屋上松助扮する鯰坊主の孫六入道と半四郎扮する田舎娘おひな。 そして、二番目世話物から、障子屋体の後家の家を背景に、振袖姿の後家娘おとま ( 半四郎 ) を中 心に、二人の聟がおとまに求婚を迫っている場面。 右に、高麗蔵扮する小山田太郎は右手に酒樽を抱え、左に、幸四郎扮する皆川新左衛門は祝いの 鰹節を肩から下げ、二人揃っておとまを口説く場面。二人の聟に、当惑顔のおとま。二人の聟の左 右に、仲人役の二世小佐川常世扮する女髪結お六と中島和田右衛門の家主身代りの地蔵を配した五 枚揃を写楽は、ユーモラスに作画している。 うるおうとしめいかのほまれ おうしゆくばいこいのはつね 同じく、十一月一日、都座「閏訥子名歌誉」と浄瑠璃「鶯宿梅恋初音」から、ハイライトシー ンを、写楽は作画している。 これたかこれひと 「閏訥子名歌誉」は、宗十郎を主役とした大伴黒主を中心とした六歌仙の世界と、惟高惟仁、二人 の親子が皇位を争う王朝物である。したがって、この芝居には暫が人らない。 宗十郎扮する黒主が、冠装束で薪を背負い、菊之丞扮する花園御前は御所車を手にし、二世中村 野塩扮する小野小町は短冊を手に和歌を記す場面を三枚揃で描く 次に、富本浄瑠璃の所作事。 花道から出てきて踊る菊之丞扮する大和万才と、せり出しで踊る仲蔵のリズミックな所作事。菊 之丞、仲蔵とも、茶の着流し、鶯色の素襖姿。
/ 、 ) み時により、二つの対立する感情、性格が揺れ動 くことにより生する葛藤を演ずる能役者や歌舞伎 面役者は、ドラマツルギーを、もっとも人間的感情 女を理解できなければ、それを演技で人に伝えるこ とはできない。人間の対立により、起きる葛藤、 プそして、ドラマティックに展開する人間の喜び、 お怒り、悲しみ、苦しみに敏感に反応する者でなけ 蔵れば、演劇という、きわめて人間くさい仕事に従 辺事することは出来ない の写楽は、役柄や立場のまったく正反対の人物を 菊対の形で大首絵に描いている。 善人と悪人、敵役と殺され者、脅す者とおどさ 三れる者、殺す者と殺される者。 また、一画面に二人の対立する立場の人間を、 二人立身像のように対照的に写し出しているのは、 二人の間に生するドラマ展開を暗示させる意図が 第 4 章・写楽さっそうとデビュー 1 ろう
三世沢村宗十郎扮する大岸蔵人 ( 夫 ) と二世瀬川富三郎扮するやどり木 ( 妻 ) 。 三世坂田半五郎扮する藤川水右衛門 ( 敵役 ) と二世坂東三津五郎扮する石井源蔵 ( 殺される者 ) 。 三世市川高麗蔵扮する志賀大七 ( 討つ者 ) と尾上松助扮する松下造酒之進 ( 討たれる者 ) 。 三世大谷鬼次扮する奴江戸兵衛 ( 脅す者 ) と市川男女蔵扮する奴一平 ( 脅かされる者 ) 。 さらに一図に二人の役者の半身像を配した大首絵では、その傾向は一層強まる。 三世佐野川市松扮する祇園町の白人おなよ ( 意地の悪そうな女 ) が、市川富右衛門の蟹坂藤馬 ( 気 の弱そうな男 ) に何やら耳打ちしている。 岩井喜代太郎扮する鷺坂左内妻藤波 ( 善人 ) と坂東善次の鷲塚官太夫妻小笹 ( 悪人 ) 。 二世沢村淀五郎扮する川つら法眼 ( 善人 ) と坂東善次の鬼佐渡坊 ( 悪人 ) 等、一図に立場のまった く相反する二人の人物を配することにより、その性格をより明確に描き出している。 性格を描き出すというより二人の相反する人物を、対で描くことにより、そこに葛藤が生じてド ラマが展開することを暗示させている。写楽が大首絵二十八枚を対の形で描いたり、一画面に二人 の対照的人物を配した作画の方法は、写楽が演劇の本質であるドラマツルギーを大首絵に写し出す ためにとられた苦肉の策であったと思われる。 写楽の狙いは舞台で演じられるドラマツルギーを凝縮した形で大首絵にたたみ込むところにあっ たのである。 大首絵という小さな枠に、ドラマツルギーのすべてを凝縮させ、収斂させているのは、写楽が演 2 第 4 章・写楽さっそうとデビュー
0 び、腕一本で食う技能を持った人達が、有象無象住みついていたから、それはそれはユニークな雰 囲気をもっ所でもあった。 けんぎよう 貧乏長屋では、その日暮らしの大工、左官、落語家、あんま師、手習い師匠、盲人の検校達や仕 事にあぶれた浪人者、流人等も住みついていた。そのため、しよっちゅう喧嘩が絶えず、騒がしい 一角であったが、住人が揃って個性豊かな面々だったから、不思議に自由で生き生きとした横丁で もあっただろう。 かぎ 貧乏長屋が並ぶすぐ際に、亀島川二丁目と、北島町二丁目に亀島川の入堀が入っていて、堀が鉤 の手に南へ屈折する所に地蔵橋が架かっていた。 地蔵橋は、長さ六尺、幅九尺の小さい木の橋で、橋の下はドプのように濁って澱んでいた。たか ら付近の人はドプと呼んでいた。ドプと呼ばれる地蔵橋の角地に能役者、斎藤十郎兵衛のちつほけ な家があった。母親は、まだ十郎兵衛が小さかった頃、労咳で亡くなっていたので、今は、父親の 与右衛門と二人きりの生活である。 十郎兵衛も、過去に一人や二人、惚れた女性も居たようだが、何せ、不器用な男ゆえ相手方に、 意思を伝えることが出来ないままに、なんとなく立ち切れとなって以来、女性とはとんと縁がなか っ ? 」 0 したがって、三十三歳になる今日まで、不満足ではあっても、のほほんと過ごしてきてしまった。 父親の与右衛門は、ワキ方能役者斎藤の血筋が絶えるのを心配して、ヤイのヤイの十郎兵衛にせ くっせつ
河原崎座「二本松」から、市川男女蔵扮する関取雷鶴之助と、三世大谷鬼次扮する浮世土平を描 いた二人立全身像では、男女蔵の弱者、鬼次の強者の対照の妙を、バランス良く画面に嵌め込んで 浄瑠璃「桂川月思出」から、心中に追い込まれる、三世坂東彦三郎の帯屋の長右衛門と、四世岩 かきつば 井半四郎扮する信濃屋お半の全身像を、長右衛門の黄と黒の棒縞衣裳、お半の杜若文様萌黄色振袖 の流れるような描線をリズミカルに対照的に捉えている。 こうした、一図に二人以上の役者の姿を嵌め込める、二人立全身像形式は、天明時代、勝川派の 開祖、勝川春章が開発した描法である。 やがて、写楽は七月興行から、一画面に二人の全身像を描いた五枚の作品以外は、細長い細判 ( 縦 ・ 1 x 横巴という判型に変え、それも二枚、三枚、五枚といったように、横へ画面を拡げて ゆく揃物のパターンで役者絵を描くようになる。 細判、揃物形式も勝川派が開拓した描法である。 細判、揃物の形式で役者絵を描くということは、役者の演技や、狂言の筋、その流れを舞台全体 から写し出そうとする客観的描法そのものである。背景を明るい黄潰し地に変えるのも、舞台で演 技する役者の姿態や、ポーズ、表情が一番映える色であったからである。 さやあて 判型を変えて心機一転した写楽が、鞘当の場面を細判、五枚揃で刊行したが、その向こうを張っ て、同じ舞台の同じ場面を和泉屋推す豊国が、写楽と競合している。 第 6 章・写楽失踪へのプロローグ
しかし相変わらす、その性格描写は的確である。これに対して、豊国の大判全身像は、背景を控 ねずみつぶ え目な鼠潰し地で押え、色気と権勢を兼ね備えた貫禄十分の菊之丞とかつらぎの姿態を軸に、宗十 は 郎の山三と八百蔵の伴左を構図的にうまく嵌め込み、左右に配した二人の奴のふてぶてしい姿態表 情が、この画面全体を面白く引き立てている。伴左の足元に小道具の深編笠を描き添える等、豊国 の配慮は細かい。豊国五枚揃は見るものを、芝居の世界へスムーズに引き込む柔軟性と、粋な要素 をすでに備えている。 寛政六年八月、暑い盛りの夏興行を迎える。 よもにしきこきようたびじ しんれいやぐちのわたし この夏、写楽は桐座一番目「神霊矢ロ渡」と二番目大切「四方錦故郷旅路」から、二人立全身像 一一枚と細判、揃物九枚合計十一枚を刊行する。 ひきやく にのくちむら 「四方錦故郷旅路」は有名な、近松門左衛門作、「途の飛脚」を改題したものである。新ロ村の段 にのくちむら では、追手から逃げる梅川が、新ロ村の忠兵衛の父、孫兵衛門を訪ねる。四世松本幸四郎扮する新 」より ロ村孫右衛門の草履の鼻緒が切れるのを梅川がみつけ、紙縒ですげ替える場面を、写楽は、白雲母 摺地、二人立姿に納めた。 息子忠兵衛が迷った遊女梅川だとそれとなく気づいた孫右衛門の苦悩に満ちた表情と、一心に鼻 緒をすげ替える梅川の姿。 もう一枚の一一人立全身像は、後に実悪の名人五世松本幸四郎を襲名する若き三世市川高麗蔵扮す 6 第 6 章・写楽失踪へのプロローグ やっこ
写楽と豊国は、同じ図柄にならないように、ポーズを変えたり、着物の文様と色を少しずつ変え ているので、版元の蔦屋と和泉屋との間で、全く同し図柄にならないように、話し合いがついてい たものであろう。 かつらがわっきのおもいで 寛政六年七月、浄瑠璃「桂川月思出」では、四十歳になろうとする分別盛りの帯屋の長右衛門 と、ふとした間違いから、お半という少女が恋に落ちてしまい、二人は義理と人情のしがらみに縛 られ心中に追い込まれる。 しろきら この二世彦三郎扮する長右衛門と半四郎扮するお半の道行きの場面を、白雲母を背景に写楽には 珍しくはんなり描いていた。 分別盛りの色男、長右衛門と振袖姿のまだあどけない表情のお半が、 互いに目と目を見交すロマンチックな場面。心中する長右衛門とお半の姿を、この上もなく美しく 描いているのは、写楽がきっと恋に憧れるロマンチックな人であったからだろう。 寛政六年八月 もものにしきこきよ、つのたびじ 桐座「四方錦故郷旅路」から、これも道行きの場面を、写楽は描いている。 四世松本幸四郎扮する新ロ村孫右衛門と、切れた鼻緒をすげ替える中山富三郎扮する梅川の一一人 を、大判に写し出す。鼻緒をすげ替える女性が、実は、息子忠兵衛が迷った遊女梅川であることを、 それとなく察した孫右衛門の苦渋の様子。ひたむきな梅川の姿に、孫右衛門は肉親に近い情愛を憶 える。こうした情愛の深い場面を、上手く描いているのは、写楽が、情に厚い、情熱家であったか 第 2 章・写楽を追いつめる
浮世絵類考には、写楽について「あまりに真を描かんとあらぬさまに書きしかば長く世に行 われす一両年にして止む」と記されていた。また、天保四年「江戸風俗総まくり」には「写楽とい ふ絵師別風を書き顔のすまひのくせをよく書たれどその艶色を破るにいたりて役者にいまれけ る」とあった。 たしかに、写楽はいきなり一人立半身像 ( 大首絵 ) 二十三枚、二人立半身像 ( 大首絵 ) 五枚、計二 十八枚を引っ下げて浮世絵界に登場し、役者の欠点を強調しすぎたり、女形の顔も男そのものにリ アルに描いてしまったきらいがある。 その後、版型を全身像に変え、役者の舞台姿を一人立全身像、及び二人立全身像で描くようにな る。さらに細判全身像の揃物という形で膨大な数の役者絵を手がける。細判揃物の後期の作品にな ると、背景に木の枝や文様を描き入れる等、人物像の力量が劣ってくるのを補っている感さえうか がわせる。 しゅんえい これに反して、豊国や春英等、通例の浮世絵の世界では、一人立全身像ー一人立半身像ーそして 大首絵というパターンで描くのが普通である。 しかるに、写楽は通例の絵師と違って、いきなり大首絵から創作をはじめている点が、写楽の謎 を解く重要なキーポイントであると考えられる。版元の蔦屋が写楽にあれたけの作画を要請したの は、写楽の技量に賭けたということが、ます考えられる。 むろん、歌麿の美人大首絵を凌ぐ迫真的役者大首絵を期待したためであろう。 第 1 章・写楽が十カ月で消えた理由
きんす こうして蔦屋の采配で、蜂須賀藩の方には金子を用立て、役者絵を描くことは、御内分との許し を、秘かに得る。 五月五日、舞台の平土間に陣取る十郎兵衛と蔦屋重三郎。 十郎兵衛がもっとも気合いを入れて舞台を凝視する場面は、善人と悪人が対決する立廻りの場面、 強者が弱者を切り殺す殺戮の場面等、殺す者と殺される者が、カとカの限界までぎりぎりの線で、 睨み合っている役者の迫真的な演技を見る時、十郎兵衛の興奮は極度に達したかに見えた。 さっさとふところから版下紙を取り出し、矢立筆で一気に役者の顔を、鮮やかな筆さばきで描き 上げる。息を呑んで見守る蔦屋重三郎。 テッサ 八丁堀地蔵橋の小さな家の仕事部屋へこもる十郎兵衛。このところ連日芝居小屋に通い、。 ンしてきた版下帳をとり出し、奉書紙に写し替えている。 夫と妻、敵役と善人役、脅す者と脅かされる者、悪人と善人、強者と弱者ーー性格、役割、立場 がまったく対照的な人物を大首絵一対の形に、次々と画布に収めてゆく。 一画面に二人の役者を対照的に対で描き、各々の性格、役割をくつきりと描き出す。さらに写楽 の計算は深まり、二人の対立から生ずる葛藤を予想させる狙いを大首絵にたたき込む。ふいに普段 見慣れている能面が二重写しに十郎兵衛の瞼に浮かんだ。 4 第 2 章・写楽を追いつめる まぶた
ひかえやぐら 江戸三座のうち、控櫓を組んだ、桐座 ( 元、市村座 ) 、都座 ( 元、中村座 ) 二座が、芝居町の各々、 大きな一角を占めて建っている。現在の築地歌舞伎座のような劇場が、通りを隔てて二軒も建って いるようなものである。 傍には、人形浄瑠璃座も小屋掛けしていたし、回りには芝居茶屋が並んでいる。役者が出してい る白粉の店も、芝居町にはいくつも軒をならべ、その他に食物屋、豆腐屋、下駄屋、酒屋が芝居町 一角をとり囲み、にぎやかなプロックを形成していた。今にしてたとえれば、日比谷の劇場街だと 思えばいいだろう。 日常生活からかけ離れた一種独特の別天地の雰囲気を宿し、わくわくする、華やかな心ときめか せる一角を築いていた。 芝居町に着いた十郎兵衛は、涼し気な様子で、にぎやかな通りの店先を一軒一軒キョロキョロの ぞいて歩いていく。触れ太鼓の音が、否が応でも十郎兵衛の興奮をかき立てる。 のぼり 葺屋町桐座の前に立った十郎兵衛は、木戸芸者の呼び声に誘われるように、役者の幟がはためく 劇場へ入った。 むせかえるような人いきれ、人、人、人の波。老若男女が、舞台を指さし口々に何か叫んたり、 るつぼ 拍手したりで、小屋はすっかり興奮の坩堝と化している。 折しも、舞台は水野の屋敷へ単身のり込んだ幡随院長兵衛が、風呂場で丸腰のまま槍の名手、水 野の鋭い槍の穂先を全身で躱している場面である。 かわ みせ まる」し