冖質問〕「すごいおいしい」など、「すごく」と = = 「うべきとこ ろを「すごい」と言っているのが気になります。もはや定着し てしまったのでしようか 冖答え〕活用語の連体形は、普通、名詞の類を修飾するのに 用いられますが、一部、連体の形が動詞や形容詞などの修飾に 用いられるものがあります。「例のーという言葉は、現在では、 「例の話」のように連体修飾で用いられますが、中古語では、 やまひ 「例の病 ( Ⅱ いつもの病 ) 」のような連体修飾用法のほか、「中 将、例のうなづくのように動詞を修飾する副詞としても用い られます。 か また、「いっかな」は、「如何なる」という連体の形からでき すごいおい 「改定」は、新たに定めなおすこと。 「改正」「改悪」の中立的 ( あるいは、 客観的 ) な言い方といった趣で、法 律上のことなどに使う。「法律〔条 約・定価・運賃・賃金・音訓表〕を改 定する」。「改訂」は書物の訂正にい う。「初版を改訂する」「改訂版・改 訂新版・改訂増補版」 ち ? 使うのはどっち ? 4 「定価改定」珥定価改訂」、どっ
好きになれないんですよね」 これらの「じゃないですか」は、嫌だと感じる人もそうでな ( 〔〔凵〔〔〔の〔罔〔ダ〔 ! 〔〔〔回 い人もいるのではないかと思います。嫌だという人は、「ご飯「とおり」「とうり」、どっち ? を食べると眠くなることぐらい言われなくても分かってる」 「おとうさん・わこうど」などの長 「これが最近流行ってることぐらい私だって知っている」と感 音は「う」を添えて書くが、「通り・ じたのではないでしようか。これらの例は控えめな表現を用い 氷・公・とお ( 十 ) 」など、歴史的仮名 ていることに問題があるのだと思います。自明なことを「ご存 遣いで「ほ・を」と書いた若干の語 じないかも知れませんが」といった控えめな調子で教えられれ は、「お」と書く。「う」と書くと誤り かん ば誰だって癇に障ります。特に気にならなかった人は、自明な とされるだけでなく、ワープロで こととは捉えずに単なる情報確認だと感じたのでしよう。いず の漢字変換もできなくなる。 れにしても、右の例は人を不快にさせる危険性をはらんだ表現 だと一一 = ロえます。 次に、これとは少し違う例を見てみましよう。 「私って最近引っ越してきたばかりじゃないですか」 「私ってすごく忘れつばい人じゃないですか」 こちらの例の方が嫌だと感じる人は多いだろうと思います。
合はどうでしよう。「真っ黄」や「真っ黄色ーは、室町時代の ころから例が見られ、『日本国語大辞典』 ( 小学館 ) のような大 ( 〔〔〔〔国〔の〔叫罔〔〔グ〕〕〕〕〔〕〔〔〔〕〔 9 規模な辞典には載っています。「真っ黄色」があれば、同様な 語構成の「真っ茶色」があってもおかしくないということにな りそうです。ちなみに、インタ 1 ネットの検索エンジンで「真 っ茶」の例を調べたところ、水槽・泥水・本の表紙などについ て「真っ茶色」 ( さらには「真っ茶っ茶」も ! ) とする使用例 ちやばっ があり、髪の毛についての例もありました。いわゆる「茶髪 の濃いものというわけです。今後こうした用法が広まっていく ことも十分予想されるところです。 「シリコン」と「シリコーン」は、別 のもの、同じもの ? シリコンとは、珪素のこと。れつき とした元素名だ ( 元素記号å5 ) 。珪 酸塩などとして岩石中に存在。シ リコーンは、珪素樹脂のことで、有 機珪素化合物の重合体。シリコー ン樹脂・シリコーンゴム・シリコー ン油などがあり、シリコーン樹脂 は人工腎臓やコンタクトレンズに 利用される。両者は全くの別物。 0 「真っ茶」は誤用ではなく、「ま 0- という接頭語の用法が拡大して生まれた一言い方だ と理解できます。 ( 小林賢次 )
使うのはどっち ? 「申される」は、誤った敬語 ? 「申す」は「言う」の謙譲語だから、 冖質問〕「・ : 、みたい、。 な」などの「みたいな」の用法が気に それに尊敬の「れる」を付けるのは なります。問違いではないのでしようか 誤りだという意見がある。が、「新 なりちか 大納言成親卿も平に申されけり けんざん 冖答え〕最近、「一緒にやろうよ、みたいな話だった」とか、 ( 平家物語 ) 」を始め、「号を見山と 「お前は帰れ、みたいな態度、むかっく。」というように、会話申される ( 中里介山 ) 」「何と申され の内容を「みたいな」で受ける言い方がみられます。学校文法る ( 司馬遼太郎 ) 」など、古典や時代 小説における使用例は幾らでもあ では、「みたいだ」は、名詞や活用語の終止形に付くとされま る。古くから使われてきた言い方 すが、この用法は、終助詞「よーや命令形に接続するので、例 だ。ただ、「部長が申されますよう 外となりそうです。 に」など、現代語で使われているも この「みたいだ」と同じように、前の語句を受けて、概略を のは誤用とすべきであろう。 示したり例として示したりするものに「ようだ」があります。 両者は前の語句との接続に違いがあります。 みたいな 0 ) 1 4 / :
ようです。ちなみに、インターネットで検索してみますと、 「雰囲気ふいんき」が約二〇〇〇例、「ふいんき」「フィンキ」 が都合六四〇〇例、「雰因気」「不陰気」という怪しげな表記が 合わせて二〇〇〇例近くヒットしました。 「雰囲気」という漢字がありながら、それを「ふいんきーと 読んでしまうということは、「雰」を「ふ」と誤読し、「囲ーを 「因ーと混同した結果かもしれません。「ふいんき」の漢字表記 「雰因気」に「因」が使われていることが、この推測を支えて くれるようです。「雰囲気 ( ふんいき ) 」という語の意味はなん となく分かるが、「雰囲気」の「雰ーだけ取り出してその意味 を問うと、分からないと答える人が案外多いのではないでしょ うか。「雰囲気」の「雰ーは、当用漢字表にはなく、常用漢字 表ができて新しく入った漢字ですから、もともと「雰囲気」と 力なり難しい日本語に属するのかもしれません。そ い一つは、ゝ の意味では、ボキャプラリ 1 の少ない若者の間から「雰囲気」 が忘れられて、うち捨てられていく蓋然生は高いようにも見受 がいぜんせい 使うのはどっち ? がけぶち がけぶち 「崖っ淵」「崖っ縁」、どっち ? 現実問題として、崖の下に「淵 ( Ⅱ ・沼などの、水が深くよどんでい る所 ) 」が待ち構えている場合は多 いかもしれないが、「崖っぷち」の 「ふち」とはそういう意味ではな 、。「ふち」は「縁」で、ヘりの意。崖 の落下が始まろうとするあたりの ことをいう。ネットでも「家庭内不 和で人生の崖っ淵に立つ」などと 見えるが、校正を経た小説などで も結構出てくるから面白い LO
つ」 ロ 使うのはどっち ? 長への敬意も示すことが必要になります。部長に対して「社長「年令は六才」珥年齢は六歳」、ど っち ? に読んでいただいてくれーとは言えませんから、「社長に読ん でいただいてください という表現を使うことになるでしよう。 「齢」も「歳」も小学校では教わらな このような「いただいてください」は適切な表現です。 い漢字。そこで、小学校ではやむな 1 ティーの司会者が、 ご質問の「いただいてください く「年令は六才」のように略字で書 招待客に向かって「記念品を受付でいただいてください」と言 くことになる。中学校以上、大人の っている例です。ほかに、テレビの料理番組で「みなさん、 書き方としては、「年齢は六歳 ~ と ただいてください」と言っているのはおかしいのではないか、 正しく書かねばならないわけだ という質問もありました。これらはそれぞれ、「もらってくれ」 が、三つ子の魂百までの例にもれ 「食べてくれ」の尊敬 + 尊敬の表現を使い「お受け取りくださ ず、一般には「令」も「才」も根強く 「召し上がってくださいーなどと表現すべきところですか 残る。 ら、「—ください。の部分は適切ですが、「いただいて—」を使 うのは適切ではありません。 もう一つのご質問の、「来ていただき : ・」と「来てくださり ・ : 」の関係についてですが、前者は「自分が来ていただき : ・」
と「こんばんは」が入っています。 〈助詞の「は」は、「は」と書く〉と言っても分かりにくいと 思われますが、結局は〈副助詞の「は」は、発音は「ワ」だが、 例外的に「はと書く〉と言っていることになります。発音を 無視してまで「は」と書くのは、慣用になじんで読みやすいか らでもあります。 しひょ 「こんにちは」「こんばんは」は、それぞれ「今日はい ) りで : ・ー「今晩は穏やかな夜で : ・ーなどの下の部分が省略され てできたもので、助詞の意識がまだ健在だと考えられて「は」 と書くことになりました。 しかし、「現代仮名遣いーでは、副助詞の「は」から転じた もので、現代人にはその形骸さえ意識されないものや終助詞と 化してしまったものは、右の例に当たらないとして、発音どお りに「わ」と書きます。「すわ一大事」「いまわの際」「雨も降 るわ風も吹くわ」「きれいだわ」などの「わ」がその例に当た ( 0 使うのはどっち ? 「蹴り上ける蹴上げる」、「蹴り飛 ばす蹴飛ばす」、どっち ? 「蹴る」は、古くは下一段に活用 ( け・け・ける・ける・けれ・けよ ) 。ロ 語では五段になったが、複合語に あし は古い形を残すものが多く、ニ足 げ・あしげ 蹴・足蹴り ) にする」では、後者は誤 りとされる。「蹴り上げる・蹴上げ る」では、新しい形 ( 前者 ) が優勢だ が、「蹴り飛ばす・蹴飛ばす」ではま だ古い形 ( 後者 ) のほうが優勢だ。
形だと考えられています。 これから源氏物語のことをお話ししたいと思います。 などと使うと、「お話しーの前に動詞であることを示す助詞の 「をーが現れますので、「話しーが動詞であることが分かるとと もに、この送り方が特殊なものではなく、「お尋ねする」「お聞 きする」などと同様に、活用語尾 ( 活用する際に、形を変える部 分 ) を送っているにすぎないことが納得されます。 一方、「お話をするーは、「お話」の直下に「をーが来ている ことから、これが名詞であることが分かりますが、しかしここ で、「早起きをする」「夜遊びをする」などは「き」「び」と、 活用語尾を送っているのに、なぜ「お話」の場合は「し」を送 らないのかという疑問が生じます。この疑問に答えるためには、 昭和四八年の内閣告示「送り仮名の付け方ーにまで戻らなけれ = 一口 = 一口 一口 一三ロ 「ロを濁す」は「言葉を濁す」の誤用 とする意見が多いようだが、「広辞 苑」「日本国語大辞典」「大辞林」の ようにそれを正しいと見る辞書も ある。使用例は田山花袋から新聞 や現代作家に至るまで多数に上 る。ニロ・ = 三葉 ) にする」コロ・言葉 ) を慎む」コロ・言葉 ) が過ぎる」 ニロ・言葉 ) に出す」など、両用でき る例も多い誤用とはしがたい。 使うのはどっち ? 「宀言葉・ロ〉を濁す」、正しいのはど っち ?
解釈が生み出されます。以上を整理してみますと、次のように なります。 ・、なに、け . が、〈そこにふさわしい何か〉の意味と解される 場合、「なにげ十ない ( 無い ) 」は、〈そこにふさわしい何 か〉が〈無い〉、つまり、〈しかるべき意図や考えが無い〉 という意味となる。 ( 例 ) 「なにげなく ( Ⅱこれという意図 これが本来の解釈です。 もなく ) 窓の外を見やる」 ・「なにげ」が、〈はっきりとしない状況〉の意味と解される 場合、「ない ( 無い ) ーを伴わなくても、「なにげ、だけで 〈はっきりとしない、漠然とした〉という意味となる。 ( 例 ) 「なにげに ( Ⅱこれという意図もなく ) 窓の外を見や このような分析から「なにげに」という言い方が る」 生まれたと考えられます。 現在の「何げに、は、「何げなくの範囲だけでなく、「さり げないーの用法も吸収しているようです。わざとらしくない様 子は、「さりげなく」の方がふさわしく、「この手紙、さりげな 使うのはどっち ? 8 「気持ち宀よさ・よ〉そうに眠る」「カ ッコ宀よさ・よ〉すきる」、どっち ? 形容詞「無い」十「そうだ」「すぎる」 の形は、「なさそうだ」「なさすぎ る」のように「さ」が入る ( 問題はな さそうだ・関心がなさすぎる ) 。「よ い」十「そうだ」は「よさそうだ」の ように「さ」が入り、「よい」十「すぎ る」の場合は、単に「よすぎる」とな る ( 気持ちよさそうに眠る・虫がよ すぎる ) 。「カッコよい」など複合語 の場合も「カッコよさすぎる」とな らずに、「カッコよすぎる」となる。 ] 25 !
「解する」などサ変動詞の未然形は 「られる」に続くときは「解せられ る」となり、「ない」に続くときは 「解しない」となる。少数かっ特殊 冖答え〕そのとおりで、この場合「なおざりにする」と言う な例だが、「察 ~ せ・し一られる」「接 べきところを誤ったものです。「おざなり」と「なおざり」と ~ せ・し ) られる」「欲一せ・し ) られ る」などは「られる」に続くときは は、語形が近く、意味も混同して使われることがあるようです が、『明鏡国語辞典』でも明記しているように、語源も基本的「 5 せられる」「 5 しられる」の両形 をとる。ともに正しいが、「し」より な意味もまったく違うものです。 「せ」が優勢。 「おざなり」は、辞書で「お座なりーと漢字があてられてい るように、お座敷などでの〈その場での間に合わせ〉といった 意味でした。江戸時代から使われています。 おざなり / なおざり 冖質問〕対策をおろそかにして、必要なことをしないとき、 「 ( 対策を ) おざなりにする」と言うことがありますが、誤用で はないてしよ、つか 使うのはどっち ? 「察せられる」「察しられる」、ど っち ?