ン全体が農地改革対象地であるという認定も獲得した。しかし実際に土地の権利を得るためには、 これがいまなおネグロスの現状なのだ。 何段階もの手続きを経なければならない 開発の嵐の中で こうした土地問題という古くからの問題に加え、今ネグロスは新しい問題にも直面している。開 リゼーションの嵐だ。一九九二年に大統領に就任したラモスは、 しわゆるグローバ 発と市場経済化、、 フィリビンを経済成長の軌道に乗せるための「フィリピン二〇〇〇年ズフィリピン中期総合開発計画 ) を打ち出し、外資を積極的に導入する政策を進めてきた。事実、の病人と言われていた フィリピンは九四年頃から成長の軌道に乗り、それなりの経済成長を遂げ、アジア経済危機に巻き 込まれた。その影響は、村々をも襲っている。 自由貿易の進展とそれに伴う産業構造の転換政策によってネグロスの基幹産業である砂糖産業を 襲う経営危機、さまざまの分野での開発の進展、輸出指向型の商業的農業の奨励、出稼ぎ先での失 業等々だ。一九九七年七月、ネグロスにある従業員三〇〇〇人というアジア有数の製糖工場ビクト リアスが人員整理に乗り出した。閉鎖に追い込まれた中規模の工場も出てきた。多国籍企業ネッス ルが有機コーヒーの契約栽培の相手先を求めてネグロスの山間地域を歩いている。原発建設計画ま で出てきた。 こうした状況が進めば進むほど、民衆農業創造の仕事の遂行は困難さが増すが、同時にその理念 252
仕組みを、各地でつくりあげなければならないということであった。そのための実践例も数多く出 された。アジア農民交流センターの役目は、そうした農民の実践、知恵、工夫、運動を伝え合う手 助けをすることではないか、といったことも話し合われた。 では、そうした農民の実践にはどのようなものがあるのか。本章ではその幾つかを紹介しながら 実アジア小農民が切り開くべきこれからを考えてみたい。本書第Ⅱ部第 1 章、 2 章に続く実践報告で の 民ある。 る え 超 を 第 1 節地域をとりもどすーー農業を基礎に循環型地域社会をめざす山形県長井市の実践 地 し 循環の輪をもう一度 ざ 根 もはや″行き着くところまできた〃日本の農業 ( 第—部第 3 章参照 ) の現実の中から、いま各地で農 域 地民自身によるさまざまな試みがはじまっている。その一つが、これから紹介する山形県長井市にお ける実践である。「台所と農業をつなぐながい計画」、通称レインボープランと呼ばれている ( 図 1 ) 。 志 す私自身は、「農業を基礎とする循環型地域社会づくり」という言い方を使っている。 越 いまこの実践は、市民の総意に支えられる形で市行政の中心的事業となっているが、もとは地域 章 で農業を営む数人の農民の発案と行動からはじまったものである。その推進者、菅野芳秀から、私 第 が構想を聞かされたのは一九九〇年二月、タイの農村を訪ねる旅の道すがらであった。それはよう 207
料の増投が必要になる。こうしての品種改良ほ施肥を可能にする品種作りとして始められ モンスーンの高温多湿下での肥料の増投はさまざまな困難を招き寄せる。過繁茂、倒伏、雑草、 病害中の多発などだ。特に栄養成長期の伸び過ぎは生殖成長に結び付かず、十分な結実を妨げ、秋 落ちの原因ともなる。秋落ちとは、稲の茎や葉は繁っているのにそれが収量に結びつかず、逆に収 量が落ちる現象をいう。いずれも、かって日本の西南暖地の稲作が直面した問題である。 ひばい これらの問題を解決するのは、綿密な肥培管理しかない。栄養成長と生殖成長という二つの成長 期のバランスをとる肥料の与え方の工夫、田植、除草、病害虫の防除、生育段階にそった水管理な どだ。さらに、こうした肥培管理を可能にする条件がいる。灌漑設備が整備されていることである。 これは従来の無、あるいは小肥・無管理の粗放型稲作から集約型稲作への転換であり、かってイギ リスの農業革命が機械の論理で進められ、従来の農法を一変したのに対し、アジアにおける緑の革 命は肥料の論理で従来の農法に変革を迫ったものだ、というのが金沢の指摘である。 綿密なフィールドワークと考察に支えられた金沢の主張には教えられるところが多いし、きわめ て説得的である。緑の革命がモンスーン下におけるアジア農業発展のひとつの道筋を示したもので グ あることはまちがいないところである。 ロそこで次に問題になるのは、こうした意味を持っ緑の革命を当事者の農民はどう受け止め、それ プ は農民の暮らしにいかなる社会的、経済的影響をもたらしたか、ということだ。農法の変革、しか
ちの税金で補填しなければならないような事態も生み出し、つけは私たちにも返ってきている。短 期的な日本の産業界〈の利益環流という近視眼的な判断ではなく、長期的な視野に立って、援助の いらない関係を構築するためにこそ援助は供与されなければならない 〔注〕 * 1 スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』 ( 朝日新聞社、一九八四年 ) 二三九頁 * 2 川口融『アメリカの対外援助政策』 ( アジア経済研究所、一九八〇年 ) 一五頁、三二頁
詰まっているのである。技術の面では、環境と安全性いう側面からの見直しが迫られている。これ 以上の化学化は生産力の衰退を招くことが誰の目にもはっきりしてきたことに加え、マーケットか らの「安全」という要請も強まってきたのだ。 大量生産・大量消費・大量廃棄といういまの農業を支える仕組みも崩れはじめた。大量廃棄のと ころで機能が働かなくなってきたのだ。大量廃棄が働かなくなれば、当然消費の仕方、売り方、も のの運び方、加工の仕方などあらゆる面に影響が出る。それは直接生産の仕方にもつながってくる。 農業をめぐる枠組みそのものの崩れは、農民管理の仕組みにほころびができたことでもある。こ うした現実を踏まえ、いま各地で農民自身による新しい試みが、さまざまの局面で始まっている。 失アジアの農民同士の交流や連帯をつくろうという動きも出てきた。「行き着くところまできた」そ 権の中から、新しい時代をつくる動きがはじまっているのだ。第二部第 3 章でそのことに触れる。 定 決 己 ・目 - は「注〕 農 * 1 山下惣一著『タイの田舎から日本が見える』 ( 農文協、一九九六年十一月刊 ) 二六頁 て し * 2 安達生恒「『リゾート』の論理と『番外地』の道理ーーふたつの『むらおこし』」。丹野清秋・大野和興編 『農がなければ生きられない』所収 ( 社会評論社、一九九一年七月刊 ) * 3 渡辺利夫『新世紀アジアの構想』 ( ちくま新書、一九九五年二月刊 ) 章 * 4 大牟羅良・菊池武雄著『荒廃する農村と医療』 ( 岩波新書、一九七一年八月刊 ) 第 * 5 山下惣一『土と日本人』 ( ブックス、一九八六年刊 ) 12 1
ク緑風出版の本 草の根から経済システムをつくる ネグロスからケララへ・出会いの記録 日本ネグロス・キャンペーン委員会編 農と食の政治経済学 大野和興著 南北朝鮮をどう読むか 北川広和著 プロブレム a & < ⑩ 在日韓国・朝鮮人読本 〔リラックスした関係を求めて」 梁泰昊著 全国どの書店でもご購入いただけます。 店頭にない場合は、なるべく最寄りの書店を通じてご注文 下さい 表示価格には消費税が転嫁されます。 四六判並製フィリ。ヒン・ネグロス島とインド・ケララ州でアジア民衆の 三一一三頁 ' 寄り合い ~ か開かれた。アジア各国の、ソーシャ ルワーカー、農民などの実践者の報告と討論を通じて国境 2500 円を越えた民衆のオルタナテイプな経済システムを展望する。 四六判上製コメの自由化はどのように日本の農業を壊滅させるの 三〇四頁か ? 本書は日本の農と食をめぐる現状と問題点を分析、 その全面的解体とも一一一口うべき状況が、なぜ生まれたのか 2400 円を考え、土を生かした農業の再生と自立の方向を探る。 四六判並製潜水艦事件、黄書記亡命、金正日総書記就任など迷走を 二一六頁続ける " 共和国 ~ 。打ち続くゼネストと大統領選をにら んだ政局の激動に展望の見出せない韓国。本書は朝鮮半 1900 円島問題ウォッチャ 1 の著者が内外報道を緻密に分析する。 判変並製世代交代が進み「在日を生きる」意識をもち行動する在日 一九六頁韓国・朝鮮人が増えている。強制連行や創氏改名などの 歴史問題から外国人登録や参政権などの生活全般にわた 1800 円る疑問に答え、差別や偏見を越えた共生の関係を考える。
* 7 岩崎美佐子「政治を動かす ! タイ農民の頑張り」 ( 『日本農業新聞』一九九七年七月七日 ) * 8 z —については、末廣昭・安田靖編『 z < —〈の挑戦ーータイの工業化』 ( アジア経済研究 所、一九八七年 ) 、末廣昭『タイーー開発と民主主義』 ( 岩波新書、一九九三年 ) を参照した。 ・コーについては田坂敏雄『ューカリ・ビジネス』 ( 新日本新書、一九九二 * 9 コー・チョー 年 ) を参照した。 * 川岡本和之「血の水曜日事件から二十年」 ( 『月刊ォルタ』一九九六年十月号 ) * Ⅱ本書第Ⅱ部第 1 章、岩崎論文参照。 264
プロローグ ト物 論点とも重なるが、それぞれの地域の風土に合 カわせて農民が伝統的に培っていた知恵や経験 は、ここではまったく無用のものと見なされ た。農民は頭を使わなくてもお上に言われると おりやればよい、ということになったのであ る。高収量品種を導入し、食糧増産を達成する ためには、農民の内発性や自主性は、むしろ邪 な魔者だったのだ。日本において、農業近代化技 ロ術が技術から農民の主体性を奪いとり、虫がい 次ようがいまいが農業改良普及所の防除暦通りに 牛農薬を撒く農民をつくりだした、という宇根の 指摘と重なり合う部分である。 第四、第五の論点については、アジア経済論 の研究者、渡辺利夫 ( 東京工業大学教授 ) の次の 。ような指摘があを。渡辺は村落内 ( の商品経済 いの侵入によって相互扶助的な共同体慣行が崩 れ、最貧農民が大きな規模で排出されていく状 * 0
農業は自然相手の部分が多い仕事だから、工業とは本質的にちがう。それを工業化せよといっ たところでだれもついてこないし、また工業化とは国際化・自由化を本質的に含んでいる。そ ういうものを勧めたところで農民から反対を食らうばかりだろう。戦後、農民は農業の『近代 化』をスローガンに動き出している。その言葉をいただこう、しかし『民主化』は都合が悪い から隠してしまえ」 農業における開発独裁 ここで思い出すのは、東アジア・東南アジアの開発と成長を考えるときのキーワードの一つであ っ 失る「開発独裁」という概念と、その存在である。渡辺利夫はそれを「権威主義的開発体制」とよび、 権「経済開発に至上の価値をおく『開発主義』ともいうべきイデオロギーを『体化』したシステム」と 己規定している。それは渡辺によれば、「開発を急速かつ効率的に推進すべく、その責を負う官僚テ ・目 はクノクラートに権力と威信を集中させる」システムであり、「開発のための物的・人的資源の動員」 農は「一部の官僚テクノクラートがその中枢を占める中央集権的な行政制度によって行われ、開発に し 関する意思決定への国民大衆の広範な参加は、さしあたり排除される」、という特徴をもっている。 それは国家の役割を著しく高める。ヨーロッパで生まれた資本主義が個の確立を基礎に発展して 暲きたのとは対照的である。明治期の「殖産興業」「富国強兵」から始まり一九六〇年代からの高度 第 経済成長政策に至る日本の歩みは、この「権威主義的開発体制」の原型を提供した。七〇年代に入
アジア小農業の再発見 1 的 8 年 4 月 15 日初版第 1 刷発行 東京 818 ー 9 ー ) 776 定価 2 刈円 + 税 編者 発行者 発行所 装 制 印 製 用 幀 作 刷 本 紙 岩崎美佐子、大野和興 高須次郎 株式会社緑風出版 〒 113 ー東京都文京区本郷 2 一 12 ー 1 ) FAX03 ー 12 ー 7262 堀内朝彦 S 企画 長野印刷商工 / 巣鴨美術印刷 トキワ製本所 山市紙商事 ー 17 ー 5 く検印廃止〉落丁・乱丁は送料小社負担でお取り替えします。 振替 E2000 ISBN 4 ー 8461 ー 9806 ー 5 C0061 本書の無断複写 ( コピー ) は著作権法上の例外を除き禁じられています。