江口 - みる会図書館


検索対象: 自分史の書き方
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1. 自分史の書き方

、の引き抜きだ 0 た。毎 0 ミは私が毎日新聞社に入社した昭和四八年に創業後、就職情 報、美術、出版事業、海外研修事業などを柱に順調に発展、従業員も百人 ( 現在、マイナ ビグル 1 プで二千四百人の従業員が働いている ) に達しようとしていた。江口氏は、私が毎 一日を辞めて海外に行くらしいとの噂を聞き、毎コミに来ないかと誘ってくれたのだ この誘いを受けて、柳沼さんは毎日新聞を辞めて、毎日コミュニケ 1 ションズへ移り、 江口さんの直接の部下になってしまう。年表を見るとわかるが、それから巧年間毎日コミ ュニケ 1 ションズに勤めたのが柳沼さんのサラリーマン生活のすべてで、そのあとは、フ アイナンシャルプランナ 1 として独立して自分のオフィスを構えるにいたるのだから、柳 沼さんの人生は本当に江口さんといちばん深い関係にあったということができる。 毎日コミュニケ 1 ションズに移って、新規事業として立ち上げたのが「週刊将棋」であ る。将棋人口は日本に約 1000 万人おり、日本でもっとも愛好者が多いゲ 1 ムの一つだ る から新聞各社はそれぞれ独自のタイトル戦をもっており ( 全部で七大タイトル戦 ) 、それを を 表 独占的に報道することで一定の読者をつかんでいた。その他に 3 つの月刊誌があって、そ 年 の 分 れぞれ数万部が発行されていた ( 日本将棋連盟が出している「将棋世界」は川万部 ) 。将棋フ アンは、七大タイトル戦の結果を一刻も早く知りたいし、その刻々の戦いぶり ( 棋譜と解 章 第説 ) を知りたい。それなのに、自分のとっている新聞以外のところが主催しているタイト 141

2. 自分史の書き方

「週刊将棋」をはじめる直前まで柳沼さんは普通の新聞記者として、毎日新聞の静岡支局 に勤めていた。新聞記者として、それなりに実績をあげていたが、新聞記者という職業に もう一つ心理的に乗りきれず、転職を考えていた。 三年間の支局勤務を通して幾多の経験が得られたし、大変面白かったのだが、最終的に 記者職を続けることにあまり興味が持てなかった。実は、英国留学後の南米のヒッピー旅 行が頭を離れず、四年間の支局勤務後は、国際協力機構 (——o<) での日本語派遣教師 として、南米に行く計画を立てていたのだ。そのために、一年ほど前からあまりいい返事 をしない妻を説得していた ここで再び登場するのが、毎日新聞入社のきっかけを作ってくれた江口末人氏である。 この状況は、元の上司でその後関連会社の毎日コミュニケ 1 ションズ ( 毎コミ ) の代表 になった江口末人氏が静岡に来たことで一変する。江口氏の来静岡の目的は、私の毎コミ 棋の創刊」と答えるだろう。「好きなことを仕事にする」をモット 1 としてきた私にとっ て、「週刊将棋」こそ、仕事の中に自己実現ができる場の最たるものだったからだ。 140

3. 自分史の書き方

第 2 章自分の年表を作る 人生は「偶然の連続 . が 8 割 ? 柳沼さんの自分史の本文部分をざっとながめておく。キャリアを中心にしたから、第一 章は、「毎日新聞社入社までの経緯 5 歳」となっている。そしてこの入社の経緯に おいても、途中のいくつかの人生の曲がり角での選択においても、先の江口氏から決定的 影響を受けたことが書きこまれている。なるほど、この人が柳沼さんの人生にいちばん大 きな影響を与えた人なのだなということがよくわかる 自分史の「はしがき、で、柳沼さんは次のように書き、—・・クランポルツの「計画 的偶発性理論」を引きながら、「人生は思いがけない場面での思いがけない人との出会い によって人生の八割までが決定される」と述べている。それが 8 割以上かどうかには疑問 があるが、人生はたしかに、思いがけない人との思いがけない出会いに満ち満ちている そのような思いがけない出会いでその後の人生が大きく動かされる。柳沼さんにとって、 そのいちばん大きなものが、就職前の江口さんとの出会いだった。 ~ めて自分が歩んできたキャリアの足跡を振り返 0 てみて、つくづく「キャリアは、予 期しない偶然の出会いによづて八割が形成される」ことを実感した。これは、最近、注目 129

4. 自分史の書き方

丿 1 ダ 1 の十人は、すでに拡張経験一一、三年のべテランばかり。ほとんど基本的な指示 ーの当 を出しておけば、期待通りの部数を上げる組織に育っていた。 「毎日ウィ 1 クリ 1 面の目標部数は一一万部。拡張の対象を大学生だけでなく高校の新入生に広げたところ部数 ~ が一挙にアップし、総数では軽く一一万部を超えてしま 0 た。 この間ずっと、柳沼さんは、有力幹部江口氏の子飼いの部下のような立場にあったか ら、通常のラインを離れて、好き勝手に仕事をしていた。しかし、会社という組織の中で は、そういうスタイルの仕事が通用しないこともある 最初から江口氏と仕事をしてきたこともあって、ほとんど上司には事後承諾で仕事をし てきた。 あるとき、郵送読者からのクレ 1 ムが役員のところに寄せられた。内容は、「請求どお り払ったのにまた請求書が届いた」というクレ 1 ム。すぐに、上司と担当者の私が呼び出 され、説明を求められた。私が請求システムの説明をしようとすると、上司が最初から 一「ご無理ごも 0 とも、とコメつきバッタのように謝り始めた。何を説明するでもなく、何 138

5. 自分史の書き方

る を 表 年 の 分 自 私の最初の配属は Main 一 ch 一 DaiIy News を発行している英文毎日局。サラリ 1 マン初の の拡張販売業務だった。 一仕事は、創刊したばかりの「毎日ウィ 1 クリ 1 = ケーシ , ンズ」の美術部 ) 。 英文毎日の江口氏から毎日新聞社への入社の誘いを受けたのは、このゴャ展の京都展の 打ち上げの席であった。、、 コャ展の京都展が終了したあと、江口氏から「今年、週刊の英字 新聞を創刊するのでスタッフとして来ないか」と誘いを受けることになる。 当時は、ゴャ展が終了した後に何をするかは決めていなかった。したがって、この申し 出には少し戸惑った。何にも準備をしていない身としては、入社試験が苦痛ではあった 一が、「試験は六月にあるが、毎日、新聞を読んでいれば受かるから」と説得される。 英字週刊新聞の拡販で大成功 そして、編集職、営業職合わせて約人募集 ( 応募者 2000 人以上 ) の狭い枠を突破 したところから、柳沼さんのキャリアは見事に花開いていくことになる。 柳沼さんの自分史の第二章は、「毎日ウィークリ 1 の倉羽 2 2 135

6. 自分史の書き方

主なタ 1 ゲットは、高校、大学生や若いなどの二〇歳代の社会人。高校や大学に直 接の営業を行ったことで、最盛期には二万部以上が高校などの副教材として採用される。 競合紙には、ジャパンタイムズ社発行の「スチュ 1 デントタイムズ」 ( 発行部数数万部程 度 ) があったが、「毎日ウィ 1 クリ 1 」は創刊二年半で倍以上の十六万部を超える発行部 数を達成するなど、事業的には大成功を収める。 私は「毎日ウィ 1 クリー」創刊のために大阪から乗り込んできた江口部長一派と一緒に 仕事をすることになる。与えられたミッションは、学生の販売部隊を編成し、翌年四月ま でに一一万部を拡張 ( 販売 ) すること。学生時代に「学生会」を組織してその幹部をやって いた私にとっては、容易なことだった。 ここに出てくる「学生会」なるものが、やはり柳沼さんの学生時代のアルバイト人脈そ のものだった。 学生時代は、授業料や下宿代稼ぎと社会勉強を兼ねて多くのアルバイトをや「ていた が、そのうちの一つが英字新聞の拡張だった。販売の対象は大学の新入生。合格発表や入 136

7. 自分史の書き方

論文を仕上げるために一定数の人体実験を必要とした ) という仕事もした。薬物を注射さ れ、分ごとに血液を採取され、その間運動したり、わざと激しい呼吸を一定時間続けた り、一定のメニューでいろんなことをさせられた。わたしの場合アルバイトは種類まで ( いかなかったが、楽に種類は超えていたと思う 柳沼さんの場合、このアルバイト経験が後に大きくものをいうことになる。 美術展のアルバイトで大活躍 プ 1 太郎生活の一年目の秋。毎日新聞のアルバイトをしているときに懇意にな「た英文 毎日の田辺さんからゴャ展の手伝いを依頼される。会場となっていた上野の国立西洋美術 館で販売するゴャ展のグッズの在庫管理などが主な業務だった。ヒッピ 1 旅行から戻った 直後で瑕だったこともあって喜んで引き受けた。 通常、新聞社では、美術展などは事業部が担当するのだが、なぜか英字新聞を発行する セクションの英文毎日局が一部を担当していた。後で知ったのは、英文毎日は大正一一年 四月に創刊された国内で最も伝統を誇る英字媒体だが、常に赤字体質との戦いの歴史でも あった。当時、営業部長になった江口末人氏 ( 私の人生で一番影響を与えた人 ) は、赤字体 一質脱却のために、いろいろな事業に手を出していた。このゴャ展もその一環だ 0 た。 132

8. 自分史の書き方

第 2 章自分の年表を作る 使われる概念である「レバレッジ」 ( てこ ) 装置として利用ることができるのだ。 だから人脈も財産である。 柳沼さんが財産の項目で、〈能力〉と〈人脈〉の二つだけをあげ、一般に財産とされる 物質的資産のたぐいを何一つあげていないところが面白い。たしかに「人脈ーというの は、どの人の人生においても、もっとも大きな財産だ。 柳沼さんが自分史の中で「私の人生で一番影響を与えた人ーと特筆している人 ( 人脈 ) が、毎日新聞社の英文毎日の局長をしていた江口末人氏である。柳沼さんの「自分史」を 読んでみると、結局、代のは、 ( こ人と出会ったことによって、柳沼さんの人生の 新しいペ 1 ジが次々に開けていったことがわかる。 柳沼さんの自分史は、実は、他の人がスタート地点とする子供時代・少年時代のことを すべてスキッている。自分史全体を「キャリア自分史 , と名付けて、社会人となって からの自分に焦点をあてるという異例の構成になっている 繰り返しになるが、自分史の書き方は基本婀・に印丸でを。定型にはめる必要はまった くない。自分がいいと思ったら、どのような書き方をしてもよい もっとも、柳沼さんの自分史に、子供時代、少年期の話がまるでないのかというとそう ではない。自分史の本文のほうにはないが、丹念に見ていくと、自分史年表のほうには、 、いへ ) ぐに、生いムを生、長 127

9. 自分史の書き方

の百万円以上に跳ね上が 0 た。その後、ノウ ( ウが積み上げられ一日三百万円を売り上げ る日もでてきた。この勢いか影響したのか、額絵以外に用意をしていたグッズも売れ出し それ以降は、毎日の販売状況から翌日以降の販売数を推計して大阪の額縁業者に注文、 一結局京都展と合わせた四ヶ月間の売上げで数億円の売上げを達成することになる。 大学時代のアルバイト、「バナナの叩き売りーの経験がここで大きく役に立ったわけ だ。それにしても 4 カ月で数億円の売上げというのはすごい。いまの金額でもすごいが、 ゴャ展があった昭和 ( 1971 ) 年当時ならもっとすごい。わたしもこのゴャ展に行っ て、「裸のマハ」「着衣のマハーのセットを買った覚えがある。販売員の大量投入、セット 販売の準備、毎日の販売量を推定しての事前注文などなどの打つ手打つ手がみな功を奏し ていったわけだ。柳沼さんの才覚がナミのものではないことがわかる この驚くべき成功によって、柳沼さんは、英文毎日の江口さんから、毎日新聞に入らな いかと誘われた。 このときのゴャ展の入場者からのアンケ 1 ト ( 五十万通程度 ) は、その後リ 1 ダ 1 ズダ イジェストと組んで、額入りの絵画の通信販売を行う事業に発展する ( 後の「毎日コミュ 134

10. 自分史の書き方

柳沼正秀さんの人間関係クラスターマップ ( その 1 ) く小学 ( 大砂土東小 ) 5 年 ~ 中学 ( 大砂土中 ) 3 年時代 > く甥・姪 > く学生時代の出会い > ・友人 ・友人 ・友人 く両親 > 父 : 正六 く兄弟 > 弟 く叔父・叔母 > く幼少 ~ 小学校低学年時代 > ・友人 ・友人 ・友人 く高校生 ( 春日部高 ) 時代 > ・友人・友人・友人 母 : とき く大学 ( 早稲田大 ) 時代 > ・友人 ( アルバイト ) ・友人 ( クラス ) ・友人 ( クラス ) ・友人 ( クラス ) ・友人 ( 同好会 ) ・友人 ( その他 ) ・友人 ( その他 ) ・友人 ( その他 ) くアルバイト仲間 ( 毎日学生 OB 会 ) > ( 現在も年に 1 回程度の会合 > ◇東大生、早大生、獨大生、学習院生、理科大生、東洋大生、横国大生、電機大生、中大生、埼玉大生、慶大生、成蹊大生、そのほか総 ・学生時代生き方で一番影響を受けたのがこの学生会だったっその後の事業企画でもこの人脈は大きな威力を発揮した 甥 妻 . く家族 > 姪 長女 . 自分 ( 正秀 ) 勢約 20 人 ◇明学大生などの女子大生 く師弟関係 ( 生き方に影響を与えた人 > ・学生時代 ①小学校の先生 : 中山、草壁、遠藤、金子先生 ②中学校の先生 : 石岡、八代、鷲山先生 ③高校の先生 : 松下先生、佐々木先生 ④大学の教授 : 高橋教授、朝倉教授 く懐かしいもの・ヘットなと > 〇キューピー ( 愛犬 ) 〇鳩 ・社会人時代 ◇中村博彦 ( 英文毎日 ) ◇江口末人 ( 英文毎日局長 ) ◇安田睦男 ( 毎日テスク ) ◇先輩社員 ◇加藤治郎名誉九段 ( 週刊将棋 ) ◇大山康晴 15 世名人 ( 週刊将棋 ) ◇アラン・ケイ ( アップル・フェロー ) ◇マック鈴木 ( 英国留学時代 ) ◇公認会計士 ◇ F P の先駆者 ◇ F P の先駆者 〇初恋 ( 小学生 ) く初恋・病気・ケガなと > ◆事業実現のための企画立案術 ◆仕事、人生の生き方での影響大 ◆社会の見方、捉え方 ◆仕事との向き合い方、実務 ◆週刊将棋立案時の後ろ盾 ◆交渉術、人間の生き方、考え方 ◆事業ビジョンづくりと先見性 ◆日本人のグローバルな生き方 ◆ PC 月刊誌創刊のパートナー ◆ F P になるきっかけづくり ◆具体的な F P ビジネスモデル 〇貧血で 1 年間病院通い ( 高校生 )