後場 - みる会図書館


検索対象: 能楽手帖
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1. 能楽手帖

よりテンポは早く、軽快な感じである。笛と大小鼓で最も高い調子である。小書に〈盤渉〉と称する一 で囃すものと、太鼓の加わるものとがある。金剛流グループがある。〈序之をまたは〈楽〉などが盤渉 では〈二ノ舞〉という。「野宮」「羽衣」「松風」「右調に変るもので、装東、型吊」は変った演出となる。 はんのう 近」など。 半能前後一一場ある能の、前場を略し後場のみを演す はやまい 早舞笛を中心に、大小鼓、太鼓にて囃し、〈中之舞〉る形式。最初のワキの出は常の通りとし、前シテ、 と〈神舞〉の中間の速度の、爽やかで典雅な舞。貴アイなどは出す、後場に移る。脇能を祝言能として、 お、つしき 一日の催能の最後に上演する場合は、この形式を採 人や成仏した女人がまう。初めは黄鐘調、一一段以後 ばんしき きんさっきくじどう いわふね は盤渉調になる。「海士」「絵馬」「玄象「須磨源氏」用する。「岩船」「金札」「菊茲蕫」などは半能形式が しやっきよ、つ たえま とおる まつやまてんぐ 常態となったもの。「石橋」なども今日では、前場 「当麻」「融」「錦木」「松虫」「松山天狗」 はん」り・ 、つねおり・ が上演されることの方が珍しい。 半切形は大口に似ているが、後ろが畝織でない。主 ばんばやし しゆす に繻子地の金襴で、様々な模様を織り出す。上衣に番囃子毒謡に囃子の加わったもの。略式演奏の一。 はんまく は法被を着る場合が多い。神、鬼、天狗、武将の役半幕後シテの登場に際して、揚幕の裾を半分ほど巻 ししる き上げ、幕内に控えているシテの姿を見せるように ばんしキ」 盤渉本来は雅楽における旋律の調子の名称であるが、する演出。シテが床儿にかけている時はほとんど全 それを能に適用したもの。十一一律の一。能の舞事の身を、シテが立っている時は下半身を見せることに なる。一度幕を下ろし、改めて本幕で登場する。 囃子は、黄鐘調を基準とし、それより低くする時が 平調、高くする時が盤渉調となる。能の囃子の中書によってこの演出法になることが多い。 ひょ、つじよ、つ 0 298

2. 能楽手帖

実はありません。同時代の人物でない、小町、黒主、貫之らを一堂に会せしめた ( 黝・京都、小町の私宅 ( 現・京都 のは謡曲作者の創作です。相手を陥れて勝ちを占めようと、その宅に忍び入って 市山科区小野か ) 立ち聞きするというあくどいやり方は、能の世界では珍しいものです。上品そう 後場・京都、宮中清殿 ( 現・京都 に見える大宮人の中にある下品ないやらしさが、かえって写実的だったのかも知市上京区京御苑内 ) れません。一時は一寸深刻になりますが、無事に事件は解決し、舞台一杯にめで■時 初夏 ( 五月初旬 ) たい雰囲気を盛り上げます。本文では「卯月半ば」とありますが、登場人物も多 ・演能時問 く、初春の宮中行当午 ) 思わせるものがあるので、正月の能会によく上演されます。 一時間四十分 一一場形式ですが、前段はごく短く、アイの出し方も異っています。筋の運びも」書 彩色 ( 観 ) 、乱拍子 ( 宝 ) 、乱拍子之伝 平明で大変わかりやすく、だれるところのない能です。 黒主はここではすっかり悪役になっています。それだけにワキとしては仕どこ ( 観 ) 、殳です。前場、小町の歌を盗み聞くところ、橋掛りで謡うシテの詠歌を、「。 ' ' 」一 ろか多し彳 ひょうせつ シテ柱に寄りそうよ、つにして聞きとります。後場で古歌の剽窃だときめつけるの も、つつこんだ演技になります。シテは、〈ロンギ〉の「物洗い尽し」の件が一番 の型どころです。〈中 / 」舞〉もめでたく雅びにまいます。 【備考】観世、金春では「草子洗小町」、宝生は「草紙洗」、金剛は「双紙洗」、喜 多は「草紙洗小町」とそれぞれ表記を異にしています。絶世の美女とされる小野 地序に寄する白波 5 つどかけて 洗はん。洗ひ洗ひて取リムけて、 小町ですが、若い頃を扱ったのはこの曲だけです。 見れば不思やこは気何に。 153

3. 能楽手帖

つね」 一一番目物 経正 にんなじおむろごしよしゆがく ー素材 【あらすじ】京都の仁和寺、御室御所の守覚法親王は、琵琶の名手である平経正 「豕物巻七 を、少年の頃から寵愛されていました。ところが、このたびの一ノ谷での源平の■人物 せいざん 合戦で、経正が討たれたので、生前、彼にお預けになったことのある " 青山とワ、千工行物都 ( 角帽子沙門、経水 かげんこ、つ 、えこ、つ ぎよ、つリ、 衣、白大口、掛絡 ) いう銘のある琵琶の名器を、仏前に供え、管絃講を催して回向するように、行慶 そうす シテー平経正の霊 ( 面ム須または十 僧都に仰せつけになります。行慶は、管絃を奏する人びとを集めて法事を行ない 六、里、梨打鳥帽子、長絹または ます。するとその夜更け、経正の亡霊が幻のように現れ、御弔いの有難さにここ単法被肩脱、色大口 ) たむ まで参ったのであると、僧都に声をかけます。そして、手回けられた琵琶をなっ■場 かしく弾き、夜遊の舞をまって興じます。しかしそれもっかの間、やがて修羅道山城国、仁和寺 ( 現・京都吏物京区 御室大内 ) での苦しみにおそわれ、憤怒の思いに戦う自分の姿を恥じ、灯火を吹き消して闇 の中にん失せます。 秋 【みどころ】この曲は、修羅物 A 」はいえ、死後も幽霊となって琵琶の音色を慕っ・演能時間 て現れ、過去の芸術生活にあこがれる優雅な士豕の貴公子を描くことを主題とし一時間 ています。普通の修羅物は一一場よりなり、前場は若い里男や老人の樵などの化身 古式 ( 剛 ) 、に早 ( 喜 ) 、替之型 ( 観 ) で旅僧の前に現れ、後場に武士としての本姿で登場するのですが、この能は一場 物で、簡明な構成になっています。勇壮な戦物語や悲惨な最期をとげた戦の苦し きこり 172

4. 能楽手帖

がら、桜に重点がおかれ、満山桜花の嵐山を背景に、木宀寸、勝手の華やかな相舞舞衣、白大口 ) 後ツレ・・・・膠于の神 ( 面邯鄲男、風折 を見せた後、蔵王権現の豪快な所作を見せるショー的な美しさが、この曲のねら に帽子、単狩衣、白大口 ) いです。世阿弥時代の脇能のようないかめしさはなく、前場でも、クリ、サシ、 後シテー - ・・蔵王権現 ( 面大飛出、赤頭、 クセ、ロンギといった謡をきかせる部分はなく、すべて簡略に話をすすめ、見て袷狩衣、半切 ) ー場明 楽しい舞台になっています。 前シテ、前ツレの老夫婦が、後場の木守、勝手に照応する筈なのですが、男打山城国、嵐山 ( 現・京都吏物京区嵐 山 ) 曲の演出で、シテ役は前場では木守明神の化身、後場では蔵王権現になっている まいはたらき はやふえ ので一寸混乱します。後シテが〈早笛〉で登場しながら〈舞働〉をまわない脇能春 ( 後嵯峨天皇の頃か ) ■演能時間 は、この曲だけです。あまり物足りないので、前場も勤めるようになったのでし 一時間三十分 よう。後ツレを子方で演する場合もあります。 桜を扱った能はいろいろありますが、この能ほど華やかで変化のある曲はあり 猿聟 ( 大・和 ) 、白頭 ( 観・宝・春・ ません。脇能として初番に演じられるだけでなく、半能形式で祝言曲としてフィ 剛 ) 、祝言ッ式 ( 観 ) ナーレ風におかれることもあります。 ごるむこ かえあい 【備考】〈替間〉に「猿聟」というのがあります。吉野の聟猿が供猿を連れて、 嵐山に住む舅猿のところへ挨拶に来て、酒宴となるという筋立ですが、登場者全 員が猿で、猿の面をつけ猿一一一一口葉を使う、という珍しいもので、独立した狂一一一一口とし て演ぜられることもあります。

5. 能楽手帖

若の秘術に翻弄されます。弁慶は、牛若と聞いて降参し、主従の契りを結んで、一時間 九条の邸へお供します。 替装東 ( 剛 ) 、扇之型 ( 剛 ) 、笛之巻 【みどころ】能といえば、前場は神や幽霊が化身で登場し、後場でその本体を現 ( 観 ) 、弦師 ( 和 ) すというパターンが多いのですが、それとは別に、現実の人間がシテとして登場 し、現在進行形で事件を描いてゆく〈現在物〉と呼ばれるグループがあります。 この能は「正尊」「安宅」などと共に、鏖男で知られた弁慶をシテとした現在物の 代表曲です。普通知られている話では、弁慶が良き主にめぐり会、っため、千本の 刀を集めるべく五条の橋に出没したのに対して、能では、牛若の方が通行人を斬 って廻ったことになっています。そして、弁慶をシテにしながら更に強い牛若を 中心に描いているのが特色です。長刀を揮う弁慶と小太刀であしらう牛若との斬 組が見どころです。この能にはワキはありません。 【備考】「笛之巻」の小書になると、前場がすっかり変り、前シテ常盤御前、ワ キ羽田秋長が出て、弘法大師伝来の笛を牛若に見せて教訓する場面になります。 観世流のみにある演出です。常の「橋弁慶」ですと、後場に登場した牛若丸が 「さても牛若は母の仰せの重ければ、明けなば寺に登るべし」という述懐が唐突に 浮き上がっていますが、「笛之巻」ですと前後がうまく照応します。 なお当時の五条通りは、一筋北の現在の松原通りであったとの事です。 ふる 、ンテ「弁慶彼を見つけつ、、言葉を かけんど思へども、見れば女の 205

6. 能楽手帖

ら、室町時代の中期にはあった能です。江戸初期の本によりますと、前シテは、 同装東の童子のツレを伴って登場しています。男打では、前シテが一人で出、天 ノ探女の化身ということになっています。そして後シテは龍神です。一応複式夢 幻能の形式をとっていますが、古い時代には、天ノ探女とは別に龍神が出たよ、つ にも考えられます。 更に観世流では前場を省略して、祝言用の半能にしてしまっています。次第の ま + ったい なの 囃子でワキが登場し、次第、名宣りがすむとすぐ待謡となります。つづいて早笛 の囃子で、シテが棹を持って出、懾り一ノ松で謡い出し、ノリ地に拍子を踏む ことなどがあって舞台に入ります。棹を捨てたあと、両手で岩船の引き綱をたぐ る型などがありますが、おおむね基本的な所作で、すぐ終ります。とにかく勇壮 活発にきびきび動くだけの曲で、「翁」付の正式五番立の能会などのフィナーレに、 さっと終る祝言能」して珍重されています。 【備考】能としては一寸重味が足りないので、観世流では半能の祝一一一一罷になった のでしよう。他流でもやがてそうなる気がします。「猩々」や「重」も元来一一 場の能が、後場たけで一成され、かえってすっきりとなったものです。 観世流には祝言専用の半能に、もう一つ「金札」があります。古い形の脇能で、 本来前場に重点があったようですが、短い後場だけが残りました。 舞働 ( 観 ) 地ていさらていさど、押すや声 の、 五十分 ( 半能の場合は一一十分 )

7. 能楽手帖

、つしのとキゝ玉いりじゅそ 生々しい怨念を、古くから日本にある民俗信仰の丑刻詣の呪詛をからませて描■時 いた異色の作品です。 ■演能時間 前後一一場構成になっていますが、前場は筋を運ぶだけの簡単なもので、狂言 くちあけ 一時間十分 ロ開という形式で、情況を説明しておき、都の女が登場すると社人はすぐ神託を阜。書 みちゅき 告げて逃げ去ります。都の女も出てきて、すぐ退場するのですが、道行の謡、社早鼓之伝 ( 観 ) 、中人之伝 ( 観 ) 人から神託を聞くや、激しい鬼気を漂わせて、笠を捨ててキッと正面を見込み、 体をひるがえして幕へサッと走り込みます。この時、身の毛もよだつような凄味 を感じさせねばなりません。後場、祈疇台を表す作り物が出ます。その棚には、 侍烏帽子と髢をのせます。これは男女の人形を象徴するもので、この祭壇が後半 の演技の焦点となります。 でいがん 前シテは「葵上」同様〈泥眼〉という、まだ恨みの内へ籠った面をつけますが、 後シテは〈橋姫〉という憤怒と怨恨に燃えた表情の面をつけます。そして、頭に たいまっ は神託に従って、鉄輪 ( ごとく ) をさかさまにして、その三本足に小さい松明を地「に截 ~ 輪の足の、 かなわいたたき 、ンテ八焔の赤き、鬼どなって、 つけた鉄輪戴をつけて登場します。この物衣は他には用いません。激しい怒りの 地八臥したる男の枕に寄リ添ひ、 中にもある時は恋しく又恨めしく」とシオル型は、やさしく哀れな女心を見せ る大切な箇所」されています。 きふね 【備考】古名は「貴布禰」といいました。 秋

8. 能楽手帖

春 ( 朝長自害の翌年、元治一一年Ⅱ一 せます。 【みどころ】の次男、十六歳で自害した朝長の痛ましい最期を脚色した能で ■演能時間 すが、前シテと後シテがまったく別の人物なのは、修羅能では本曲だけです。一 一時間五十分 人の若武者の死を、人情厚い女人と、本人自身とが語るという構想になっていま宿小書 す。ワキが戦死者のゆかりの者であり、前シテが亡霊の化身ではなく、現実の人三世 + 方之出 ( 観・剛・喜 ) 、草間 間であり、しかも女性に戦物語をさせるという設定も、あまり類がありません。 ( 大 ) 、大崩之語 ( 脇 ) 、懺法 ( 観・ 宝・春・剛・喜・大・和 ) 「頼政」「実盛」と共に〈一一一修羅〉と呼ばれ、修羅物の中でも難曲とされています。 他の一一曲は、シテが老武者である所に難しさがあるのですが、この曲は、特殊な 構成のもと、前後の一一場が一続きの情緒を保ちながら、しかもそれぞれ異なった 演出となる難しさのためでしよう。 しよど、つ 前場では、〈初同〉のけに北邸のタ煙、一片の雲となり」と、上を見上げる型 朝長をいたむ心情が出ないといけません。そして〈語り〉が一曲のポイント になります。後場は、りりしい若武者の戦物語で、膝のロをのぶかに射させて」 と扇を矢の心で膝へ突き立てる型、八馬はしきりにはね上がれば」との足拍子な ど、文意に合せたきびきびした型所がつづきます。 【備考】治物巴から取材したほとんど唯一の夢幻修羅能です。朝長は新 の第一一子です。嫡子が悪源太義平、一二男が頼朝で、義経は異母弟になります。 地大崩にて朝長が、膝のロを、篦 深に射させて、馬の太腹に射っ ・け、らる . れば、 191

9. 能楽手帖

■作者 ・つト从、、 1 り 観阿弥 四番目物 通小町 【あらすじ】洛北八瀬の里で、夏の仏道修行を行っている僧がありました。この 百夜通いの伝説、「古事必など 僧のもとへ、毎日、木の実や薪を持って来てくれる女があります。今日もまた訪ー人物 れて来た女は、木の実づくしの物語などしますが、僧に素性を問われると、小野ワキ・・・ - ・。修 ( 子、無地熨斗目、 すすき 経水衣 ) 小町の「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ、小野とはいはじ薄生ひけり」とい ツレー里女〈小野小町の化身〉 ( 面 う歌の下の句を口すさみ、市原野に住む姥であるといい残して、かき消すように 若女、声織 ) 姿が見えなくなります。その言葉っきから、小野小町の幽霊ではないかと察した シテー早少将の怨霊 ( 面痩男、黒 僧は、市原野に行き、小町の亡き跡を弔います。すると薄の中から小町の亡霊が頭、経水衣、白大口 ) 現れ、僧に授戒を請います。するとつづいて早少将の怨霊が現れ、私を残して・場明 ざん ~ ・山城国、八瀬 ( 現・京都市左 行くのかと怨み、小町の成仏をさまたげます。僧は深草小ノ将の怨霊に対して、懺 、も・もよかよ 京区八瀬 ) 悔のために、百夜通いの様を見せるように説きます。少将は請われるままに、雨後場・山城国、市原野 ( 現・京都市 の夜も雪の夜も、小町を慕って通いながら、九十九夜目、恋の成就する喜びの絶左只区静車Ⅲ原町 ) 頂で死したりを、狂おしく再現して見せ、やがて小町も小ノ将も成仏します。 夏の終り 【みどころ】観阿弥の作品は、類型的な様式にとらわれないのが特色で、この能 ■演能時間 にも、後世の完成された能には見られない構成が見られます。たとえば、ツレは 前場、後場に出ますが、シテは後場だけにしか登場しません。それだけツレが重を小書

10. 能楽手帖

【みどころ】作者の観世小次郎信光は、世阿弥の甥・音阿弥の子です。彼は世阿■演能時間 一時間一一一十分 弥が〈幽玄の美学〉によって高い密度で完成させた能を、もつ一度脱皮させ、大 衆へ近づけよ、つと意図しました。演劇的な技巧を駆使し、能舞台をぎりぎりまで 前後之替 ( 観 ) 、重キ前後之替 ( 観 ) 、 使い、シテ一人主義の夢幻能」はちがった、登場人物も多く、劇的な葛藤を盛り遊女之舞 ( 春 ) 、遊女之序 ( 剛 ) 、替之 出 ( 宝 ) 、留之伝 ( 宝 ) 、後之出留之伝 込んだ作品を書きました。 ( 宝 ) 、波間之伝 ( 剛 ) 、白波之伝 ( 剛 ) 、 この作品では、ワキは単なる物語の引き出し役といった旅僧ではなく、スト 1 真之伝 ( 喜 ) 、波間之拍子 ( 喜 ) 、血明 1 の展開の上で主導権を持っています。アイも、前後の場をつなぎ、シテが装 之祈 ( 宝 ) 、白式 ( 観 ) 、船唄 ( 和 ) 、早 東をかえる間、所の者として居語りするのでなく、船頭として劇の中にとけこみ、装東 ( 和 ) 、名所教 ( 大 ) 為所もたつぶりあります。そしてシテは、一一場形式でありながら、前後の役が化 身と本体という関係にあるのでなく、静御前と知盛の亡霊という全く異った人物 として登場します。悲運の武将と彼をっ美女との別離の宴が、一転して、嵐の 海上に怨霊と戦う激しい場面に変わります。前段の優麗、哀愁と、後段の勇猛、 壮絶と対照させ、前場では舞、後場では舞働と、盛り沢山の見せ場が用意されて いるので、男打曲中屈指の人気曲になっています。 【】静の舞は、「今日を限りの、心に染まぬ舞をまうのであるから、あまり浮 いてはいけない」とか、「別れを惜んで長くまいつづけたい心である」といったロ 伝があります。 シて \ 知安か沈みしその有様に 地「、ま・た義経・立に沈めんど、 223