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検索対象: 自分史の書き方
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1. 自分史の書き方

容の歴史 . 「職場異動の歴史ーが入っているほうがいい。個人生活史の基本は、住所変更 ・ 0 膸」きちんとおさえることが重要だ。 人間の人生はすべて次元時 ( 空カデス時間軸 ) 上の移動の歴史だ。人間はすべ て、「あるとき」「ある場所」で誕生する。誕生点といってよい。それから一生の間、 4 次 元時空の時間軸上、空間軸上を移動しながら生活を続けていく。 めいすう そして、やがて、命数が尽きたとき、人は、 4 次元時空上のある一点 ( あるとき、ある 場所 ) で死ぬ。死滅点といおうか。結局、人の一生は誕生点から出発して、死滅点へと向 かう長い長い 4 次元時空上の航海のようなものだ。自分史はその航海日誌のようなもの 人の一生を 4 次元時空上の軌跡として一目で描けるような 4 次元マップがあったとし て、その上に、人の一生をトレ 1 スしてみたら、どの人の一生もそう大したものではない ということがすぐにわかるだろう。時間軸上はどんなにがんばってもたかだか 100 年程 度しか生きられない ( きわめて少数の人は 100 歳以上生きるかもしれないが、どんな長生き の人でも 130 年は生きられない ) 。 ヒトの一生は字宙の歴史 130 億年、地球の歴史億年にくらべたら、ほとんどゼロに 等しいといってよいくらいの瞬間的「時間存在ーでしかないのだ。空間軸上の存在者とし

2. 自分史の書き方

そういう側面の自分をつかむために、その時々の自分をとりまいていた「人間関係のク ラスターマップ」を作ってみることが必要だろう ( クラスターマップについては第 3 章で述 べる ) 。別の言い方をするなら、それぞれの時代に分を取り巻いていた人間関係の一覧 表を作っておくということである。それらの人間関係から生まれた、個人的喜怒哀楽のイ べント、エピソードを拾いあげるメモを作ることも必要だろう。自分史は最終的にエピソ ードの集積体になるわけだから、思いつくたびにエピソードをメモする、「エピソード 帳」なども作っておくとよい もう一ついうならば、われわれの人生は、個人として、個人的エピソ 1 ドの集積を生き ている部分もあるが、同時にわれわれはみな同時代の地球社会のメンバーの一員として、 同時代の日本人社会、同時代の世界社会をさまざまな出来事を通じて共有しながら、生き てきたということも忘れてはならない そういう側面も、自分史年表には欠かせないから、自分史の一つの軸として、同時代に 起きていた主な世の中の ( 日本と世界の ) 出来を記入する欄を作っておくとよい。市販 の年表でゴチックで大々的に記され、かつ自分の記憶に強く残っているような出来事にか ぎることが大切だ。市販の年表を参照しだすと、「社会の出来事年表」がとめどなく詳し いものになりがちだが、それは避けるのがよい。

3. 自分史の書き方

たる部分が、それぞれ独特のあり方で、色濃く表現されていると思うからである。 最初の山崎さんは、この時代の大いなる変わり目そのものを親子二代で見事に描いた貴 重な記録として、そして大塚さんと江渕さんの作品は、この世代の代表的生き方を、女と 男の立場からそれぞれ描いたものとして取り上げた。 人生のセカンドステージに入ってきたこの世代は、別の表現をもってすれば、団塊の世 代であり、戦後民主主義第一世代であり、全共闘世代であり、高度成長期日本を支えた世 代でもある。それは同一の色調を帯びた世代ではないが、その前の世代が悪しき国家主義 に走って、総力戦に敗北して、国家的破局に陥ったのとちがって、少なくとも、平和と民 主主義と経済的繁栄を享受することができた半世紀を通じて、日本が近代国家となって以 降、もっとも繁栄したと同時にもっとも面白かった時代を築くことができた世代といえる のではないだろうか。そういう面白い時代をそれぞれに面白く生きた人々を描いたという 意味で、この 3 つの自分史をまず頭に置いた。 1 章、 2 章に引用した自分史作例は、自分史をどう書いたらよいのかを伝えるために引 いた作品例だったが、この第 3 章では、ハウッー的な要素を離れて、これらの自分史を書 いた人々が生きた時代は、どのような時代だったかを伝えるのにいい作品を選んだという ことである。 168

4. 自分史の書き方

「自分史年表を書いてもらう」のが仕事に 実はこの仕事の中で、松本さんは自分で「自分史年表 , を書いたり、キャリア研修の受 講者にそれを書いてもらったりというようなことをするようになった。ここでそういう経 験を積んだことが生きてきて、このような独特の年表が生まれたのである。 松本さんの自分史の「まえがき」には次のようにある。 歳のときに社内に新設された「キャリアアドバイザ職、という専門職に就いた。その 仕事の中で、これからのキャリアのことを考えるためのひとつの手段として今までのキャ リア ( 人生 ) を振り返るということをよく行っていた。生まれてから今までの数十年の自 分の出来事を思い出すのである。そのために、社会の大きな出来事を書いた年表を使い 作 それを参考にしながら自分に起きた出来事を年表の形で書いていくのである。これをキャ を 表 リアアドバイズの世界ではライフラインチャ 1 トと呼んでいた 年 自分でも自分自身のライフラインチャ 1 トを書いた。しかしそれは数ベージ程度のポリ ュ 1 ムで、自分に起きた出来事の項目を並べたものに過ぎなかった。その一つ一つの掘り 一下げは充分ではなか 0 た。今までの人生をし 0 かり振り返るには、自分史と言えるレベル 121

5. 自分史の書き方

しかし、ある時期から考えを改めた。雨宮さんの自分史は、あまりに強烈な読ませるカ をもっていただけに、これを最後にもってくると、あたかも彼女の自分史をもって本全体 の締めくくりとするかのような印象を与えてしまう。それはちょっとちがうのではないか と思ったのである 雨宮さんの自分史は、一口に言えば、情念の書である。彼女の生きる力も、読ませるカ も、その情念から発している。しかし、情念のパワーは、人が本来もつ、生きる力の一部 でしかない。俗に人の心というか精神世界を構成する三大要素として知情意の 3 つがあげ られる。この 3 つがバランスよく発達をとげてはじめて、その人の精神は健全にはたらく ようになる。そのバランスが悪くなるとその人の精神のはたらきもどこか歪んだものにな る。三要素は誰の心の中にもあり、誰の心の中でも常日頃はたらいているが、そのバラン スは常に変動している 雨宮さんの場合は、普通の人よりそのバランスがかなり強く情のほうに傾いている。雨 宮さんの自分史を、全体のトメ的ポジションに置くと、あたかもこの本がそのような生き 方、そのようなものの考え方、感じ方を必要以上に推奨しているかのように受け取られか ねないと恐れたのである。 それに対して、池田さんの自分史には、そのような強い性格がむき出しにされた部分が ない。それでいて、強い自己主張はないが、強い人間存在を感じさせる。 304

6. 自分史の書き方

日本人の普通の生き方として標準的に推奨されているのは、なんらかの自分の人生の目 標を設定して、その目標を実現するために一生懸命がんばるというものだろうが、池田さ んにはそれ的なガンバリズムが基本的にない。ガンバリズムはないのに不思議な強さをも っている。この不思議な強さのほうがエンディングにふさわしいと思えたのである。 池田さんの自分史の「あとがきには、次のようにある。 「セカンドステ 1 ジ大学に応募した動機は何ですか、 「会社を辞める口実にするためですー 「セカンドステ 1 ジで何を勉強したいですか」 「会社を辞める口実ですから、とくに何か目的があるわけではありませんー これがセカンドステ 1 ジ大学に入るときの面接のやり取りである。 思えば私の人生も、何かやると決めて、それに向かって生きてきたわけではない。大学 受験のとき以外は、全部ク行き当たりばったり % 近頃、会社を辞めることをようやく周 囲に公表し始めると、周囲は私に尋ねてくる。 「会社を辞めて何をするつもり ? 」 「これから決めるのよ」 章 第 一「その思いきりの良さが羨ましい ! 」 305

7. 自分史の書き方

く傷つけられたのである。 当時、黒大の肉を食用にする人々がいたとはいえ、人間が大の肉を食べてしまうとは信 一じられない出来事であ 0 た。 三崎町に引っ越したのは、継さんが小学校二年のとき。昭和 ( 1951 ) 年だからま だ占領下時代である。朝鮮戦争が継続しており、翌年にはメ 1 デー騒乱事件などが起き て物情騒然としていた時代である。日本人の生活水準は低く、大を殺して食べる人がいた としても ( 肉は安価ではなかった ) 、別に法にふれるわけではなし、眉をひそめる人は多か ったかもしれないが、不思議とはされなかった時代だった。わたしも、当時Ⅱ歳で同じ時 代を生きた人間だから、そ、ついうことがありえたということはよくわかる。 引っ越して間もなく、継さんは、三崎町の小学校でいじめに遭い、それを避けるため、 転校する騒ぎになる。 クラスの男子生徒の大半は漁師の息子で、気の荒い連中もおり、ひ弱な性格の私は虐め の対象となり学校生活に馴染めない、いじけた学童生活を過ごすことになった。 一昭和年 3 月、私の知らぬ間に願書が出され、理由も分からず面接試験に連れ出され、

8. 自分史の書き方

私は一人、真剣にシンちゃんの心のク事実と向き合った。 シンちゃんはお酒の上ではなく、クしらふで彼女を好きになった事。 シンちゃんの心が変わってしまった事。 「悠子は一人でも生きていけるが彼女は俺がいないと生きてゆけない。だから彼女を選 ぶ」。そうシンちゃんは言った。 何故 ? 何故私は一人で生きていけて、彼女は一人じや生きてゆけないの ? : わからない事ばかりだった。わかっている事は、シンちゃんが彼女を好きで、私は シンちゃんが好きと言う事だった。 ( 略 ) けれどシンちゃんの心は変わり、これからを彼女と生きたいと言う。 私達には二人の子供がいる。 私は今どうすればよいのか 私の頬の上を弱々しく力なく朝も昼も夜も、何をしている時も静かに涙が流れた。シク シクでも、さめざめでもなく、ただス 1 ッと意識とは無関係に細い涙が流れていた 東京から帰り—年半 : : : ひたすら「良い嫁になろうと毎日頑張って習慣化した家事 一を、シンちゃんがいなくなった後も私は繰り返していた 284

9. 自分史の書き方

第 3 章なにを書くべきか 国立大学教育学部と小学校教員養成所に願書を出し、国立大学は思 0 た通り不合格で、 一その年出来た養成所に行くことにな「た。 旧制師範学校戦後民主主義教育 しかし、この教員養成所なるもの、その頃埼玉県で起きていた小学校の教員不足という 事態に急きょ対応するため、あわてて作った教育機関で、制度設計が充分なされた上で作 られたものではなかった。はじまってすぐにいろんな不具合が生じた。 教えるほうは旧制師範学校をモデルに上意下達型方式で教えようとしたのに対し、教わ るほうは、高校まで戦後民主主義教育で育ってきた世代だから、たちまちズレが生じた。 特に、学習内容を選ぶということもなく、やらなければならないことばかり説明し、 「君たちには、いい先生になってもらいたい」と言うばかりなのである。 官製の、それも初めてのケースである。作ったほうは、戦前の師範学校のイメ 1 ジがあ ったのではないだろうか。養成所選任の先生は堅苦しくて、おもしろ味などちっとも感じ なかった。 195

10. 自分史の書き方

はじめに自分史を書くということ 手がかりにするといいんだよ、という程度の示唆でもあった。 人間の記憶は連想記憶方式になっているから、ちょっとでも手がかりがあると記憶はす ぐによみがえってくる。最良の手がかりは、そのときどきに起きた大きな社会的事件であ る。東京オリンピックのとき、自分はどこでどうしていたとか、田中角栄逮捕のニュ 1 ス はどこで聞いたとか、オウムの地下鉄サリン事件のときはどこにいたといった、それぞれ しよ、つど、つ の時代の耳目を聳動せしめた大事件を手がかりにすると、誰でもいろんな記憶を呼びさ ますことができる。そこで、受講生に、自分史を書く上で最初にさせた作業は、「自分史 年表 , を書くことだった。その年表には必ず時代背景を別枠で入れさせた ( これについて はあとで詳しく書く ) 。 その他に授業の中で「現代史の中の」という要素をどう入れていったかというと、まず 自分の生きてきた時代の概略を知ってもらうために、最初の授業で現代日本史の概論をバ バッと一挙語りした。その頃わたしは、ちょうど『天皇と東大ー大日本帝国の生と死』 という日本の近現代史全体をながめ直す長大な作品を 7 年がかりで書き終えたばかりのと ころだった。この本は、なぜ日本があのような戦争をはじめ、ついには事実上国を滅ばす ようなところまでいってしまったのかというところに焦点をあてて書いた本である。とこ ろが団塊の世代が主流をなす受講生たちの大部分が、そのあたりのことにほとんど無知だ ということが開講してすぐにわかった ( 学校教育では、そのあたりがポカンと抜けていたし、