おいては、一軒のイタリア料理店以外には行かないからです。 六本木のラ・ゴーラ。いろいろなところで、この店の魅力について語りましたが、要す るに私が感じるイタリア料理の魅力と力を体現しているということに尽きる。イタリアで さんざん食事をして帰ってきた後でも、美味しいと感じるほどですから、やはりたいした ものでしよ、つ。 のりゆき 料理人の澤ロ知之 ( 友人ですから敬称略です ) は、イタリアの全地方の料理店で働き、 各地方の料理法を習得していて、イタリアの料理人たちからも一目おかれる存在です。こ の店に、ムーテイやババロッティといったイタリア人ア 1 チストたちが訪れるのは、澤ロ が彼らの郷土の料理を完璧につくることができるからにほかなりません。しかし、私が何 よりも彼にイタリアの真髄を見るのは、客に媚びない、むしろ食べ手に覚悟と素養をしい る、圧倒的な存在感のある料理をつくり得る、ほば唯一の料理人だからです。 この力感こそが、私にとってのイタリアなのです。
て、譲る気配がないのです。 イタリアは、ドイツと並んでヨーロッパの中では国民国家としての統一が遅れた国です か、いまだに表面的な姿とは別に、 一体としての国家をなしていないところが多々あり、 それが一番よく現れているのが、料理だということになるのです。 そして、イタリア人たちは、それぞれ自分の村、もしくは街のスタイルが最高であると 主張しあうだけでなく、しばしば自分の郷土の料理をしか口に入れようとはせず、他の地 方の料理はおぞましく、ひどいものだ、と主張する始末です。 ですから、一歩イタリア料理の迷宮に入ってしまえば、その混沌と多様に圧倒されて、 何も語ることができない、というのが本当のところなのです。しかも、その混沌がとてつ もない魅力を秘めている。その感動を語るのは、実に楽しい。 実際、イタリアという土地で食事をすることの楽しさや幸福な体験を数えあげれば枚挙 にいとまがありません 最初にイタリアの凄さに打ちのめされたのは、まだ大学生の頃でした。はじめて訪れる イタリアの地に興奮しつつ、学生の身の悲しさでたいした食事にもありつけないで三日が
イタリア料理について語るということは、楽しいと同時に難しいことです。 フランス料理が、よかれ悪しかれ、十九世紀のロシア風サ 1 ビスの導入と、エスコフィ 工による調理法の確立とメソッド化で、地方ごとの特徴や等級ーー・・カフェからグランド・ によって多少の差異はあるものの、一つのスタイルの統一性があるの レストランまで にたいして、イタリア料理は、これがイタリア料理だというようなスタイルはありませ ん。パスタやトマトといった、普通イタリア料理を東ねると思われている要素にしても、 ごくごく部分的なものにすぎず、各地方、というよりも街や村ごとにまったく違うスタイ ルの料理が存在していて、しかもそのいずれもが、これぞイタリア料理と胸を張ってい リと 料て 理の 005
そして、ナポリ。『— 0 』のコラムで書きましたが ( 一六二ペ 1 ジに収録 ) 、 この都市は、まさしく美食に祝福された街です。安価なピッツアリアから、星つきのリス トランテまでどこに行っても、感じるところがある、そ、つい、つよ、つな強力さを街全体が発 散をしている イタリア料理の強さ、多様さということを考えていると、イタリア人の生活ぶりという 問題に直面をします。ここ、二十年ほどの間で、少なくとも都市に関するかぎり、フラン ス人たちのライフスタイルは大幅に変化をしました。かってあれほど軽蔑していた、アメ リカ発のファ 1 スト・フ 1 ドが角々で溢れかえるようににぎわっていますし、かってのよ うに普通の勤め人か昼食にワインを飲みながら、悠々とオードプル、ポテトフライ付ステ 1 キ、そしてデザートをカフェでとる、といった光景はまれになっています。私は内心、 ここ数年フランスが文化的ポテンシャルが落ちているのは、伝統的な食生活のスタイルを 失ってアメリカナイズされたからだと思っています。 ところが、イタリアでは、まだまだ確固とした生活文化が残っている 事務所も店も、昼にたつぶり三時間から四時間休み、ゆっくり食事をして昼寝までして
今三〇〇〇年十一月 ) 、イタリアは南部最大の都市、ナポリにいます。 実は、私はヨ 1 ロッパも、イタリアもたびたび行っていながら、南部に足を踏み入れる のは最初のことです というのも、少し事情がわかっている方はご存知だと思いますが、ナポリには日本人が 足を踏み入れ難い要因がいくつもあるからです。 まず、第一に治安が悪い。実際に、地元のタクシ 1 の運転手でさえ、「あそこはちょっ と・・・・ : 」とい、つよ、つなところかたくさんあります それから、文化的イベント、つまりはビエンナーレとかコンファレンスといった行事が ポリカ日 うこと 019 162
ニ一世紀への宿題 京都には、よく行きます 東京以外で、一番詳しいし、また親しんでいるのは、京都だといってもいいくらいに たぶん、ごく近く、というよりずっと通勤、通学の経路だった横浜よりも京都によく行 っていますし、詳しいと思います 今回、京都について書いてみようと思ったのは、前に書いたナポリでの体験から、刺激 されたことが大きな要素を果たしています。 ナポリは、イタリア第一二の都市であり、五百万以上の人口をもった、ヨ 1 ロッパ屈指の 大都市です。一九世紀後半に、イタリアが国民国家として統一されるまでは、半島随一の 020
先人たちがことごとく云うに、中華料理について語ることは、難しい難しいというの は、要するに中国の料理ということ以外には、何の規定もないからで、その内容は地方や 系統によってまったく違うからです。前にイタリア料理の多様さということを書きました が、イタリアどころではない、それ自体が一つの宇宙というべき広さを中華は包含してお り、それゆえに一口にくくれたものではないのだ、ということもまた、再三再四指摘され てきたことです。 今日、一般に中華料理といえば広東を中心とする南方の料理ということになっていま す。しかし同じ南方でも、広東と潮州ではまったく料理の質も考え方も、素材の扱い方も 華萋 006
容は、おそらくナポリ全体に通用することでしよう。 七つの大罪をつきまぜて、混沌と云う悪徳のもとに、活火山のふもとに振りまいたよう な市街と、余りに美しい、陽光と風景。あまりに劣悪な人々の生活と、オリ 1 プとオレン ジが咲き乱れる山野。陽気かっ親切な気性と、救い難い沈鬱さ。 その点では、ナポリは、人間と人間の作った文化を考える上で、またとない興味深い土 地です。 といっても、この土地がかくも興味深くなったのは、ただ天然のせいではありません。 リこよ、神聖ローマ皇帝の支配のもと、ナポリは 一三世紀中葉、ルネサンスのはじまる直前し ( ヨーロッパでも、一、二をあらそう先進的都市でした。 先進的というのは、封建制のシステムのもとで、官僚制や、徴税から予算にわたる機構 が完備されていたということです。 けれども、ナポリは、この先進性のゆえに、フィレンツェなどの都市プルジョワの興隆 によるダイナミズムに対抗できず、次第にイタリアにおける反動体制の基盤という立場に 追いやられていきました。一九世紀後半のイタリア統一において、当時第一の都市であっ 164
過ぎた後、ヴェローナを訪れ、街を一回りした後に、ヴェネッィアに移動する前の時間、 丁度夕食の時間だったので、さしたる期待もなしに、便宜と安価さに引かれて、駅の食堂 に入りました。そこで食べた定食の、トリッパのトマト煮の美味さ。とても平静でいられ ないほどの興奮を、いまでもまざまざと思い出すほどです。先年、久しぶりにヴェローナ を訪れたところ、駅はモダンに建て替えられていて、食堂はなくなっていましたが。 イタリアで食べれば、何でも美味しい、という訳ではありませんが、驚くような場所で 驚天動地の美味と出会う。それこそがイタリアの醍醐味であり、またその食文化の厚みを 如実に語るものなのでしよう もちろん、高名な料理店も、それぞれに妍を競っています。ヴェロ 1 ナのイル・デスコ の鹿肉のラグー、ローマのケッキ 1 ノ 18 8 7 の切れ味よく塩の利いたパスタ、フィレン ツェのマンマ・ジーナのパルミジャーノのリゾットどの店も、もう一度あの料理が食べ うな たいと魘されるような名品ばかりです。どの料理が美味いということではないのですが、 それでもヴェネッィアのハ 1 で過ごすひと時は、この地上でもまれな幸福を約 束してくれるのです。 けん
寿司と天ぶらと日本橋 京都の食 フランス料理の再興 ワインの愉しみ・入門 私にとってのイタリア料理 中華料理の話