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1. アメリカは日本経済の復活を知っている

アメリカは日本経済の 復活を知っている 復ア アリ 9 7 8 4 0 6 2 1 8 1 5 1 8 1 9 2 0 0 9 5 0 1 6 0 0 9 旧 BN978-4-06-218151-8 い本 C0095 ¥ 1600E ( 0 ) る経 講談社 定価 . 本体 1600 円 ( 税別 ) イエール大学名誉教授 浜田宏一 序章教え子、日銀総裁への公開書簡 第一章経済学ニ〇〇年の常識を無視する国 第ニ章日銀と財務省のための経済政策 第三章天才経済学者たちか語る日本経済 第四章それでも経済学は日本を救う 第五章ニ〇一ニ年ニ月一四日の衝撃 第六章増税前に絶対必要な政策 第七章「官報複合倥の罠 終章日本はいますぐ復活する 浜田宏一はまだ・こういち 亠 : 一九三六年、東京都に生まれるイエール大学名誉 教授東京大学名誉教授経済学博士。国際金融 に対するゲーム理論の応用で世界的な業績をあげ る日本のバブル崩壊後の経済停滞については金 融政策の失策がその大きな要因と主張、日本銀行 の金融政策を批判する一九五四年、東京大学法学 部に入学し、一九五七年、司法試験第ニ次試験合格一九五八年、東京大学経済学部に 入学一九六五年、経済学博士取得 ( イエール大学 ) 。一九六九年、東京大学経済学部助教 授一九八一年、東京大学経済学部教授一九八六年、イエール大学経済学部教授ニ〇 0 一 年からは、内閣府経済社会総合研究所長を務める。法と経済学会の初代会長 著書には、『経済成長と国際資本移動ーー資本自由化の経済学』 ( 東洋経済新報社 ) 、 モダン・エコノミックス ( 朽 ) 国際金融』 ( 岩波書店 ) 、『エール大学の書斎からーー経済学 者の日米体験比較』 ( 出版 ) などがあるまた共著には、『金融政策と銀行行動 伝説の教授に学べー本当の経済学がわかる本』 ( 以上、東洋経済新報社 ) などがある 浜田宏一 イエール大学名誉教授談 冓火火土 一三ロ = = ロネ

2. アメリカは日本経済の復活を知っている

浜田宏一 アメリカは日本経済の復活を知っている イエール大学名誉教授 講談社

3. アメリカは日本経済の復活を知っている

ある ( 次作ではその「経済学」を世に問う予定だ ) 。 本書が「社会学」といえるかどうかは分からない。ただ私は、幸いにして多くの超一流学者 から学び、個人的な交友もいただいた。尊敬する経済学の巨匠たちが、それぞれ真剣に、どう したら経済メカニズムの真理を捉えられるか日夜努力しているのを、身をもって感じることが できた。そこで、そうした人間模様、つまり経済政策決定過程の「人間学」を描こうと思オ のである また、アメリカに長く暮らしていることから、日米社会の違い、思考の違いなどに関する感 想を、前著『エール大学の書斎から経済学者の日米体験比較』 (zee 出版 ) の続きのよう なかたちで書き綴ったところもある。 本書の骨格ができあがったころ、間渕さんがアメリカ・コネティカット州、ニュ 1 ・ヘイプ ンにあるイエール大学に訪ねてこられた。そこでアイビ 1 ・リ 1 グに属するイエ 1 ル大学の古 い建物の前で、私の写真を撮った。それが本書の表紙になった。 私は、彼をイエール大学の経済学部、コウルス研究所のコ 1 ヒー ・ルームに案内した。大学 院生時代、私もそこにある図書室で多くの時間を過ごした懐かしい建物である。そこにはアー ビング・フィッシャ 1 、チャリング・クーブマンス、それに指導教授ジェームズ・トービンの 経済学の三巨匠の写真が飾られ、我々を見下ろしている。 262

4. アメリカは日本経済の復活を知っている

三つ挙げてください」と聞いてきた学生がいたのである。 「そんなことは自分でやりなさいっ ! 」 あき と、これには勝間さんも呆れつつ大笑い。まさにそのとおりである。 教科書検定の大問題 かってイエール大には、東大をはじめとして有名私大からも、日本の学生たちが多く学びに 来ていた。ごか、 オ、学生たちで議論させようとしても、日本人学生は貝のように黙ってしまう。 それどころか、最近は日留学生それ自体が減っている。特に大学一まで進める学生は激減 している このような状况は、なぜ生まれたのか。勝間さんが貴重な提言をしてくれた 「日本の学生の質が低くなっている原因としては、教科書検定の問題があると思います。文部 科学省検定済教科書に沿ってカリキュラムを組み、その結果、独自性のある教育はなくなって しまうので わいしよ、つ そもそも、教科書に「何々を書け、これは書くな」というのは、極めて矮小な議論だと思 っている。アメリカでは、教科書を出版する会社に自由に書かせている。そして、その是非 は、教室のなかで生徒に考えさせるのだ。 「ここにはこう書かれているか、あなたはどう考える ? 」

5. アメリカは日本経済の復活を知っている

ード白熱教室」の背景 読者のみなさんのなかには、で放送された番組「ハ 1 ード白熱教室」をご覧になら れた方も多いだろう。タイトル通り、マイケル・サンデル教授と学生たちが白熱した意見を交 わし合う内容だ。そこに出てくる学生たちのレベルの高さ、個性の強さに驚かれた方もいるの ではないだろうか ただ、そこに登場する「白熱教室」には背景がある。サンデル教授の講義では、学生たちに 事前に多くの文献を読ませているのだ。その前提があってこそ、ハイレベルな議論が成り立っ のである。 画『卒業白書』にも登場しますが、大学の校友が各地域にいて、大学に入れるべき学生かどう かを日ごろから地元で調査していますー アメリカでは、校友が入学希望者に会いに行くこともある。ペー ・テストだけでなく、 実際に会うことが非常に重要だと考えられているのだ。 もちろん、ペー ・テストが軽視されているわけではない。実際、イエールやハー といった名門大学に <0 で入学する学生は、ペー ・テストでもほば満点を取るような学生 ばかり。学力に秀でたうえで、勉強以外のさまざまな分野で活躍している人間が評価される仕 組みになっている。

6. アメリカは日本経済の復活を知っている

て し と 私は日本とアメリカで五〇年以上、経済学を学び、研究してきた。自分でも信じがたいが、 義本書の刊行とともに喜寿を迎えた。アメリカには「最終講義」のしきたりはないが、日本であ 終れば学者人生を振り返った講義をする時期だろう。 きようべん 私は東京大学やイエール大学で四〇年以上にわたり教鞭をとってきたが、正直にいえば、 の 活 いま、「果たしてそれが社会のために役立ったのだろうか」と自信を失いかけている。 生 究 ある人々は私のことを「ノ 1 ベル経済学賞候補者の一人」などといってくれることもある の実力以上に持ち上げてくれるのはうれしいが、経済学が世のためになる「経世済民。の学問だ 〇と考えると、とてもそんな資格などないように思える。 しらかわまさあき なぜか ? 友人がいうように、教え子である日本銀行総裁、白川方明氏を正しく導くことが きできなかったからである。 え結論からいおう。二〇年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほばすべてが日銀の金融政策 ま に由来するものである まえがきーーー五〇年の研究生活の「最終講義」として

7. アメリカは日本経済の復活を知っている

融政策の自由度を与えて、臨機応変にやらせたらいい」とジム。 彳がいったからという理由ではなく、私も、物事が分かっていて政策を自由に決められる中 央銀行には、縛りを与えないで自由にやらせればいいと思う。 ただし日本の場合は、「中央銀行は物事が分かっている」という大前提が、そもそも認めら れないのである。そういう意味で、私は、インフレ目標の設定賛成に変わった。それも一。 セントの「目途」などという曖味なものでなく、二 5 四パーセントのしつかりとした「目標」 の設定が望ましいと思う。 ジムと最後に会ってから一年後、東京の内閣府から与えられている公務員マンションの電話 が鳴った。同僚の・ Z ・スリニヴァサン教授からのものであった。 「ジム・トービンが、急にお亡くなりになった。君は特に親しい弟子だったから電話で伝えよ 、つと思って : : : 」 一生の師であり、また私が外国に対して適応不順になっているときも励まし続けてくださっ たト 1 ビン先生は、もうこの世におられないのか : : : 電話を聞きながら、心の支えを失ったよ ほうぜん うで呆然となった。 私がイエール大学に移ってから、適応に苦しんでいることを心配した東大の字沢弘文先生に 対して、ジムは、「コーイチの面倒はちゃんと見るので心配しなくていい」と答えたとい、つ話 を聞いたことがある。実際、ジムは私の大きな支えだった。 あ・い亠まし 144

8. アメリカは日本経済の復活を知っている

学者の推薦状ではなく、家族の知り合いのアメリカ軍人に推薦状を書いてもらったのがその理 由の一つだったらしい。当時は、推薦者の選び方すらよく分からなかった。 「アメリカに留学するなら、イエール大学に行って、ジェームズ・トービンに学びなさい」と いう館先生のアドバイスに従い、私は後にノーベル経済学賞を受賞することになる偉大な経済 学者に教えを叩っことになった。 館先生と同じように、トービン先生も、学問はもとより人柄もプリンシプル・、 ( 主義や信条 ) の面でも、本当に立派な学者だった。文字通り、私は敬服の限りだった。「この先生に指導を 受けることができて、本当に良かった」と思えた。 、つ 救 ある経済史の先生は、「トービンの学問を論ずるには、ただ講義の内容や論文を考慮するの を 本では足りない」といっていた。「学生とソフトボールに興じ、学生を自宅に招き、そしてとて 日 も大きな大 ( ニューファンドランド ) を飼っているといったことと、彼の学問は体となって 学 済 いるのだ」と。 経 ト 1 ビン先生との師弟関係のなかで印象的だったことはいくつもある。その一つは、博士論 で れ文を書こうとした際のことだ。 ト 1 ビン先生に指導教授になっていただくことができ、さて自分の論文を書こうという段に 四なった。テーマは国際間の資本移動である。その見通しを述べると、「いいだろう」とトービ ン先生。 リ 9

9. アメリカは日本経済の復活を知っている

得する将来の働き手、つまり若者に、就職難というかたちで重荷を課しているのである。要す るに、各企業が無駄な雇用まで抱えてしまっているということだ。 日銀による超緊縮政策のために、若者の働き口がなくなり、それが技能や新知識の習得を防 ちょ、つら ~ 、 ぎ、日本企業の生産性をそぎとっている。このことが将来、日本経済を凋落させる原因にな る。つまり、潜在成長そのものに対しても脅威となるのだ。 日本は見かけの失業率こそ高くないものの、実質的な失業率はかなり高い状態にある。企業 が人を雇いながら効率の悪いことをやり、損失を出しながらも、それを助成金で我慢している のが現状なのだ。 ちなみに、アメリカの日本経済研究の大御所で、日銀政策委員会審議委員の白井さゆり氏の 師である、コロンビア大学教授、ヒュー パトリック氏も、私の金融政策に対する意見に大い に賛成してくれた。 経済学の天才たちの日本経済批判 ここまでに紹介した経済学の大家たちのほかにも、日本経済に興味を持っている人がいる たとえば、ノ 1 ベル経済学賞受賞者のジョー ・スティグリツッとポール・クルーグマンの二人 である。スティグリツッとはイエール大で、クルーグマンとは—で知り合ったが、若いと きから先輩を圧倒する雰囲気を持った大秀才であった。 しら 118

10. アメリカは日本経済の復活を知っている

じなので控えてください」と、目の前で原稿に朱を入れられた。 8 原稿の主要な論点ではなかったので、私は素直に従ったのだが、「増税するにしてもゆるや加 かに」という意見は、一〇年ほど前からあったということだ。 ちなみに、竹中氏は寛容な上司で、意見発表に修正を求められたのは、二年の勤務期間中、 このときだけだったことも付け加えておく。この話をのちにフェルドスタイン氏にしたが、彼 は笑っていた。 内閣府時代の思い出 私が内閣府の経済社会総合研究所の所どし・て勤めたのは二年間である。人選されたのは堺 屋太一経済企画庁長官であった。「いままでに大きな組織を動かしたことがありますか」と面 接で聞かれて困ったことや、イエ 1 ル大学までわざわざ訪ねて勧誘していただいたこと、「妻 の了解が必要です」と申し上げたら、「誰にとっても奥さんを説得するのがいちばんたいへん ですーと答えられたのが印象的である。 しーくちちかこ 研究所をやめてアメリカに帰ってから、堺屋氏は令夫人の池ロ史子画伯とともにイエール大 学のあるニュ ] ・ヘイプン市に来られた。奥様の、西部劇を思わせるアメリカの風景の取材で もあった。「きれいなアメリカでなく、さびれた、ペ 1 ソスを感じさせる街に連れて行ってく ださいーということで、画伯の展覧会の題材となったのだ。