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検索対象: 替歌研究
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1. 替歌研究

食パン乗っけてどうするの 6 書いてチョン 6 書いてチョン 手ぬぐいさげて箱かいて 6 書いて棒 6 書いて棒 ポーイさんでした ◆コックさん お皿かなお皿じゃないよ おなべだよおなべじゃないよ 葉っぱだよ葉っぱじゃないよ かえるだよかえるじゃないよ あひるだよあひるじゃないよ 六月六日の参観日 雨がザーザー降って来た 三角定規にヒビ入って アンパン二つ豆三つ コッペパン二つ下さいな アッとい、つまにかわいいコックさん 絵かき歌として歌われるが、どれが元歌かわからない ほど、これに関係ある文句は多い。どれもイメージが自 問自答しながら次から次へかわっていく面白さがある。 「うたのほん」には「棒がいつばいあったとさ / 葉っぱかな葉っぱじゃないよ : : : 」 ( 間宮芳生編曲 ) とい うのが収められている。 ◆数え歌 ハ名武濠四上日イ ワ武古蔵蔵州国海本ギ A イ蔵屋 武濠四上日ス ハ名名蔵州国海本 ワ古古 イ イ屋屋イイイイイギ ギギギギギリ イ イ ギギススススス イ 日日日日日ギ ス ス 本本本本本リ 日 日 ス 本本上上上上 海海海海ち 上上 よ 海海四四四 ん 国国国 国国濠濠 州州 州武 4j2

2. 替歌研究

第十五章太平洋戦争中 明日はお立ちかおなごり階し、 汽車が不通にネなればよいダンチョネ 汽車の不通じゃまだまだたりぬ 雨の十日 ( 三日 ) もネ降ればよいダンチョネ 雨の十日 ( 三日 ) じゃまだまだたりぬ 雪の十日もネ降ればよいダンチョネ 雪の十日じゃまだまだたりぬ 槍の千本もネ降ればよいダンチョネ 三つしたのでヨふらふらするがヨ 可愛いあの子がネわすられぬダンチョネー 泣いてくれるなョ抜きとる時にやヨ 中でヘの子がネしゃんするダンチョネー 元歌 三浦岬でヨどんと打っ波はヨ 可愛い男のネ度胸だめしダンチョネー 元歌は大正の中ごろから流行した神奈川県民謡。「ダ ンチョネ」は「断腸ネ」からきたといわれる。替歌 < は 戦時中、おもに航空兵によって歌われた。戦後でも、日 本の航空機が飛ぶころに歌われているつは城山三郎の 小説「プロペラ機、首陸待て」のなからにも出てくる。 水上勉の小説「片目」のなかでも「輜重輸卒が兵隊なら ば、蝶やトンポも鳥のうち」という文句が出てくる。 0 もよく歌われ、元歌より知れ渡った。は春歌。 333

3. 替歌研究

我利々々亡者と呼ばれよが詐偽よ泥棒と譏らよが 痛くも痒くもありやしない金になりさえすればよい 1 「コ 1 「ツー「ツ ( 市民日く ) 市民の権利をふみつけてすむと思うか間抜ども なんば大きな会社でも市民を除けば客はない 1 「コ 1 「ツ 1 「ツ , 「 ( 会社日く ) 三社合同したからはもはや動かぬ大資本 素直にして居ちゃ癖になるくずくずぬかせば又上げ る 1 「コ 1 「ツ , 「ツ、トー ( 市民日く ) 市民が不乗総同盟すれば会社は立ち行かぬ 会社がぶつ潰れりや汝等も可愛い妾も囲われぬ ( 会社日く ) 反対なんぞと騒いでもまるで蚊の泣く様なもの 七十五日が関の山実に市民は馬鹿ばかり 1 「コッ 1 「ツ ( 市民日く ) 弥次馬さわぎや投石がなくなりや其儘泣き寝入り などと市民を馬鹿にするはら ( 内相原敬 ) の憎さよ 愚かさよ コッ 1 「ツ 1 「 ( 会社日く ) 何のかんのと騒いでも金の力は強いもの 去れよ弱虫めくら共泣等の名は市民なり 1 「コ 1 「ツッ ( 市民日く ) 不義の暴富を鼻にかけ時を笑顔のでくのほう 金の奴隷よ意気地なし汝等の名は社員なり 〇 狭い車内へドシドシと無闇に客をつめ込んで 歳暮の鮭ではあるまいしつるヘぶらんこさしておく , - 「コッ 1 「ツ 〇 つらい勤めも金ゆえの車掌や旗ふり運転手 月給はいつも居据わりで高くなるのが株ばかり 728

4. 替歌研究

行 流 隊 軍 七日七日の日曜も 章 四 楽しかるべき祭日も 第嫌な二年兵の洗濯で 行した。 ◆可愛いスーちゃん お国のためとは言い乍ら 人の嫌がる軍隊に 出て来るこの身のあわれさよ ( 召されて行く身のあわれさよ ) 可愛いあの娘 ( スーちゃん ) と泣き分れ これから勤める三年間 ( 朝は早よから起されて ) 寝るも起きるも皆ラッパ ( ぞうきんがけやらはき掃除 ) 泣き泣き送る日の長さ ( 泣く泣く送る日の長さ ) 泣きの涙で日を送る 日は早落ちて月が出る 一一年兵のはいた泥靴を 月の光にてらされて 磨く此の身のあわれさよ 海山遠くはなれては ( 海山遠く隔てては ) 面会などは更になし ( 面会人とてさらになく ) ついた手紙のうれしさよ かわいいあの娘 ( スーちゃん ) の筆のあと 点呼すんだその後で 鉄拳制裁雨あられ 泣き泣きもぐる床の中 夢は故郷の母のかお アンバン ( 乾。ハン ) かじる暇もなく 307

5. 替歌研究

第六章「ロシャコイ節」以後 作詞大和田建樹 元歌 四面海もて囲まれし我が「敷島」の「秋津洲」 外なる敵を防ぐには陸に砲台海に艦 元歌は日露戦争ごろから歌われた。小山作之助作曲。 替歌は、旅順港ロ閉塞隊指揮の任に当り、福井丸上で 壮烈な死をとげ、軍神とあがめられた広瀬武夫中佐のこ とを歌った。当時、広瀬中佐を歌った歌は、大和田建樹 文部省唱歌「とどろく砲 作詞「一言一行いさぎよく : 音とびくる弾丸・ : ーなどがある。 ふね 「ラッパ節ー替歌 ◆ラッパ節替歌 電車問題「市民と社会篇」 ( 市民日く ) 天下の公道を利用して不当の暴利を占めながら 尚飽き足らで嘘をつき値上げをするとは太い奴 ( 会社日く ) 雨の降る日も風の夜もあちこちへ乗りかえて 広い市中を乗り廻しそれで四銭じや安すぎる 1 「 - コ、ト . ッ長ーツ 1 、ー ( 市民日く ) 勝手なむだロきくよりも ( 弁田口は社長 ) 外国電車 の例を見よ 安くて広くて清潔で人をひき殺すこともない ・コッ 1 「ツ J— ( 会社日く ) 727

6. 替歌研究

第二章文明開化とともに なまず食べ食べくらしていれば 米の高値はしら鷺だんべコリャネコチャンリン 元歌 どじようのおひげでぬらくらあるき やつばりなまずのお仲間だんべオヤマカチャンリン 楊弓ひくとて矢竹に通う やつばりお尻 ( 矢場女 ) がその的だんべオヤマカチ ャンリン 殿さま気取りで猫よびながら かるい財布が気になるだんべオヤマカチャンリン 席をだそうか高利を貸そか やつばり士族の商法だんべオヤマカチャンリン 「オヤマカチャンリン節」は明治十年ごろから流行し さぎ だした。「オヤマカチャンリンーという言葉の面白さが 受けて、多くの替歌を生んだ。「官員節」の同じ文句に、 「オヤマカチャンリンーがつけられたものもある。 替歌は明治十一年 ( 一八七八 ) の「団団珍聞ーによる。 替歌 < は同誌第五十四号 ( 明治十一年四月二十七日付 ) 、 は第五十七号 ( 同年五月十一日付 ) 、 O は第六十八号 ( 同年七月一一十日付 ) 、は第七十二号 ( 同年八月十日付 ) 、 は第七十七号 ( 同年九月七日付 ) に掲載。なお、「権妻」 は妾のこと。

7. 替歌研究

前 争 中 コレカラ勤メル三年間寝ルモ起キルモ皆ラッパ 日 嫌ナ一一年兵ニドャサレテ泣キ泣キ送ル日ノ長サ 章 十 七日七日ノ日曜モ楽シカルベキ祭日モ 第 女なかせの二つ星 十八とせようよう満期もあと三日 おやじ喜べかかさがせ 帰ればあ、してこうもして 十九とせ苦労しました一一年間 明くればうれしゃ除隊式 軍旗に最後の捧げ銃 数工歌 オ国ノタメトハ言イ乍ラ人ノ嫌ガル軍隊ニ 出テ来ルコノ身ノアワレサヨ可愛ィアノ娘ト泣キ分 レ 嫌ナ一一年兵ノ洗濯デ泣キノ涙デ日ヲ送ル 日ハ早落チテ月ガ出ル一一年兵ノハイタ泥靴ヲ 月ノ光ニテラサレテ磨ク此ノ身ノアワレサヨ 海山遠クハナレテハ面会ナドハ更ニナシ ツイタ手紙ノウレシサヨカワイミッチャンノ筆一・ノア 点呼ガスンダソノ後デ鉄ケン制裁雨アラレ 泣キ泣キモグル床ノ中夢ハ故郷ノ母ノカオ アンパンカジル暇モナク消燈ラッバガ鳴リヒビク 五尺ノ寝台ワラ布団コレガ吾等ノ夢ノ国 ネムイ盛ニ起サレテ嫌ナ勤務ノ不寝番 若シモイネムリシタナラバ行カネパナラヌ重営倉 一期ノ検閲一一期三期秋季ノ演習モ早ャスギテ イヤナ二年兵ガ除隊スリヤャガテナリマス神様ニ 307

8. 替歌研究

一つとせ人のいやがる軍隊へ 後 志願で出てくる馬鹿もある 前 争再役するよな馬鹿もある ( お国のためとは言いながら ) 中 トコシャン 日 章 二つとせふた親見すて、来たからにや 十 第 この身は国家に捧げ銃 ( 命は陛下に捧げ銃 ) オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるじゃがたらお春 未練な出船のああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る 元歌は昭和十四年、長崎ものの草分けとしてヒットし た。替歌 < は戦中の「代用食」を歌いこんだ食糧不足時 代のものである。替歌も、戦争中の大人や子どもまで が歌った。 数え歌 及ばずながらも努めます ( 君のためとは言いながら ) 三つとせ皆さん御承知軍隊は 酒と女は禁物で 軍紀風紀を守るため 四つとせ夜は衛兵寝ずの番 明くれば一日捧げ銃 ( 立ち通し ) 帰れば忽ち不寝番 ( 暑い寒いもいとやせぬ ) 五つとせ何時か分らぬ不時点呼 ねむいさかりに起されて 人員検べて報告す 六つとせ無理な事を上官は 命令なんぞと名をつけて 服従せよとはチョイと無理な 七つとせ七日七日の土曜日は 清潔整頓武器手入 299

9. 替歌研究

おへソを合せて過したあの夜 「ネエコンナイイコト誰が 初メターデショウ」 ああいとし君いっ又くるの 何日君再来 元歌 忘れられないあの面影よ 灯し火ゆれるこの霧のなか ふたり並んで寄り添いながら 囁きもほほえみも たのしくとけ合い 過ごしたあの日 ああいとし君いつまた帰る 何日君再来 ? ◆青島節替歌 新町よいとこ誰がいうた 芸妓島田に裾引いて 長田恒雄作詞 尾のないキツネが出るそうな ばくも二、三度だまされた 元歌は既出。第一次大戦のとき、青島守備軍のあいだ で歌われたが、替歌は太平洋戦争のころ、大阪の花柳界 ではやった。「新町」のところを「南地第「今野」など と歌い替えた。元歌には「ナッチョラン」というはやし をくりかえしたが、 替歌にはない。落語研究家の三田純 ◆わらわし隊の歌 ( 皇軍大捷の歌替歌 ) 国を発つ日の漫才は しびれるほどの感激を 受けてしゃべったのもこの舌ぞ 今その舌で長城を 越えて笑わす笑わし隊 昭和十三年ごろ、日中戦争の軍隊慰問を目的にした演 芸慰問団「わらわし隊」というのができた。当時、飛行 292

10. 替歌研究

元歌 ぎんぎんぎらぎらタ日が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む まっかっかっか空の雲 みんなのお顔もまっかっか ぎんぎんぎらぎら日が沈む 元歌は雑誌「白鳩」 ( 一九一一一 ) に発表。宮崎琴月作 曲。替歌は「子どもの替え歌傑作集」による。 ◆タ焼小焼替歌 タ焼小焼で日が暮れない 山のお寺の鐘鳴らない 戦争なかなか終らない 烏もおうちへ帰れない 元歌 タ焼小焼で日が暮れて 作詞葛原しげる 作詞中村雨紅 山のお寺の鐘がなる お手々つないで皆かえろ 烏と一緒に帰りましよう 元歌は「あたらしい童謡 ( 一こ ( 一九二三 ) に収録。 草川信作曲。替歌は同前による。 ◆みかんの花咲く丘替歌 みかんの花が埼玉県 思い出の道岡山県 はるかに三重県青森県 お船が東京霞が関 元歌 みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道 はるかに見える青い海 お船が遠くかすんでる ィ一 ~ = ロカ藤省吾 440