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1. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

顔見世興行はじまる 十一月、顔見世興行の月を迎えた。 顔見世興行とは、新規の契約を終えた役者が一堂に会して行う、年に一度の華やかな興行をそう 呼んでいる。 顔見世興行は、朝六時位からはじまり、夕方、暗くなるまで行っていた興行だが、顔見世興行な らではの、狂一一一一口内容の方式があった。 しよさ′」と し・はらく 定番の暫、浄瑠璃の所作事 ( 舞踊劇のこと ) 、だんまり ( 暗闇の中で、顔と身ぶりだけのパントマイム にした無言劇 ) 、時代物の狂言 ( 徳川時代以前の公卿、僧侶、武家社会を題材としたもの ) 、一幕物の世話 物 ( 町人の生活、風俗に題材を取った狂言 ) 、そして、また時代物へ戻り、大詰めを迎えるという段取 りだった。 写楽は、蔦屋に言いふくめられて、三座の舞台で上演される各々のハイライトシーンを、すべて 役者絵に描くように命ぜられた。ほとんどのハイライトシーンを描くとなると、三座全部なので二 日に一枚位のペースで描かなければならない。 夏頃、蔦屋から渡されていた顔見世興行の定番をすでに頭に入れておいたので、舞台の幕が開い たら、すぐさま、活写出来るような態勢は整っていた。 十一月一日、三座の舞台が一斉に開き、にぎやかな拍子木の音が鳴りはじめた。 第 2 章・写楽を追いつめる

2. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

を描くのに注目。この豊国を抜擢して、役者の舞台姿絵を描かせて、売り出すことにしたのである。 寛政六年正月 曽我物から、市川門之助扮する十郎祐成を、全身像で描かせ、刊行することになった。流れるよ うなポーズ、どことなく、はんなりした色気のある美しい役者絵が仕上り、和泉屋は、得意満面で あった。 案の定、豊国のデヴュー版の役者絵は評判を取ることになる。 寛政六年、三月興行では、蔦屋の斜向いにある版元鶴屋から勝川春英も役者大首絵を刊行した。 豊国を売り出した版元和泉屋、そして勝川春英の大首絵を刊行した鶴屋も、 いまだに鳴りを潜め ている蔦屋の存在を不気味に感していた。 一方、蔦屋は正直なところ、焦っていた。 蔦屋と関わる絵師の中には、今一番、蔦屋が勝負に打って出るには、ピンとくる者がいなかった。 蔦屋は、また店が吉原大門五十間道にあった頃からの永い付き合いの絵師・北尾重政と弟子の政 美が訪れた際、 「五月興行の役者絵を出す予定なんだが、誰か腕の良い絵師はいないものですか」 と、耳もとで囁いて、いつになく弱腰の様に思われた。 こうした矢先、蔦屋の傘下の摺師と彫師が芝居小屋へ度々来ては、役者の舞台姿を写し出してい 第 2 章・写楽を追いつめる ささや

3. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

つつくが、当の十郎兵衛は、そんなことどこ吹く風といわんばかりに、今日も矢立筆と、懐紙をふ ところへ入れ、ぶらりと八丁堀の屋敷をあとにした。 季節は五月、亀島川から霊巌橋へかかる堀割の土手の柳が風に吹かれて、いかにも優し気になび いている。十郎兵衛の足は、人気の少ない堀割の道を抜けてどこへ向かうのだろうか ? 霊巌橋を渡り、小網町を少し行って葭町に入る少し手前に、親父橋がかかっている。親父橋を渡 ひだりづま ると町はすっかり華やかな様子を呈する。向こうから左褄を取った粋な装いの芸者が、三味線箱を みぎひじ 抱えた仲居をしたがえ、急ぎ足で近づいてくる。すれちがい様、芸者の右肘が、十郎兵衛の着古し た着流しの袂に触れると、芸者が、「何、ばやばや歩いてんのよ」と、伝法な口調で、十郎兵衛を、 怒鳴りつける。 「今時の、女は本当に強い・ 十郎兵衛は、ロの中で、何やらブップッつぶやくのみで別段、気にかける様子もなく、鼻歌まじ りでスタスタ芝居町へ行きかける。 「何だい、あの男は ? 」 芸者と、仲居はあきれた様子で、十郎兵衛を見送っている。 芝居町 ( 葺屋町、堺町付近 ) 現在の中央区人形町二丁目交差点辺りが江戸の芝居町として栄えた所である。 れ第 2 章・写楽を追いつめる

4. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

しかし、反面一方的で、アクの強い主観性は見逃すわけには行きません。 とにも角にも、写楽という男は一風変った頑固者で、集中力と現案力と表現力は、無類で桁外れ に感覚的で主張的であることは、残された絵を見ても十分うかがわれます」 このように吐夢は、写楽はアクの強い男、頑固者、集中力・現案カ・表現力にすぐれ、自己主張 の強い男というイメージを持っていたようだ。 写楽は、人の言う事などに耳を傾けるような人ではなく、これと思ったら、一本気に突き進むか なり独善的で、強烈な個性の持ち主であったと思われてならない。 背は高かったのだろうか ? それとも、脂肪質のおでぶちゃんであったのだろうか ? 私は、なんとなく、骨張った、背の高い男であったような気がしている。 年齢は、私の調べによると、作画当時三十三歳、江戸時代では壮年という部類に人るであろう。 顔のイメージをあげれば、市川鰕蔵の竹村定之進を、もう少し若くした感じだろうか ? しつか りと物を見詰める冷徹な眼、高い鼻梁、大きな意志の強そうなロ、びんと張った立派な耳、絵筆を 持たせたら魔術師のように自在に動く大きな手。立派な、大立者の風貌である。 肩幅は広く、堂々としていた。 妻は居たのだろうか ? 残念ながら、あまり女性とは縁のない堅物のイメージである。 ろ第 2 章・写楽を追いつめる かたぶつ

5. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

浮世絵類考は、その後、年代を経る順に補記や按記を挿入したり、漸次新しい浮世絵師をつけ加 え、増補という形を整えてゆく。 写楽作画期 ( 寛政六年 ) より四半世紀後の文政元年 ( 一八一八年 ) 、文政四年 ( 一八二一年 ) にかけ戯 作者式亭三馬が写楽の項に、 写楽、号東周斎、江戸八丁堀に住す、僅に半年余行わるるのみ と按記を記している。 写楽の号が東周斎、住居が八丁堀、活躍期が半年余りと、より具体的論評であるが、何故か、奥 歯にものの挟まった感は拭えない さいとうげ・つしん そして、寛政六年より、半世紀後の弘化元年 ( 一八四四年 ) 、江戸考証家斎藤月岑の著した増補浮世 絵類考により、はじめて写楽の素性が明らかにされた。 月岑の増補浮世絵類考、写楽の項には、 「写楽、天明寛政年中の人。俗称斎藤十郎兵衛居江戸八丁堀に住す阿波侯の能役者也号東洲 と記されていた。 なぜ、月岑は、写楽作画期より五十年後に、写楽の素性を明らかにしたのであろうか ? 第 1 章・写楽が十カ月で消えた理由 斎」

6. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

半紙雑仙紙大の絹地に、中央部に頭部がくる構図で、四分の三正面、立て膝で、ゆっくりくつろ ぐ緑地の被布を着た品の良い玄白像である。 大浪のヒボクラテス像や、数々の西洋画風肖像画に刺激され、以後、幕末に至るまで、数々の絵 師が西洋肖像画に挑戦する。 桂川甫賢 幕府御典医を勤めた桂川家六代、桂川甫賢 ( 一七九四ー一八四〇年 ) も、数多くの西洋肖像画を手 がけた一人である。 ・をを画文政十年、家督相続した甫賢は、将軍家斉の侍 ' ′の医となる。医学のかたわら、物産学、本草学、動 《・物、地質学を研究、外祖父の森島中良、亜欧堂田 イ善、司馬江漢との交友から、オランダ語、洋画に めざめ、ドイツ近代外科学の祖・ローレンス・ヘ 描イステル、一七一八年刊・ヘンドリック・ウィリ 《」瑟賢ホルムの蘭訳本、外科指針の絵扉の肖像画を参考 に、ヘイステルの半身像を描いている。 縦長の円形の枠に、銅版画で顔にかすかな陰影 9 第 7 章・写楽は近代絵画の礎となった / 、心気ツ、ド

7. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

「五十力」は大評判となった。 この「五十力」を、写楽、豊国が早速競作している。 写楽は、主役の芸者小万、薩摩源五兵衛、敵役笹野三五兵衛等を豊国に譲り、自分は升屋の台所 で働く芸者、仲居に囲まれた薩摩源五兵衛を四枚揃で描いている。 二世瀬川富三郎の芸者浅香 二世瀬川雄次郎の仲居おとわ 三世沢村宗十郎の薩摩源五兵衛 井粂三郎の芸者久米吉 升屋の座敷に並ぶ芸者浅香、久米吉、仲居おとわに囲まれ、当惑顔の薩摩源五兵衛を描いた写楽 の四枚揃は、華やかな舞台をそのまま彷彿させる。 まなこ 芸者久米吉を演する岩井粂三郎は、文化文政期、ばっちりした独得の眼、剛気、勇み肌の女形で、 一世を風靡する五世岩井半四郎の若き姿である。 豊国は、主役の三人、 七世片岡仁左衛門扮する笹野三五兵衛 三世瀬川菊之丞扮する芸者小万 三世沢村宗十郎扮する薩摩源五兵衛 を、大判全身像で、自信たつぶり、悠々と写し取っている。 8 第 6 章・写楽失踪へのプロローグ

8. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

ゆくと、写楽が顔見世興行の狂言の組み方通りに、役者絵を描いていることがわかる。 三座ごとの狂言の内容を、写楽の役者絵から分析してみよう。 十一月一日 まつわみさおおんなくすのき 河原崎座顔見世興行では、時代物「松貞婦女楠」と浄瑠璃の舞踊劇「神楽月祝紅葉衣」が上演 し洋らく されたが、写楽はこの舞台から、恒例の暫を二枚揃で作画している。 ー暫演する三世高麗蔵扮する若き篠塚五郎と、受けを演する金冠白衣姿の凄まじい顔の尾上松助 扮する足利尊氏ー 次に、紅葉の木を背景に、浄瑠璃の舞踊劇を三枚揃で描く 一一世小佐川常世扮する仕丁姿の備後三郎妻児島。 三世高麗蔵扮する衛士姿の新田義貞。 四世半四郎扮する仕丁姿の兼好妹千早。 続いて、黒幕を背景に敷畳、稲村辻堂をしたがえ、荒い棒縞の着つけ、刀を担いだ三世高麗蔵の 六部、実は相模次郎と、黒のお高祖頭巾、萌黄色の着つけ四世半四郎の楠正成息女菊水。二人の立 廻り、だんまりの場を描く。 次も、浄瑠璃の所作事。 7 第 6 章・写楽失踪へのプロローグ かぐらづきいわいのいろきぬ

9. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

ヴァン・ダイクの肖像画の特徴は、人物や衣裳の迫真性において師匠ルーベンスに勝るとも劣ら ぬ迫力を示している。またヴァン・ダイクは、主に上流階級の人々をモデルにした肖像画を手がけ たが、なかには、アントワープの市民や仲間の画家の肖像画も制作した。 こうした肖像画は、フランドル絵画の特徴である半身像形態で描き、人間の性格まで深く読み取 った迫真的作品をつくりあげている。 一六三二年、ヴァン・ダイクは、イギリス国王、チャ 1 ルズ一世に請われてロンドンへ戻り、騎 士 ( サー ) の称号を賜わり、一六四一年、四十二歳で死去するまでロンドンに滞在し、後のイギリス 肖像画、風景画に多大な影響を与えている。 ・ヴァン・ダイクの自画像 十四歳 ( 一六一三年 ) 頃の自画像 四分の三正面、肩から顔の表情に焦点を絞った自画像。こちらをじっとみつめる少年の透んだ目 は、すべてを射つくす程純粋で鋭い ・チャ 1 ルズ一世三面像 イギリス国王、チャールズ一世の半身像を、正面、右側面、左側面と三方から写した三面肖像画。 やや、憂うつ気なチャールズ一世の瞳、大きな鼻、細い髪、襟につけた白レースがにぶい光沢を放 つ上着の質感によくマッチして、国王の気品ある姿をうまく捉えている。 第 5 章・大首絵誕生の秘密

10. 写楽失踪事件 : 謎の浮世絵師が十カ月で消えた理由

寛政三年、山東京伝の洒落本三部作筆禍が祟ったのか、寛政四年度の蔦屋の出版物は非常に少な 寛政四年出版物 じっ′」きようおさなこうしやく 京伝作 ( 北斎 ) 春朗画黄表紙「実語教幼稚講釈」 りようざんいつぼだん こうすい 京伝作 ( 北尾重政 ) 紅翠画黄表紙「梁山一歩談」 京伝作歌麿画狂歌絵本「百千鳥」 ふけん 京伝作歌麿画絵本「普賢像」 村田春海、加藤千蔭著、書道本「ゆきかひふり」 等である。 寛政五年出版物 ひんぶくりようどうちゅうのき 京伝作春朗画黄表紙「貧福両道中之記」 ょにんつめなんへんあやつり 京伝作重政画黄表紙「四人詰南片傀儡」 むかしがたりふでのあやつり 京伝作政美画黄表紙「宿昔語筆操」 ひとはただいっしんいのち 唐来三和作優婆塞画黄表紙「人唯一心命」 おとしばなしえりたちこめ 馬琴作政美画咄本「笑府衿裂米」 まさよし しゅんろう もも 4 第 5 章・大首絵誕生の秘密