世の中からはみ出したばろばろの暮らしをしていた人からも、すべてにいい加減な 嘘つきからも、僕は何かを学べました。 知り合いでもなんでもない、通りすがりの人の笑顔すら、人生を形づくってくれた、 ーツなのです。 トさいけれどかけがえのないパ その意味では、駐車場の係員もまた、先生になり得るということです。 「彼は僕に、何を教えてくれるのだろう ? 」 そんなことを考えながら駐車場に戻った僕は、係員にあいさつをし、「さっきはす みませんでした」と謝りました。 すると彼は、僕が折れたことを、受け入れてくれたのでしよう。ミラーのことなど 忘れたように、「いつもありがとうございますーとにつこり送り出してくれたのです。 その瞬間、「苦手な係員がいる」という事実は、「苦手な係員がいた」という過去の話 に変わりました。 それでも、すべての出会いがすてきなものというのは、美しい夢に過ぎません。 気まずいこともあれば、腹が立っこともあるのが現実の暮らしでしよう。だからこ そ、「この出会いから、自分は何を学べるだろう ? 」と考えることに意味があるので 第 1 章すこやかな朝ごはん
ちどられ、全体はまん丸の体つき。ただ、チュイッチュイツと鳴いていることもあれ ば、一人前にときおり「チーチュルチーチュルチーチュルチと鳴いたりもします。 羽根をきゅーっと広げる仕草もかわいくて、眺めていると夢中になり、飽きること はありませんでした。 テレビはつまらないのに、メジロの観察は、幼い僕をひきつけてやまなかったので す。ちょっと具合がよくなるとちゃんと世話をして、絵も描きました。 やがて熱が下がって学校に行けるようになると、僕は先生に絵をプレゼントし、そ の日の夕方、メジロは先生の家に引き取られて帰っていきました。 特別な = = ロ葉はなくても、自分が大切にしている小鳥をお見舞いだとあずけてくれ た。あのときの先生のやさしさは、今でもじんわりと、僕のむを温めてくれます。も う三十年以上たつのに、メジロの糞のにおい、丸い瞳も忘れることはありません。 人は、いやなことは意外に忘れてしまうものですが、親切ややさしさは、色あせる ことがありません。先生に直接、あの時と同じやさしさを返すというよりは、自分も 誰かに同じように親切にしてあげたいと思います。 やさしさや真心を暮らしの中で循環させる。毎日それを繰り返す。 1 3 0
ありません。実のところ、僕は腹を立てました。 車はとめられたので我慢して買い物に出ましたが、僕が怒っていたことは相手にも いくらか声を荒らげたかもしれません。 伝わっていたでしよう。 いやだな、と思いました。駐車場に戻って料金を支払うとき、またあの係員と顔を 合わせるのです。どう考えても気まずいけれど、車を置いたまま帰るわけにもいきま せん。 そのとき僕は思い出したのです。昨日より今日、自分がちょっと変わって新しくな りたいのなら、まわりから学ばなければならない。そして、いちばんの「先生」は、 人なのだということを。 毎日の中で接するものは、無限にあります。経験や出来事、本やアートや音楽、さ まざまなものから刺激を受け、人は変わっていきます。 僕とてそれは同じですが、これまで生きてきたなかで、僕にもっとも大きな影響を 与えてくれたのは人でした。 僕が影響を受けたなかには、尊敬できる人も凄い人も、とってもすてきな大人もい ました。しかし、特別優れた人だけが「先生ーでなかったことは事実です。
ねてきてくれたのです。 。ハジャマ姿で出迎えた僕には、うれしさより緊張がよぎりました。 学校一こわい男の先生。教室にいても近寄りがたく厳しいのに、学校の外で会うと、 なおさらいかめしく思えました。 ところが先生のかたわらで、鳥の士尸がします。さえずりの主は、メジロでした。先 生は、片手に小さな鳥かごを提げていました。 「松浦くん、体の具合はどうだ、この島をしばらく君に預けるから、少し良くなった ら、これをよく読んで世話をしなさい 差し出された紙には先生の角ばった文字で、エサや水、ふんの掃除など世話の方法 がきちんと記されていました。学校に行けない子どもが、家に一人ではどんなに寂し くつまらなかろうと心配した先生は、自分が大切に飼っていた小島を、お見舞いとし てもって来てくれたのです。 子どもだった僕にとって、メジロのお見舞いは、熱があることすら忘れるくらい 心おどることでした。 ちっちゃくて、うぐいす餅みたいなきれいな緑色をしていて、目のまわりが白くふ 第 4 章おだやかな晩ごはん 1 2 9
第 2 章 とびきりのランチ 5 人や社会とのつきあいに、秩序とよろこびを加えましよう 5 うれしさのお裾分け む地よいリズム 心のこもった食事 優雅な箸づかい 清潔なたたすまい 出会う人は「先生ー うららかな笑顔 好奇心のまなざし 45 43
はないでしようか。 今日、出会う人すべてが、自分に何かを教えてくれる先生だと思えば、相手のファッ ションや見てくれ、性格の良し悪しすら気にならなくなります。やさしい人から学べ ることもあれば、意地悪な人から学べることもあるのですから。 この考え方を試し続けていると、自然に「ありがとう」という感謝の気持ちが生ま れます。人に生かされて生きているという真実を、忘れずにいられます。 〇街中でふとコミュニケーションをとった人を、先生だと考えてみましよう。 〇気持ちのいい体験から学べることもあれば、嫌な体験から学べることもあります。
みんながそうしていれば、お金やすばらしい環境を得るのとは別のやり方で、幸せ も見つけられるような気がするのです。思いやりや親切は、かっては当たり前のこと でしたが、い まは頑張って努力し、取り戻さなければいけないことかもしれません。 貧しい学生にお金を貸すとき、こんなふうに = = ロう大金持ちがいるそうです。 「私に返さなくていいから、大人になって人に貸せる立場になったとき、同じように 困っている誰かにお金を貸してあげなさい」 なんとも上等な = = ロ葉ではないでしようか。 数十年の時が過ぎ、同窓会で先生に再会した僕は、改めてメジロのお礼を言いまし た。あのとき、どんなにうれしかったか。むがどれはど慰められたか。 小学生の君が書いた絵は今でも 「メジロはもう死んでしまったけれど、そのかわり 額に入れて飾ってあるよ」 先生はそう教えてくれました。僕のむはまた、温かな贈り物をいただきました。 〇受けた親切をその人に返せない。そんなときは、別の人に返してもいいのです 〇本当の親切とは、無償のものであり、相手の立場や心に寄り添ったものです。 第 4 章おだやかな晩ごはん
しかし街の歴史であれば、もっと手軽に調べることができます。図書館にいけば郷 土史の本はたくさん揃っていますし、区役所や市役所でも資料が見つかるでしよう。 ささやかだけれど連綿と続く歴史。その小さなパ ーツである自分を、掘り起こして みませんか。 〇自分の住む街の歴史を調べてみる。ちょっと昔と、うんと昔を較べてみましよう。 〇歴史から見つけた先人の知恵を、悩んだときのヒントにしましよう。 誰かに話すのも楽しいのではないでしようか。 壮大な歴史を調べるのはライフワーク級の楽しみなので、膨大な本を読んだり、 ささか苦労するのが喜びでもあります。 第 3 章しなやかな人生のためのアロマ
歴史を学ぶことは、僕にとっての大きな楽しみです。 年号を暗記するだけの歴史ではありません。たとえば、マケドニア王国のアレキサ 小堀遠州が、波 ンダー大王がつくった幻の大図書館といった壮大な歴史を辿ったり、 瀾万丈な徳川幕府の時代にどう生き抜いたかなどを調べたりするのは極上のよろこび です。 生きていくうちには、わからないこと、試練、畄みがっきものですが、歴史はその たびに味方になってくれます。ものごとは輪のように繰り返されるので、先人から学 ぶことはたくさんあるとい、つことです。 「あれ、この時代ってすごく今の状況と似ているな。この頃の人たちは、どうやって 乗り越えたんだろう ? そのとき、何を考えていたんだろう ? 」 不思議なもので歴史を辿っていくと、こんなふうに気づかされることが、思いのは か多いのです。 小さな歴史 第 3 章しなやかな人生のためのアロマ
じんわりやさしく 僕は昔、よく熱を出す子どもでした。扁桃腺が弱いので、小さい頃はしよっちゅう 風邪をひいたり喉をやられたりして、学校を休んだものです。 小学二年生のときのこと。いつものように熱を出し、家で蒲団にくるまっていまし 両親は働いていましたし、姉も出かけてしまいます。学校に行っていればみんなそ ろって授業を始める頃、僕はひとりばっちになるのです。 がらんとした家は、見置れたはずなのにどこかよそよそしく、少し布い感じもあり ます。テレビを見ても楽しくはなく、だんだん退屈が募ります。それでも熱つばい体 はだるく、起き上がって遊ぶこともできません。 やがて退屈のすきまから、おなじみになった寂しさと不安がひょっこり顔を出しま す。すると、本を読んでも空想にふけっても、気持ちがまぎれなくなるのです。 そんなある日、一人で寝ていると、玄関のチャイムが鳴りました。担任の先生が訪 1 2 8