僕が一人になれる時間をつくってくれているのは、会社の人たちであり家族です。 彼らの協力なしでは、決して一人にはなれません。 おたがいがおたがいの一人の時間を認め、一人での生産性を理解し、一緒の時間は しつかりとコミュニケーションをとる間柄。理解者であり協力者である関係。大切な 人たちとは、こんなっきあいをしたいと思うのです。 僕は一週間くらい旅に出て、誰とも連絡を取らず、すべてを遮断することがありま す。それは僕がわがままだからではなく、まわりのみんながそれを理解し、受け入れ てくれるからできることなのです。 結婚していようと、どこかに所属していようと、一人の時間を忘れてしまえば、何 かにすがることになります。依存して生きていけば、自分をなくしてしまいます。 ちょっとしたことでもいいのです。一人の時間をつくりましよう。その際には、相 手に対して「一人になっていいよ」と明一言することも大切です。 〇一人の時間があってこそ、人との時間が深く味わえます。 〇喫茶店でも公園でも、自分だけの一人になれる場所も見つけておくといいでしよう。
一人という贅沢 僕は基本的に午前中で仕事を終えようと努力します。実務や打ち合わせは朝からど んどんすませ、ランチはなるべく会社の人と一緒にとりますが、その後、家に帰るま での時間は毎日、原則として一人で過ごします。一人で会社の仕事をしているのです。 取材や撮影が入ることもあるため完璧には無理ですが、それでもできる限り一人の 時間を確保しています。一人になるとは、すべてを放り出して引きこもるのではなく、 自分に立ち返ること。 どんな人も、何かしらの役割の中で生きています。会社の中の自分、家庭の中の自 分、親である自分、子である自分。僕も編集長であり古書店の経営者であり父親でも あるのですが、誰のためにあるのでもない、素の自分に戻りたいときもあります。 裸んばうの、なんでもない自分になれるひとときがあれば、そこで自分を取り戻し、 一息つけます。そこから真剣に人とかかわり、精一杯、コミュニケーションにむを砕 く力が生まれると思うのです。一人の時間がなくては編集長にも父親にも、何者にも
人それぞれであり、その人をあらわすものだな、と感心します。 びつくりするような音を立てて改札に定期入れを叩きつけた人が、電車に乗り込ん だとたん、どさっと空いたシートに腰を降ろし、隣に座っていた人が振動にびつくり こんな光景も珍しくはありません。おしとやかそうな女性なの してちらりと見る 、がさつなしぐさだったりすると、見ていて悲しくなります。 マナーとは、世の中に対しての礼儀作法です。別に慇懃無礼にしろというわけでは ありませんが、心の中で隣の人に「ちょっと失礼」と手刀を切るくらいの気持ちで、 静かにシートに座る。このはうが、男性でも女性でも、はるかに美しいものです。 マナーやルールは人から与えられるものではなく、自分でつくるもの。たとえ電 車の中でガムを噛むことが禁じられていなくても、「人前でくちゃくちややるなんて、 大人として失礼だ」と控えるのが、自分を律するということです。 しぐさはまたマナーの問題を超え、その人の心模様を映し出します。無意識にがさ つにふるまうときは、誰でも疲れていたり、心が荒れていたりするものです。 ところで、どんなしぐさをしているかを観察する対象は、世の中の人ばかりではあ りません。僕はむしろ、自分自身をよく観察します。 106
暮らしの引き算 増やしたら、減らす。 ごくシンプルなこのやり方が、ていねいに生きる秘訣です。 新しいものを一つ手に入れたら、部屋の中にあるものを一つなくす。そうすると、 しつも余白がある暮らしとなります。 「ものを所有することや趣味をもっことに対しても、恋人に向き合うのと同じ態度が 必要だ」 こう言うと笑う人もいます。それでも、「新しく好きになった人ができたら、今っ きあっている人とは別れる」という真摯な気持ちを、日常の随所でもちたいのです。 何人もの恋人と薄いっきあいをするより、一人の人に気持ちを捧げたいという願いは、 人に対しても、ものや趣味に対してもまるで同じです。 なぜなら、数の限られた選ばれたものだけ持っていれば、一つ一つを宝物のように つくしむことができるのですから。
「こんにちは。今日は特別暑いから、あなたにコーラを買ってきたよ」 すると彼はとてもよろこび、何度もお礼を言いました。それからは毎朝、気持ちょ く「おはよう」と = = ロいかわせるようになったのです。 彼の心に届いたのはコーラではなく、歩み寄ろうという僕の気持ちだと思います。 その意味で、あいさっとは魔法の杖。それだけで人との関係が画期的に変わります。 もっとも、管理人とはにこやかにあいさつできる仲になりましたが、友だちになっ たわけではありません。誰とでも親友になるというのは、無理な話で当然でしよう。 それでも、僕の世界は大きく変わりました。あいさつだけで、たとえ最低ラインで も、気持ちょい人間関係をキープできるーー考えれば、すごいことだと思うのです。 「おはよう」ひとつで、人とのもやもやだって消えうせます。 とことん話すのは無理な相手でも、自分から「おはよう」と言ってみましよう。相 手ばかりか自分まで気分が変わり、朝がすてきになるはずです。 〇苦手な人こそ、自分から話しかけましよう。歩み寄ってくる人を拒む人はそういません。 〇一人きりでも「おはよう」と言葉にしましよう。その日一日が、びかびかになります。
この事実を、いさぎよく認めねばならないと思うのです。 人でしかできない。 だから僕は、孤独であることを基本条件として受け入れています。 孤独を誤魔化すために意味もなく人と会ったり、仲間と騒いだりはしません。その ふん、一人で考えたり、独学をして、なんとか望むような方向に歩いていきたいと願っ ています。 もちろん、一人でいることが心地よい僕にとっても、孤独はいつも味方ではありま せん。寂しい、怖い、心細いといった恐布心に囚われることもしばしばです。 とくに仕事は、孤独との戦いのようなもの。一対一〇〇で世界と対峙する覚悟がな ければ、思ったようなものは作り上げられません。 たとえ、たった一人で批判や反対意見を浴びるとしても、ひるまずに受け止めなけ ればいけない場面もあります。みんなの気持ちを慮って意見を聞き、和気あいあいと 話し合って良い企画が形になるなど、現実にはありえない話です。 だから僕は、「一人でがんばらなければいけないとは、なんて自分は不幸だろう」 などと悲劇の主人公みたいに思ったりしないのです。人は孤独であらねばならないと 承知し、そのうえでどう孤独と向き合うかを考えたいのです。 第 4 章おだやかな晩ごはん 1 2 5
はないでしようか。 今日、出会う人すべてが、自分に何かを教えてくれる先生だと思えば、相手のファッ ションや見てくれ、性格の良し悪しすら気にならなくなります。やさしい人から学べ ることもあれば、意地悪な人から学べることもあるのですから。 この考え方を試し続けていると、自然に「ありがとう」という感謝の気持ちが生ま れます。人に生かされて生きているという真実を、忘れずにいられます。 〇街中でふとコミュニケーションをとった人を、先生だと考えてみましよう。 〇気持ちのいい体験から学べることもあれば、嫌な体験から学べることもあります。
凛とした誠実 一瞬で終わる関係なら、あえて素通りする。これは人と関わる際の僕のルールです。 たとえば業のもとには、 いろいろな人がたずねてきます。 「イラストを描いているんですが、アドバイスをください 「駆け出しのカメラマンですが、私の作品についてご意見をうかかいたい」 僕の答えはいつも决まっています。 「アドバイスはしないし、意見も一言えません。作品を見て、あなたという人がいると 知ることしかできませんよー なんと冷たい対応だろうと思うかもしれませんが、これが僕なりの誠実さです。 仕事についてでも、恋愛や人間関係の問題についてでも、人に相談されたことに対 してアドバイスをするときには、その人の面倒を一生みる覚悟がいると思います。 もし僕が「あなたの作ロ叩は、こんなエ , 天をしたらいいんじゃないですか ? 」などと アドバイスをしたら、たとえ軽い気持ちだろうと、一生その人とっきあわなければな
「おはよう」の効用 出勤時間やごみを出す朝、特定の誰かと顔を合わせる時間帯がつらいという人がい ます。それは苦手な人と顔を合わせる時間だからではありませんか。 あなたにも、そんな人がいませんか ? たとえば駅の改札で顔を合わせて、会社ま でのわずか数分を一緒に歩くのが気まずい相手。お昼時や買い物に出かけるとき、微 妙に時間をずらしたくなる相手。 苦手な気持ちというのは不思議なもので、黙っていても相手に伝染します。 「もしかして、この人は自分が嫌いなんじゃないかな ? 、とあなたが思っているとし たら、相手もそう思っているもの。おたがい苦手オーラをかもしだすようになれば、 もっと気まずくなります。改札ロでその人を見かけたとたん、自動販売機に駆け寄っ て一緒にならないようにするなんて、くたびれるうえに、かなしい / / ト細工です。 苦手な人にこそ、こちらから近づいていきましよう。嫌われているだろうな、と思 、つ相 - キ . にこそ、しかけましよ、つ。
与えるスケール 人生で何をしたかは、どんな仕事をして、どんなものをつくったかでは决まりませ ん。大切なのは、どれだけ人に与えたかということ。 与えるといっても、ものではないと思います。生きていくための知恵、心やすらぐ 方法、新しいものの見方、こういったことをたくさん見つけ、たくさんの人に分け与 えることができたら、自分もしあわせになれると思うのです。 四十代という自分の年齢を考えると、人生のちょうど真ん中です。 真ん中まで生きてきた人間には経験があり、それを人に与えることができます。寿 命までまだ半分しか過ぎていないのであれば、蓄えてきたものを壊し、ゼロからもっ とすてきで新しいものを見つける勇気もあります。 だからまず、僕はかかわる人すべてに、何かしら与えたいと思います。自分一人で 引き出しにしまいこむことなく、惜しみなく与えようと决めています。それが僕の年 齢の、社会人としての責任だと考えているのです。