節農薬社会 - みる会図書館


検索対象: アジア小農業の再発見
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1. アジア小農業の再発見

第 4 節農薬社会の出現 殺す技術としての農薬 化学肥料によって軟弱で病気にかかりやすくなった作物を無難に育て上げるためには、農薬が欠 かせなくなる。こうして化学肥料と農薬はセットで用いられることになった。いわゆる化学化であ る。これは栽培についての考え方の百八十度の転換であった。土をつくり、病害虫に抵抗力をもっ 健康な作物を育てるという考え方は片すみに押しやられ、病害虫にやられそうになったら農薬をま けばよい、という思想が農業技術の中心にいすわった。 農薬の施用は、対象とする病原菌や害虫、雑草を殺すばかりでなく、小動物や微生物、昆虫をも 殺してしまう。土壌生態系を壊し、物質循環を狂わせ、土の退化をいっそう推し進めるのである。 それでも、病原菌や病害虫が絶滅するのであれば、まだ話はわかる。だが現実には、農薬をいく らまいても病原菌・病害虫はいっこうに減らないばかりではなく、逆に農薬使用量が増加の一途を たどるという経過をたどったのである。その背後には、薬剤抵抗性害虫・病原菌の出現、あるいは 潜在性害虫化といわれる現象がある。図 2 は地球規模で見た農薬抵抗性を持っ雑草・害虫・病気の 数をみたものである。農薬が世界的に使われるようになった一九六〇年代以降、急速に増えている ことがわかる。ちなみに農薬抵抗性とは、「ある殺虫剤の施用により、ある昆虫の個体群がその殺虫 100

2. アジア小農業の再発見

この一連の行動を通して、私たちは日本の援助構造を奇しくも目の当たりにする機会を持っこと ができた。日本の農薬援助が決定される前から、旧知のカンボジア農業省官僚の事務室には日本の 農薬会社のポスターがところ狭しと貼ってあったこと、日本で農薬援助を考える集会をすれば、農 薬工業界の人たちが必ず出席していたこと、 ZtO の反対姿勢を見て、日本政府が緊急にカンボジ アで開いた、カンボジア政府役人向けの「農薬の安全使用のトレーニング」を実際に企画・実行し たのは農薬工業界であることなど、食糧増産をうたいながら、が日本の論理、日本のニーズ で動いていることが、写し絵のようにあぶりだされていた。 第 3 節食糧増産援助は問題を解決するか 市内に流れる農薬 ZtO をはじめとする市民の要求に応え、最終的にはカンボジアへの援助から農薬は除外 された。しかし決定を待たずに農薬はカンボジアの港に着いてしまっており、日本政府は一九九二 年度に限って、その農薬を農業省の実験農場など、地域と場所を限定して使用することになった。 この決定は、日本政府による回収を要求していた ZtO には不満の残るものであった。規定通りに 使用されるかどうか、モニタリングをした結果は、驚くべきものであった。農薬は、プノンペン市 内、あるいは郊外の市場の店頭に、表示も十分でないまま並べられていた。そして、援助の農薬は

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第 3 節技術が自然の力を壊した・児 退化する日本の土・ 自給肥料が入らなくなった・ 第 4 節農薬社会の出現・ 殺す技術としての農薬・ まず農民が侵された・皿 消費が消費を生むシステム・ 第 5 節モノカルチャーがもたらしたもの・明 米麦二毛作が壊れた・明 ここでも二重の環境破壊・ 自己決定権の喪失・ 第 6 節日本農業の現実・ 第Ⅱ部もうひとつの農業づくりをめざして ーアジア小農民の可能性ー 第 1 章生き方を取り戻すタイ農民 はじめに・ 100 岩崎美佐子・ 124

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7 防護具を同時配布し、使用が義務づけられる などである。 カンポジアでは、 ( 包括的害虫防除 ) 、複合経営農業の推進など、カンボジア農業省、 O 、 ZtO などによって農薬を使わないで農業する方法に関してさまざまな試みがなされてきた。 人々が食の安全性を確保するためには、農薬の援助より、現在の不備な水利を正すことと、ポル・ ポト時代に失われたり混じりあったりして適格な管理ができなくなってしまった種もみを収集・保 護・栽培・配布をして、人々が土地の条件に応じた数種類の種もみを常備し、その田の条件やその 年の気候に応じた種もみを選べるようにすることが、まず先決であろう。 また、人々が自分の食を考え直す取り組み、家庭菜園や水田における複合経営農業、アグロフォ レストリーなど、かってあった、またいまでもやっている農業の美点をのばすことができる農業を 保証することに、私たちはカンボジアの人々と共にかかわれたらと思っている。 「注〕 * 1 『 Rice P 「 oduction in Cambodia 』 Cambodia ・ IRRI Rice P 「 oject,Phunon penh, 一 99 一 * 2 『 OQ< の現状と課題』総務庁行政監察局 ( 一九九五年 ) * 3 『ストップ ! 危険な農薬援助ーー・カンボジア社会に、今、何が必要か』国際ボランティアセンター (—•

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六〇〇〇ポンドにまで成長する。 社会学者見田宗介は、『沈黙の春』を読み解き、「〈軍備のための消費〉ではなく〈消費のための消 費〉に支えられる純粋な資本主義への転換の、最初の率直な形態が農薬であった」と述べる。「繁栄 の五〇年代」といわれた一九五〇年代アメリカの好景気の一角を農薬が支えたというのである。 『沈黙の春』は一九五〇年代半ばから終わりにかけ、ミシガン、ケンタッキー、アイオワ、イン ディアナ、イリノイ、ミズーリの各州に化学薬品の雨を降らせたマメコガネムシ防除の模様を詳細 に報告する。 「マメコガネムシが〈あらわれた〉からこそ、空から殺虫剤をまいた、と政府は発表しただけ だ。本当にそのとおりなのか、はっきりしないままに、計画は実行され、州は必要な人員をと とのえ、監督をし、中央政府は器具を提供し、また作業員を雇い、市町村は殺虫剤の費用を払っ その結果、鳥がばたばたと死に、大猫病院は急に病気になった大や猫でいつばいになった。それ でも空からの殺虫剤散布はやまなかった。「農薬を大量に消費すること自体が目的としか考えられな い事態」が推移した、と見田は解説を加えている。「害虫を防除するという一つの必要のための方法 が、自然の鳥たちの手から離れて、商品経済のシステムの中に引き入れられ」たのである。 同じことが形を変えて日本でも繰り返されている。それは例えば各都道府県ごとにつくられる「農 作物病害虫雑草防除基準」とそれに基づく「防除暦」であり、植物防除法に基づく病害虫発生予察 106

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していることが認められている。これも最終的に人体に侵入することになる。 だがなんといっても、農薬の最初の被害者は、それを使う農民なのだ。先に抵抗性の例に挙げた パラチオンは有機燐剤で急性毒性の強い強毒性農薬である。一九七一年に禁止されるまで、多くの 農民が中毒にかかり、病気になったり死亡したりした。農村医療のメッカ長野県佐久総合病院で臨 床の第一線に立って農民の健康問題に関わってきた松島医師は、次のように報告する。 「日本農村医学会が全国の約三〇農村病院について、受診した農薬中毒患者について調べたと ころ、一三年間に二〇三三例の臨床例 ( これは全病院の集計ではないので、あくまでもその一部である。 全国の症例数は、死亡者の割合から換算して、この三〇倍と推定される ) が集計された。ここでいう農薬 中毒とは、いわゆる急性中毒 ( 頭痛、めまい、吐気などの全身症状を起こしたもの ) や慢性中毒のほか に、皮膚障害、眼障害、肺炎、気管支炎、咽頭炎、肝障害など、農薬による障害を起こしたも のすべてを含んでいる」 「一九七七年に調査した長野県南佐久郡川上村 ( 野菜栽培を主としている ) の例では、散布期間中 一度でも中毒を起こした人の割合、すなわち発症状者率は、男子二九 % 、女子二五 % 、平均 二七 % で農薬散布者の約四分の一が、散布期間中多かれ少なかれ、なんらかの中毒症状を起こ していると考えられた。農薬による中毒症状として、頭痛・頭重、めまい、吐きけ・嘔吐、体 がだるい、腹痛、食欲不振などの症状が多くみられたが、そのほか局所の障害としては、皮膚 のかぶれや目の充血・痛みなどを訴えるものが多かった」 104

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であった。 それを手はじめに、当時のヘン・サムリン政府と地道な折衝を続け、一九八六年にプノン。ヘンに、 やはり日本人としては唯一の事務所を開設して、食糧輸送のためのトラック修理、保健プロジェク トなどを開始した。はまた、復興協力のかたわら、カンボジアの一日も早い国際認知と和平 を願って、カンボジアで活動する国際 Z O の連絡協議体、 O O O (Coope 「 ationcommitteefo 「 cambodia) の一メンバーとして、カンボジアの窮状を訴える本、『 ZtO が見たカンプチア』の日本語版を出版 するなど、関係各方面に働きかける努力もしていた。 一九九〇年代初頭、 0 0 0 には農業、植林、家畜衛生、給水、地域医療、教育、社会福祉など、 分野別の勉強会があった。定期的に開かれる勉強会には、 Z ch O スタッフのみならず、 Z (United Nation Development p 「 og 「 amme= 国連開発計画 ) 、 O (F00d and Ag 「 icultu 「 e 0 「 ganization 0f the United Na ・ ま n Ⅱ国連食糧農業機関 ) などの国連機関や—— ( 一冐「ミ一。 na 一 Rice Rese 「 ch 一 n を ( 冐Ⅱ国際稲研究所 ) などの 国際機関のスタッフ、カンボジア農業省など各省庁の若手役人などが集まって、カンボジアの将来 のために共に学び、熱い議論を交わしていた。 「日本政府による農薬援助」のニュースはまず、この OOO にもたらされた。人々は、どのように 対処すべきか勉強会と作戦会議を重ねた結果、 000 ではこの農薬援助はなんとしても止めたいと いう結論を導きだした。農薬援助に反対する理由は、 雨季米には病虫害の被害がほとんどみられない

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るかどうか、農業機械・装備や化学肥料、農薬を調達できるかどうか、そのために金融機関と接触 できるかどうか、といった農民間の力量の差によって大きな格差が開いていった、という社会的不 公正の問題。第五に金融機関が農民に資金を融通することで、化学肥料や農薬、農業機械、石油な などなどだ。 どの市場を農村に拡大することができたということ 第一、第二の論点については、作物学者である田中明 ( 北海道大学教授 ) の次のような指摘がある。 「農家でー 8 が作られだすと、問題が起こってきました。いままで余り見られなかったバ イラス病が急速に増え、ウンカ、ヨコバエのたぐいも増えたのです。 ( 中略 ) 一九六八年には— ー 5 というのが普及されるようになりました。六九年にはーが出ました。これはウン 力、ヨコバエのたぐいに強いということで出たわけですが、間もなく虫の方が—ーを加害 する能力を獲得して、七三年にはひどい虫のアタックが起こったわけです。そこで、七三年に は—が出て、これはウンカ、ヨコバエ、ズイムシ、バイラス、白枯れ病などに強いと、 うことで奨励品種になりましたが、七六年にはインドネシアでトビイロウンカの新しい系統が できて、ー % がひどい被害を受けたわけです。新しい品種を作ると、病害虫にも新しい系 統ができてアタックするというシーソーゲームが続きました」 第三の論点は、が高収量品種を普及するに当たって、そのそもそもから内包していた問 題である。いわゆるパッケージ・プログラムだ。政府は新品種導入に伴って施肥や除草、防除、水 管理といった一連の栽培技術を一体のものとしてセットで奨励し普及したのである。これは第一の * 9

9. アジア小農業の再発見

しても援助をしたいなら、そういう作物の残留農薬を調べ、毒性の強い農薬を規制し、食の安全性 を高めるような支援ができないものであろうか 食の安全性に向けて カンボジアでは、一九九一年の和平を契機に西側諸国政府が援助を再開する前からたくさんの Z tO が深くかかわってきたので、幸い農薬援助の停止に向けてすばやく的確に行動できた。しかし、 危険な毒物である農薬が、その国の農業事情、農薬に関する法整備などの調査もいいかげんなまま、 毎年世界の五〇カ国以上に供与されている。 波農薬を送るときは、その国の人々の生活、カンボジアのように水田がコメだけではなく様々な食 助料の生産の場であるかどうかなど、よく調査すると同時に、最低限の条件を整えてから送って欲し 産 増いものである。その条件とは、 糧 食 適正な農薬関連法規が制定されている 2 法規を執行する体制が整っている ア ジ ボ 3 安全使用が保証される ン カ 4 廃棄を含む適正管理がなされる 章 5 農薬低減のための研究をしている 第 6 急性毒性に対する応急処置ができる

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事業であり、農薬の空中散布事業である。防除基準には作物ごとに農薬名、使用方法、使用期間 使用回数と防除方法 ( 病害虫名、防除時期、防除方法、注意事項など ) が示されている。除草剤について も、作物別に薬剤名が列記してある。この防除基準に取り上げられる薬剤は、その都道府県に適し たものであるという判断に基づいている。さらに、この防除基準をもとに、都道府県内の地方ごと に病害虫防除所、農業改良普及所、農協などが集まってより詳細な防除暦が作成される。防除暦は 被害の予防に万全を期すということを考えるあまり、常に農薬の過剰散布をもたらすという性格を 内包している。まかなくてもすむ農薬をまくように仕向けてしまうのである。 農薬メーカーはこの防除基準と防除暦に自社の製品を採用させようと必死になる。ここで採用さ っ 失れないと、 いくら農薬取締法による登録をとっても実需に結びつかないからだ。防除基準作成の鍵 ーソンに食 権を握っているのは、各都道府県農林部の専門技術員である。農薬メーカーはそのキー 定 己い込もうと懸命に接触を図る。県の専門技術員や監督官庁である農林水産省植物防疫課の担当者は、 は農薬メーカーや関係団体に再就職することが多い。もうひとつの当事者である農協は、系列農薬会 3 社を持ち、農薬や化学肥料の売り上げが収益の大きな位置を占めている。官庁と民間組織、それに し 企業が一体となっての農薬消費増大構造がこうしてできあがったのである。それはまさに、見田が いう〈消費のための消費〉をつくりあげる商品経済のシステムにほかならない 嶂発生予察事業はこのシステムのもうひとつの柱である。植物防疫法に基づいて各県にある病害虫 第 防除所は病気や虫の発生状況や発生予察を流している。情報を流すときは、その病原菌や害虫に対 107