物 - みる会図書館


検索対象: 能楽手帖
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1. 能楽手帖

五番立ての分類 一番目物 ( 脇能、神能 ) - 、・ -- 江戸時代の正式の演能では 「翁」につづいて行われた能。神を主人公として、神社 の縁起や神威を説き、国の繁栄を予祝し聖代を寿ぐ内容 で、演劇性よりは祭記性が強い作品。 ニ番目物 ( 修羅能 ) ーーーー仏教では、戦にたずさわった者 は修羅道に墜ちて苦しむという。主として源平の武将の 亡霊がシテで、旅僧の前に現われ、合戦の様を見せ、死 後の責苦を訴え、回向を願う作品。 三番目物 ( 鬘物、女能 ) 「源氏物語」など王朝文芸 のヒロインや歴史上の美女がシテで、その亡霊がありし 日の恋物語を回想し静かに舞をまうという構戉。能の理 想美であるく幽幻の風情を追及した作品。 四番目物 ( 雑能 ) ーーー・他の分類に属さない能が、ここ 集められている。男女の物狂物、史上の武士を主人公に した現在物、非業に死んだ人間の執心・怨霊物、中国人 をシテとした唐物なと・曲数も多い。 五番目物 ( 切能、鬼能 ) 一日の番組の最後に置かれ る能。フィナーレ用の、見た目の派手なものが多い。人 間以外の鬼畜・鬼神の能、龍神・天狗の能、程々、獅子 ・山姥など妖精の類や貴人の早舞物など。 しと レ 0 ・謳権藤芳一 み簽に第い 写真牛窓正勝 装丁吉田重雄 発行 2003 年 9 月 15 日 印刷・製本 平河工業社 発行所仭能楽書林 〒 101 ー 0051 東京都千代田区神田神保町 3 ー 6 電話 03 ー 3264 ー 0846 F A X 03 ー 3264 ー 0847 権藤芳一

2. 能楽手帖

てもらって、すっかり執、いが晴れたと、嬉しそうにんてゆきます。 【みどころ】一源氏物巴に取材した能の一つで、脚色の形式は普通の三番目物 かづらもの 鬘物との形式ですが、舞は〈 / 」舞〉や〈中 / 」舞〉ではなく、正気を失った 態で〈カケリ〉をまいます。ですから、今日の分類では一応四番目に属していま すが、常の物狂いよりは源氏物らしい優艶な趣があります。 実はこの能は、横尾元久という素人の作で、氏物巴によりかかりすぎ、見 物も当然、浮舟の話をよく知っているという前提で書かれているので、謡の文章 をたどっただけでは、一寸理解のとどかないところがあります。 ( 間狂言が詳しく 語っているのをよく聞いて下さい ) 戦前は、あまり人気がなく、宝生、喜多では廃曲としていましたが、最近は類シテ「、柴積丹の寄る波も、なほた・「き な、憂身かな。 型にとらわれない女主人公の描き方が、かえって面白いと再評価されるようにな って来ました。もともと世阿弥も、この能を高く買っていて、『三迴 ( 能作書 ) の中で貴人が恋に悩み、物屋につかれるという素材は得がたく、古歌にいう「梅 が香を桜の花に匂はせて柳が枝に花を咲かせむ」という曲だとしています。それ だけに素人の手にあまったという感じもします。 【備考】禅竹もこの能に心を魅かれていたことを書き残しており、それが「玉鬘」 摯の動機になったと思われます。 彩色 ( 観 )

3. 能楽手帖

( 主として後見座 ) で、装東の一部を脱いだり、着 拍子がこまかく緩急の著しい変化に富んだ舞である。 シテならびに囃子それぞれ重い習とされている。 替えたり、烏帽子や羯鼓などを着けること。物着に みちゅき 道行旅をする趣の詞章を、った、つ部分。普通はワキが よって自然と前後一一場の観が生ずる。従って物着は 名ノリの後にうたい、目的地に着いた態で終る。こ 一場物に多い。また小書によって、中入をやめて物 の一段は必す平ノリ拍子に合う謡であることを条件着をする演出 ( 「井筒」 ) 、反対に物着をやめて中入す ゅやきぬた とする。時にシテッレ ( 「熊墅「砧」 ) や、極くまれ る演出 ( 「葵上」 ) もある。なお物着の間、囃子方が あしらい にシテ ( 「道成寺」 ) の道行がある。〈次第〉で出る、ン静か父ム釈を奏することがある。これを〈物着会釈〉 という。但し女シテの場合に限る。 テは、当然〈道行〉と考えられるよ、つな詞章の場合 さげうたあげうた でも、常の下歌上歌を、ったうのを常型とする。 問答能の対話。主にシテとワキとが、土地の故事、 めつけばしら 目付柱能舞台の四本柱のうち、もっとも見所に突名所旧跡、往昔の事件などについて交す会話。節の き出た、笛柱と対角線上にある柱をいう。能をま、つ ないコトバで行なわれるが、終りはワキが感服して 役、特に面をつけている役が所作の目標とする柱。 詠嘆的となり、〈サシ調〉の掛合に移り、地謡の あけうた ″目をつける″〃見当をつける〃という意味から来〈上歌〉に続くのが常型。 よわぎん た々。角にあるので「角柱」ともいう。 弱吟単にヨワともいう。強吟に対する。謡曲本 ものぎ 物着本来は装東を着ることをいった。昔は装東付を来の発声法で、強吟にくらべて自然な発声で、七音 ものぎせし 専門とした役があり、〈物着師〉といった。シテ階の区分がある。微妙、複雑な表現が可能である。 ( 時にツレ、子方、ワキ ) が、一曲の途中、舞台上曲により、全曲すべて弱吟のものと、強吟の混じっ弸 もんど、つ

4. 能楽手帖

つね」 一一番目物 経正 にんなじおむろごしよしゆがく ー素材 【あらすじ】京都の仁和寺、御室御所の守覚法親王は、琵琶の名手である平経正 「豕物巻七 を、少年の頃から寵愛されていました。ところが、このたびの一ノ谷での源平の■人物 せいざん 合戦で、経正が討たれたので、生前、彼にお預けになったことのある " 青山とワ、千工行物都 ( 角帽子沙門、経水 かげんこ、つ 、えこ、つ ぎよ、つリ、 衣、白大口、掛絡 ) いう銘のある琵琶の名器を、仏前に供え、管絃講を催して回向するように、行慶 そうす シテー平経正の霊 ( 面ム須または十 僧都に仰せつけになります。行慶は、管絃を奏する人びとを集めて法事を行ない 六、里、梨打鳥帽子、長絹または ます。するとその夜更け、経正の亡霊が幻のように現れ、御弔いの有難さにここ単法被肩脱、色大口 ) たむ まで参ったのであると、僧都に声をかけます。そして、手回けられた琵琶をなっ■場 かしく弾き、夜遊の舞をまって興じます。しかしそれもっかの間、やがて修羅道山城国、仁和寺 ( 現・京都吏物京区 御室大内 ) での苦しみにおそわれ、憤怒の思いに戦う自分の姿を恥じ、灯火を吹き消して闇 の中にん失せます。 秋 【みどころ】この曲は、修羅物 A 」はいえ、死後も幽霊となって琵琶の音色を慕っ・演能時間 て現れ、過去の芸術生活にあこがれる優雅な士豕の貴公子を描くことを主題とし一時間 ています。普通の修羅物は一一場よりなり、前場は若い里男や老人の樵などの化身 古式 ( 剛 ) 、に早 ( 喜 ) 、替之型 ( 観 ) で旅僧の前に現れ、後場に武士としての本姿で登場するのですが、この能は一場 物で、簡明な構成になっています。勇壮な戦物語や悲惨な最期をとげた戦の苦し きこり 172

5. 能楽手帖

供養するというのは、今日では妙な話におもわれますが、仏教思想では、作り話・ - 小書 ・も、つ ) ) かい は妄語戒を犯したことになり、それで式部の霊が成仏出来ないのだという設定に なっています。しかし、『源氏物巴が仏教流布の方便であり、式部は観世音であ るという結末は、構成上やや唐突で、論理的に説明不充分なところがあります。 しかし、もともとこの能のねらいは、『源氏物の成立を説明し、紫式部の文才 をたたえるのが主眼で、氏物巴の巻名をたくみに詠み込んで作られた詞章が ミソです。それにあわせて優雅な舞がまわれます。氏物四に見られる王朝的 な〃あわれを、能の美学、″幽玄。とからみあわせ、何処 A 」もいわす、しみじみ とした深さ、よい意味での咸舊をにじませ、無常咸 ) ただよわせます。 演技としては、基本的な型の組合せ、繰返しで、これといった目立った型はあ 0 、 りません。しかし、こうした意味のない型を積み重ねることによって味わいを出 さねばならないので、かえって難しいとされています。 、ンテ今ひ難き縁に向って、 クセがたつぶりしているためもありますが、三番目物としては、珍しく舞がな地心中の所願を発し、一つの殀栃 に写し、無明の眠リを覚ます南 く〈イロエ〉だけです。そのため〈舞入〉の小書で演ぜられることが多いようです。 無ぐ光源氏の幽霏成等止覚。 【備考】古名を「紫式部」といいました。当時、石山寺の縁起を説き、この寺と 『源氏物衄巴の作者、紫式部との関係を o-æして回っていた女芸人がいて、それを 能に仕立てたのだという説があります。 舞入 ( 剛・喜・観・宝 ) 、脇留 ( 観・ 剛 ) 、真之舞入 ( 宝 ) 103

6. 能楽手帖

■作者 世阿弥か ( 但し古作の改作 ) 四番目物 雲林院う《 & ん きんみつ 【あらすじ】津の国 ( 兵庫県 ) 芦屋の里の公光は、幼いときから『伊勢物巴を 「伊造とその古註 愛読していましたが、ある夜不思議な夢を見たので、従者を伴って都へのばりま■人物 す。都は紫野の雲林院につくと、桜の花が今を盛りと咲いています。公光がそのワキ戸屋の公光 ( 掛素袍、段熨斗 一枝を折ると、一人の老人が現れて、それを咎めます。それから一一人は互いに桜目、白大口 ) ワキツレー従者 ( 無地熨斗目、素袍 を詠んだ古歌をひいて、問答します。そして、公光は老人の尋ねに答えて、『伊勢 上下 ) 物巴に対する熱愛ぶりを語り、霊夢にひかれて都へ来た由を告げます。すると前シテー老人〈業平の化身〉 ( 面阿 老人は、自ら業平であることを暗示して、タ霞の中にんてゆきます。〈中入〉そ古父尉、小格子厚板、経水衣 ) アイー北山辺の者 ( 狂言長上下 ) のあと、北山辺に住む人が、雲林院に花見に来ますが、公光に尋ねられ、業平や 後シテー・・在原業平の霊 ( 面中将、初 『伊勢物巴について物語り、その老人こそ業平であろうから、ここで一夜を明か きどく 冠、単狩衣、指貫 ) し、重ねて奇特を見られては、と勧めます。公光と従者 A 」は、花の木陰で仮寝を・場明 します。すると、その夢の中に殿上人のよそおいの業平が現れて、『伊勢物巴の京都、紫野・雲林院 ( 現・京都市北 中にある業平と一一条の后の恋を物語り、更に昔を偲んで夜もすがら舞をまいます区紫野雲林院町 ) が、やがてその夢も覚め、業平の姿もんてゆきます。 【みどころ】在原業平の霊が『伊勢物巴について語り、昔を偲んで舞をまうと ■演能時白印・ いうのが、この能の主題です。前段の『伊勢物巴を愛する男と業平の化身の老一一時間

7. 能楽手帖

阿弥作で『士豕物衄巴に材をとった修羅物ですが、創作の動機がいささか他の曲 ゅど」よ、つーしよ、つにん とちがっています。応永一一十一年 ( 一四一四 ) 一一一月、遊行上人が、篠原で実盛 しゅ、つねん の幽霊に十念を授けたという風聞が数ヶ月後に都に達しました。実盛が討死した のが寿永一一年 ( 一一八三 ) 六月一日ですから、一一百三十年後のことです。この京 きわもの 中の大評判になったニュ 1 スをふまえて生まれたのがこの作品です。際物 ) はい くちあけ え、堂々たる大作に仕上がっています。狂言ロ開で始まる点は、修羅物」しては 異例ですし、世阿弥自身「そばへ行きたるところあり」 ( 脇道へそれた ) と反省も していますが、『三道」では、この能を軍体の能の手本にすべしともいっています。 老武者の健気な最期を見せるのが、此の曲の本意です。時に実盛七十一一一歳。修 羅物らしい強さと共に、老武者としての渋さを併せ持ち、その剛気な風格とカ尽 きて枯木のごとく倒れて行く悲痛な心情を表現します。老体の曲としては動きの 多い能です。普通の修羅物の前シテは、始めは人間で、だんだんその本性を明ら かにするのですが、この曲では、始めから幽霊らしく登場して来ます。 よりまさ A 一・もかよが もりひ ~ ごみちもり 【備考】「実盛」「朝長、「頼政」を〈一一一修羅〉、「盛久」「通盛」「実盛」を〈一一一盛〉 といっています。いすれも修羅物の中では難しい、扱、 しにくい曲の代表とされて います。「実盛」はそのいずれにもはいっています。「未熟の能師の勤めざる能也」 と古書にあります。 地寒あ池波の岸に臨みて、水の碧 4 ・彰映る。 梁を第 125

8. 能楽手帖

・作者 たかすら 四番目物 ー素材 【あらすじ】諸国一見の旅僧が、奈艮の社寺を巡拝の末、初瀬の長谷観音へ参詣 氏物區玉鬘の巻 に出かけます。初瀬川の辺りまで来ると、一人の女性が底も浅い山川の岩間づたー人物 いに小舟を棹さしてやって来ます。不審に思って言葉をかけると、女は自分も長ワ + ・、、旅僧 ( 角帽子、経示衣、無地 熨斗目 ) 谷寺へ詣でる者ですと答え、「海士小舟初瀬の川」と古歌に当冰まれていますから、 ふたもと 前シテー女舟人〈化身〉 ( 面若女、 舟に乗っていても不思議ではありますまいと答えます。そして、僧を一一本の杉へ 経水衣、縫箔腰巻 ) し、玉鬘内侍が筑紫から都へ逃げ上り、此所へ来たところ、母タ顔の侍女右アイー初瀬寺門前の者 ( 狂一一〕上下 ) 近に巡り会ったことなどを語り、自分はその玉鬘の亡霊であるとほのめかして消後シテー玉鬘内侍の亡霊 ( 面増女、 え失せます。〈中入〉門前の男からも玉鬘の話をきき、僧があわれに思って、読経霹脱下げ ) していると、玉鬘の亡霊が現れ出で、乱れた思いに狂いまいますが、やがて昔の , も、つしゅ、つ 大和国、初瀬 ( 現・奈艮県桜井市長 事を懺悔して妄執を晴らし成仏したと見えるや、僧の夢もさめました。 谷観音 ) 【みどころ】氏物巴の中の女性の主人公をシテにした能がいくつかありまー時 すが、ほとんどは優雅な序′」舞をき 2 一一番目物です。「浮舟」と「玉鬘」だけが多秋 ・演能時間 分に一一一番目物的な味わいを残しながら、カケリをきっ四番目物 A. ) して書かれていま す。宝鬘」は、玉鬘内侍の迷いの多い内面生活を描いた狂乱物です。しかし狂乱翠ハ書 物とはいいながら、若い女性が物思いのあまり仏の教えにすがろうとする気持を、半流 ( 観 ) 164

9. 能楽手帖

■作者 け / ルトし / 、ト从・つ 三番目物 源氏供養 【あらすじ】安居院の法印が、石山寺の観世音に参詣する途中で、一人の里女に 氏物掣衣白」 呼びとめられます。そして「自分は、石山寺にこもって『源氏物巴を書き上げー人物 ました。物語は後世まで残るものとなりましたが、その主人公の光源氏を供養しワキ亠女居院の法印 ( 角帽子、経水 衣、白大口 ) なかったので、作者の私は未たに成仏出来ないでいます。どうか源氏の君の供養 ワキツレー従僧 ( 角帽子、縷水衣、 と、私の菩提を弔ってください。」といいます。法印は余りの意外さに驚くものの、 白大 Z) 供養の施主が紫式部の霊と判って心よく願い事を引き受けます。すると女は、タ前シテー里女〈化身〉 ( 面若女、唐 日影の中を、かき消すよ、つに失せてしまいます。〈中入〉法印は、門前の男に紫式織 ) 部について聞き、石山寺にしばらく逗留して弔う事にします。自分の念願の仏事アイー石山寺門前の者 ( 狂一一〕上下 ) 後シテ・、、。紫式部の霊 ( 面若女、前折 も終え、ついで式部のための弔いを行います。夜も更け、式部の身を偲び氏 鳥帽子、長絹、緋大口 ) 物について思いを巡らしていると、式部の霊が現れて、願文を法印に渡し、 、んこ、つ 共に源氏の回向をします。そして供養の礼にと舞をまい、これで自分も成仏出来近江国、石山寺 ( 現・滋賀旧尖津市 ると告げます。法印は、この紫式部は、石山観世音が仮にこの世に現れたものであ石山 ~ 辺 ) り、氏物巴もこの世が夢である当气人々に教える方便であったと知ります。 【みどころ】紫式部は石山寺にこもって氏物巴を執筆したという言い伝え ー演能時間 があり、石山寺には今もその書院が残されています。加雍工の人物である光源氏を一時間三 + 分 102

10. 能楽手帖

【みどころ】和歌の徳によって夫婦がめでたく再縁するというのが原典の主題で春 ■寅」時間 すが、能では、地位を得た妻と、零落した夫とが巡り会うという劇的なストーリ 一時間三十分 ーをたて糸に、当時その土地にあったと思われる御津の浜の網曳きと笠踊りを、 舞台芸に再編成し、シテの芸尽しとして見せるのが眼目になっています。一場物各流ともなし ですが、シテの物着によって、自然と前後一一段に分かれています。前半は〈名所 教え〉〈笠之段〉の部分の詞章、節付が面白く、それに合せての所作も見せ場にな っています。後半では、烏帽子・直垂と装東を替えて颯爽とまう〈男舞〉が中心 です。 この能は遊狂物に分類されています。シテの登場の仕方は、狂女物と全く同じ 形式で、〈カケリ〉があり、これも見逃せません。物売りが物狂いに 9 る扱いは ひはりやま 「雲雀山」にも見られます。 ひためん 世阿弥の能としては、珍しく直面の世話物で、見せ場の多い、盛り沢山の能で地ながら難波の芦効リ持ら て、 す。やはり、世阿弥の純創作ではなく、古作の感じが残っています。 【備考】古くは「難波」と呼ばれていました。現行の「難波」を「難波の梅」、 「芦刈」を「難波の芦」といって区別していた時期もあるようです。 小屋の作り物を、懾り一ノ松に据え、シテがその中に隠れる演出がありまし たが、現今では小屋を出さすに、ある態で演技する方が普通です。