高橋氏 - みる会図書館


検索対象: 写楽 : その隠れた真相
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1. 写楽 : その隠れた真相

テレビ番組の「歴史発見」で、論者に異論・反論・同意・同感のさまざまな意見を出すレギ ュラーゲストの、その晩の井沢氏のほかにいたもう一人の漫画家杉浦日向子さんが、 「わたしとしましては、写楽は写楽であってほしいのですが、別人説ではいまの高橋さんの歌 麿は、写楽に近い感じがしました」 と感じたままを率直にしゃべった、そのあとのことであった。 「いまボクが、大胆にこんなことを言い出すと皆さんはびつくりされるかも知れないが : : : 」 と前置きをした高橋氏が、 ( 爆弾的な発言とは、まさしくこういうときのもの、と私にはわか ったほど ) 突然に、実は最近、この説は成り立たないことがわかった、と言い出した。高橋氏 はこれまで写楽と歌麿の絵にこだわりすぎていて、写楽Ⅱ歌麿の線を追ってきたが、写楽は写 楽を除くほかの誰ともちがう存在だったことに衝撃的に気づく機会に恵まれた、というのであ った。 これを境に、高橋氏は、写楽Ⅱ歌麿説から潔く撤退した、というのであった。 お バーな表現ではなく ) 一度堕ちた地獄から、思いもしな テレビを観ながら私は、 ( 決してオー かったこの世に連れ戻された気になった。高橋氏の突然の方向転換の先が、なんと江戸末の斎 藤月岑が唱えて以来クルトまでがだまされた、阿波の能役者斎藤十郎兵衛だったからである。 228

2. 写楽 : その隠れた真相

限って仕事らしい仕事をしていなかった、つまり作画期の上でも、歌麿が写楽になりすまして 写楽版画をかいていたことが証明される というのに、私は一、二、よその版元で「紅つけ」のようなアルバイト作品を手掛けていた にせよ、歌麿が大局的にみてその十カ月間に限り仕事をしていなかったのは、高橋氏の一一一一〕う通 りだと共鳴した。 歌麿は、「歌撰恋之部」を寛政五年に蔦屋版のシリーズで発表し、浮世絵界の人気者になって いた。寛政六年には「当時全盛美人揃」をシリーズで出したが、それは五月までの仕事で、あ せいろ、つじゅ、つにと、さ とはブツツリ仕事をしなかった。歌麿が「青楼十一一時」のシリーズを久しぶりに発表して浮世 絵界に時代の寵児の顔をみせるのは、寛政七年秋のこと。写楽が蔦屋から百四十種、二日に一 点の割で描いた写楽版画を市場におくり出した十カ月間が、びったり歌麿の空白期間に重なる。 そろいもの 歌麿ほどの揃物 ( シリーズ ) の超人気絵師が、一年近くも仕事を休むなどということは到底 と高橋氏が一一一一〕うのに、私は当然のことだと共感しながら、同時にこれはまたた 考えられない、 いへんなことになった、と内心あわてた。高橋氏の説の根拠は、全く私と同じだからである。 そのとき、同番組の ( 論者の高橋氏とは別の ) レギュラーゲストの作家井沢元彦氏が、ただ いまは高橋氏のたいへんすばらしい謎解きに共鳴したが、しかし一つだけ疑問が残る。それは、 写楽が消えてから十年後に、歌麿が写楽についての悪口を言っていた事実が、文献資料にある 226

3. 写楽 : その隠れた真相

この池田氏の写楽一一人説は、説を唱える当の池田氏自身の中の ( 画家であり小説家でもある ) 四 二人の自分を、池田氏がこれが写楽だと唱えているのに過ぎないのが、私にははっきり解かっ てしまうのである。 池田満寿夫もまた、魔鏡写楽に魅入られてしまった一人だと、改めて私にはその謎の秘密が 納得できたのであった。 ところが、シリーズの二回目の高橋克彦氏の場合には、勝手がちがった。 写楽のテレビ番組に出演したこの時の高橋氏は、直木賞を受賞したばかりであった。「シリー ズ写楽を捜せ」の池田氏につづく第一一回目のテーマは、「追跡謎の能役者」とあったのだが、画 面に登場した高橋氏がしゃべりだしたのは、 「きよう明かす写楽のこれが、本当の結論。ボクには写楽の、思いがけない新しい展開が見え てきたのです」 主目した。 というのに、ます私は、冫 「これまでボクは、長い道のりを経てきました。枝葉をたどったり、袋小路にはいりこんだり、 撤退して初めに戻ったりして、さまざまな思考錯誤を繰り返しました。そうした紆余曲折のあ ったこれまでの道筋を、本当の結論にはいる前に聞いてもらうことにしまして : : : 」

4. 写楽 : その隠れた真相

テレビによると、高橋克彦氏が歌麿から撤退したのは、東京・落合にあるアダチ版画研究所 で、浮世絵版画 ( ならびに現代画家の版画 ) が復刻されているその現場を取材しての、結果だ A 」い、つ 同研究所は、戦前からこれまでの六十年間に一一千点の浮世絵版画の復刻を手掛けてきて、一 万枚を超える版木を所蔵保管していることでも知られる。すでにいま、後継者の数すくない彫 り師や摺り師たちに指示を与え、仕上りを検証しつづけてきている所長の中山吉秋氏は、こと 日本の浮世絵版画に関しては、どんなにすぐれた浮世絵の研究者や、学者、画家でも到底 ( 学 識技術の両面のほかすべての点で ) 及ばない、プロ中のプロである。 この " アダチ版画 ~ の中山所長が、戦前から手掛けてきた写楽や歌麿ほかの版木を、 ( テレビ 画面で ) 倉庫から次々引き出して高橋氏に示しながら、写楽は歌麿に比べて使用する版木の枚 数がすくない ( 歌麿だと七、八枚のところを三、四枚、すなわち約半数 ) ことに、言及した。 うすあい なぜなら、柄のない写楽の衣装は、墨や薄藍一色ですむのに対し、市松や桐の葉といった具合 に衣装の模様の複雑な歌麿は、図柄を彫りおこす版木の数も倍以上を必要とする。摺りに使用 する版木の数だけでなく、絵の印象からしても、 写楽は歌麿とも、ほかの絵師のたれとも違うーーー と断定する中山所長のことばに、高橋氏は " 崖から突き落とされる ~ ような衝撃を受けてい

5. 写楽 : その隠れた真相

て、これが写楽Ⅱ歌麿説から高橋氏が撤退する、そもそものきっかけとなったというのであっ た。以来高橋氏は、絵から写楽に迫る方向を換えて、もう一度写楽の基礎的な文献資料から写 というのだが、なんとも合点のいかぬ ( しかし、合点のいかぬ私 楽を考え直すことにした にとって奇跡的なまでに幸運な ) 高橋氏の方向転換であった。 いま日本の美術界で活躍中の、特異な人物画で売る油絵画家でも、描く人物 ( 女性 ) の表情す 明 ( 特に目 ) と同じ比重でかそれ以上に、衣装の柄をていねいに描きこむことに重点をおいている 人気画家の例も見られる。人物の着る衣装に季節に合った柄模様を多く描き込むことで、日本 お 人好みの絵にしているのである。 任 、歌麿と写楽の見たところの感じのちがいを認めた上で、むしろちがう作風に見える両 の 者の絵の裏に、同じ作者による意図的な描きかたのちがいが隠されていることに気づいたのも、 一一二ロ その秘密によった。 評 「女と男、日本人と外国人、やまと絵と洋風画」 美 といった相違点を持っ歌麿と写楽の絵にこそ、同じ一人の作者が「女と男」ほどに違うよ、つ章 に見える絵を描きわけている、共通点というよりまぎれもない同一性に、私は気づいたのであ十 第 写楽の絵は、美人画の歌麿が名を伏せ、ことさら西洋絵画的な写実 ( あまりの真 ) を盛り込四 る。

6. 写楽 : その隠れた真相

らしいこと、写楽の描いた大首絵は、「悪くせを似せたる似つらえ一だとかいって と、歌麿説の論者には痛い急所を衝く質問をしたのに、これにも高橋氏はにんまりと笑い 極めて明快な解答をした。 こっぜん それは、歌麿の写楽が忽然と姿を消して十年後に、歌麿は「お半長衛門」を演する役者絵を 描いたことがあった。画中の文のなかで、歌麿は十年前の写楽にことさら触れて、 「予が描くお半長衛門は、悪くせを似せたる似つらえにはあらす」 すなわち自分の絵は、写楽の描いたような似つらえ ( 似せ絵・似顔絵 ) ではないことを言っ た。恐らく、そのころの浮世絵界の一立ロし ( 5 こよ、写楽を描いたのは歌麿だったのではないかとい う噂が、陰でささやかれていたのに相違ない。その噂を打ち消すために、つまり歌麿が写楽に なりすましていた事実をことさらカモフラージュするための一文だったように、ボクには田 5 え る と確信をもって高橋氏がしゃべるのに、ついに私は、ガックリとなった。 ここまで確かな説得力をもって写楽 ( つまりは歌麿 ) の正体が明かされてしまっては、もは や私・田中穣の出る幕はない と私は考えた。絶望的な気分で、私はオンザロックのウイスキーのグラスを重ねた。 ところが、である。突然、なんと、奇跡がおこった。 227 第十二章美術評論家の責任において、明かす

7. 写楽 : その隠れた真相

といった前置きのあと、高橋氏は「写楽のすべては絵の検証から始まる」ことを頭におき、 その線にそった調査を始めたことから話を展開した。 テレビを観ながら私は、写楽の秘密を解くカギは写楽の描いた絵にしかない、とする私と全 く同じ意見なのに、共鳴した。と同時に、同じ写楽ファン、あるいは写楽研究者として " 相手 にする ~ には、さすがに手強そうな感じを私は受けとめていた。 高橋氏は、絵を検証する視点から判断して、写楽はプロの浮世絵師以外の何者でもあり得な いこと。写楽の役者絵の人物の手が顔にくらべて極端に小さく描かれているのも、春信から清 長、歌麿で完成する浮世絵美人画の特色だったこと。「東洲斎写楽画」、あるいは「写楽画」の らっかん 落款 ( 署名 ) の「画」の楷書の筆跡の筆の運びや勢いなどが、初期の歌麿の字体の癖にそっく りで、「一」と「田」にわかれていることなどを、次々と挙げていった。 テレビ画面上に明央に、そうした事実がつぎつぎ例証されてゆくのを見ながら、私は思わず、霈 「やられた」 とい、つ気になった。 人物のバックに、雲母や貝の粉を絵の具にまぜて塗る雲母摺りの大首絵のやりかたは、歌麿十 と、つづく写楽が蔦屋で共に得意としたもので、クローズ・アップされた大首の迫力の点でも、 両者は共通している。加えて、蔦屋の売れっ子絵師だった歌麿が、写楽の活躍した十カ月間に

8. 写楽 : その隠れた真相

じっぺんしゃ とり上げられた。写楽Ⅱ歌舞伎俳優中村此蔵説から、いっか此蔵と ( のちの ) 人気作家十返舎 ふたり 一九との合作だったとする、すなわち此蔵十一九の写楽二人説に変身していた池田満寿夫と、 平賀源内の孫弟子 ( 近松昌栄 ) 説から歌麿、さらに ( 写楽別人説の元兇とも言、つべき ) 江戸末 さいと、つげつしん の学者斎藤月岑の写楽Ⅱ能役者斎藤十郎兵衛説へと二転三転した高橋克彦が、それぞれの写楽 説を披露した。 その後、しばらくして、対立する写楽別人説のそれぞれの写楽を " 熱演 ~ した池田、高橋の " 面突き合わせて ~ 対決させる特別番組が、同じテレビで放 両氏を、同じスタジオに、 映されたりした。 そして、平成六年一月下旬、俳優のフランキー堺が三十年来の夢を実現する " 写楽の映画化 ~ に踏み切る話題が、マスコミでいっせいにとり上げられた。 私の " 母校 ~ の読売 ( 新聞 ) の、一月二十日付の夕刊芸能欄のトップを、フランキー堺氏の ポーズ写真と一緒に大きく飾った記事によると、 フランキー堺氏が、企画、製作、総指揮をする映画「写楽」は、写楽や版元の蔦屋重三郎ら が織りなす群像劇で、美術通の篠田正浩監督がメガホンをとる、という書き出しであった。 そもそもがフランキー堺氏には、今回の「写楽」の映画化では、二人の名監督の思い出があ るそうであった。一人は、同氏の出世作「幕末太陽伝」ほかで親しくした川島雄三監督で、同

9. 写楽 : その隠れた真相

新発見の古文書に、能役者の斎藤十郎兵衛がつづいて二人、三人と見つかったところで、そ の十郎兵衛が写楽 ( 私の見る歌麿 ) ほどの絵の描ける絵師だったことを証明する新資料が発見 される期待も、その可能性も、絶対にといっていいほどあり得ないはずだからである。 その番組のはじめに高橋氏がいみじくも言っていたように、謎の写楽の解明は絵の検証から しかうまれないはずでもあるからだ。 東洲斎写楽「四代岩井半四郎の乳人重の井」 229 第十二章美術評論家の責任において、明かす

10. 写楽 : その隠れた真相

物を物 役者斎藤十郎兵衛説をそれぞれの立場から唱える池田満寿夫・高橋克彦の両氏あたりに、講師 を依頼された方がよいとおすすめした。ところが、 ともかくも一度、会って話を聞いて下さい : という森嶋氏のたっての訪問を受けたのが、まずかったのか。あるいは、奇跡を私にもたら す幸運のチャンスとなったのか ? 温厚で誠実な人柄そのもののこ 彡 の人の熱心な口説きに負けて、つ いに私はその大役を引き受けてし まったのであった。 鐘 麿 晩 歌 その夜のおしゃべりで私は、写 楽版画の秘める謎と、写楽別人説孕 景 八蔵に写し出される謎との不思議な符章 敷館 座物 「ー専 合について、要点にだけ触れた。 十 第 、一時間ほど気楽なおしゃべりをし 木京 鈴東てから、 , 次にスライドを使い、江 イ = = ロ