抱えよわが尻をいま行くよ 早く持ち上げて締めておくれ 元歌 丘を越えて行こうよ 真澄の空はほがらかに晴れて 楽しいこころ鳴るは胸の血潮よ たたえよわが青春を いざ行けはるか希望の丘を越えて 元歌は古賀政男作曲、藤山一郎の歌。マンドリン合奏 曲「ピクニック」に作詞者が後から歌詞をはめ込んだ。 昭和六年からの流行。 - 島の娘替歌 はあー主はしたかろ横や茶臼やまともやら 髪は乱れるふいた紙やら涙やら チョット待ってんか乳すうてやろか へソなめちやろかというてる間にまた二つ 作詞島田芳文 作詞長田幹彦 元歌 ハア島で育てば娘十六 恋ご、ろ人目忍んで主と一夜の仇なさけ 元歌は昭和七年、芸者歌手の最初の人、小唄勝太郎の ヒット盤。「ハア小唄」の草分け。日中戦争後、「娘十六 紅だすき / 咲いた仇花 / 波にゆられて風だよりーと改作 させられたが、その後、発禁となった。替歌は戦中から 戦後にかけて歌われた春歌。 ◆東京音頭替歌 ハアー春はたのしやチョイト 桜の下でヨイヨイ 花をかきわけ花をかきわけまんなかへソレ ぐっとなあソレョイヨイヨイ ぐっとなあソレョイヨイヨイ おとうちゃんもおかあちゃんも元気だして元気だし 274
生きていたとはお釈迦さまでも 死らぬ仏のお富さん エーサオー玄冶店 元歌は昭和一一十九年、春日八郎のヒット曲。歌舞伎劇 よわなさけうきなのよこぐし 「与話情浮名横櫛」の切られ与三郎とお富を歌ったもの で、その発祥地の木更津は有名になった。替歌は豆本の 替歌集より。 ◆娘船頭唄 ( おんな船頭唄替歌 ) 嬉しがらせてだかせて消えた 好きなあの人今いずこ 思い出すさえヒップがうずく だいてお呉れよもう一度 所詮一一つは無理とは思ったが 昨夜一二つで今朝二つ 紙はなくなる代りにふいた ぬれたおこしが手に重い 元歌 嬉しがらせて泣かせて消えた 憎いあの夜の旅の風 思い出すさえざんざら真菰 鳴るなうつろなこの胸に 所詮かなわぬえにしの恋が なぜにこうまで身を責める 呼んでみたとてはるかな灯り 濡れた水棹が手に重い 元歌は昭和三十年、前年にデビューした三橋美智也の 本格的ヒット曲。その後の「男涙の子守唄」 ( 高橋掬太 郎作詞 ) の替歌も、石黒敬七が雑誌「百万人のよる」で 紹介している。 甘いむつごと夜はふけて 耳をすませば身は悲し セガレよい子だねんねこしゃんせ 作詞藤間晢郎 476
煙草すう身はかねてから 捨てる気持でいるものを ついて来るなョモクヒロイ ヤミでもうけた金あれば なんのタハコが階しかろ、つ 以上、三曲は雑誌「ユーモア」 ( 昭和一一十三年十一一月号 ) に発表。「世戦群歌集」と題しているが、これは戦中の 「聖戦軍歌集」のパロディである。 ◆夢淡き東京替歌 足を踏まれる日電車がぎゅうぎゅう混む日 何を待っ心こわれた硝子窓 かすむは俺の目ン玉かあの屋根は たよれぬ議事堂かかすかに泣くは腹の虫 何を待っ心淡き生の町東京 なやみを忘れんと貧しき人びと唄い 赤い旗の下っどうは我が友よ 作詞サトウ・ハチロー 元歌 柳青める日つばめが銀座にとぶ日 だれを待っ心かわいいガラス窓 かすむ春の青空かあの屋根は 輝く聖路加かはるかに朝の虹も出た だれを待っ心淡き夢の町東京 元歌は昭和一一十一年ごろ、東京映画「音楽五人男」の 主題歌。替歌は「冗談音楽」で歌われた。 ◆あなたなしでは替歌 お米なしでは苦しくて とても生きてはゆけないの 泣き泣き今日もハシをとる だけどだけど ヤミ米買えない私なの いつも遅配の配給を 386
元歌は昭和一一十一一年六月から始まった連続放送劇「鐘 の鳴る丘」の主題歌。二十五年十二月末まで七百九十回 までつづき、よく歌われた。替歌は「肉体文学」が盛ん なころの春歌。 ◆港が見える丘替歌 あなたと二人でねる夜は座敷がくらい夜 色はえた布団ただ一つなやましく敷いてある 胸のドウキはやる心イクョイクョと云、つとき 私はあなたのものよ春の宵でした 元歌 あなたと二人で来た丘は 大港が見える丘 世色あせた桜唯一つ 一一淋しく咲いていた 船の汽笛咽び泣けば 章 七 チラリホラリと花片 十 あなたと私にふりかかる 第 作詞東辰三 春の午後でした 元歌は昭和二十二年、ビクターの戦後初のヒット曲。 替歌は戦後の世相を反映したものである。 ◆異国の丘替歌 今日も昨日も私はメンス 貴方したかろやりたかろ がまんよ二三日キッスですましゃ やれる夜も来る朝も来る 今日もぬれゆくべットの上で はりきる一物からむ手 入れてまわしてもち上げてしめりや ( 入れてもち上げてまわしてしめりや ) ああゆく今ゆく気も遠い 元歌 きようも暮れゆく異国の丘に 作詞増田幸治 3 乃
瞳曇るなまた逢う日まで 帽子振り振り後ふりむけば 暁の野風がただ寒い 元歌は昭和一一十一一年から流行した。高橋掬太郎作詞、 飯田三郎作曲で岡晴夫が歌った。替歌は、元歌の一節と 三節を作り替えたもので、戦後の一風景が描かれている。 ◆誰か悔なき ( 誰か夢なき替歌 ) 想いあふれて唇吸えば 白い歯並び可愛く開けて きみよなぜなぜこんなにいとし たとえかまりよとああ誰か悔なき 胸の小高い乳房の丘に ふれた男の切ない心 つよく頬よせ胸内聴けば 愛が脈打つああ誰か悔なき 元歌 想いあふれて花摘めば 白い指さき入日がにじむ あざみなぜなぜ刺持っ花か たと、んささりよと ああ誰か夢なき 森の梢に照る月も くもれ男の切ない涙 つよくあきらめ忘りよとすれば 声がまたよぶ ああ誰か夢なき 元歌は昭和一一十一一年、富田常雄原作の新東宝映画「誰 か夢なき」の主題歌。替歌もそのころから歌われたもの で、戦後の混乱期の所産である。 ◆吉原病院の歌 ( 可愛いスーちゃん替歌 ) 作詞佐伯孝夫 370
夜ごとかわす仇枕 これもぜひなや国のため 作詞作曲者不明の流行歌。元歌不詳。昭和十八年ごろ、 軍人相手の娼婦たちの宿舎で歌われた。 ◆湖畔の別れ替歌 朝は空から波間から 明けて静かな小鳥の朝した 馬車にゆらゆら島民の 吹くよロ笛にゆらゆらと 金と銀との陽がのばる 椰子の木陰にひとときを 吹かす煙草の煙りの果てに ドット上った波しぶき 此処は孤島よ離れ島 年に一度の船が来る 星の光りで寝むる夜は 夢もはるかな潮路を越えて 帰る古里彼の家で たのしまどいも束の間に さめてさぐったはだ守り 元歌は昭和十七年ごろ、松竹映画「湖畔の別れ」主題 歌。「落ち葉ちるちる山あいの / 青い静かな湖こいし 星かすみれか真珠の玉か / おとめ心のゆめのいろ / ゅめ のいろ」 ( 西条八十作詞 ) 替歌は、グアム島元日本兵調査団が発見した。石田正 夫 ( 当時、海軍軍属設営隊工員 ) の雜のうのなかに、ヤシ 酒がはいった一升びんとともにポロボロになったノート ( 遺書 ) に記されていた。 ◆お島仙太郎旅唄替歌 銃もとらずに第一線へ 男度胸の身は白襷き あがるかちどき南の空の 364
◆花見 山々にたなびく霞 おばろに聞ゆる鳥の声 赤き白きこき交ぜて 乱れつ香える桜花 しらべ 自然の音楽調をあわせ 天女の姿風に舞う さらに、この歌の曲はその後、だれでも知っている 「むすんで開いて」という文句で歌われるようになるが、 それについては第一一十章「現代っ子の替歌」で述べたい。 「どんどん節。と替歌 明治初期の「どんどん節」 ( 既出 ) は、『日本近代歌謡 史」によると、明治一一十年代には次のように、歌詞を歌 い替えて流行している。 くるまであす ( そ ) んだその天ばつでいまやしょたい もひのくるま ホンマカネマコトカネソウジャナイカネ うめがはちうべいが江戸っ子なればどうちうで二分の 金のこしやせぬ ホンマカ、不マコトカ、不ソウジャナイカネ いろけづいたか川ばたやなぎひにちまいにち水かがみ ホンマカネマコトカネソウジャナイカネ ままよさんどがさますぐにかぶりかりのあるとこよこ にしな ・ 4
一三ロ - いつでも夢を替歌 猫よりひそかに大よりやさしく 私はいつも歩いてる 音が聞こえる淋しい夜更けに 汚物にぬれたこの胸に 撒いているいる殺虫剤よ いつでも撤くの 猫よりひそかに大より優しく ゴキプリソングを唄ってる 元歌は昭和三十七年、橋幸夫と吉永小百合とで歌い、 レコード大賞を受賞した。「星よりひそかに / 雨よりや さしく / あの娘はいつも / 歌ってる : : : 」 ( 佐伯孝夫作 司 ) 。替歌は、元歌の甘く悲しい非現実的なムードを、 汚ならしくて生活力が盛んなゴキプリをうたって、あて こすっている。 ◆柔替歌 取ると思うな田 5 えば負ける やると思って税金を 払って生きてる庶民の意地を 男一匹ほめてやる 人は人でも税務署育ち かけた情けを誰が知る せめて今宵は人間らしく 抱いて泣くのも抱いて泣くのも夜の花 ロでいうより押さえが早い 庶民相手の強気ぐせ えらいやつには下からでるぞ やわらか一筋やわらか一筋出世道 元歌は昭和三十九年、古賀政男の作曲で美空ひばりの 歌。やくざっほい歌い方が大衆にうけた。「勝っと思う な思えば負ける / 負けてもともと : ( 関沢新一作詞 ) 。 替歌は税務署を皮肉った。税金の苦痛をうったえる替歌 576
ほんにお前はソイほんにお前は数寄屋橋サテ 元歌「丸の内音頭」は中山晋平作曲。昭和七年夏、丸 の内付近を歌ったものだが、その翌年、鹿児島小原節を 聞いて前奏を替え、大ヒット。そのまた替歌は若者たち を中心に現在まで歌いつがれてきた。 ◆ダイナ替歌 エノケンのダイナ ダンナ飲ませてちょうだいな おごってちょうだいなたんとは飲まない ね いいでしようダンナ盃ちょうだいな コップならなおけっこ、つこいつはいける 酒はうまいうまい少し酔った酔ったらさあこい ダンナ飲ませてちょうだいな けちけちしなさんなかけつけ三杯 ダンナなぐってちょうだいな つねってちょうだいな心のままよ ど、つなとしやがれ ダンナけとばしてちょうだいな ぶんなぐってちょうだいなわしゃ泣きやしませぬ 君が何をしよ、つと思いのままよ 勝手にしやがれ何いってやがんでえ ダンナ横びんたちょうだいな はっとばしてちょうだいな心が晴れる 訳詞中野忠晴 元歌 ダイナ月のでるころ 君とうたいし浜辺の歌よ ダイナきかせてちょうだいな 泣かせてちょうだいなはるかな月に あまき恋の思い出ひとり清き月の影を慕いて ダイナきかせてちょうだいな 泣かせてちょうだいなこよいの月に 原曲「 Dinah 」は一九二五年、・ルイスとジョーヤ ング作詞。昭和九年、ディック・ミネが自らの訳詞で歌 って、モダンポーイに人気があった。替歌は中野忠晴の 訳詞を、喜劇スター榎本健一が浅草の舞台で演じたレビ ュー中に「エノケンのダイナ」として歌い、レコードに 276
ひたたる汗をぬぐいつつもう一息の戦いと フンシフンスのかけ声も戦いすんだその後は 白旗ならぬ白紙を互におし当て顔と顔 手と手を握り夢心地 このころ、さいごまで歌わない替歌に「タバコの火が おちて火事となるころ : という文句があったが、 これは「アラビアの唄」 ( 堀内敬一二訳詞、フィシャ作曲 ) の「沙漠に日が落ちて夜となるころ / 恋人よ / なっかし い歌を歌をうたおうよ」が昭和三年ころから流行してい たからである。 ◆モン・パリ替歌 ひさかたぶりの同窓会にもつつがなく逢える この身ぞいとうれしき なっかしきそのかみのうるわしき思い出や わけてもわすられぬは師のおもかげ うるわしの思い出同窓会よ 校舎をめぐりてそぞろ歩きや ゆきか、つ友もいと楽しげに北日をる あの日の頃のわれを思えば心はおどるよ うるわしの思い出同窓会よ 元歌 作詞岸田辰弥 ひととせあまりの永き旅路にも つつがなく帰るこの身ぞいとうれしき めすらしきとっくにのうるわしき思い出や わけてもわすられぬはパ リの都 うるわしの思い出モン・パリ わかハ 1 たそがれどきのそぞろ歩きや ゆきかう人もいと楽しげに恋のささやき あの日の頃のわれを思えば心はおどるよ わか。ハー うるわしの思い出モン・ 元歌はシャンソン。宝塚歌劇のレビュー中の歌として 歌われ、電気吹き込みのレコードとして最初に売り出さ れて流行。 替歌は昭和七年春、東京荒川区の小学校教師が卒業生 272