じ どんぐ 6 りじ ②円隣之 ( 廻らせよ ) これこそ、代表的な韓国の読文のよみ方。 どんぐる 「円」の韓国式音は「うおん」、訓は「円い」意味の「せ」、ここではこの訓をとります。 りん 「隣」は音で「」、終声が消えると「司」になります。 「之」は音で、「じ」です。 どんぐるりじ この三字の韓国音訓をとりまぜて合わせると「せ司刻」になります。「まわせよ」「めぐらせ よ」「ころがせよ」という意味の古代語。今の慶尚道地方の方言にあたり、標準語でいえば「ⅵ 」です。 どんぐるり ・とんぐるり ついでですが、日本語の「どんぐり」の語源はこの「ュ己司」だと言われています。「ュ己司 」の語幹であるこの言葉には、前述のように「ころがる」という意味が含められています。ど どんぐる んぐりの木の実が、ころころたくさんちらばっている上を歩くと、ころがることが多い。「罟せ 司」する、すなわちよくころがるので、この名がついたとのことです。どんぐりの韓国語は、「三 ・ととるどとる AJ り 司」。木の実が無数に落ちて、道が「三三」 ( 凸凹 ) になるので、「三呈司」となったとし ていますが、双方とも確証はありません。 こにさし くんさしえ ③大相七兄 ( 大城に ) くん 「大」の音は「」、訓は「大きい」という意味の「」。ここでは訓を取ります。 さ さん 「相」の音は気。」ですが、終声が消えると「」になります。 ′」とり
のです。 ④埼ニ ( 崎に ) ごっ ごじ 「崎」は韓国訓で「ユ入」または「ユ K 引」、海に突き出た陸地すなわち崎、岬を意味します。 コ一」は日本音で「に」。「 : : : に」の意味の助詞ですが、これを同意類似音の韓国語「司」に ごじえ ごじね よませます。「ユ入引司」で、現代語「ユ K 引」 ( 崎に ) と同語です。百済、高句麗系 ( 現在、全羅 ごじれ 道、平安道 ) 独特の方言です。通常「☆引司」と発音されます。とくに北の方の平安道では、現 在でもこの「司」を「司」と発音しているのです。 ごじれちやごすじよれごじれ 「ユ入引司ヱ牛爿ュ入司」と、「ご」音、「じれ」音の押韻がつづくのです。柿本人麻呂 はやはり百済または高句麗系の人物なのでしようか。 ごじね この部分は日本語でよむと「崎に」は、韓国語でよんでも同じ意の「☆」になるように書 かれています。両通するようになっているのです。 おなるど ⑤今日毛 ( 今日も ) 「今日」は、韓国訓で「全せ」。 「毛」は、日本音で「もう」。韓国訓で「」 ( ( の I) 、終声が消えると「」になり、これを日 ど と 本語「 : : : も」の意の韓国語「 : : : 三」に使います。「」と「三」の発音は、よく似ているの ごじれ すじよれ 「守節の」という意です。前述の「ユ入司」につづけ「手爿」と、—、音で韻をふんでいる ごじね ね れ おなる と 138
ばんぎよはんで 最近のある新解釈によると、この部分を「咄月司」とよませています。 ばんぎよ はんで 「咄月」までは正解なのですが、残念なことに「為者」は「司」とはどうしてもよめません。 はる はん 「為」は先述のように訓で、「せ」または「」。音でも「」で、「」にはなりえません。「為」 はん が「せ」になるには、もう一字を必要とします。例えば、「為隠」などとする書き方です。 じゃ のむ ごっ また「者」は音で、「」。訓では、「奴」の意の「告」、「物」の意の「」、「此」「人」の意の 「引」などによまれますが、これまたどれをとっても、「司」とはならないのです。日本語の音訓 を活用してみても「しや」「もの」で、「で」にはなりません。 ばんぎよはんで ばんぎよはぬんで それに「司」という韓国語は、初めから存在しないのです。この場合「咄月芒司」 ( 嬉 ばんぎよへつぬんで ばんぎよはおんで しがっているのに ) 、または「月報司」 ( 嬉しがっていたのに ) 、あるいは「咄月哥名司」 ( 嬉 しがっておりますのに ) などとしなければなりません。 万葉集の漢字表記は、韓国語側からみるとまことに厳格で、根拠のない書き方は一字たりとも されていないのです。万葉人たちは各人の誇りにかけ、学識と精魂を傾けて歌を詠んでいたもの と思われます。 人麻呂歌の一一重性 じづら 人麻呂の歌には、一一重にも三重にも意味が込められています。字面の意味を解いただけでは、 ほんとうに解いたことにならないことが多く、その点、油断もスキもありません。本歌において も、歌プラス文字 ( 万葉仮名 ) の選択と、その配列に深い意味が込められています。図 ( 次頁 ) 111
※ ( ) 内は慶尚道方言で原文どおりの発音 まげまげ ①莫囂 ( 麻楷 ) 「莫」は韓国音よみで「叫」とも「曾」ともよみます。表向きの歌の場合は「静」を意味する 「叫」をとってよみましたが、裏向きの場合は「大」を意味する「曾」音をとります。 まぎよん ぎよん ま ( ひょう ひょう これが囂すなわち「」の上につくと記「 - ェ」となり、「麻楷」「麻木」「麻茎」 ( この茎は慶尚 げん 道方言式発音では「」になり、その終声をとると「げ」になります ) の発音に似てきます。「莫 まぎよん 囂」とは、裏向きの歌では男性の性器を意味する韓国古代語「麻楷」「麻木」「麻茎」を表現して つむげ います ( 木の韓国古代語は「刻」で、「神木」を「晉刻」とよびました ) 。古事記に出てくる「美 さむ とのまぐはひ 斗能麻具波比」の麻具がこの麻楷、麻木または麻茎なのです。皮をむいた麻の茎、つまり「 さむでぎ 司」または「司」を吏読式に漢字で表記したのがこの麻楷、麻木または麻茎で、これが日本 では麻具と表記されたのです。皮をむいた麻の茎が硬直した男性の性器に似ているのでこのよう さむで によばれたとのことですが、韓国では今でも男性の象徴を隠語で「」とよんでいます。 びび ばび ぶび 」の古代語で「こする」という 」。「司」または「司司 麻具波比の「波比」は韓国語の「斗司 ばだ 意味の言葉です。韓国語の音、音は日本では音または音に転訛します。「坪」 ( 海 ) は 「わだ」になるのです。「わだつみ」 ( 海 ) の「わだ」がこれです。 ばび それでこの「ト 旧司」も同様に「はひ」または「わい」になり、「麻具波比」は古代韓国語の まげばび ロ刻可司」と合致します。性交を意味することばなのです。
じよありげ ( じよあるげ ) ④爪謁気 丕司刈 ( 王せ刈 ) おら ( おれ ) ⑤吾瀬 全 ( 全国 ) じゃっし ⑥子之 1 「 1 ー そいっすに ( そいっしかね ) ⑦射立為兼 。一ⅵ ( 生引外司 ) おがせ ( おがせ ) ⑧五可新 亠外刈 ( 全外刈 ) よろばん ( よろぼん ) ⑨何本 司 ( 司 ) 拝謁せよ 来たれ 城が ゆき 行き来せむ 立ちにけりに いくたび 幾度
「袮ーは韓国音で、「」。 「而」も韓国音で、「引」。 もそりえ 全部合わせると「いもさにい」で、これを「引ヱ司」とよませています。「この罸に」「こ すみ の角に」の意です。 そ もさり もそり 「」と「」は酷似音でもありますが、地方によっては現在でも「司」 ( 角 ) を「ヱ司」 と呼んでいます。 韓国語の場合、「ⅵ」と「司」は酷似音です。 「 : : : に」の意の現代標準語は「」なのですが、新羅言葉では「引」音に似せて発音します。 「師」は韓国音で、「朴」。 「加」も韓国音で、「外」。 一一字合わせて、「承」。これを「碎オ , と強くよませます。「洩らそうか , の意です。 もそりえさか 「伊毛左袮而師加」は「司外オ」で「この端 ( 角 ) に洩らそうか ( 射精しようか ) 」 となります。「腟外射精」のことを言っているのです。 従来の解釈では、「いもさねてしか」 ( 共寝もしたいものだ ) としています。 あぎ 外①秋 ( 子供 ) あぎ 「秋ーは日本訓で、「あき」。これを、韓国語の「」にあてます。「子供」「赤児」のことで 十 す。 275
おペど 小船毛 ( 背負われても ) じゃぐんべ 「′船」は漢字の訓そのもの、韓国よみでは「哥名」、日本よみで「おぶね」といちおうよ めるのですが、したたかな憶良よみのやり方からみると、こうもすんなりよめるのは却って怪し いのです。 なか なぜかというと、「船」の韓国語は「」で、お腹の「」とは完全な同音語なのです。それ あが どころか、「船に乗る」という韓国語は、「お腹に上る」という言葉とまったく同音同語で、男性 側からの性行為の隠喩なのです。 それで、ここでまた、憶良の「底意」をあれこれ詮索しなければならないはめにあいなるので す。 お 「小」は日本訓で、「お」。これを、韓国語の「」にいったんあててみます。 「船」は日本訓で「ふね」、従来の訓み下しによると「ぶね」。韓国訓で「」。 さて、この二字を合わせてみましよう。 お ふね おふね タ①「」プラス「一互司」、イコ 1 ル「司」。これは韓国語として成立しません。 おぶね ②つぎのケ 1 ス、「」。フラス「旦司」イコ 1 ル「旦司」。これはなんとかなりそうです。 十 おぶね 「ぶ」音の処理をきちんとすること。それで「ぶ」を終声として、「」につけてみます。「司」 「之」は韓国音で、「」。 ぬるじ 「塗之」一一字合わせて「」丁旦」、「押そう」「押せよ」の意です。 255
まつだまつでね ⑩真玉手乃 ( 当て合わす ) 古事記からの引用部分です。 ま またまでたまて 「真玉手玉手さし枕き : : : 」と解釈されているくだりで、漢字表記は、「麻多麻伝多麻伝佐 斯麻岐」となっています。このいかめしい呪文のような古事記の漢字表記を「真玉手玉手・ : : こ と、いかにも麗しい女性の両腕のイメージに書き替えたのは、憶良が最初だったのではないでし かわ ようか。このイメージにつまずいて、従来の解釈は『うるわしい手をさし交し』としています まつだまつでん が、古事記の「麻多麻伝」は「吽」で、「当て合わせた」という言葉なのです。 では「真玉手乃」は、どういうことなのでしようか。 「真玉手」を日本語式に訓み下すと、「またまで」になります。音そのまま韓国語にあてはめる またまで まつだまつで と「外斗可司」、これを「吽」 ( 当て合わせた ) とよませます。 はね 「乃」は韓国音で、「」。これを動詞「哥司」 ( する ) の語尾「司」とします。 まつだまつでね 「真玉手乃」四字合わせて「吽司」「当て合わせり」となります。正確な文法に合わせる まつだあ まつでね と、「ト 。司」です。 だまつでん ⑩玉手 ( 合わせ終えた ) 「玉手」一一字を日本訓で訓み下すと「たまて」で、これをそのまま韓国語にあてはめて「 でん 」 ( 合わせ終えた ) とします。 だまでん この部分の古事記の表記「多麻伝」が、このよみ方の信憑性を裏付けてくれます。 だまっ 270
大宮人どもを叩き切るのだ、といきまいているのです。よほど許しがたい事情があったのでし かたなかたなかたな よう。憤懣やる方ない心を、この一首に封じこめています。刀、刀、刀 : : : と並べ立てているの です。 そして一方で、よみ方によっては、無難な意味にもとれるように、細工がしてあります。それ が ( Ⅱ ) です。 Ⅱ・意味そのニ ごじれちやご たふしねごじね ( れ ) 受引司ヱ手節ュ入引司 ( 司 ) ぐむいるど がもでぐんいんねたまもべらむ 今日三オ大宮人司玉藻司早 っ 釧くしろっ 釧着け手節の崎に今日も行く おおみやひと 大宮人よ玉藻刈りせよ かたなっ おおみやひと 刀着け守節の崎に今日も行く たまも 大宮人の玉裳 ( または目障り ) 刈りせよ ( 腰にさし刀を帯び守節の崎に今日も行くのだ大宮人の玉裳を切るのだ ) たふし
と、同語です。 一一字合わせて、日本語よみの場合、④は「雲の」となり、韓国語よみの場合、〇は「くも ( 「く ぬん ま」または「こま」と同じ ) 」ど、つまり「くもは」となるのです。 じなるで ⑦過跡 ( 住み場 ) 「過」は韓国訓で、「せ」。「経過する」「住む」の意です。 て 「跡」は韓国訓で、「」。土地、陣地、領地などの意です。新羅言葉では「司」を「」と発 音します ( 慶尚道では、現在でもこのように発音しています ) 。この「司」を、酷似音の「司」 に使います。「場所」の意です。 じなるで これで「過」と「跡ー一一字合わせて、「司」の三字になります。 「住む場所」「住み家」「行く先」などの意です。 ⑧者 ( あまり ) 「者」は日本訓で、助詞の「 : : : は」とよんでいます。この「は」音を韓国語にあてると「哥」 まんい しで、「多く」の意の古語になります。現代語では、「引」。 の 「過跡」と「者」 これが難解のハイライトです。 この部分を従来のように「すぐとは : : : 」と、なんの意味か正体のしれない日本語によんでし 九 まうと、解釈はまったく別の方向にそれていくからです。 じなる 215