな句がありますが、この「花」には宗盛という意味がこめら いと思うのですが、みなさんはいかがでしようか。ともあれている、というのが田代説なんです。伊東さんはそれを れ、こういう解釈もあるということを紹介しておきます。 うけて、《熊野》を「一篇のラブ・ストーリーとしてとり

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こんなふうに概説の項で述べられています。春の盛りの一わけですが、そこで熊野が故郷の母親を思って歌を詠む。 日、平宗盛が清水寺に花見に出かけようとしている。そしその歌に宗盛が感激をして、それだったら帰ってもよろし いということになって、熊野は帰郷を許される。そこで熊 てその愛妾の熊野をいっしょに連れて行こうとするわけで とおとおみ 野はただちに遠江に帰っていくところで終わるわけです すが、熊野は遠江にいる母親が病気だから、それが気に な . って故郷に帰りたいと言う。しかし、宗盛は帰してくね。かなり有名な物語ですので、知っていらっしやる方も れないわけですね。そして熊野はその憂いに沈んだ気持ち多いと思います。 - この《熊野》にたいして、佐成さんはこ のまま、宗盛に同道して、桜が満開の京都の町の中を清水のような解釈をされています。 さらにもうすこし最近の解釈を見てみたいと思います。 寺に向かうわけですね。そのあたりの文章はたいへんみご とな文章です。清水寺に着いて、花見が始まり、酒宴とな資料には、林望さんの「熊野を読む」という文章を出して るわけですね。そこで熊野はその座のとりなし役を務めるおきました。平成七年に『観世」に発表されたものです。 べ わりに長い文章ですが、傍線を引いた箇所だけ見ていただ る ければ、林さんが説こうとしていることはお分かりいたた けると思います。ここではもつばらワキの宗盛の人物像と いう視点から《熊野》が論じられています。その傍線部を功 ヒ匕 追ってゆくと、「この話の伝える宗盛の性格は、「浅慮・我 儘」である」とあり、「我儘で優柔不断で未練な男なのだ」◎ とあり、「ここに現れている宗盛の性格は「優柔不断」で補 ある」とあり、「怯懦・未練・卑屈」ということである」 とあります。注意されるのはそのつぎで、そこには「ワキ 宗盛は、こうした『平家物語』の宗盛像をそのまま引きす い ) 態野ー 1

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における座興の舞を熊野が舞うという場面です。つぎの第です。その歌は、「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし 九段は短かいのですが、ここで「中の舞」という舞が舞わ東の花や散るらん」というものです。都の春も惜しい。都 れます。シテの舞という場面で、内容的には宗盛に請われの花も惜しいけれども、慣れ親しんだ東の花、つまり母親 のことも気がかりだ、ということですね。そ、ついう都の花 ての舞がそこで舞われる。花見の酒宴の場です。続く第一 〇段では、熊野の舞の途中で雨が降ってくる。雨が降ってと母親の命というものを対立させた歌を詠む。それに感激 きて、熊野が花が散ることを悲しむ。花が散るということした宗盛が帰郷を許すわけです。さいごに熊野が東に帰っ は当然母親の命が危ないということも含んでいるわけで、 てゆくあたりの文章も名文だと思いますが、《熊野》はだ いたいこのような展開の能ということになります。 その心情を詠ん さきほど申しましたように、熊野の病気の母親にたいす だ歌を熊野がそ ー刀 こで作るんでする気遣い、それゆえの熊野の沈んだ心というものはたしか べ ね。短冊に書く に描かれているのですが、それ以外にも、この作品ではも る れ のです。それをつと強調されていることがあると思います。それはなにか というと、それは過ぎ去っていく春を惜しむという気持ち 宗盛に渡すわけ 2 野ですね。それをで、それが一曲全体に満ちていると私は思うのです。たと ヒじ 宗盛が受け取るえば第一段では、宗盛のセリフには、「この春ばかりの花 場面が第一〇見の友と思ひ」とあります。「この春ばかりの」と言って◎ います。この春の花は今年かぎりのものだというのです。補 段。つぎの第一 この春の花は今年だけのものでかけがえのないものだと、 一段の冒頭で、 その歌を宗盛が宗盛は言っているわけです。はじめからですね。そして、 詠みあげるわけ第二段で登場したツレの最初の言葉も、「夢の間借しき春 1 三い 引 1

5. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

もいっています。その風流な貴公子という指摘をまったく うるかどうか」という疑問を提示して、ご自身の論を展開 しています。その伊東さんの論というのはどういうものか無視して、わがままという属性を拡大して継承してしまっ しいますと、「ここまで書いてくればもう明らかであろたのが林さんの解釈ではないかと思います。それにたいし う。『熊野』の内含している前半の根本テーマは、「生と死て、田代先生のように宗盛に対する愛が語られているんだ という解釈がある。これはいうまでもなく林さんとは真っ の鬩ぎ合い」なのである」と、その主題を生と死の対立と いう点に求めています。また、伊東さんは「熊野」という向から対立する解釈ですね。それにたいしてこの伊東俊太 名前にも注目をしています。ュヤとは「熊野」と書く。そ郎さんは、いや生と死のせめぎ合いが主題だという。百花 くまの の「熊野」は生と死の土地である。だから、この点からみ繚乱で収拾がっかない感じなのですけれども、さて、どう 考えたらよいのでしようか ても、《熊野》のテーマは生と死のせめぎあいであるとい ここであらためてさきほど紹介した事典類を見てみます う、そういう論法なのです。いささか強引という感を禁じ べ と、すでに紹介したように、熊野の母親の病気に対する心 えないのですが、熊野の母親は病気であるわけですから、 る れ 配、悲しみ、そういうものであるとされている。これはい 死という要素はたしかにある。また、春の盛りでもある。 それは生の象徴でもあるわけですね。伊東さんはこういうちおう納得できます。そのようなことが描かれていること 形でご自分の解釈を出しておられます。さきほどの林望さはまちがいありません。これはいちおう穏当な解釈だと思 います。それに一番近いのが、やつばり伊東さんの解釈と んの解釈とはずいぶん違います。 能 いうことになるでしようか。宗盛に対する愛という解釈は、◎ ここでふたたび林望さんの解釈にもどりますと、さきほ 補 どの林さんの解釈は、その前に紹介した佐成謙太郎さんの文句の上に明確に認められないので、その点で無理がある と言わざるをえません。あまり時間がなくなってきたので 解釈の一部分を必要以上に拡大させてしまったのではない かと思うんですね。佐成さんも宗盛はちょっとわがままですが、そこで、《熊野》はこのように読めるのではないか、 ということを簡単にお話ししてみたいと思います。 あるとは言ってますが、一方では、風流な貴公子であると 309

6. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

ありませんけれども、この指摘はかなり当たっているので病気の母親という現実のほうが重く扱われているというこ はないかと私は思います。ここで注目されるのは、このとになるかもしれない。しかし、作者はどちらかといえば 《熊野》の主題が春だということを何げなく書いている。 惜春という美的な感情のほうを重くみているのではないか 山崎先生はそう解釈されたわけですね。しかし、それは能と私には思われます。これはどちらでもよいことかもしれ の事典とか注釈書にはまったくみえない説です。それを、 ませんが、どちらかといえば、美的感情のほうをとりたい 主題は春だと当然のようにおっしやっているわけですね。と私は思っています。 山崎先生は美学を専攻された方ですが、あるいは美学とい 結局、山崎先生の解釈とほとんど同じ結論になってしま う領域からみたら、《熊野》はそう解するのが当然なのかったわけですが、それはたんに私がそれにとびついたとい もしれません。それはそれとして、もうひとっ注目されるうことではなくて、いちおう《熊野》のテキストを、観世 のは、ここで、《熊野》は「観念の衝突」というふうに読系と金春系のテキストをくらべながら、すこしばかりてい べ むこともできるのではないかと指摘されていることです。ねいに読んだ結果であるということを、さいごに申し添え る 」これ つまり、現実的な母親の死と過ぎゅく春を惜しむ気持の衝ておきたいと思います。なんだか自分の考えばかりを前 : 突ということです。こんな対立は現実的な面からいったら出しすぎたようで、すこし反省をしておりますけれども、 ー刀 問題にならない。それは母親のほうが大事に決まっていま これで私の話を終わらせていただきたいと思います。どう す。でも、これは現実の世界でのことではないんです。能 もありがと、つございました。 ヒヒ ◎ という演劇の世界のことなんです。その演劇の世界のこと 講 補 であれば、そういう対立というものは認められるはすです。 それでは、惜春という美的感情と、母親の病気という現実 との対立は、《熊野》ではどちらが重く扱われているのか 熊野はさいごには帰郷を許されて帰っています。それだと、 引 5

7. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

が見るまでもないから、お前がそこで読めというんですね。 う熊野の憂愁ということも、《熊野》のなかではやはり重 それで熊野が一人で手紙を読むのです。これは観世流の演要なことがらだと思います。それでは、そのどちらが大事 出です。ところが、金春系はそうじゃないんです。金春系なのかといわれるとたいへん困るのですが、この点につい ではそもそも文句がちがいます。金春系では宗盛の言葉は、 て参考になるのが、さきほど紹介した伊東俊太郎さんの文 「何と老母の方よりの文と候ふや、さらばもろともに読み章の最後にある注なのです。これは当時出たばかりの田代 候べし。というもので、この言葉のとおり、金春系の演出慶一郎さんの『謡曲を読む』の書評で、朝日新聞に載った では、その文を二人で読み上げるのです。このように二人山崎正和さんの書評です。その一部が伊東さんの文章の注 で読む演出は観世流にも残ってますが、これは特殊演出と に引かれているのですが、それは、 して残っていて、通常の演出では、熊野が一人で読むので す。この場面は金春系の演出のように、宗盛と熊野の二人 ただ、面白さに挑発されていうなら、やや全体に心理 がいっしょに手紙を読みあげるのが原形だったろうと思い 主義的な深読みがめだたないでもない。「熊野』にして ます。能の演技が洗練されてくると、こういうところはや も、主題が春である以上、背後に冬の死のイメージが はりシテの一人の謡の方がいいわけですね。だから観世流 あるのは当然で、春と病母、歓楽と哀傷は人物の心理 のような演出が生まれてきたのだと思うのですが、この例 とは別に、 ただ観念の衝突のドラマとして読むことも 一つをとってみても、宗盛が暴君だなどというのはまず成 できよう。だがそういう疑問や着想を刺激されること り立たない論だと思います。 自体、この本の優れた喚起力のせいであるのはいうま でもない 要するに、この《熊野》に関しては、行く春を惜しむと か、散る花を惜しむという、そういう人間にとっての普遍 的な感情が一つのテーマとして確実にあると思うのです。という一節です。山崎正和先生はじつは大阪大学で八年間 そして、これまでも言われてきたように、病気の母を気遣 ごいっしょだった方でありまして、だからというわけでは 引 4

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この種の話は、私はこう思うと言っただけでは不十分で遠江から都にやってくるのです。彼女は熊野を迎えに来る あると思いますので、いちおう《熊野》の詞章を全部資料ために上洛したのです。その朝顔の遠江から京都への道行 にかかげました。これは『謡曲大観』から取りました。つきです。第三段は都に到着した朝顔と熊野との対面の場面 まり、現在の観世流の文句です。それだけでは不十分だとです。そこで母親からの手紙が渡されるのです。その手紙 い、つことをさきほど申し上げましたが、 そ、つした考えから、 を見て、母親が危篤だということを知って悲しむ場面があ 観世流の文句と異なる金春系の文句をその下に書き出してります。つぎは第四段ですね。そこでは熊野と宗盛が母か あります。だいたい室町時代からこ、ついうちがいが生じてらの手紙を読み上げる場面があります。その手紙の冒頭は、 りさんきゅ、つ いたのです。ざっとながめただけでもすいぶんちがいがあ「甘泉殿の春の夜の夢、心を砕く端となり、驪産宮の秋の ることがお分かりだと思います。しかし、大部分はそう本夜の月終りなきにしもあらず。、こういう文句で始まる手 質的なちがいではありません。けれども、なかには作品の紙です。つぎの第五段は、またシテとワキとの応対の場面 本質にかかわるようなちがいがわすかだがあるんですね。です。そこでは、宗盛はその手紙を読んでも帰郷を許さな ここでは全体を一一の段に分けてありますが、その段ごと いで花見のための牛車の用意を命じる。あくまでも同道し に、その段ではこのようなことが語られてるということをろということで外出の準備をさせるんですね。ここで前半 メモしておきました。それで、この一一段に分けたテキスが終わります。第六段はシテとワキとの道行きの場面です。 トに即して、《熊野》がどういう内容の能で、どう展開し清水寺までの春景色がたいへんな名文で描かれます。その ているのかということを確認しておきたいと思います。 つぎの第七段もひき続きシテとワキの道行の場面です。こ 第一段はワキの登場の場面です。ワキは平宗盛です。の第七段では、満開の春景色という外界にたいして、沈ん 「この春の花見に」ということを述べる場面です。これがでいる熊野の気持ちがまことに対照的に見事に描かれてい 第一段です。第二段は短かいのですが、ツレの登場の場面ます。第八段は、清水寺に着いたあとのシテとワキの応対 です。ツレは朝顔という女性で、熊野の母親の使いとしての場面です。ここにはシテの舞があります。要するに酒宴 引 0

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値批判」の部分だけそこに出しておきましたので、ご覧くしをして話を終えることにしたいと思います。それで、ま ださい。また、そこには、「遡って原作者の作意と主張とだ文章にしていない《熊野》を、その作意という視点から を聞いて、これを現行の謡曲とその實演とに併せ考へるの読んでみることにします。 が穏當であらう」とあって、そこに「原作者の作意と主張」 という言葉があります。じつは私は、「作意」という言葉 《熊野》を読む はこれまであまり使われていないと思っておりました。で すからこの言葉も用語として抵抗を感じる方もあるのでは 《熊野》についての一般的な理解はさきほどすこし紹介 ないかと思っていたのですが、こういう大先達に「作意」 いたしました。だいたいあんなふうに考えられているんで という言葉が使われていたので、おおいに安心をいたしますね。つまり、母親の病気を思う熊野の心情、それが中心 した。作意という言葉は使われていたんですね。使われてである、と。その《熊野》についての評価をもうすこし紹 いたけれども、その後はなせかあまり使われなくなってし介してみたいと思います。資料には佐成謙太郎さんの『謡 まった。それはやはり能というものを綴錦とみるような見曲大観』の「解説概評」の部分をかかげておきましたが、 方が広まって、その全体をとらえようとする視点が失われそこにつぎのような記述があります。 ていった結果なのではないかと思うわけです。ということ で、私は能という演劇については、部分だけではなく、 まづ人物の性格を見ると、ワキ宗盛については、人に對 作全体を総合的に、そして統一的に把握する必要を感じて する思ひやりがなくて我意を通す、しかも情のこもっ います。その姿勢がすでにその佐成さんの文章の中に非常 た歌を見ては痛く感動する、我儘なそして風流な平家 に明暸に表われていたので、私は意をつよくしたのです。 公達の様子がよく表れて居り、シテ熊野については、夫 この文章を知ったのはわりに最近のことですが、こういう 命に反抗することの出来ない、老母の事を思って忘れ 先人がいることを紹介して、さいごにすこし具体的なお話 る事の出来ない、弱い優しい性格がよく描かれてゐる。

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後者はいささか見当ちがいとい、つことになります。著 の解釈についてお話しをしようと思っていますが、その 名な《井筒》にしてかくのごとくです。「世界の中の能ー 《熊野》についての事典や注釈書の説明を資料の二枚目に の魅力をより深く知るには、個々の曲を先入観にとら かかげておきました。最初は一番新しい岩波の新日本古典 われすに読んで、その「ねらい」や「主題ーを正しく 文学大系の『謡曲百番』ですが、そこでは、「故郷に病臥 把握することが必要であろうと思うのです。 する老母を思いやる熊野の心を詩情豊かに描く」とあり、 その後には、二曲を貫くのは、自分を育み慈しんだ「た こういう文章を、私は平成一〇年に書いています。これらちね」の母への愛である」、つまり「老母への思い」と 以外にも似たような文章を、短かいものですが、いくつか い、つことがここでは書かれています。ところが、このよ 書いたりしております。で、こういう気持が年々強くなっ うなことが書かれているものは意外にすくないのです。そ てきているわけですが、要するに、ある作品がどういうこのつぎは小学館の日本古典文学全集の「謡曲集」です。こ とをねらいにしているのかということが、能についてはあれはそれが書かれている例ですが、その「主題」のところ まりにも関心の外に置かれているのではないか、というこをご覧ください。そこでは、「表面のはなやかさの下で愁 とです。それにたいして、ここが見どころだとか、この型 いに沈む女の姿を浮彫りにする」、これがねらいだと書か はこうだとか、そういうことはかなり詳しく説明される傾れている。この二つは書かれている例ですが、つぎの小学 向がある。それももちろん必要なのですが、それよりもっ館の『能・狂言図典』、これは最近のものですが、これに と大事な、そもそもいったい作者は何を主張しようとしては主題に該当する説明がありません。つまり、粗筋しか書 いるのか、ということがあまり書かれていない。 というこかれていないのです。それから、つぎの平凡社の「能・狂 とを私はたいへん不思議に思っているわけです。その実例言事典』。これはわりとよく使われていて、私も重宝して を一つご紹介しましよう。 いるのですけれども、ここにも主題とかねらいとか、そう さきほども申しましたよ、つに、今日はさいごに《熊野》 いうことについての記述はありません。 292