0 軽やかな手紙 カウブックスにほど近い代官山で、知り合いにばったり会い ました。 僕には用があり、彼にも用があり、おたがい急いでいたので「ああ ! ーと声を掛け 合っただけ。ろくに = = ロ葉も交わさず、すれ違いました。 一一人とも話をしたい雰囲気だったし、少なくとも僕は、一兀気かどうかくらい尋ねた かったのです。そこで葉書を書きました。 「急いでいて、話ができなくてごめん。お会いできて、うれしかった」 電話やメールでもいいのでしようが、自分で書いた文字のはうが、気持ちが伝わる 気がします。 「そんなちょっとしたことに、わざわざ手紙を圭日くなんて」などと思う人もいるかも しれませんが、僕は家族や友だちにも、しばしば短い手紙を書きます。 かしこまって、きれいに圭日こうとするから、手紙は面倒になってしまいます。
サンドイッチを出す力フェを見つけて立ち寄ってみる。 考えてみれば、お金をかけなくても、毎回自分でつくらなくても、心のこもった食 事をする方法はたくさんあります。 もうひとつ、一人のときの食事も同じように大切にすることも忘れずに。 「人につくって食べさせるのは頑張るけれど、一人ならカップラーメンでいし 友人である料理人がこう言ったとき、僕は怒りました。自分の手料理を食べた人に よろこびとしあわせを感じてはしいなら、まず自分がしあわせにならなければだめ じゃないかと。「自分だけだから、まあいいか」と思ったとたん、おいしさもしあわ せも逃げていきます。 朝ごはんは、一日のはじまり。あなたが一人暮らしでも家族がいても、忙しくても ゆったりしていても、どうか、すこやかな「いただきます」を。 〇いつでも、料理した人の顔が見えた、心のこもったものを食べましよう。 〇誰かのために、そして、自分のためにも、まずは簡単な朝ごはんをつくってみましよう。
壊れたときがスタート ラジオでも鞄でも、自転車でも同じです。この世に存在するもので、壊れないもの はありません。 「もうさんざん使ったし、新しいものを買ったほうが安あがり」というのが世の流れ かもしれません。捨てることは簡単ですし、誰も文句は言いません。 それでも僕は、壊れたものを修理して使うほうが好きです。ものは壊れるという大 前提があるから、そこがスタートだと思います。処分したり新品と交換するのではな く絶対に直そうと决め、手をかけて修繕することで、ようやく自分のものになってい く気がするのです。 人とのつきあいもこれと同じです。ぶつかり合って摩擦がおき、壊れたりひびが入っ たときがスタートだと思っています。 なごやかにしているだけのかかわりなど、浅いものです。トラブルが生じ、気持ち をむき出しにして昜つけあい、 これまでのつきあいが壊れたとき、初めてその人との
楽しみの発見・よろこぶ工夫 「最近、何か楽しいことはあった ? 」こうたずねられたとき、「どうかな、特別に楽 しいことはなかったな」などと、あっさり答える人がいます。そのたび、僕は、ああ もったいないなと思うのです。楽しみは、発見するもの。よろこびは、工夫から生ま れると僕は信じています。 息をつく間もない忙しさ、気持ちのごたごた、どうみても大変な仕事ーーーこんなと きこそ、楽しみを発見しましよう。そうしなければ、山みたいにそびえたっプレッ シャーを乗り越えるのは、よけいに苦しくなります。 僕はそれを、本物の山の中で知りました。『プルータス』という雑誌の仕事で、ア メリカのトレッキング・ルートを旅したときのことです。そこはジョン・ミューア・ トレイルという、踏破するには一カ月かかる長い歩道でした。 ョセミテ渓谷につながる道は、標高三〇〇〇から四〇〇〇メートル級。いくつもの 国立公園に囲まれ、厳格に保護された自然の中を歩く行程は、きついものでした。 第 1 章すこやかな朝ごはん
たとえば人づき合いの量。所有するモノの量。仕事の量。 むやみに多くの人とかかわって関係がおざなりになってはいけないし、管理しきれ ないほどモノをもつのはやめようと前述しました。 仕事についても同様で、自分を决して壊れない機械みたいに扱ってはいけません。 たとえば、自分には一五〇〇 8 のエンジンしかないのに、二〇〇〇 8 と同じスピー ドが出ると思ってあれこれやれば、心も体も無理を重ねて、病気になってしまいます。 会社や人を責める前に、キャパシティを把握して自己管理できていたかどうか、もう 一度、確認する必要があるのではないでしようか。 そもそも人は、求められる生き物です。 会社はたくさんの仕事を求めてきます。家族やさまざまな人間関係も、さまざまな 役割を求めてきます。いろいろな意味で、無理な要求というのは、誰にでも日々たく さん降りかかってくるものです。 それにどう応えるか、応えないかーーー・正しい判断をすることが、自分の暮らしと相 手を守ることにつながります。 日ごろから自分を観察し、自分のデザインを知っておきましよう。そうすればキャ 1 4 6
仕事仲間でも友だちでも、相手を 受け入れているという木の幹がしつかり に していれば、嘘というのは多少の枝葉、 ちょろりと見えたしつばに過ぎません。 たとえば部下の説明を聞いていて、嘘だと感じたとします。そこで「絶対に違うだ ろう。俺の目は節穴じゃないんだ」と叱りつけたら、肝心の仕事が滞ってしまいます。 それよりは嘘ごと受け入れてしまい、そこから先にどう進んでいくか、本質に取り 組む」カ法を考ぐんたほうが、よはど、 しいと僕は思うのです。 家族や恋人でも、最初から疑ってかかったり、嘘を暴いて相手を責めたところで、 関係は深まらず、誰も前には進めません。プライベ ートならとくに、相手の存在自体 が大切なものなので、嘘は受け入れたほうが自分も楽です。許すというより、さらっ と受け流し、忘れてしまうというのに近いでしよう。「だまされてあげるとまでは 言いませんが、相手の事情を思いやり、気にせずにいる愛情もある気がします。 〇嘘を暴くことと、相手を活かすことと、どちらか大切かを考えてみましよう。 〇嘘の背景を想像するやさしさが身につけば、そこから思いやりも生まれます。
おそろしくささやかなことで、人の印象は変わります。 日々に溶け込んだ小さな所作を見つめなおせば、また違う世界がひらけるのです。 最近発見したのは、「腕を組まないー 腕を組むというのは、自分の精神の表れです。心をプロックしている状態だと思い ます。 目の前の相手に、あるいは自分のまわりの世界に対して心を閉ざす。そんな所作を 毎日続けていて、「、 腕組みと同様、足を組むのも、やめたほうがいいでしよう。傲慢でえらそう、相手 に対して、ずいぶん失礼です。 誰かと一緒にいるとき、腕を組み、足を組んでいるのはあり得ないふ 大事な話をしようというとき、こんなポーズの人がいたら、 いくらていねいな = = ロ葉づ かいでも、話し合い以前の問題だと思います。 腕を組まない しいことなんて、あるわけない 」い、つこ」 とすら思います。 るまいです。 1 0 8
この事実を、いさぎよく認めねばならないと思うのです。 人でしかできない。 だから僕は、孤独であることを基本条件として受け入れています。 孤独を誤魔化すために意味もなく人と会ったり、仲間と騒いだりはしません。その ふん、一人で考えたり、独学をして、なんとか望むような方向に歩いていきたいと願っ ています。 もちろん、一人でいることが心地よい僕にとっても、孤独はいつも味方ではありま せん。寂しい、怖い、心細いといった恐布心に囚われることもしばしばです。 とくに仕事は、孤独との戦いのようなもの。一対一〇〇で世界と対峙する覚悟がな ければ、思ったようなものは作り上げられません。 たとえ、たった一人で批判や反対意見を浴びるとしても、ひるまずに受け止めなけ ればいけない場面もあります。みんなの気持ちを慮って意見を聞き、和気あいあいと 話し合って良い企画が形になるなど、現実にはありえない話です。 だから僕は、「一人でがんばらなければいけないとは、なんて自分は不幸だろう」 などと悲劇の主人公みたいに思ったりしないのです。人は孤独であらねばならないと 承知し、そのうえでどう孤独と向き合うかを考えたいのです。 第 4 章おだやかな晩ごはん 1 2 5
凛とした誠実 一瞬で終わる関係なら、あえて素通りする。これは人と関わる際の僕のルールです。 たとえば業のもとには、 いろいろな人がたずねてきます。 「イラストを描いているんですが、アドバイスをください 「駆け出しのカメラマンですが、私の作品についてご意見をうかかいたい」 僕の答えはいつも决まっています。 「アドバイスはしないし、意見も一言えません。作品を見て、あなたという人がいると 知ることしかできませんよー なんと冷たい対応だろうと思うかもしれませんが、これが僕なりの誠実さです。 仕事についてでも、恋愛や人間関係の問題についてでも、人に相談されたことに対 してアドバイスをするときには、その人の面倒を一生みる覚悟がいると思います。 もし僕が「あなたの作ロ叩は、こんなエ , 天をしたらいいんじゃないですか ? 」などと アドバイスをしたら、たとえ軽い気持ちだろうと、一生その人とっきあわなければな
自分の決算書 「自分にとって大切なことはなんだろう ? 」 お金を使うというのは、じっくりこう自問することだと僕は考えます。 価値観というのは人それぞれ違います。 たとえば、珍しい外車に一〇〇〇万円払うのは高いと思わなくても、古ばけた本 ( 一〇〇〇円は高すぎると感じる人もいるでしよう。コンビニで買う一五〇円のおにぎ りは高いけれど、取れたてのトマトに払う三〇〇円は安いという人もいるでしよう。 どちらがいい・悪いではなく、自分の価値観に見合っていればいいのです。 ただ、大切なことは、無造作にお金を払わないこと。一〇〇円でも一〇〇万円でも、 「これは自分にとってどんな価値があるか」を考えずにお財布をひらくのは、あやう いことだと思います。「なんとなく良さそう」という感覚だけで服を買うのは、お金 とのつきあいの基本を無視することになります。 さて、価値観を見直すというお金の基本をマスターしたら、半年に一度、収支の確 1 1 9 第 3 章しなやかな人生のためのアロマ