か、そんな危つかしいことをなぜ二人があえてしたか ? ということです。 その点については、このように考えてはいかがでしよう。二人は唱和歌を詠み、そしてその時 は、それを互いに心の奥底深くに刻みこんだのです。そして、この歌が他人に知られても恐れる ことのない世の中をきっと作ろうと、二人はその時かたく誓い合った 、私はそう思いたい し、またその誓いは壬申の乱によって見事に実現したわけです。 実は先日来日の折、書店の店頭で、新人物往来社「別冊歴史読本『歴史を変えた女たち』」を ハラバラとめくって見ると、そこには次のような女性の名が連ねられておりました。すなわち、 卑弥呼、持統天皇、孝謙天皇、藤原薬子、北条政子、日野富子、北政所、淀殿、春日局、桂昌院、 天璋院、平塚らいてう、高群逸枝 : : : 。案の定、このなかに額田王の名はありませんでした。 しかし壬申の乱がどんなに日本の歴史に大きな意味をもっかを考えれば、そして壬申の乱が額 田王を切りはなして考えられないことを思えば、額田王こそ日本の歴史を変えた女性の筆頭かも しれないのです。 歌壬申の乱は、百済べったりから一人立ちして日本の朝廷を打ち立てた大革命でした。ことによ 唱ると、日本以外のすべての国を「外国」と考えたはじめての天皇が天武といえるかもしれませ ん。ということは、天武即位こそ、「完全独立日本」の第一歩と考えることさえできるのではな 生 蒲 いでしようか。 四 さて、ことばの説明に移ります。
げひ ⑦恋 ( ひそやかに ) 「恋」は日本訓よみで「こひ」です。このよみをそのまま韓国語にあてはめると、「ヱ司」 ( 特 げひ に気をつかって優しく ) または「爿司」 ( 静かに、ひそやかに ) ということばになります。と くに愛するという意味の動詞「ヱ引坪」、または「ヱ司吽」の語幹「ヱ引」、または「ヱ司」が日 こひ 歌本語の「恋」になったものと思われます。 作者はこの歌のなかで「恋」と「ひそやかに」の意を重複させているものと考えられます。 ぬん ! るも ⑧目方 ( 脇見せむ ) この作品の中でもっとも韓国語らしいことばです。 「故尓」の「故」は、音で「ヱ」。「」に似ている音です。「尓」は「中」。合わせて「ヱ引」、 これを「」とよみます。標準語の「刻」の慶尚道方言です。この「」は、「ぐ」と「ご」 の中間音です。 いんさごに 「」、「挨拶したので」「ことばをかけてきたので」になります。 額田王が、先にことばをかけたことを意味しているのです。 ⑥吾 ( われ ) 「吾」は訓そのもので「われ」です。韓国語で「斗」。 ごひだ ごひ ごび 101
を詠むことが流行したと考えられないこともありません。しかしかの女の韓国語を「学んで得た 語学力」と考えた場合、そのことばづかいはあまりにも完璧でありすぎます。やはり韓国語が日 常会話として話される環境で育ったと考えるべきではないでしようか。自然なのは、かの女が 「渡来人の集落で育った」という推理です。 実は、百済系である斉明天皇に習侍していたかの女が百済ことば ( 今の全羅道方言 ) を使わず に、新羅ことば ( 今の慶尚道方言 ) を用いていることについては、少なからず疑いが残るので す。 しかし、かの女が新羅系渡来人の集落に住んでいたという説を信ずれば、この点の疑問も解け なまり ます。幼いころから新羅系の訛を耳にして育ったか、それとも元来新羅人の末裔だったのか、あ うがや みおやま るいは新羅系の言葉を使っていた大伽揶 ( 上伽郁とも弥烏邪馬国ともいう ) 系だったのかもしれ ません。とにかく、かの女の歌にあらわれることば癖は新羅風なのです。 こりよん 今の慶尚北道高霊に都 ( 邑 ) を定めた大伽は、紀元五六一一年新羅に減ぼされ、その後、遺民 たちが大挙日本へ亡命しました。また、かれらは百済系でありながら地域上慶尚道に位置したた めに、慶尚道方一一一口、すなわち新羅ことばをつかっていたものと思われます。 囂七世紀における鏡王の地位がどのていどだったか、はっきりわかりませんが、かなり高い身分 であったようです。なぜなら「鏡作部」というのは高級職だからです。焼きものとか、もっと下 の大工などとは段違いです。
莫囂円隣・・・ 意味を探ったことでしように。 また、「まげ」ということばが男性器をいうことばだということを、解釈挑戦者の誰もが知ら なかったということはありえません。「マクゲウ」という組み合わせから、一人くらい「まげ」 を連想しても良いはずです。にもかかわらず、そのようによむ人は一人もいませんでした。それ は、額田王のイメージが私たちにそれをさせなかった、ということでしよう。つまり、無数の 人が「正解」だけをはずして、その他を探してきたわけです。ミステリー・フィクションの秀作 は、真犯人だけを盲点にして、関係のない人を疑わせるといいますが、本歌はまさに一篇のミス テリー・フィクションとして、一千余年、世の万葉学者とファンを翻弄しつづけてきたことにな ります。
ころから、この歌の解釈は不能になります。出発点から早々、「未詳」の沼に陥るわけです。 どうしてもすっきりよめない場合、強引に日本語一点張りでよもうとしないで、これはあるい は外国語でなかろうかと、疑ってもみないのがかえって不思議なのですが : 。万葉歌が詠われ た五世紀から八世紀にかけての日本の国際政治的背景を考えると、渡来・非渡来を問わず、当時 知識階級のことばであった韓国語で、これまた知識階級の文字であった漢字を使って歌を詠む、 あるいは文書をつくるということは、むしろ自然の成行きではないでしようか。 おっしゃ さじえしよどす ②③恋哉将度 ( 棲もうと仰られても ) せんがく 」、もはる さもはる 「恋」の韓国訓は「」 ( 思 ) 、「せ」 ( 慕 ) など。後者の「ヱせ」をとり、このうち第 さ 一字目の「」を使います。 じえ 「哉」は韓国音で、「刈」。 「将」は日本音で、「しよう」。これを、酷似音の韓国語「爿」にあてます。 「度」は韓国音でも日本音でも、「三」「ど」です。 さじえしよど 四字合わせて、「刈爿三」。「一緒になろうと仰られても」「同棲しようと言われても」の意 さるじゃしよど 札で、現代語「爿三」の新羅ことばです。 さじえ さるじゃ しよど の 「ス刈」は「」 ( 生きよう・棲もう ) の新羅ことば ( 現在でも慶尚道地方で使用 ) 、「三」 はしょ′ へど か は「哥三」 ( 「 : : : 仰られても」「 : : : なさっても」 ) の約で、「司三」 ( 「 言っても , 「 : : : し 九 ても」 ) の敬語です。 211
日本古典文学に現われる「秋」の表記は、おおむね、この「」の意で、「小さい者」「子供」 などを意味しています。 のあるら ①尓安良 ( 産むかもしれない ) 「尓」は韓国訓で、「汝」の意の「ⅵ」。 あん 「安」は韓国音で、「」。 りゃん りや 「良」も韓国音で、「」。終声をのぞくと、「」。これを、酷似音の「」によませます。 のあんら なうるら 三字合わせて「ⅵ」、つまり「は音」、「産むかもしれない」となるのです。 なつだ のつだ 「産む」の意の「は」を新羅ことばでは、「吽」と発音します。 なうるら のあるら 「は音」を慶尚道一帯では、今でも「せ」と発音するので、憶良は正確に新羅ことばを 表記しているわけです。 おと ' も ①受登母 ( ひょっとすると ) おど おどら . る 「受」の韓国訓は「音」で、第一字目の「」をとります。 ど ' ん 「登」は韓国音で、「三。」。終声をなくすと「三」になります。 「母」は韓国音で、「」。 この「母」は、もとは「毋」と表記されていたのを、「母」に見間違えて記録したのではない かとも思われます。「毋」は、韓国訓で「しない」「止める」の意の「せ」なので、終声を消すと 276
十七夕歌 発音して「作られて来たことば」だと推定されます。 いつおぎお 「伊許芸」は「」で、「たて続けに抉り」となります。 ⑩渡 ( 受けよ ) 項に同じ。 ぐっごんじ ⑩久方之 ( 堅固なり ) これは、「天」「都」「雨」などにかかる枕詞とされています。非常に使用頻度の高い「有名語」 なのですが、この真の意味は、いまだに解明されていないようです。 「久方之」「久堅之」「久堅乃」と表記されているこの「ひさかたの」は、実は、「堅固だ」「硬 ぐっごんじ ぐっごんね い」という意味の韓国語「せ」、「せ」です。空や都 ( つまり王権 ) などが、堅固である または変らないと強調するがためのうたい文句なのです。 み、 「久」は韓国音で「〒」、これを「せ」とよませます。 ごん ぎよん 「堅」は韓国音で「」、これを酷似音の「え」にあてます。 じ ね 「之」も韓国音で「」、「乃」も韓国音で「司」。「 : : : である」の意の語尾です。 ぐっごんじ ぐっごんね 三字合わせて「せ刻」または「せ司」、「堅固なり」という意味のことばです。 「久」と「堅」の漢字をあて、永久不減でゆるぎなき天や王権、王都の存在を誇示したのでし では、「久方之」は、どうなるのでしようか。 ばだら 265
またここで分かることは、枕詞がかならずしもそのすぐ下にくることばにかかるものではない という事実です。おもに詩のモチーフ、または主題などにかかるのが枕詞なのです。 万葉集の枕詞は、別に意味のないことばなのでとくに解釈する必要がないとされている従来の 万葉集解読の仕方も、韓国語の側面から見るととても納得できないことです。 なぜかと言いますと、枕詞はほとんど韓国語であり、それも、非常に重要なその歌の主題など と関係のある形容句であり、歌そのものでもあるからです。 なぜ韓国語で、なぜこのような形容句が作りあげられたのでしようか。 万葉集は枕詞の完全解釈なしには完全解読でき得ないのです。機会をみて、枕詞の解読に力を 注ぎたいものだと思っています。 かな ②保敝類 ( 愛しゃ ) 「尓」は、音で「引」。 「保」は、音で「旦」。この「旦」を酷似音の「ぼ」によませます。 「敝」も、音で「」。 「類」も、音で「晶」。 ばべら ぽべりゆ 全部合わせて「引旦」ですが、「 ( 古音・に ) 」とよみます。だいたい似ている 音の字を、その時その時の文章の大意、または雰囲気にしたがい、訓まで含めて活用するのが吏 読式の書き方なのです。 ばべら
煙に巻かれて一千余年 よくごらんください。これ ( 右頁 ) が万葉集四千五百十六首中、最高難訓とされてきた歌であ り、つぎに示すのがその万葉仮名です。 莫囂円隣之大相七兄爪謁気吾瀬子之射立為兼五可新何本 ( 巻一の九・万葉仮名 ) この歌がなぜ難訓であったのか、その理由は至極明瞭。 まず、韓国語で書かれたものを日本語であるとして無理やり解こうとしたこと。 第一一はきれいごとの文学通念を破壊した大胆なセックスの表現語句を使用していること。 第三は、巧妙きわまりない歌の一一重構造にあります。 それに加えて、この歌を詠むときすでに作者の心に、よむ人を煙に巻こうという意識が働いて いたからです。 私も、この歌の解読ばかりは手こずりました。作者は額田王 ( 額田大君、額田姫王、額田女 隣 囂王とも ) です。まさかあの額田王から、かくもあからさまなことばが飛び出すなんて想ってもみ ませんでした。ところが「解いてびつくり」、あまりにも直截な表現に、まさかこんなことばを 活字にするわけにはいかないし、一体どうしようと狼狽したのですが、事実は事実、曲げるわけ ぬかたのおおきみ
莫囂円隣 四字のなかの二字「相七」をのぞくと「大兄」になりますから、多分中た皇子を暗示してい るものだと思われますが、この「兄」は「海」をも意味していることは非常に示唆的です。韓国 語で、「減」は大河や湖または海を指します。海の音よみも「司」で、「え」音に通じます。 また「兄」が「へ」にもよめることは、表向きの解釈で先述したとおりです。「大兄」イコー ル「大海」で、中皇子と同時に人皇子も意味しているのです。 ことばの遊戯もここまでくると、記号性を超越して高度の芸術性を感じさせます。額田王は、 稀にみる天才的なことばの錬金術師だったのでしようか。 じよっあるげ ④爪謁気 ( 麻具を識らせよ ) じよ じよっ 驚くほど大胆な表現部分。「爪」は、韓国音で「丕」。男性の性器を表現する韓国語「」の終 声をのぞいて、漢字表記しているのです。 あるげ 「謁気 , は「せ刻」で、「識ることのできるように」という意味です。前述のとおりこの「気」 は乙類ですから、「き」ではなく「け」とよまれ、韓国語では「」になります。 じよっ じよっあるげ 「爪謁気」はこれで「せ刻」、「麻具 ( ) を識らせよ」「麻具を識りたい」になります。 「爪湯気」の表記が間違いであることは、これでお分かりと思います。 ⑤吾瀬 ( 来たれ ) —と同じです。「全」 ( 全国 ) 、すなわち「来たれ」「おいでなさい」。