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検索対象: 贅沢入門
117件見つかりました。

1. 贅沢入門

例えば、食事のこと。本文でも書きましたが、私はレストランなどについては、なるべ く同じ店に行く、通いつめることをポリシイとしています。ですから、そんなに多くの店 を知っているわけではないので、書くことはしまい、と戒めていたのです。それに、食事 と呑むことは、私にとって基本的な央楽、というか生きていく糧なので、あまり仕事にし たくないな、とい、つこともあります。 でも、このコラムでは、書いてしまっています。どれも、よく行く店ばかりなので、私 としては嘘のない、気に入った店ばかりです。でも、これが活字として、つまり本になる ことには、微妙な抵抗感があります。ほかにも家族のこと、休暇のすごしかたなど、活字 ではけして書かない、かなり個人的な、つまりはプライヴェ 1 トなことを書いてしまって います。いわば素が出ているのです。 自分として、これが面白いのかしら、という処もあります。さいわい『 co e — 0 』では好評で、いくつかのコラムはアクセス・ランキングの上位を占めていましたが、 さて、一体読者の皆さんは、何を面白がっているのだろう、という気分もないではありま せん。また、いくつかの店で、ウエプを見た方がいらした、という話も聞きました。 224

2. 贅沢入門

ニ一世紀への宿題 京都には、よく行きます 東京以外で、一番詳しいし、また親しんでいるのは、京都だといってもいいくらいに たぶん、ごく近く、というよりずっと通勤、通学の経路だった横浜よりも京都によく行 っていますし、詳しいと思います 今回、京都について書いてみようと思ったのは、前に書いたナポリでの体験から、刺激 されたことが大きな要素を果たしています。 ナポリは、イタリア第一二の都市であり、五百万以上の人口をもった、ヨ 1 ロッパ屈指の 大都市です。一九世紀後半に、イタリアが国民国家として統一されるまでは、半島随一の 020

3. 贅沢入門

て、出来てきたものをまたアルバムや写真帳に整理しなければならない。書く仕事をする ようになってから、取材などのためには、カメラをもっていきますが、それだって、いざ 書く段になると、どこにあるのか探すのに一苦労です でも、デジカメとノート・ ハソコンがあれば、その日撮った分をディスクに落とせばい いだけ。大事なものは、メ 1 ルに添付して送っておいてもいいのです。結構な量が、ディ 使っているソフト 143

4. 贅沢入門

第ではあります。 にもかかわらす、私はほとんど具体的なレストランについて書くことはありません。 他の作家、物書きたちがやっているように、この店がよいとか、あの店が悪いとかいっ たことは、書いたことがない それと云うのも、私はあまりたくさんの店に行かないからです。 できるだけ決まった同じ店に行く。何回も通うことを大事にする そういう生活習慣が確立してしまっているのですね 根っから保守的とい、つことになるでしよ、つか もちろん、物書きといった生活をしていますから、いろいろな店に連れていってもらう 機会もありますし、そ、ついう店の中から感心をして、頻繁に通うようになった店もありま す。 でも、自分から新しい店に行くとい、つことはほとんどしない 余程信頼する人から、あの店は、ということを云われないかぎりは、自分から開拓する といったことはしないのですね。

5. 贅沢入門

六年間、毎月三十枚を、多くの資料を駆使しながら書いてきたわけですが、実際には書 くこと自体は大変ではなかったのです。周囲から、よく書けますねと云われることもたび たびありましたが、 休まずに ( 実際には、掲載誌に他の論文を書くために数度休載しまし たか、目次に名前が載らない純然たる休載は度もありません ) 出来たのは、事前の準備 をある程度しつかり出来ていて、机の前にすわれば、二、三日で一回分が書けるという体 制か、早い段階に出来ていたからだと思います。もちろんその環境の整備には、『諸君 / 』 の優秀きわまる編集者の協力にあすかることが多かったのですが こうした連載を続けていくことの困難というのは、資料の扱いや整理、執筆上の構想と いったものではなく、むしろ「気分」の維持にあります。維持というと解りにくいかもし れませんね。私は、ほかの文章の仕事も多数抱えています。そうした仕事の間に、連載作 品、とくに『地ひらく』のような歴史にかかわる作品を書くという姿勢に迅速に切り替え て、作品の中の「気分」を維持すること、つまりは書き手がその作品の中に入っていくこ とが、何よりも難しいのであると思います。 『地ひらく』は、この手の連載としては珍しいほど多くの反応が読者から継続的に寄せら 知 149

6. 贅沢入門

スクにおさめられますから、いつでも必要な時に出せますし。まったくもって便利です。 というより、私のように書く人間にとっては、本当にありがたい。 さらにパソコンには、事典のたぐいも入れられますね。私のパソコンには、ト学館と平 凡社の百科事典、広辞苑、研究社の新中英和、学研の国語辞典と古語辞典と漢和辞典がセ ットになったもの ( 一つの言葉を三冊同時にひけてとても便利です ) 、岩波の日本史事典 が入っているのです。これもとても重宝をします。 この辞書、事典を簡単にひけるだけで、書く能率が、どれだけ上がったかは分かりませ ん。それに勉強になりますね。私は、師匠から、とにかく少しでも気になったら事典をひ けと仕込まれたのですが、それでもやつばり面倒で、三回に一度は、まあいいや、とサポ ってしま、つ。でも、 ハソコンにインスト 1 ルしておけば、ごくごく簡 ~ 早にひけますから、 あいまいだったり、気になる事が確認できるだけでなく、知識も得られるわけです。 かなりの量の O を入れています。ロック、クラシック、落 さらに、私はパソコンに、 語を足して、八十枚ぐらいですかこの音をメモリに落として聞いたり、あるいは 接続のスピーカーにつなぎます。旅行に数十枚の OQ をもっていくのは大変ですが、これ 144

7. 贅沢入門

しいことなん 世間がここまで荒れてくると、子供をもっことが怖い、子供をもっても、 か、何もないのではないか : : と、一応感じてしまうのは、わからないでもない 正直にいえば、私だって、怖いのですよ。これから育っていくにつれて、何があるかわ からない、子供たちがどういう状況に遭遇するのか、どう育つのか、その一つ一つにたい して、自分がどう対応できるか、不安でしようがない、というのが本当のところです。物 書き仲間で、育児論を書いたりしている人がいますが、いい度胸をしているなあ、という のが本当のところですね。 でも、今のところ私は、正直に云うと「得をした」と思っているのです。 「得」といういい方は、よくないかもしれませんが、でも「得」と思ってしまうのは、子 供を育てていくーーまあ私の場合は、育ててなどというと家族に怒られそうですがーー要 するに育っていく子供とっきあっているとですね、何というのかしらね、人生を二度生き ている気分になるのですよ 二度生きる、という言葉は、わかりにくいかもしれません。 要するに、子供が育っていくのを見ていると、わかることがたくさんあるのですね。思

8. 贅沢入門

す。 一年半ほど前でしようか仕事で中国を回ったのですが、その時にもっていたパソコン にデジタル・カメラがついていました。そこで、何箇所かの画像を、コメント込みで丸山 さんに送ったのです。そのメ 1 ルを、面白がった丸山さんがウエプの記事としてアップし たのですが、なかなか新鮮な感興を受けました。何分大量に書いていますから、活字につ いては、かなりすれつからしで、大概のことには驚かないのですが、デジタル・ツールと インターネットを使って書くということの興奮を、その時知ったのです。 その秋から、『 E* * O 』が創刊され、コラムを連載することになったのです が、そのコラムは基本的には、はじめに中国から送った、丸山さん宛ての写真付メ 1 ルの 続きなのです。 ですから、ここにまとめられたコラムは、基調としては丸山さん宛ての私信という性格 があるのです。写真もそのつもりで撮りました。ですから、とてもプライヴェ 1 トなとこ ろもあります。ウエプというメディアがもっ特性もいくぶんか働いているのかもしれませ ん。通常、活字ではけして書かないことを、このコラムでは書いています。 あとがき 223

9. 贅沢入門

たしかに、街を闊達に歩くというのは、面白いことです だいたい時間半くらい歩くと、かなり運動したという感じになる それだけでなくて、いろいろ考え事もできます。 これは、単行本『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』にも書きましたけれど、書く 上での難関、つまりどうしても発想が湧いてこなかったり、物事の筋道がはっきりしなか ったり、プレゼンテーションの戦略をしつかりと作りあげることができなかったりした場 合に、歩くということは非常に高い効果をあげます。 そういう意味では、考えあぐねている物事を、いくつか考えつつ、歩くというのも面白 いことです。こう云うと、あまり仕事から切り離していないようですが さらに、歩くと、いろいろな事に気づきますね 気づくというのは、街の様子であったりディティールです。 といって、べつに新しい店とか、マンションといったものばかりではありません。 今さらといっては何ですが、東京という街の、古さをよく認識できます。 たしかに、表面にあらわれているのは、近代的なビルディングであったり、マンション 120

10. 贅沢入門

味深いと思われたからです。 この変質を、私のごく「狭いーフランス料理体験から、具体的に少し書いてみたいと思 います。 フレンチ ( これもまた、仏文科出身としては許しがたい云いまわしだと思いますが ) の レストランについては、行くところはきわめて限定されています。 まずは、麻布十番の「レ・シュー」。 ここは、二十代の前半から通っている店です。前にほかの雑誌で書いたこともあります が、世代を超えて日本人がフランス文化にたいして抱いてきたイメージの、もっとも本質 的な味わいを具現化したような基本的な料理を、一貫して、プレることなく供していま す。かって、つまりは八〇年代初頭には、東京都内でも指折りのフランス料理店として知 られましたが、バブル期をはさんでグラン・メゾンが次々にオープンするなかで、地味な 存在になりました。しかし、まったく動じることなく、シンプルでオーソドックスな、し かし滋味に満ちた料理を、きわめて廉価に提供してくれています。 その点からすれば、「レ・シューは、バブルといった現象を超えて、いわゆる本場