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検索対象: 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講
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1. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

すべての演目をこなすことができたのである。 よざ われわれは、「大和猿楽四座」などと聞くと、そこには多くの座衆を擁した組織ーーたとえば江戸時代の 「座」のような組織ーーを思い浮かべがちであるが、じつはそうではなく、室町時代の「座」は、規模として はまことに小さなものだったのである。 そのような規模を反映してのことであろうが、じつは室町時代には、「観世座」「金春座」という言い方が きわめて少ない。たとえば、観世座の能であっても、そこには「観世座」と記されることはほとんどなく、 そのかわり「観世、などと大夫個人の名をもって記されるのがふつうである。これらを総合すると、室町時 代の「座」というのは、「座」という言葉から連想されるような組織立った規模の大きい存在というより、 スター役者である大夫を中心とした小さな演能集団のように思われるかもしれないが、たぶんそう考えてよ いかと思う。また、それは右にみた室町時代後期だけのことではなく、それより一世期ほど以前の世阿弥の 時代も同様であったと思われる。 このようにみてくると、読者は、この室町時代の「座」こそ「劇団」というにふさわしい組織だと思われ るにちがいない。そこでは、たとえば観世座なら観世座が上演する能はすべて一座の統率者である観世大夫 をシテとして、観世大夫の演出意図のもとに演じられていたものと思われる。つまり、そこには大夫という、 能の上演にさいしてのリーダーもしくは演出家が存在したのである。これにくらべると、江戸時代の「座」 はある芸術理念を共有する「劇団」としては規模が大きすぎるし、現にそれには幕府の役者支配のための組 織という側面を色濃く有してもいた。また、「座」という単位ではなく「流儀」を基盤に上演された江戸以 126

2. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

のような江戸時代における「勧進能」の諸都市への広まりは、とりもなおさす、それまで畿内中心だった能 楽にたいする愛好が全国的なものとなったことを意味してもいる。そのような江戸時代の「勧進能」の全体 を紹介することはとうてい無理なので、この項では、二、三のことをトピック風に紹介することでそれに代 、んることにする。 ます、徳川幕府のお膝元である江戸における「勧進能」の興行状況を紹介しよう。開府当時の江戸では、 『慶長見聞集』に「江戸町繁盛故、勧進能毎月毎日おこたることなし」とあるように、頻繁に「勧進能」が 催されていたようである。そのようすについてはそれ以上のことは不明だが、やがて江戸においては自由な 「勧進能」興行は大きな制約をうけるようになったらしい。現在知られている江戸での催しは、つぎのよう ( いずれも幕府お抱えの五座 ( 観世、宝生、金春、金剛、喜多 ) の大夫によるもので、平均すると一五年に一 度ほどの間隔で行われているからである ( これは『岩波講座能・狂言〔能楽の歴史〕』所掲の整理によるもので、 記載の形式はさきの中世京都の催しと同じである ) 。 ただちか やすてる 慶長一二 一六〇七江戸城内、観世大夫身愛・金春大夫安照【四日】 元和六 一六一一〇御成橋門外、喜多七大夫長能【四日】 一一御成橋門外、観世大夫重成【四日】 寛永五一六二八浅草、金春大夫七郎重勝【四日】 寛永六 一六一一九浅草、喜多七大夫長能【五日】 寛永七一六三〇浅草、金剛大夫右京頼勝【四日】 おさよし 第四講◎能が演じられた場所

3. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

阿部豊後守正武 36 安倍能成 234 在原業平 55 , 300 ~ 302 井伊直孝Ⅱ 8 イエーツい 2 池内信嘉 38 , 48 コ幻コ 65 コ 67 , 石田少左衛門盛直 232 , 238 —21, 25 , 川 8 , 23 ( ) ロ 9 梅若九郎右衛門Ⅱ 3 梅津正利 234 宇治 ( 大蔵 ) 弥太郎 272 兎大夫 27 し 272 岩本秀清 232 岩倉具視 37 , 175 今川了俊引 伊藤正義 227 , 300 伊東俊太郎 308 , 309 市川染五郎に 市川新之助に 和泉元弥 273 惟肖得巌円 9 梅若大夫 82 , 83 梅若猶彦 4 , 幻 梅若万紀夫 24 梅若六兵衛Ⅱ 4 梅若六郎に , 円 浦田保利幻 英俊に 5 英照皇太后ロ 5 工ズラ・ノヾウンド ェリオット 132 黄檗 30 大蔵虎明 96 , 272 大蔵大夫 78 , 80 大倉九郎能氏 106 133 太田喜二郎 94 大谷節子 227 大槻文蔵円 , 20 , 大槌 269 ~ 271 大原の菊武 257 岡部六弥太 296 , 298 岡本さとる幻 岡緑蔭 285 押小路公忠 6 小野小町 54 , 55 , 248 小野福丸 257 田 8 , 230 , 285 ~ 幻 8 , 225 , 228 , 238 表章 41 コ 07 , 1 Ⅱ , に 8 , 133 , 4 , 5 , 幻 6 加賀乙彦 21 片山九郎右衛門円 , 108, に 3 片山伝七 123 片山博通 93 葛野九郎兵衛Ⅱ 3 狩野琇鵬 25 川路聖謨 74 河村信重 21 河村晴久 25 観阿弥 54 , 70 , ー 02 , 1()8, い 2 , 5 ~ 7 , 円 3 , 197 , 255 , 266 , 268 , 270 観世暁夫 21 , 24 観世清和 19 , 106 , 川 8 , 230 観世小次郎信光 2 引 , 235 観世左近 93 観世四郎 208 力、彳テ 観世大夫元広 ( 道見 ) 制 観世大夫之重 79 ~ 観世大夫政盛 79 , 272 幻 8 , 269 , 272 観世大夫元重 ( 音阿弥 ) 79 , 207 ~ 210 , 2 ロ , 観世新九郎Ⅱ 3 観世十郎元雅 ( 善春 ) 205 ~ 209 , 246 , 269 喜多実 22 喜多七大夫長能 85 コⅡ 北川忠彦 3 , 275 ~ 277 菊 269 , 270 , 2 引 喜阿弥 197 観世善之 21 , 1 ( ) 8 観世与左衛門Ⅱ 3 観世弥三郎 107 観世三左衛門Ⅱ 3 観世栄夫円 観世寿夫 108 観世銕之丞華雪 93 観世銕之丞 21 観世大夫清長 86 観世大夫清賜 86 観世大夫元章 86 , 238 , 239 , 244 , 245 観世大夫重清 86 観世大夫重行 8 観世大夫重成 85 , Ⅱ 3 , 168 観世大夫身愛 ( 黒雪 ) 85 , 238 観世大夫元尚 83 , 2 引 観世大夫元忠 ( 宗節 ) 82 , 83 コ 72 コ 73 北村透谷 133 327 索引

4. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

「座」ゆくえ この第五講では、能や狂言はどのような組織によって演じられてきたのか、そして、それが現在はどのよ うに演じられているのか、ということについて述べてみたいと思う。 能を上演する組織といえば、多くの人はただちに「観世座」「金春座」などの「座を思い浮かべるので はないかと思う。観阿弥や世阿弥の観世座、あるいは金春禅竹の金春座というよう。。しかし、あらためて われわれの日常をかえりみると、「観世座ーや「金春座」という一言葉はほとんど耳にすることがない。その かわり耳にするのは、「観世流」や「金春流」という言葉である。この「観世流」や「金春流」は「観世座」 や「金春座」と同じ意味の言葉なのか、それともちがう言葉なのであろうか。同じなら問題はないが、もし ちがうのであれば、「観世座」と「観世流」とはどこがどうちがうのか、また、「観世座」という「座」はど うなってしまったのか、そういったことが問題となるはすである。 この「座」のゆくえについて、あらかじめ結論的なことを述べておくと、現代に「観世座ト、ば存在して な : 同様に、「金春座」も存在していない。さらにいえば、かっては「観世座」や「金春座」とともに存 在していた「宝生座」や「金剛座」や「喜多座」も現代には存在していない。それらは江戸時代以前には存 在したが、 徳川幕府の崩壊とともに消滅して、いまは存在・・、ていない・のである。現在それらの言葉を耳にす ることがないのは、それらの「座」が存在していないからにほかならない。そのかわり、現代には「観世流」 k. Ⅱ ) 2

5. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

理となっている。現在の「流儀」のなかでは、もっとも小規模の「流儀」であるが、この大鼓観世流が「流 儀」として認められたのはつい近年の昭和六一年のことである。同流の初代は小鼓観世家の観世弥三郎 ( 享 保三〔一七一八〕年没 ) で、大鼓の芸系も観世流であったが、彼は将軍綱吉時代の元禄七年に宝生座に大鼓役 者として加入を命じられた。ここに大鼓観世流が生まれたのであるが、初代は宝生座加入と同時に綱吉の命 令で姓を観世から宝生に改めている。いうまでもなく、綱吉が宝生贔屓だったからである。同家は七世まで いて幕末維新の交に断絶し、近代においては、その芸統を継ぐ役者は岡山を中心に活動していたが、彼ら は「宝生錬三郎派」と呼ばれていて ( 七世の通称が錬三郎だったため ) 、「流儀」とは認められていなかった。 遷 変 また、「宝生錬三郎派」の役者たちが自分たちの流儀は観世流であると主張していたにもかかわらす、そのの A 」 芸系が観世流であることは能楽界でもまったく知られていなかった。それが昭和六一年になって、法政大学 能楽研究所長だった表章氏の調査によって同流の芸系が観世流であることが明らかになって、能楽協会も同 て 流を本来の観世流として認めるにいたったのである。将軍綱吉の常軌を逸した能楽愛好のあおりで、芸系が 宀典 あいまいになっていた大鼓観世流が、二〇〇年ぶりに本来の「流儀」として公認されたのである。現在、同 を ヒヒ 流の宗家代理を勤める守家由訓氏は岡山で観世流大鼓の孤塁を守っていた守家金十郎 ( 平成七年没 ) の孫で、 講 五 大阪大学工学部出身という経歴の持ち主である。 第 ともあれ、現在の能や狂言はこのような「流儀、に属している役者によって演じられているわけである。 それでは、現代の「家」はどのような状況にあるのだろうか。その一端を、シテ方観世流と狂言方大蔵流を 例に説明しよ、つ 川 7

6. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

れお抱えであり、京・大坂居住の役者も諸藩のお抱えである場合が少なくなかった。このうち諸藩お抱えの 役者は国元や江戸の藩邸での催しに出勤するのが主要な仕事であったが、京・大坂の役者はそれ以外にも、 禁裏での能や勧進能 ( 大坂での勧進能については八八頁ですこし述べている ) 、さらには一般市民を対象とした催 し ( その実態はいまだ解明されていないが、かなり多かったらしい ) といった演能の場があった。 ここで注意すべきは、これらの役者は「座」の所属ではないが、「流儀」には所属していたことである。 たとえば、『改正能訓蒙図彙』の京都居住役者の「太夫」 ( シテ方 ) の項には、「観世流」の役者として片山九 あざ 郎右衛門、同伝七が、大坂居住役者として浅井織之丞、同林之允などの名がみえるが、彼らは「観世座」に 変 所属してはいないが、「観世流」の役者なのである。同じことは、他のシテ方やシテ方以外の諸役者にもい えるわけで、これら江戸後期に活動していた四〇〇人あまりの役者は、「座」には所属していないか、いす れも「流儀」には所属していたのである。 一方、「座ーの役者はそれぞれが「流儀」にも属していた。たとえば「観世座」所属のシテ方や地謡方はて 「観世座」に属しつつ、「観世流」にも属していた。また、これを大夫でいうと、「観世座」の大夫は「観世 ヒ匕 座」の統率者でもあったが、「観世流」という「流儀」の家元でもあった。つまり、江戸時代の「座」は一 部の役者が所属する組織であり、「流儀」はすべての役者が所属する組織だったわけである。このように五 「座」と「流儀 . という二つの組織が存在して、その両方に所属する役者と、流儀だけに所属する役者が混 在していたのが、江戸時代の能楽界であった。そして、そのうちの「座」が幕府の崩壊によって消滅し、 「流儀ーだけが残ったのが、現在われわれが接している近代の能楽界のすがたなのである。その結果、近代 123

7. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

シテ方観世流に属する役者は現在は二三〇名ほどであるが、そのシテ方観世流のなかには二〇ほどの「家」 がある。その中核に位置するのが観阿弥を家祖とする観世宗家 ( 観世本家 ) で、当主は近年進境著しい実力 よしゆき てつのじよう 派の観世清和。同じ観世姓の「家」に観世銕之丞家と観世喜之家があるが、銕之丞家は宝暦一一 ( 一七五二 ) 年に徳川幕府から認められて以来の分家 ( 昭和五三年に没した名手観世寿夫は銕之丞家の人 ) 、喜之家は明治初年 に生まれた分家である。また、室町時代の丹波猿楽の梅若座以来の歴史をもっ梅若家も六郎家と万三郎家の 二家があり、六郎家当主の梅若六郎は現在の能楽界の第一人者的存在である。京都を本拠とする片山家 ( 現 当主は片山九郎右衛門 ) も江戸時代中期以来の由緒をもつ「家」である。このほか、シテ方観世流には、東京 に浅見家、武田家、橋岡家、藤波家などがあり、関西に井上家、浦田家、大江家、大槻家、大西家、河村家、 生一家、林家、山本家などがある。このうち、大槻家当主の大槻文蔵は梅若六郎などとともに現代における 能のありかたを追求する旗手的存在である。 ついで狂言方大蔵流の「家ーにうつると、ます家元の大蔵家 ( 当主大蔵弥右衛門は一一四世。平成一五年一月没 ) があり、そのほかに茂山千作家 ( 現当主千作は四世 ) 、茂山忠三郎家 ( 現当主忠三郎は四世 ) 、善竹家 ( 現当主忠 一郎は三世 ) 、山本家 ( 現当主東次郎は四世 ) がある。茂山千作は人も知る人間国宝の名手で、その一門の活躍 ぶりはあえて説明するには及ぶまい 以上が近代の「流儀」と「家」の具体的な一面である。 108

8. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

元重は世阿弥の弟四郎の子であるが、はやくに世阿弥の養子となり、ある時期まで世阿弥の後継者とされ ていたらしい。それは元重が世阿弥の甥であるのに、観世家の当主の通称である「三郎」を名乗っている事 実から確実視されていることだが、その後、世阿弥には実子元雅が誕生したため、世阿弥のあとの観世大夫 は応永二九 ( 一四二一 l) 年に元雅に譲られたものと考えられている ( 元雅の通称は「十郎」である ) 。とすれば、 世阿弥父子と元重の関係は当然微妙になったはずで、少なくとも世阿弥が観世大夫を元雅に譲った応永二九 年ころには、両者の間にはギクシャクしたものが生まれていたのではないかと思われる。新将軍義教の元重 重用は、そのような観世座 ( 観世家 ) 内の人間関係にも深刻な影響をもたらしたものと想像される。しかも、 元重は観世大夫となった後年の活躍ぶりからして、世阿弥をもしのぐ役者だったようである。ここに老役者 世阿弥は、はじめて自身に好意的でない将軍を戴くことになり、また、公的にも私的にも観世三郎元重とい う強力なライバルをもっこととなったのである。 それでも、義教が将軍になってから、二年ほどのあいだは、室町御所の能で元重が重用されているほかは、 世阿弥にはさしたる境遇の変化はなかった。永享元 ( 一四二九 ) 年五月に室町御所の馬場で催された大がか りな野外能には、世阿弥も嫡男元雅とともに出演している。仙洞御所で予定されていた世阿弥父子の能が急 遽義教の命令で中止されたのはその直後のことであるがーー義教は仙洞に招かれた「観世。を元重と思い込 んでいたが、それが世阿弥父子であることを直前に知って中止させたのであるーー、その時も、世阿弥父子 と義教・元重とのあいだはそう深刻なものではなかったように思われる。それが一変するのが、永享二年か ら三年にかけてである。 208

9. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

永享四一四三二鳥羽、西国の女猿楽【二日 ? 】 永享五一四三三 糺河原、観世三郎元重 ( 音阿弥 ) 【祇園社勧進】【三日】 永享八一四三六桂河原、女猿楽 一四四三 嘉吉三 亭子院、観世大夫政盛【三日】 一四四三 三条河原、摂津猿楽生熊大夫 嘉吉三 嘉吉三 一四四一一一上御門河原、観世大夫政盛【三日】 文安元 一四四四三条河原、観世大夫政盛【三日】 宝徳二 一四五〇六道珍皇寺、唱聞師小大大夫 一四五八嵯峨、金春大夫氏信 ( 神竹 ) 長禄二 一四五八嵯峨釈迦堂、観世大夫元重 ( 音阿弥 ) 【四日】 長禄二 寛正五一四六四 糺河原、観世大夫政盛【鞍馬寺勧進】【三日】 文正元 一四六六八条堀川、越前の女猿楽 文正元 一四六六道場河原、丹波八子大夫 文正元 一四六六場所不明、金春大夫元氏 ( 宗 ) 文正元 一四六六桂、金春大夫元氏 ( 宗 ( 均 ) 文明六 一四七四八幡、座不明 文明七一四七五賀茂、宝生大夫【四日】 文明一〇一四七八清水寺、観世大夫之重 文明一〇一四七八誓願寺、観世大夫之重【三日】 文明一二一四八〇革堂北、春日大夫 しゅんにち 第四講◎能が演じられた場所

10. 現代能楽講義 : 能と狂言の魅力と歴史についての十講

に「家元」が存在しているわけである。 さて、このうちもっとも歴史が古いのは、シテ方の観世流・宝生流・金春流・金剛流の四流である。この よざ 四流はおそくとも南北朝時代には結成されていた大和猿楽四座 ( 観世・宝生・金春・金剛の四座 ) の直系に位 置する「流儀」で、現在の四流の家元はかっての四座の大夫の直系にあたる。右の大和猿楽四座のなかに現 在の喜多流につながる座がみえないのは、現在の喜多流の源流は江戸時代初期に樹立された喜多座であり、 その歴史は室町時代まではさかのばらないからである。ちなみに、現在の観世流の家元 ( 宗家ともいう ) は ふさてる 二六世の観世清和、宝生流の家元は一九世の宝生英照、金春流は七九世 ( 代数は同家の系図による ) の金春信 ひさのり 高、金剛流は一一 , ハ世の金剛永謹、喜多流は一六世の喜多六平太である。 シテ方以外の「流儀 , もそれぞれに古い由緒を持っている。たとえば、大鼓でいうと、もっとも歴史が 古いのが大倉流や高安流で、大倉流の実質的な流祖は天文一三 ( 一五四四 ) 年没の金春座 ( のち観世座に移籍 ) どうぜん 所属の大倉九郎能氏、高安流の流祖は弘治三 ( 一五五七 ) 年没の観世座所属の高安道善である。江戸時代に かどの は大倉流は金春座の、高安流は金剛座の所属だった。葛野流と石井流は初代はともに安土桃山時代に活躍し た素人出身の役者で、江戸時代には葛野流は観世座の所属、石井流は幕府のお抱えではなく ( したがってど の「座」の所属でもなく ) 、尾張徳川家と加賀前田家のお抱えであった。また、残る観世流は元禄七 ( 一六九四 ) 年に生まれた新しい「座」であるが、この大鼓観世流についてはちょっと興味深い歴史があるので、すこし くわしく紹介しておきたい。 現在、大鼓観世流の能楽協会会員は一名だけという小さな流儀で、昭和三四年生まれの守家由訓が家元代 おおつづみ 106