義務 - みる会図書館


検索対象: 「誠実さ」を貫く経営
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1. 「誠実さ」を貫く経営

相反取引を行なった取締役、間接取引により利益を受けた取締役、利益相反取引につき会社を代表し た取締役、取締役会の承認決議に賛成した取締役などは、「任務懈怠責任 , が推定されるため、自ら 無過失であることを立証しなければならない。ここでも、責任を追及する側ではなく、追及される側 が立証責任を負うとしたわけだ。 当然と言えば当然であるが、自分のために会社と直接取引をした取締役については、過失が無かっ たということはあり得ない。このため、自己のために直接取引を行なった者は無過失責任のままとなっ ている 以上のように過失責任および立証責任の考え方が整理されたため、私は、取締役の内部統制活動に 対する意識が否応無しに高まると感じている。「どんなに真面目に取り組んでいようと、問題が発生 すれば、すべて責任を負わされる」ということであれば、統制活動に力を入れる意義は薄れる。しか し、過失責任となれば、過失がないよう普段から十分な注意を払って事にあたるようになるからだ。 新会社法は「取締役会議事録に異議をとどめなかった者は、いずれもそれに賛成した」と推定する もし・目らに過失かないこ が、「賛成したからと言って、即、取締役に過失があった」とは考えない とを立証できれば、その取締役の責任は問われないよって、常日頃から善管注意義務・監督義務を 果たし、内部統制システムの構築・改善に努め、その成果を証拠として残していくことが肝要となる。 こうしておけば、たとえ責任を問われても、ひるむことなく「善意でかっ過失がないことーを立証で きるからだ。その意味で、新会社法は、経営者や取締役の内部統制活動に対する意識を一気に高める ことになろ、つ 136

2. 「誠実さ」を貫く経営

た」というようなことは、いずれの時代でも、いずれの場所でも、起こり得る背信行為だったのであ る。 このため、イギリスでは、受託者の委託者に対する義務や責任を明確にするための議論が繰り返さ れ、その判例が基となって、またアメリカにおいてはこれがさらに精緻化され、現在の「信託義務」 (fiduciary duty) 概念へと結実していったのである 後に詳しく述べることになるが、信託義務の中でも重要な柱は、忠実義務と善管注意義務である 「信託財産」の管理という脈絡で付言すれば、前者の「忠実義務ーとは、委託者が信託設定の意志を もって信託財産を受託者に譲渡した時、信託財産の所有者となった受託者は、受益者の利益を第一に 考え忠実に行動する、という義務を指す。また後者の「善管注意義務」とは、善良な管理者であれば 当然払うであろう注意をもって信託財産の保持、使用、収益に努める、という義務である る あここに見てきたように、イングランドの領民が考え出した「信託」という仕組みは、領民を救うも 係のとして登場したが、他方でそれは「領民の信頼をいとも簡単に裏切る」という落とし穴、限界を当 に初より抱えていた。このため、信託を巡る法制化は、受託者の負うべき義務や責任を明確にするとい う形で進んできた。 レ」 業 企 プロフェッショナルは信認義務を負う 章 さて、これまで信託の歴史と本質を見てきたが、私が強調したいのは、受託者に求められる信託義 第 務というものは、何も信託財産を管理する専門家だけに求められるものではないということだ。その 0 0 0

3. 「誠実さ」を貫く経営

と呼ぶ」との説明を行なった。またプロと呼ばれる理由を「一般の素人では理解できない専門的な仕 事を行なっているからだ」とも述べた。その上で、このような信認関係においては、信頼され仕事を 託される側は「忠実義務、と「善管注意義務ーを負うと説明した。この二つの義務は、企業経営者 ( 取 締役や執行役 ) にそっくりそのまま課されることになる。なぜなら、経営者は、経営のプロであり、 一般の株主にはわからない専門的な仕事を行なっているからである。繰り返しになるが、非常に重要 な概念であるため、二つの義務を改めて説明しておこう。 まず「忠実義務ーとは依頼者 ( 株主、法人としての会社 ) や受益者 ( 株主 ) の利益を第一に考え、 自己の利益と依頼者・受益者の利益が相反する場合、自己の利益と会社の利益が相反する場合、自己 の利益を優先させてはならない、という義務である。たとえば、自分の地位や権限を使って、親族の 変会社と取引をするよう、自分の組織の担当者に働きかける場合、その会社より購入するものが一般の ものよりも割高であれば、あるいはそのサービス内容が一般のものより劣っていれば、彼の行為は忠 度 実義務違反となる。信頼される立場の者 ( 経営者 ) は、信頼してくれる側 ( 株主、法人としての会社 ) 巡の利益を第一に考えて行動しなければならない。これを「忠実義務ーと一言う。 を 主もう一方の「善管注意義務ーとは、その立場にある人であれば、当然払うであろう注意をもって業 と務を誠実に遂行する、という義務だ。たとえば、信頼された者 ( 経営者 ) は、信頼してくれた側 ( 株 企 主、法人としての会社 ) の利益さえ考えていればよいのかというと、それだけでは不十分である。信 4 頼してくれた側の利益を考える、ということは、さらに、利益につながるよう、十分な注意を払いな がら職務を遂行することまで含まなければならない。たとえば、組織であれば「後はすべて部下に任 115

4. 「誠実さ」を貫く経営

ゴルフ場のコースには排水用の土管が埋められているが、それが詰まれば、コースは水浸しになる。 特に大雨でも降れば、コース中に大きな水溜まりができてしまう。これを工事する時も、直観的な術 が必要となってくる。「土管を新たに埋めるのか」「土管ではなく砂利を敷き排水を良くするのか」「土 管を入れるのであれば、何処を掘るのか」「どのように既存の土管と接合するのか」「どの太さの、ど のタイプの土管を新たに埋めるのか」「新たに埋める土管はどのような傾斜を持たせるのか」「砂利を 入れるのであれば、どれくらいの大きさの砂利を入れるのか」「砂利の上には、どれくらいの目の砂 を、あるいは土を敷くのか」、これらに関し、的確な指示を出すプロがいた。一一一口うまでもなく、彼は、 皆から慕われ、尊敬されていた。 信認義務を負うプロとは る あ このように、プロと言われる人たちは、何も、医者や弁護士だけに限られるものではない。どこに 係でもいる。ただ、「信認義務」という問題を考えた場合、ゴルフ場で働いていたプロたちには、それ 刃い ほど厳しい義務は求められなかった。なぜなら、彼らには、己の有利な立場を悪用して信頼する側を 会騙す必要もなければ、信頼する側に不利益を及ばすことなどほとんどなかったからだ。仕事柄、その とよ、つなことをやる必要はまずなかった。 企 それゆえ、この信認義務というものは、ただ単にプロゆえに求められるという義務ではない。むし 章 ろ、そのプロが相手の利益を損ねることで、自分の利益をあげ得る時、求められる義務ということに 第 なる。

5. 「誠実さ」を貫く経営

る機会さえ失ってしまうかもしれない。そもそも、そんな患者は、医者のほうからお断りである。そ れゆえ、素人は素人らしく、治療をプロに任せるのが最良の選択肢となる。 プロを信頼しなければ、最良のサービスを受けられないというのは、弁護士事務所を訪ねるクライ アントについても同様だ。いちいち、弁護士の助言や行動を疑っていれば、弁護士はそのクライアン トのことを第一に考え行動しなくなる。プロは信頼されるからこそ、その信頼に応えようとするから 言うまでもなく、ファンド・マネジャーも財産管理のプロであるから、素人は、投資先や投資額な どに関し、いちいち口をはさまない。プロを信用し、プロに運用を任せることが、結局、素人にとっ て、もっとも合理的な選択肢となる。株主についても同じ論理である。素人は素人らしく経営の細か なところにまでロを出さず、経営の手腕に長けた者に経営を託すこと。これが結果的に自分の利益と る あなるわけだ。 係 こうした共通の特徴が見られるため、これまで触れた「信託義務」は、そのままプロフェッショナ 関 ル全般に適用される義務と見なされるのである。ここでは、拡大解釈されたこの義務を「信認義務 と呼びたい。 社 レ」 業 企 皆がプロフェッショナルである 章 ところで、「信認義務」というものをさらによく考えてみると、それは、右にあげたような医者、 第 弁護士、経営者などのプロフェッショナルだけに限定されない、もっともっと広い概念であることに

6. 「誠実さ」を貫く経営

多めに偽り、クライアントに高額な料金を請求するかもしれない 経営者は、仕事とは関係なく、会社の金で、飲み食いするかもしれない。必要もない高額なワイン しすれも株主の利益 を飲むとか、接待名目で、高級カントリークラブでゴルフをやるとか、これらは : を犠牲にするものだ。ファンド・マネジャーであれば、同じグループ内の証券会社のために、不必要 に株を売買し、その証券会社に多くの売買手数料をあげさせるかもしれない こうした可能性を否定できないため、プロフェッショナルと呼ばれる職業の中でも、有利な立場に たち、これを悪用しようと思えば、それが簡単にできてしまう者に対しては、重い信認義務が課され しくつかの要因によって軽重に差が出てくる るのである。もっとも、各専門家に求められる責任は、、 たとえば、依頼された仕事を遂行する上で、どの程度の裁量が専門家に与えられるのか。どの程度 まで依頼人は専門家の仕事をモニターできるのか。すべてを任せきりで、一切、チェックできないと る あすれば、非常に重たい責任を課されることになる。また専門家に委ねたものが何なのかによっても軽 重は変わる。それが生命に係わるものであれば、当然、重たくなる。所有物が係わるのであれば、そ 儲れが高額であればあるほど責任は重たくなる 一般的な傾向として、責任が重ければ、法令でその義務は強制される。比較的、軽ければ、業界の と自主ルールなどを用いて義務の履行を迫る。ただ、その義務の履行を要請する根本的な理由は、ここ 企 で述べてきたように、文字に記された法令ルールにあるわけではない。専門性ゆえに、自らが他人よ 1 りも有利な立場にたち得る時、専門家は、皆、一定の信認義務を負うのである。 第

7. 「誠実さ」を貫く経営

歴史による自己修正は、ここで終わらなかった。難波田氏は、さらに自己修正が先へ進むと説いた つまり、一旦は必要なしとして捨てられた「倫理、や「慈恵」を求めて、経済はさらにスミス理論を 遡求していくとした。なぜそうなるのかそれは、もともと、経済が倫理や道徳なしには成り立たな いものであったにもかかわらず、それらとは関係なく存在するものであるかのように捉えたところ に、根本問題があったからだという 権利と義務は両者があって初めて成り立ち得るものである。にもかかわらず、別個のものであるか のように扱い続ければ、やがて権利は義務を、義務は権利を求めることになる。たとえば、国民が文 化的な生活を営む権利を主張し、国がこれに応えるとしよう。ただし、この時、国は支出を増やさざ るを得なくなる。そこで、国は国民により多くの税負担を求めることになる。「文化的生活を営む権 の利を主張することはよいが、納税の義務は負いたくない」などという論理は通らない。なぜかそれ あは権利と義務は本来別々に存在するものではないからだ。経済が倫理を求めていく理由も、まさにこ 任こにある 会以上を踏まえ、難波田理論を整理すれば、それは「各人が自己利益だけ考えて行動すれば、社会に ロ様々な矛盾が生じ、結果的に社会全体の厚生も低下する」「またそうした事態を避けるため、経済は、 企歴史の必然として、法や政治を、さらには倫理を要請し始める」ということである。スミスは「正義 の徳」と「慈恵の徳」という表現を使ったが、これらは、平たく言えば、それぞれ「他を害してはな 5 らない 「他を助けなくてはならないーという実践原理である 第 ここまで解説すれば、同氏の結論は明白だろう。二つの徳を抜きにして、経済は成り立たない。 っ 167

8. 「誠実さ」を貫く経営

本書の狙い なぜインテグリティが必要なのか 経営の誠実さが問われている島集団志向的な発想が問題なのか「外出禁 止」という制裁に見る日米の相違集団の利益とは誠実に行動すること本 書はどの章からでも読める 「プロ意識」が問われる 第 1 章企業と社会は信認関係にある 独禁法改正で存在意義高まる公取委「契約 . ーー対等な当事者間の自由な約 ?n 「国民の信認」を裏切った道路公団「信認」 東「契約」から「信認」へ の原点は中世イングランドにおける「信託」信託が抱える問題から受託者の義 務・責任が明確にプロフェッショナルは信認義務を負う引皆がプロフェッ ショナルである信認義務を負うプロとは企業は社会に対し信認義務を負 う料企業性善説は生きているインテグリティ ( 誠実さ ) こそが信認の本質 9 4 「誠実さ」を貫く経営 / 目次 インテグリティ 8

9. 「誠実さ」を貫く経営

罪隠匿などの罪で起訴した。その結果、同行は一部の有罪を認める司法取引を行ない、三億四〇〇〇 万ドルの罰金を支払った。またそれとあわせ、アメリカでの事業をすべて停止し、そこから全面撤退 した。この事件を受け、九五年一一月、日本国内で株主代表訴訟が起こったわけだ。 制度上の話をすれば、この訴訟に先立っ九三年、日本で株主代表訴訟制度が大幅に簡素化された。 この商法改正で、どんなに巨額の賠償を求める場合でも、株主は一律八二〇〇円の印紙代を払うだけ で訴訟を提起できるようになった。この新制度を用いて、比較的安いコストで、「株主オンブズマン という市民・株主団体が、大和銀行役員四九名に対し損害賠償請求訴訟を提起した。理屈上、大和銀 行がアメリカで支払った罰金などは同行に与えた損害であると見なし得たため、この損害額を巡って 訴訟を提起したわけだ。 なお、損害賠償請求が認められるためには、損害額の認定だけでは不十分である。これに加え、当 時の役員が役員としての義務を果たしていなかったこと、過失があったこと、そしてそれにより損害 が発生したという因果関係まで立証しなければならない。非常に難しい訴訟ではあったが、大和銀行 大阪地裁判決は、役員が役員としての義務を果たしていなかったことを認め、被告十数名に八〇〇億 円を越える支払いを命じたのである。 では、ここで問題となった「役員としての義務ーとはいったいどのようなものなのか 取締役に求められる一般的義務 既に第 1 章において「信認関係 . ( フィデュシャリー ) に触れ、「医者のような立場にある人をプロ 114

10. 「誠実さ」を貫く経営

めた株主代表訴訟は、被告側の旧経営陣四九人が総額約一一億五〇〇〇万円を同行に返還することを条 件として最終決着した。 平たく言えば、法廷での議論に時間を費やしていては、旧大和銀行の金融基盤の強化が遅れること は避けられす、それでは、銀行にとっても株主にとっても望ましくないと考えたわけである。しかも、 支払不能と思われるような金額を争っても現実的でないとして着地点を探り、最終的に双方が納得・ 妥協できる解を見つけたわけだ。 したがって、取締役のコンプライアンス体制構築に関する義務を確認する意味では「高裁における 和解の内容はあまり重要でない」と私は考えている。むしろ、地裁における司法判断のほうが、厳し い内容ではあるが、注目に値すると思っている。では、どのような意味で注目すべきなのか 内部統制とコンプライアンスの意味 再度、地裁の判決を見てみよう。それは「取締役は自ら法令を遵守するだけでは十分ではなく、従 業員が会社の業務を遂行する際に違法な行為に及ぶことを未然に防止し、会社全体として法令遵守経 営を実現しなければならない」との見解を示し、さらに「不正行為を未然に防止し、損失の発生およ び拡大を最小限に止めるためには、そのリスクの状況を正確に認識・評価し、これを制御するため、 様々な仕組みを組み合わせてより効果的なリスク管理体制 ( 内部統制システム ) を構築する必要があ る」との考えを明らかにした。そして、この見解を根拠として、役員一一名の損害賠償支払責任を認 めた。 120