プロローグ 減農薬運動を提唱し、実践している福岡県の農業改良普及員宇根豊の文章である。宇根は誠実な 農業技術者として、農業近代化技術といわれるものに疑問を持ち、そうではない技術の発展方向を 一貫して追求している人である。こうしてレイチェル・カーソンの『沈黙の春』 (Silent sp 「 ing) の世 界はこの国の当たり前の光景になっていった。 緑の革命がもたらしたもの 日本の経済発展のパターンは、時間差を伴って韓国、台湾などアジアへ、そしてタイ、 マレーシア、インドネシアなど < Z 諸国へ、さらには中国、ベトナムなどアジア社会主義圏 へと引き継がれていく。そこでは、それぞれの国や地域がおかれた歴史的、社会的、経済的さらに は風土的条件に規定されてさまざまなバリエーションを生みながらも、東アジア型経済発展ともい える成長パターンがつくりだされるのである。 日本を含めそこに共通して見られることは、農業破壊と環境破壊である。いま東アジア全域で、 日本のそれをいっそう凝縮させたスピードで農業・環境破壊が進んでいる。農業と環境を食い物に することで経済発展を獲得する、そこに諸国・諸地域に通底する東アジア型経済発展の共通基盤が ある。ではそれは、どのように進んだのか。 ここにも前史がある。″成長のアジア″の基礎をつくったのは、一九六〇年代後半からはじまるア ジアにおける″緑の革命〃であった。緑の革命はコメと小麦の高収量品種の導入を契機としてはじ * 2
第Ⅱ部もうひとつの農業づくりをめざして ーアジア小農民の可能性
第 3 節技術が自然の力を壊した・児 退化する日本の土・ 自給肥料が入らなくなった・ 第 4 節農薬社会の出現・ 殺す技術としての農薬・ まず農民が侵された・皿 消費が消費を生むシステム・ 第 5 節モノカルチャーがもたらしたもの・明 米麦二毛作が壊れた・明 ここでも二重の環境破壊・ 自己決定権の喪失・ 第 6 節日本農業の現実・ 第Ⅱ部もうひとつの農業づくりをめざして ーアジア小農民の可能性ー 第 1 章生き方を取り戻すタイ農民 はじめに・ 100 岩崎美佐子・ 124
前になっている。 豊かになった日本の村では、田畑で働くのは年寄りばかりになり、耕すものがいなくなって、田 や畑が次々と捨てられる状況が進んでいる。藤三郎さん自身もこの春、二十三年間めんどうをみて きた。フドウ園を放棄した。それでも都会に比べれば食うものも水も空気も格段においしいではない か、いまの時代にこれほどの贅沢はあるか、というところで藤三郎さんは豊かさと愉央さを味わう。 それは、開発と成長がもたらした「豊かさ」に対する異議申し立てでもある。 いまアジアの村を歩いていると、農業が次第に崩れてきている現実に出くわす。ここでいう農業 とは、大規模なプランテーション農業などではなく、アジアの村々で代々行なわれてきた伝統的な 農業をさしている。かって狸森にもあった、それぞれの地域の風土に合わせて工夫され、発展して きた農業である。農民的な生産の仕方、暮らし方に根ざした小さい農業、と言い換えてもよい。そ うした農業を営む人々を、本書では小農民と表現した。 このアジアの多くの小農民がいま藤三郎さんの経験を追体験しつつある。理由も同じ、「成長のア ジア。である。一九五〇年代後半の日本に始まるアジアの経済成長は、韓国、台湾などなど東アジ アに受け継がれ、続いてタイ、マレーシア、インドネシア、さらに中国、ベトナムなどアジア社会 き 主義国、そして南アジアへとアジア全域に及ぼうとしている。そのなかを人々は、豊かさを求めて ま ひた走りに走ってきた。いま、″成長のアジア〃は経済危機にみまわれ、暫時の休息を強いられてい
第 3 章越境する志 ー地域に根ざし、地域を超える農民の実践 一九九七年七月十九日、「アジア百姓フォーラム」と銘うった小さな集まりが東京都内であった。 主催はアジア農民交流センター。農民が呼びかけ、主に農民を構成員とする小さな ZtO だ。フォー ラムのテーマは「いま、アジアの農村で何が起こっているかーーー″成長のアジア″のもうひとつの顔 」というものであった。アジアからは、東北タイの小農民運動のリーダーとして活動しているバ ムルン・カヨタ夫妻、韓国で自然農業を実践する地域営農組合のリーダー金文洙 ( キム・ムンス ) さ んを招き、各地から参加した数十人の農民を含む百人余りの参加者が熱心な討論を繰り広げた。工 業化と開発のなかで農業や農村、農民の暮らしや生産に何が起こったかを、日本、韓国、タイのそ これからの方向をさぐった。それからしばらくしてアジアを舞台とする経済 れぞれから出し合い 危機が勃発することになる。 そこで明らかにされた方向は、農民の手から離れてしまった自己決定権を取り戻す農法や地域の 大野和興 206
する役割を果たしたことは否定できない 緑の革命がアジアの経済成長に果たしたもうひとつの貢献とは、結論から先にいえば、工業発展 のための安い労働力の排出であるとか、工業製品のための農村市場の創出、といった言い方でくく られる事柄である。 このことを検証するには、緑の革命とはいかなる意味で革命だったのかを、農業技術的側面と社 会経済的側面の両面から考察し、それが農業のあり方や農民の生産・生活にいかなる影響を与えた かを見ていく必要がある。その結果私たちは、先にみた日本における農業近代化の歩みのアジアに おける出発点が、この緑の革命だったという結論に行き着くはずである。 アジア稲作農法に変革を迫る 緑の革命についてよくいわれたのは、「規模に対して中立である」ということである。「品種の改 良なのだから、大きい資本や施設は必要としない。従って大農も小農も容易に受け入れ、効果を発 揮できる」という主張である。本当にそうだったのか。 農業経営学者の金沢夏樹 ( 東京大学名誉教授 ) は長年のアジアと日本の稲作研究をもとに、緑の革命 * 5 は農法論的に見て十分に革命といえる内実を持っていたと述べている。それはなにより、無肥農業 から施肥農業への出発点であった。従来、モンスーン下のアジア稲作は豊かな温度と太陽、水に恵 まれ、無肥料・無管理のもとで低収量ではあるが安定していた。その収量を高めようとすれば、肥
まえがき・ プロローグ豊かさが貧困を生み、生産が破壊を生む ー農業近代化と緑の革命ー 農業近代化とは何だったか・ 緑の革命がもたらしたもの・ アジア稲作農法に変革を迫る・ 暮らし方まで変わった・ 奪われた主体性・四 成長のアジアの中の農業・ 農業輸出産業化の結末・ 第—部援助と近代化はなにを生んだか 第 1 章カンボジアー食糧増産援助の波紋 アジア小農業の再発見 * 目次 岩崎美佐子・ 大野和興・
日本では農業近代化といわれるなかで農業がどうなったかを検証する。第Ⅱ部で、それに対抗する 農民の知恵と工夫を紹介しよう。これまでのようではない社会や経済の仕組みづくりを求め、いま アジアの各地でさまざまの草の根の実践が始まっている。私たちは、ここに未来の希望を見つけた いと願っている。 「注〕 * 1 公開講座「海・山・里からのたより」記録。『民衆交易が結ぶむらとまち』 ( ォルター・トレード・ジャ ハン発行 ) 一九九五年十一月十五日号より。 * 2 宇根豊『田んぼの忘れもの』 ( 葦書房、一九九六年 ) 一二五—一二六頁。 * 3 その後、一九七一年に両財団、各国政府、世界銀行、国連農業食糧機関、アジア開発銀行などの国際 機関が一緒になって国際農業研究協議グループ (0(-)—<) が設立され、はその傘下にはい ることになる。 * 4 日本大学生物資源学部国際地域研究所『グリーンレポリューションの二〇年』 ( 一九八七年 ) 付・資料 より。出此・は lnternational Rice Research に 5 Yea 「 s 望 partnership lnternational Rice Resea 「 ch lnstitute" * 5 金沢夏樹『水田農業を考えるーー・日本農業のなかのアジア』 ( 一九八九年 ) 、『変貌するアジアの農業 と農民』 ( 一九九三年 ) ( いずれも東京大学出版会 ) 。『グリーンレポリューションの二〇年』 ( 前掲 ) 。 * 6 渡辺利夫『開発経済学ーー経済学と現代アジア・第 2 版』 ( 日本評論社、一九八六年 ) 一〇一頁より。 * 7 金沢『変貌するアジアの農業と農民』より。元の論文は「 Hae 「 uman. M. ,"The lmpactofthe Technologi ・
り、それはクーデターで生まれた軍事政権下の韓国、長く続く戒厳令下の台湾国民党政府、シンガ ポールへと移転されてアジア Z —を生み、さらにタイ、マレーシア、インドネシアといった ;-@ < Z 諸国へと広がっていく。 安達の所説 ( こ戻ると、〈農業近代化〉とは、この「権威主義的開発体制」の農業への適用にほかな らないということがわかる。その意味では、農業近代化というのは、日本を含め、成長のアジアに 特有な農業の展開過程であるということができる。経済開発すなわち工業化に向けての農業の面か らの適応形態として、中央集権的な体制のもとで官僚主導によって進められた上からの農業合理化・ 効率化の過程が、農業近代化といわれるものなのである。アジアでもっとも早く経済成長の過程を 通り抜けた日本で、まず農業近代化がはじまったゆえんもここにある。 以下、アジアにおいて真っ先にこの道を駆け抜けた日本の歩みを追い、農業近代化とは何なのか を具体的に検証する。 第 2 節農業近代化の展開 心と暮らしの近代化 農業の合理化・効率化は前述したように、農業技術面では機械化・化学化・装置化という形で、 また農業経営・土地利用方式の面では単作化・専門化・大規模化という形で進められた。またそれ
小農あ シ 岩崎美佐子一 旧ⅢⅢⅡ川ⅧⅧ旧 II ァ I S B N 4 ー 8 4 6 1 ー 9 8 0 6 ー 5 C 0 0 6 1 \ 2 2 0 0 E 定価 2 , 200 円十税 9 7 8 4 8 4 6 1 9 8 0 6 0 賻 0 K U 「 IJ アジアの村々で展開された緑の 革命と、 ODA の農業援助などによ る農業の近代化は、何をもたらし たのか ? それは農民の暮らしを 豊かにするどころか、逆に不安定 化させ、農業の破壊と環境の破壊 をもたらすばかりであった。しか し、そうしたなかでアジアの伝統 的農法、循環型農業、自然農法、 複合小農業といった、もうひとつ の農業づくりが試みられている。 本書は、こうした農民の実践を 支援する NGO の人々が、豊富な経 験と研究、調査をもとにレポート し、アジア農業の現在と未来を考 える。 1 9 2 0 0 6 1 0 2 2 0 0 5 岩崎美佐子 大野和興 編著 録眦版