していた「景清伝説」を踏まえて、能作者が相 ) んたものと思われます。 親子再会物の一つですが、子を失った母親が狂乱するとか、父親が出家して行 方をさがすとかいうのでなく、うら若い女性が、配所の父を尋ねる構成で、めぐ り会いながらもふたたび別れてゆく結末だけに、一層いとおしい感じがします。 能に登場する武将は、亡霊として現れ、修羅道の苦しみを告げますが、景清は 生きながら地獄の苦患を味わっているのです。輝かしい過去を持っ敗残の勇者の 末路を、かくまで痛ましく描き出した曲はありません。ギリシャ劇にも似た英雄 悲劇として、一でも高く評価されています。 この曲は解釈によっていろいろな演出法があります。それによって面や装東の 選び方が変ってきます。この曲のシテは〈景清〉という専用面をつけますが、こ地そ又浦はに鑿す。波も、 聞こゆるは、タ汐も、、すやらん。 の面には髭があるのとないのと一一種類あります。扮装も大口をはくのと、着流し のままのとあります。髭のある面で大口をはき、床儿にすわると、非常にいかっ く、かっての威風を残した演出となり、髭なしの面に着流し姿で、安居している と現在の落ちぶれた境遇に主眼をおいた演出になります。 【備考】人丸の役は普通、若い女性ということで、ツレとして演じられますが、 子方で行う演出もあります。子方の方が哀れさを増す効果はあります。トモの役 をワキツレが演じる流儀もあります。 ( 剛 ) 、松門之会釈 ( 剛 ) 、替之型 ( 観 ) 、 杖之型 ( 剛 )
を対比させ、深刻な暗さを救っています。 金春系の古い能ですが、今日の演出は、世阿弥が大成した前後一一場からなる夢 幻能の形式に準じて処理し直されているので、演劇として素直に見ると、戯曲的 に不目然なところがあります。 たとえば、現在ではシテ ( 父親 ) だけが中入します。それも里人であるワキが、 所の者のアイを呼び出して、送り込ませます。これはシテが前後役を替えるとい う類型に合わせるために後世になって改変された処置です。本来は、老人夫婦は そのまま居残って、別の人が単于に扮して出た筈です。その方が自然です。ワキ はアイに命することなく、自分でシテを送り込む演出もあり、アイの出る時は、 シテの中入のあと切戸口から退場します。こうした演出から、ワキは不要な人物 であり、もとはなかったという推測もあります。アイはかなり後世までないのが 原則でした。キリは昭君がまったものと思われます。 地「 1 刑棘をくは、 研究面ではすでにはっきりしている部分も多く、こういう能こそ、能楽師が学シテ八主ヰれて空に立ら 」協力して点に復活させてほしいものです。 【備考】前漢の元帝の在位は紀元前四九 5 三三です。胡国とは中国北方、旧蒙古 地方 ( 現在のモンゴル ) を中心に強勢を誇っていた遊牧民族で、当時匈奴と呼ば れた種族が支配した国で、蛮国と見なされていました。 きよ、つど 早装東 ( 剛 ) 、オドロ拍子 ( 喜 ) 、留之 伝 ( 春 ) 、舞働 ( 観 ) 一・◆會◆ 137
の執心を扱った曲です。「伊勢の海、阿漕が浦に引く網も、度重なれば顕れにけり」秋 という和歌がこの曲の中心にすえられています。この歌は、本来、忍び逢う恋の 歌です。それをもとの伝説である密漁の物語にもどしたのがこの能です。終始不 気味に陰惨な気分がただよっています。 前段では、シテの語りとクセが謡の聞きどころです。また中入前の釣竿を使っ た所作も見のがせません。しかしなんといっても眼目は、四手網を据え、その中 に魚を追い込む有様を見せる〈立廻り〉で、「善知鳥」の〈カケリ〉と好一対をな りんちゅ、つひしよ、つ す蹼なものです。『隣忠秘越に「此能は忍びて殺生する心を離れず、幕の内 より魚を追込むまで、この心得要用なり」とあります。 すおう 【備考】観世流の演出では、ワキは日向国の男というだけで、素袍姿の俗人です。 これも全体の印象を和らげています。しかし反面普通の旅人ですと、仏法の功徳 によって殺生界の責苦から救われるという感じは、やはり弱くなります。他流で地「弔 ~ こそ頼リ法の声 、ン一丁互に - は聞け / 」 4 も、かよほヒには は、ワキは旅僧で、ワキヅレの従僧を伴うこともあります。観世流でも、前後に 上演する曲によって、旅僧にする演出もあります。「善知鳥」は大小物ですが、こ地たが霏をのみの の能には太鼓が入ります。その辺も少しちがう訳です。 この曲には諸流を通じて小書がありません。これは常の演出がすでに特殊なも ので、小書的な効果を含んでいるからでしよう。 ■演能時間 一時間一一十分 各流ともなし
がなされています。異色ではありますが、作者世阿弥としては、相当自信があっー演能時間 一時間四十分 たよ、つです。後世になると、養老の滝は、孝行の徳で酒になったという点が強調 されますが、能では「仙家の薬の水もかくやと思」われる不思議な水だとし、親 水波之伝 ( 観 ) 、彩色「 / 」伝 ( 観 ) 、祝一言 孝行を押しつけるような教訓的なところはありません。 之式 ( 観・剛 ) 、薬水 ( 和 ) 男行の演出では、前シテとツレが中入をすると、入れ替りに間狂一一一一口が里の男の 役で登場します。 ( シテだけ中入してツレの残る場合もあります ) アイはワキとの 交渉はなく、独白の形で演ぜられます。 ( このアイが、養老の山神に仕える末社の 神の場合もあります。またアイが登場しない演出もあります ) アイが退場したあ かみまい と、後シテが颯爽と登場し、〈神舞〉をまうことになっています。この演出では、 前シテが後シテの化身であるように思えます。古くは、親子の者が実在の人物と して、ワキの勅使 A 」共にそのまま舞台に残り、別の役者が山神の役で出たのでは ないかと考えられます。本文の書き方から見て、その方が自然です。アイやツレ 、ンテ松陰リ十代を映せる緑かな ゆみや の扱い方の混乱も後世の改修の不徹底さの表れです。後シテは「高砂」や「弓八地」・、↓の井の、 幡」のようにもと老体であったと思われます。位の高い神でなく、名も無い荒々 しい山神ですから、同じ〈神舞〉でも野趣のあるキビキビしたものになります。 【備考】霊泉出現によって、霊亀一一一年十一月、「養老」と改元されました。七一七 年のことです。 261
こうけんざ あとざ 最後の場合をいう。曲舞は〈次第〉〈クリ〉〈サシ〉後見座舞台正面奥、後座の、向かって左の隅。後見 〈クセ〉の四部から成るのが原則であるが、現在で 役の控えている場所。普通は一一人、重い曲の時は三 おも は、最初の〈次第〉のあるものが少なく、従って人出る。そのおもだった者を、重後見という。三人 〈クリ〉が曲舞の冒頭にくる場合が多い。上音を主 の場合は、重後見が一人前に出る。一一人の場合は、 とした高い調子の謡。 向かって左側にすわる。 くろがしら 黒頭黒色の長い頭髪で毛が多く、面をかくすよう小書通常の演出とはちがう替の型、蹼演出のこと。 にかぶさり、うしろは腰より下まである。用途は広番組の曲名の左下に小さく書き添えるところから来 。〈童子〉〈慈童〉の面をつけ、少年や妖精をあら た呼び名。能の演出が固定してから変化を求めるた あやかし わす役。〈痩男〉〈怪士〉の面を用いる男の怨霊、亡めに生れたものが多い。〈小書〉という名称が何時 霊の役。また「弱法師」などにも用いる。また〈黒頃から使われたかは不詳。 こつづみ 頭〉と称する小書によ 0 て、常は赤頭の「野守」や小鼓能の打楽器の一。左手で持ち、右肩にかつい 示鍛冶」や、「安達原」の鬘が黒頭にかわることも で打つ。調緒をややゆるい目にしておいて、それを ある。位は白頭の時よりも更に重くなる。「鉢木 左手の指で締めつ緩めっして音色に変化をつける。 「船弁慶」の後シテ、「羅生門」のワキのように黒頭革は馬皮で、当歳または一一歳駒の皮を良とする。湿 に鍬形をつけて兜を表すこともある。 度と温度に微妙に影響されるので、演奏中にもたび 見所能楽堂は見物席のことを、一般に見所といい習 たび息を吹きかけたり、唾液でぬらしたりして調整 わしている。〈けんじよ〉という時もある。 する。何十年も打ち込んだ古い皮ほど良いとされる。 289
よりテンポは早く、軽快な感じである。笛と大小鼓で最も高い調子である。小書に〈盤渉〉と称する一 で囃すものと、太鼓の加わるものとがある。金剛流グループがある。〈序之をまたは〈楽〉などが盤渉 では〈二ノ舞〉という。「野宮」「羽衣」「松風」「右調に変るもので、装東、型吊」は変った演出となる。 はんのう 近」など。 半能前後一一場ある能の、前場を略し後場のみを演す はやまい 早舞笛を中心に、大小鼓、太鼓にて囃し、〈中之舞〉る形式。最初のワキの出は常の通りとし、前シテ、 と〈神舞〉の中間の速度の、爽やかで典雅な舞。貴アイなどは出す、後場に移る。脇能を祝言能として、 お、つしき 一日の催能の最後に上演する場合は、この形式を採 人や成仏した女人がまう。初めは黄鐘調、一一段以後 ばんしき きんさっきくじどう いわふね は盤渉調になる。「海士」「絵馬」「玄象「須磨源氏」用する。「岩船」「金札」「菊茲蕫」などは半能形式が しやっきよ、つ たえま とおる まつやまてんぐ 常態となったもの。「石橋」なども今日では、前場 「当麻」「融」「錦木」「松虫」「松山天狗」 はん」り・ 、つねおり・ が上演されることの方が珍しい。 半切形は大口に似ているが、後ろが畝織でない。主 ばんばやし しゆす に繻子地の金襴で、様々な模様を織り出す。上衣に番囃子毒謡に囃子の加わったもの。略式演奏の一。 はんまく は法被を着る場合が多い。神、鬼、天狗、武将の役半幕後シテの登場に際して、揚幕の裾を半分ほど巻 ししる き上げ、幕内に控えているシテの姿を見せるように ばんしキ」 盤渉本来は雅楽における旋律の調子の名称であるが、する演出。シテが床儿にかけている時はほとんど全 それを能に適用したもの。十一一律の一。能の舞事の身を、シテが立っている時は下半身を見せることに なる。一度幕を下ろし、改めて本幕で登場する。 囃子は、黄鐘調を基準とし、それより低くする時が 平調、高くする時が盤渉調となる。能の囃子の中書によってこの演出法になることが多い。 ひょ、つじよ、つ 0 298
はその後ろに、子方の扮する一一匹の龍神がかくれていて、後場にその岩を左右に第小書 酔中之楽 ( 観 ) 割って飛び出すのです。大人が龍神を勤める時は、揚げ幕を岩屋に見立てて、そ こから走り出ることもあります。しかし子供の龍が大きな岩を割って飛び出して こそ、風流能の面白さがあるといえます。 眼目は、夫人と仙人との〈楽〉の相舞です。最初は夫人が一人でまっています 4 が、仙人がだんだんと興にのり、見よう見真似でまってゆくつもりで、型は少し一 ずつおくれ、足拍子も間をはずして踏むという演出があります。また、容色に見一ーーを とれて足をとめたり、近づいて体に触れたり、誘惑に負けまいと身をさけたりす る型もあります。創作当時は、かなりエロチックな演じ方もあったのではないか と推測されています。 面は〈一角仙人〉という額に角の生えた、この曲専用の蹼な面を用います。 古くは、仙人役のアイが、一角仙人を起こしにくるという演出があったよ、つで す。女色に迷い酔い伏すという構想と共にこの曲には「紅葉狩」の影響が窺われ ます。 なるかみ 【備考】歌舞伎十八番「鳴神 . は、この能をふまえて作られたものです。主人公 の鳴神上人は、一角仙人の故事を知っていて、警戒しながらもやはり仙人同様、 くものたえまひめ 雲絶間姫の誘惑におちる訳です。 シテ一去身に着て、袿の飛膏め、 甕年経れども不老不死のこの身
小袖によってされます。これを〈出小袖〉といい、能のすぐれた演出方法の 一つです。 前半の終りの〈枕之段〉と呼ばれる部分は、文章も節付も流麗で、型も文意に合 ったきびきびした動きで、シテの成憎が日平咼潮する場面で、阜もっかせません。 枕之段に入る前の〈クドキ〉の部分も、型はありませんがじっくりと謡を聞い て下さい。怨霊と行者が争っ〈イノリ〉が後段の見どころです。 でいがん はんにや シテはでは〈泥眼〉、後段で〈般若〉の面をつけます。これは、嫉妬の情が まだ内攻している場合と、烈しく外へほとばしり出た場合、恨みと怒りを外形的 に表現し分けている訳です。 【備考】近江猿楽系で演じられていた能を、世阿弥が改作したもので、男打の演 出にいたるまでにも、いくつかの改訂があるようです。 古くは前シテの登場に、破れ車の作り物を出していたようです。また、本文に ある″青女房″が、御息所の従女としてツレ役で登場していました。現在、シテ とツレ ( 照日ノ巫女 ) の掛合いの謡になっている部分は、本来シテともつ一人の ツレ ( 青女房 ) とが謡うべきものです。また後場で、シテと地謡とが掛合いで謡 う亜嵬調伏の祈疇の言葉も、古い演出では、ワキが謡っています。その方が理屈 にあっている訳です。 たしこそで ツレ「、半もな、車の轅に取リつき、さ めざめど泣、ご給ふ膓はしさよ。 0
く扱われていたのでしよう。ツレは本文では市原野辺に住む姥ぞ」といいなが ら、若い里女の扮装です。またかき消すように失せにけり」とあるのに、中入 せす、後見座にクッロギ、同じ扮装で後場を演じています。ツレという格から来 た後世の演出で、復兀した方が合理的です。 ( 小書により中入する演出もあります ) 「熕悩の、大となって、打たるると、離れじ」という、ひたむきな愛情をもて あそばれた男の執念のすさまじさと、それから逃れようとする女心の交錯を主題 とした特異な作品です。恋に破れた少将は、死してなお現世の執着をすてす、業 火をいとわす、自分の成仏はもちろん、女の成仏もさまたげようとします。恋慕、 執着、怨恨など人間煩悩の果てしなさを強く感じさせます。 そうした陰惨な空気の中にも、百夜通いの昔語りの件は、大宮人の優雅な趣、シテさらば煩悩の、大どな「て、打 た一る、ど、離れじ。 恋の華やかさが匂います。強味があって、しかも、そこに一抹の優雅さをほのめ ツレ「恐ろしの姿や、 かす程合いが難しいのです。 シア袂を取って、引き止むる。 【備考】小野小町を扱った作品はいくつかありますが、現在残っているものは、 いすれも現在物です。小町が亡霊として登場するのも、小町がシテ役ではなく、 ツレ役になっているのも、この曲だけです。古名を「四位ノ少将」といいました。 現在の曲名「通小町」ですと、小町が通ったように受けとれますが、小町のもと へ通った、の意で、主格は将です。 麸衣東 ( 剛 ) 、杖之型 ( 宝 ) 、両夜之伝
大鼓」が、現在の「綾鼓」であるか、あるいはその原曲をさすと考えられるので、各流ともなし もてあそ 世阿弥当時から類似の能があったことは確かです。老人の弄ばれた恋の怨恨が主 題となっています。恋には亠須の区別はなく、身分の差異もないとはいえ、やは昼、 : り老人の恋というのは異常であり、しかも卑賤の老爺が、高貴な美女に恋をする という設定は、悲劇的な結末をはらんでいます。 もしゃ我が恋がかなっかも知れぬと期待に胸をおどらせつつ鼓に近づき、そし て打っー老人の喜びと気迫を秘めた動きに、注目したいところです。しかし、打 てといわれて、いきなり打つのではなく、老の身で恋をする反省もあり、それを 押え切れぬ切なさを、一一度のシオリで充分に一小しておくという演出もすぐれてい地に掛けたる、綾の鼓、 乍、ンテ鳴るものか、打らマ、驀へ、 ます。後シテがツレを激しく責め立てるところも、能には珍しい程リアルな所イ 地「打てや打てど責め鼓。 が続きます。 【備考】宝生、金剛両流にあります。喜多流でも昭和一一十七年に新曲されました。 類曲の「恋重荷」は観世流にだけあったのですが、近年金春流でも復曲されまし た。この曲をもとに、三島由紀夫が「近代能楽集・綾の鼓」を創作しています。 ピルの掃除夫の老人が、洋装店のマダムに恋をするという設定で、能の櫻間道雄、 観世銕之亟、狂言の野村萬、茂山千之丞、新劇の長岡輝子、岸田今日子らが、洋 服に能面・狂言面をつけて、現代語をしゃべる演出 ( 武知一 l) が話題でした。