独である。どんな理由があろうと、運命を受け入れなければならない時には、一人肚をくくり、それ に臨むしかない 非常にきつい言い方かもしれないが、講演後に事件が表面化したことで、同氏は、皆の「笑い者ー 「さらし者」となった。数日後にそうした事態が起こることは、講演前に既に予想できたことだ。っ まり、被害者からの罵声、社会やマスコミからの批判、他社からの嘲笑を受けること、これらすべて を覚悟の上で、同氏は、あの日、演壇に立ったわけだ。 普通の会社であれば、自分の会社のトップが皆の笑い者となり、非難の集中砲火を浴びれば、言葉 では語り尽くせないほどの辛さ、悔しさ、無念さを感ずるはずだ。社員が何も感じないとすれば、そ れはもはや普通の会社ではない。 槍田氏の人柄からすれば、こんな泣き言は一言も社員に向かって語っていないはすだ。しかし、何 価も語らない時にこそ、人は多くを伝えようとしているものである。物産社員が十分に聡明で、人に寛 ス 容であれば、既にそのことに気づいていなければならない セ ということである。そ プ経営トップの気持ちを一言で表現すれば、「自分のことなどどうでもよいー れは、利用者や被害者に与えた不便や迷惑からすれば、自分の苦労など苦労にもならないということ 准 ~ だ。加えて、事件後の事後対応で毎日を追われ、激しい叱責と批判にさらされる社員・スタッフの苦 場 市 労を思えば、自分への罵声や嘲笑など取るに足らぬということである。さらに言えば、自分が罵られ 6 ることで、事後対応に追われる現場社員への風当たりが僅かでも緩むとするならば、自分はどんな批 第 判でも暴言でも甘受したいと思っているはずだ。 201
人として土地を管理し「後見料ーを徴収した。このように、土地を所有していることを根拠として、 領主は領民に様々な封建的負担を課したのである。 他方、封建領主は自分の領地が勝手に細分化されることを嫌っていた。このため、長子による相続 を強制した。これを領民の側から言えば、遺言の自由はなく、長男以外の子供に財産を分け与えたく とも、それは許されなかった。また信心深い領民は、教会などに土地を寄進したいと思っても、長子 相続制がそれをはばんだ。 これらの問題を整理すると次のようになる。第一に、領民は土地を所有していたため、その所有権 を根拠として追加的に封建的負担を課された。第二に、たとえ土地を所有していても、それを処分す る自由はなかった。また処分の自由がないため、死後、自分の子孫や教会などに財産を分与したくと も、これはかなわなかった。これら二つの問題に直面し、イングランドの領民は、知恵を絞った。 単純に言えば、第一の問題を解決するには「所有権を放棄すればよい . ということになる。また第 二の問題については「土地以外のものを処分できるようにすればよい」ということに、そして、「土 地以外のものを子孫や教会に提供すればよいーということになる。このように考え、「信託」という 仕組みを編み出したわけである。 すなわち、すべての問題は、土地を所有しているために起こってくる。ならば、土地を所有しない 、と考えたのである。具体的には、まず土地の譲受人を決め、その人に土地の所 状態をつくればよい 有権を譲渡する。その際、譲受人を一人にすれば、譲受人の側に相続問題が発生してくるため、譲受 人を複数とする。これにより、譲受人グル 1 プの誰か一人が亡くなっても、依然として、土地はその
与された豚の肉を消費している。またワクチンの場合は、抗生物質と異なり、豚の体内に蓄積される ことはない。それゆえ、消費者には、実害はないというのである こ、つした説明を聞き、企業倫理委員会は、問題を公表すべきかどうかを議論した。時間的な制約も あり、また私の力不足もあり、最終的に倫理委員会は明確な結論を出すことができなかった。そして、 最終判断を藤井社長に委ねた。 ここで考えてもらいたいことがある。それは、もし自分がこういった会社のトップであったら、ど う判断するかということだ。こんな説明を聞けば、誰でも「この有り難い解釈にすがりつき、何もな かったことで済ませたい」と思うのではなかろうか喉から手が出るほど、これは有り難い説明だ。 しかし、藤井氏は「自分にとって都合のよい説明に甘んずるのはやめよう」「法律の解釈など、人 によってどのようにでも変わる可能性がある」「結局、これを判断するのは社会自身だ」「ならば、こ れを公にし、社会に判断を委ねよう」と決意し問題を公表した。「日本で一番誠実な会社を目指そう」 と社員に呼びかけながら、自分がここで信念を曲げるわナこよ、、 ー。 ( し力なかった。藤井社長は、妥協とい う選択肢に逃げす、自らのインテグリティを貫き通したわけだ。 その結果、何が起こったか。マスコミや消費者から一斉に批判の声があがった。監督官庁からも叱 責と処分を受けた。残念なことに、 小さな声ではあったが、藤井社長の責任を問う声まで幹部から出 る始末だった。事情を知らない社員にしてみれば、営業活動に支障をきたしたため、経営側に不満を もらす者もいた。だから、あえて当時のことをここに書き記したい。 牛肉偽装事件から既に三年半が経過した。あらためて、事件を振り返り、『グループ行動規範』に 272
いた。一方、近隣住民は彼らが虎を飼おうとしている事実を知らなかったため、これに対し特に苦情 を申し立てることもなかった。しかし、虎を飼い始めてから数カ月経過した頃、近隣住民は虎が飼わ れている事実を知った。住民は生活に不安を感じたが、飼い主に対し虎の処分を求めることまではし なかった。数カ月経過したある日、不幸なことに、虎は檻から抜け出し、近隣住民数人をかみ殺した。 これと類似した例をもう一つあげておこう。今、複数の者が共同出資し、ある化学会社を操業する ことにした。 / イ 皮らは「同社の製造する商品が今後大量に売れる」と考えていた。これとあわせ「同社 が扱う化学物質は従業員によって合理的に管理されるため、環境汚染などのリスクも極めて低い」と 楽観視していた。一方、近隣住民は同社がかなり危険な化学物質を使用することを知らなかったため、 会社に対し苦情を申し立てることもなかった。しかし、操業から数カ月経過した頃、近隣住民は危険 な化学物質が処理されている事実を知った。住民は生活に不安を感じたが、まさか事故が発生すると は思っていなかったため、操業停止などは求めなかった。数カ月経過したある日、同社の工場で爆発 事故が発生し、この時、近くを往来していた住民数名が事故に巻き込まれ犠牲者となった。 この二つのケ 1 スでは、ともに犠牲者が出ているわけだから、所有者は相当の責任を負わなければ ならない。ただし、制度論的に言えば、化学会社に出資した所有者たちは、自分たちの出資した金額 分を上限として責任 ( 有限責任 ) を負うだけで、それ以上の責任は負わない。問題は、これと同様の 考え方を虎の所有者たちも主張できるか、ということである。すなわち「自分たちは、虎に出資した 金額分を上限として責任を負うだけで、それ以外の責任は負わない」と主張できるか、ということだ。 言うまでもなく、所有していた虎が他人 ( 第三者 ) を傷つければ、その所有者たちが虎の行動に関し 152
と呼ぶ」との説明を行なった。またプロと呼ばれる理由を「一般の素人では理解できない専門的な仕 事を行なっているからだ」とも述べた。その上で、このような信認関係においては、信頼され仕事を 託される側は「忠実義務、と「善管注意義務ーを負うと説明した。この二つの義務は、企業経営者 ( 取 締役や執行役 ) にそっくりそのまま課されることになる。なぜなら、経営者は、経営のプロであり、 一般の株主にはわからない専門的な仕事を行なっているからである。繰り返しになるが、非常に重要 な概念であるため、二つの義務を改めて説明しておこう。 まず「忠実義務ーとは依頼者 ( 株主、法人としての会社 ) や受益者 ( 株主 ) の利益を第一に考え、 自己の利益と依頼者・受益者の利益が相反する場合、自己の利益と会社の利益が相反する場合、自己 の利益を優先させてはならない、という義務である。たとえば、自分の地位や権限を使って、親族の 変会社と取引をするよう、自分の組織の担当者に働きかける場合、その会社より購入するものが一般の ものよりも割高であれば、あるいはそのサービス内容が一般のものより劣っていれば、彼の行為は忠 度 実義務違反となる。信頼される立場の者 ( 経営者 ) は、信頼してくれる側 ( 株主、法人としての会社 ) 巡の利益を第一に考えて行動しなければならない。これを「忠実義務ーと一言う。 を 主もう一方の「善管注意義務ーとは、その立場にある人であれば、当然払うであろう注意をもって業 と務を誠実に遂行する、という義務だ。たとえば、信頼された者 ( 経営者 ) は、信頼してくれた側 ( 株 企 主、法人としての会社 ) の利益さえ考えていればよいのかというと、それだけでは不十分である。信 4 頼してくれた側の利益を考える、ということは、さらに、利益につながるよう、十分な注意を払いな がら職務を遂行することまで含まなければならない。たとえば、組織であれば「後はすべて部下に任 115
る目的で繰り返し通報する場合、これは基本的に公益通報とは見なされない。逆にこれは「誠実な会 社ーをつくろうとする会社側の真摯な取り組みを挫く悪辣な行為、あるいは社員の意見を聞こうとす る会社側の善意につけ込んだ卑劣な行為と見なされる。 これには別の問題も潜んでいる。この人間が相談窓口を独占すれば、結果的に、他の通報者の利用 を阻むことになりかねない。会社には色々なリスクが潜んでいるが、それを把握する機会をこの人間 の我がままで失ってしまうとすれば、これこそ責められなければならない だいたい、日課のように相談窓口に連絡してくる者は、勤務時間中にこれを行なうため、まともに 仕事をしていないことになる。加えて、自分の時間を浪費するだけでなく、窓口担当者の貴重な時間 まで奪っているのだから、これがただただ漫然と無意味に繰り返されるのであれば、その者を厳正に 処分しなければならない 言うまでもなく、処分するためには、どのような頻度で、どのような内容の報告を、どのような動 機で、この者が行なっているかについて、担当部署として正確な記録をとっておく必要がある。 繰り返し強調するが、内部相談窓口の目的は、組織が己の問題を自ら見つけ、組織の責任において 解決する、ということだ。それは「誠実な会社ーをつくるための重要な要件の一つである。ところが、 これを私的な不満を解消するための手段として濫用し続ければ、その行為こそ「誠実な会社」づくり を阻むもの、あるいはその精神を踏みにじるものとなる。そうした者の利益を守ることまで、公益通 報者保護法は求めていない。それは、あくまでも公益を重視する正義の人を守ることを狙いとしてい る。この点を混同してはならない
れば、組織は不正に加担しない。つまり、たとえ集団志向的な発想で行動していても、その必然とし て、不祥事に発展するわけではない。 さらに言えば、もし経営トップが「何をすることが集団の利益なのか」をはっきりと、しかも一貫 こ示すことができれば、日本的組織は、集団志向的な発想を持っている した信念をもって、メンバー。 / がゆえに、個人志向的な発想をもった個々人から成る組織よりも、より早く、より包括的に変わって いくことができる。集団志向のメンバーは、集団の利益を考えて行動するわけだから、もしトップが 「経営の誠実さに妥協なし、これが集団の利益だ」とのメッセージを本音で発することができれば、 組織の行動は大きく変わっていくはずだ。 つまり、トップ次第ということである もっとも、トップの号令一つで組織が動くとすれば、トップの役割を強調するだけで十分だ。しか し、すべての企業のトップが絶大な権限を持って幹部や社員をリードしているわけではない。数万人 も従業員がいれば、トップの意向に従わない幹部社員も出てこよう。彼らはトップの発言を無視し、 時には批判さえする。このため、多くのトップは、「和を重んずる」という理屈に従い、波風のたた ない従来通りの経営を続けることになる。 中小企業のトップであれば、自分の思うままに会社を変えていくことができそうであるが、これに トップであっても、取引先からの圧力や意向、これらに従わなければ、 ついてもそう簡単ではない。 仕事を失ってしまう。また逆に、意識の低い中小企業は「取引先の意向だから」との言い訳を使って、 自らも手抜きをし、不正に手を染める。
ていく。たとえば、ある月齢以下の牛しか輸入しないという基準を設ければ、それを越える月齢の牛 の肉は安く入手できるようになる。これに注目し、不正な手段で高齢牛の肉を輸入する業者も出てこ よう ( 差額関税制度を悪用した食肉会社が複数出てきたように、制度の裏をかく業者が出てくる可能 性は十分にある ) 。いくつかの外食・小売業者は、利益を出すために、出所は知らなかったことにし て、こうした牛肉に手を出すかもしれない それゆえ、日本の消費者の多くは、牛肉に対する不安をぬぐい去ることができないのである。また このため、狂牛病発症以降、多くの関係者が牛肉の「履歴」 ( トレーサビリティ ) を確立するよう求 めてきたわけである。しかし、トレーサビリティ・システムは、言われているほど簡単に構築できる ものではない。技術的にも、コスト的にも、人的にも、非常に難しい課題を抱えている 本格的なトレーサビリティの仕組みを こうした状況にあって、日本ハム・グループは、国民の「牛肉に対する不安」については「かなり 〈の犠牲を払うことになるかもしれないが、トレーサビリティの確立に向けて、自分たちが動き出すべ 新きーと考えるようになっていった。そもそも、食肉を扱う企業である限り、ロにするものに不安があ ら かるとすれば、それを取り除き、しかも単なる主観的な不安解消でなく、客観的・科学的根拠に基づい 危 「これが日本ハムにできる、また日本ハムらしい社会貢 た解消にまでもっていかなければならない 章 献だ」と捉えるようになったわけだ。 第 もちろん、同社は、それ以前からも食の安全を第一とする経営を行なってきた。日本ハムのある加 259
考えられていた。今回の事件で、その信頼は根底から覆された。「あなたを信じ、あなたに任せてい たら、あなたは仲間と結託して勝手なことばかりをやり、結局、私たち国民の利益をどこまでも損ね 。 ( ( し力ないとい、つことになっ てきた。もはや、これ以上、あなたたちの身勝手・横暴を許すわナこよ、、 たのである。 ここで忘れてならないことは、信認を裏切った時に出てくる怒りというものは、契約違反から出て くる怒りとは比較にならないほど強くて激しいということだ。その気持ちは誰でもわかるのではなか ろうか。人は、もともと信用していなかった人間に裏切られても大して傷つかないしかし、全く疑 うことなく信頼し切っていた人に裏切られた時には、怒り心頭に発することとなる。だから、国民は、 道路公団官製談合事件に対し強い怒りを覚えたわけだ。 実は、こうした社会現象は、何も道路公団の事件だけに限られたことではない。冒頭にも述べたが、 われわれの社会にあっては、信認のウェイトが非常に大きくなっており、企業を信用せずして、日常 生活は成り立たなくなっているのである 「信認」の原点は中世イングランドにおける「信託」 ところで「信認」とはどのようにして生まれた概念なのであろうか。それは、まず今で言う「信託」 という形をとって生まれた。原型は、古代エジプトやローマ帝国にあったと言う。たとえば、あるロー マ人は自分の妻と子供がローマ人でなかったため、自分の財産を相続させることができず悩み続け、 その末に、自分の財産を、一旦、ローマ人の友人に相続させることを思いついた。そして、友人に財
れる。言うまでもなく、賠償請求を行なえば、今度は、その担当役員が、自分を訴える経営者など守 る必要なしと考え、司直に真実を語ることとなる このような状況が想定されるため、私は、課徴金減免制度の導入は、独禁法違反行為に対する事業 者の姿勢に大きな変化をもたらし、また事業者による早期の協力まで引き出すことになると考えてい る 事実、二〇〇五年一二月末、ゼネコン大手は「不退転の決意」で談合行為から決別するとの姿勢を 表明した。これにあわせ、各社は談合担当者らを配置転換し、受注調整に一切関与しない体制を整え 始めた。こうした動きは、着実に、他業界にも波及していくことになろう る公益通報者保護法が不正排除に貢献する れ わ「監督官庁などの問題発見能力を補う」という意味では、一一〇〇六年四月施行の公益通報者保護法 も同様の役割を果たそう。この法律が施行されることで、組織内の問題はかなり頻繁に表に出てくる よ、つになるからだ。 テ たとえば、地方自治体の若手職員たちは、選挙後に落札業者の名前を伝えてくる首長を「もう、こ グ - テれ以上、我できない と言っている。これまでは直属の上司に相談しても、まともに応じてくれる ことはなかった。しかし、たとえ自分は積極的に関与していなくとも、談合行為が表に出れば、自分 2 も何らかの責任を問われることになる。それゆえ、彼らも公益のためだけでなく、自己防衛のために、 第 法律が施行されれば積極的に活用すると吐露している